そして伝説へ
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エルアが消えてから三日。
世界樹の周囲は、一時的に静けさを取り戻した。
けれど、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
「帝国が動いた」
王都・作戦会議室。
地図の上に、いくつもの赤い駒が打ち込まれる。
「南部国境線での魔獣暴走、東部補給路での船団消失、西側の空間異常……」
「全て帝国の仕業だと?」
王国軍参謀が苦い顔で頷いた。
「断言できる証拠はない……しかし、すべてが“意図的”すぎる」
「しかも、明確な宣戦布告はしてこない。情報戦の段階でじわじわ侵食してきてるな」
俺はそう言って、地図の端に置かれた銀の駒を指で弾いた。
「中央、空いてるな。つまり、次に狙うのは……王都か」
重苦しい空気が広がる中、王が立ち上がった。
「アッシュ・ランデル。そなたに託したい」
「……聖樹か」
俺の声に、リリスが小さく震える。
あれから、彼女は無理に明るく振る舞っていた。
でも、わかっている。内心では恐れているのだ。
自分が再び、世界の器にされることを。
だからこそ――
「王よ、俺が行く」
会議室がざわめく。
「だが、俺だけでだ」
「……なんだと?」
「世界樹に入るのは、リリスじゃない。
無限成長できる俺が、代替封印核になる」
「そんな前例はない!」
「だったら、俺が最初になればいい。
これは“リリスを守る”って決めた俺自身の選択だ」
誰も言葉を返せなかった。
やがて王が静かに言った。
「……ランデルの覚悟、しかと受け取った。だが、リリスには伝えるべきだろう」
「……ああ」
◇ ◇ ◇
夜。
屋敷の工房に、リリスは一人で座っていた。
短剣を磨きながら、ずっと何かを待っているような、そんな横顔だった。
「リリス」
声をかけると、彼女は静かに顔を上げた。
でも、その目はすでに、すべてを察していた。
「……お兄様、行くんだね」
俺は答えなかった。
その代わり、工房の片隅に置かれていた一本の剣を差し出した。
「これは?」
「風核剣レグナ――俺の最後の作品だ。風を収束し、魔力の乱流を安定させる機能がある」
「……聖樹に?」
「そうだ。この剣を通して、俺はマナの再循環装置になる」
リリスの手が、小刻みに震える。
「でも、それって……帰ってこられないってことじゃ……!」
「わからない。だけど、誰かがやらなきゃならない。
そして、俺はそのためにレベルアップしてきた」
リリスの目に、涙が浮かぶ。
「ずるいよ……私、また置いていかれるの……?」
「違う。俺は“前を行く”だけだ。
いつか、お前がマナに頼らない社会を作った時……迎えに来てくれ」
彼女は唇を噛み締めながら、うつむいた。
そして、小さな声で言った。
「……絶対だよ。絶対に迎えに行くからね……!」
俺は彼女の額に手を当て、ゆっくりと頷いた。
「信じてる」
◇ ◇ ◇
翌朝。
王都の城門前、出立の時。
風はまだ静かだった。
「アッシュ・ランデル。お前の剣と魂を、我が王国に刻むがよい」
「……はい、陛下」
最後にリリスの姿を探すと――彼女は、見送りの騎士たちの中にいた。
笑っていた。泣きながら、笑っていた。
「いってらっしゃい、お兄様……!」
俺は剣を背負い、世界樹の森へと歩き出した。
この命を、妹の未来のために使うために――
風が冷たい。
世界樹の森に足を踏み入れた瞬間から、空気はまるで別の世界のものだった。
魔力が濃すぎて、肌がひりつく。
だが、それだけだ。
俺の体は、それに適応し、むしろ喜んでいるようだった。
これが、無限成長の力。
全てを受け入れて、進化する力だ。
「さあ、行こうか」
ウインドソードを抜く。
風が俺の背に集い、森の枝葉をなぎ払う。
その奥に、巨大な根と、揺れる光の門があった。
《聖樹封印領域》──その入口だ。
門をくぐると、世界が反転した。
上下も、左右も、時すらも曖昧になる空間。
魔力が飽和し、現実と夢の境が崩れていく。
その中心に、それはあった。
世界樹の心核──まるで心臓のように脈打ち、空間のすべてを支配していた。
「……俺を受け入れろ」
そうつぶやいた瞬間、心核が反応した。
青白い光が脈打ち、俺の体へと絡みつく。
《適合対象──確認。エラー:適合率3%。構造非互換。》
「……なんだと?」
光の奔流が、拒絶するように俺を弾こうとした。
だが――
「無限成長して越えて見せる!」
俺は叫んだ。
限界など、とうに超えてきた。
この身は、マナに飲まれるのではなく、マナを道具にする器。
レベルが上限を超えるたび、俺は人の枠を離れていた。
「適合率? そんなもん、俺が書き換えてやる!」
剣を地面に突き立て、魔力を解放する。
緑と銀の光が奔流となり、心核に突き刺さった。
世界樹が呻くように揺れる。
《再計測中……適合率89%……94%……限界突破》
《新たな器を検出──名称:アッシュ・ランデル》
《霊核変換処理開始》
――来た。
魂が引き剥がされる感覚。
肉体が透明になっていく。
俺の意識が世界に溶け始める。
(リリス……)
最後に、思い浮かぶのは、やっぱりあいつの顔だ。
泣いていた。笑っていた。必死に生きようとしていた。
あいつを、守れてよかった。
「お前の未来を、俺が拓くんだ。世界ごと、お前の道にしてやるよ」
風が止んだ。
世界が、静かになった。
アッシュ・ランデルは、もはやそこにはいなかった。
ただ一振りの剣が、世界樹の中心で淡く光り、風を生み出していた。
マナの枯渇は止まり、文明は延命された。
◇ ◇ ◇
――それから五年。
世界は、ゆっくりと“マナに頼らない社会”へと変わっていった。
蒸気と歯車による機構技術。
魔力の代わりとなる自然力の制御。
そして何より、人々の意識が“依存からの脱却”へと変わり始めた。
「……アッシュ。見ててね」
世界樹の根元に、リリスは立っていた。
兄が封印されているその場所に、花を手向けながら――
「いつか、絶対に、マナなんかいらない世界にしてみせる。
そしてその時、私の手で、あのバカ兄貴を叩き起こしてやるんだから」
風が、そっと髪を揺らした。
その風は、どこか懐かしく、優しかった。
リリスは、笑った。
「だから待ってて。……伝説の兄様」
風は今も吹いている。
世界を守った兄と、その意思を継ぐ妹の物語は、まだ終わっていない。




