赴く者
魔力の奔流。空間がひび割れるような異音とともに、王城の玉座の間へと、次元の門が開かれた。
黒い霧と共に、兵士とは思えぬ影たちが姿を現す。鋭く光る眼。刃のような手足。そして、背に禍々しい魔導装置を背負った、帝国の異形兵たち。
「これは……制御魔兵か!」
騎士団長が叫ぶ。王都どころか、王の間を直接狙ってくるとは。完全に“交渉”など、最初からなかったということだ。
「リリス、後ろへ!」
俺はリリスの前に出る。風が巻き、ウインドソードが魔力を帯びて唸りを上げた。
帝国の黒衣の使者が、指を鳴らす。すると、魔兵の一体が咆哮し、俺に向かって跳躍してきた。
「来いよ……その程度の駒、俺には届かない!」
瞬間、地を蹴った。
剣を横薙ぎに振り抜く。風が走り、空間すら切り裂いた。
《風刃裂空・極式》
魔兵の胴体が真っ二つに裂け、黒煙を上げて崩れる。
「第一波撃破!」
騎士たちが呼応し、次々と動き出す。
だが、敵は無限の魔力炉を備えた強化型。王城の中での戦闘が長引けば、民の避難もままならない。
「副長、リリスを離脱路へ! 全騎士、外へ敵を誘導しろ!」
「アッシュ様は!?」
「俺は残る。ここで、奴らの中心を叩く!」
俺は剣を逆手に構えた。
空間のひずみの奥。そこにいた。
銀髪の帝国使者――否、あれはもう人ではない。背に黒曜石の羽根、額に浮かぶ魔紋。
《聖樹融合型・試製第一号》――それが奴の正体か。
「貴様が鍵を拒むなら、力で証明してもらおう。世界を救う意志が、個人の情念を上回れるか……見せてもらおう、アッシュ・ランデル」
「救うために、妹を犠牲にするってんならな――そんな“世界”ごと、ぶっ壊してやるよ」
剣が閃き、魔力が交錯する。
王都、玉座の間にて。英雄と化け物が激突した。
◇◇◇
その戦いは、数時間に及んだ。
俺の剣は幾度も魔力を振るい、帝国の異形兵を薙ぎ払い、使者との死闘を繰り返した。
だが、次元の門が閉じられるまで、決してリリスの名を呼ばせなかった。
その夜。
瓦礫と化した玉座の間の前で、俺はひざをついていた。
「……まだ、終わっちゃいねぇ」
そう呟いて、空を見上げる。
月が欠けていた。
この戦いは、まだ“前兆”に過ぎない。帝国が真に狙うのは、世界樹と、“聖樹封印儀式”。
そして、リリスだ。
――だから、急がなきゃならない。
リリスを守るために。
この世界を、マナの支配から解放するために。
そして、無限の成長という力を、真に使うために。
王都の夜は、静かだった。
だが、それは戦いを終えた静けさではない。
燃えることすらできなかった“不穏”が、空気の底に沈殿していた。
王城・医療塔の一室。
「……もう動いて平気なのか?」
立ち上がろうとした俺に、王子セイランが声をかけた。
「剣を握れないほど甘くはないさ」
そう返すと、セイランは珍しく表情を曇らせた。
「なら、聞いておけ。帝国は本命の手をまだ隠している。……やつらは、王国の南端、《大精霊の眠る森》で封印儀式を先に起動する気だ」
俺の目が細まる。
封印儀式――世界樹と同調し、世界のマナを一時的に安定させる究極の禁術。
本来、それは王国側の技術であり、代償があまりに重いため封印されていたはず。
「どうしてそれを、帝国が……」
セイランが口を閉じ、視線で“壁”の向こうを示す。
「……内部に“渡した者”がいる。術式の断片、装置構造、適合理論。何者かが帝国にすべてを売った」
……内通者。
この国の誰かが、リリスを、いや、この世界を売ったというのか。
「そいつは……誰だ」
「それは、まだ分からない。ただ……確実に、王城の中にいる」
胸の奥に、嫌な冷気が走る。
「リリスは?」
「……屋敷に戻した。王の勅命だ。もう、王都には留めておけない。次に狙われたら、防げる保証はないからな」
王が、それだけ真剣に“彼女”を守ろうとしているのは分かる。
だが、もう守りの手では足りない。
先に仕掛けなければ、未来は奪われる。
俺は拳を握った。
「なら、俺が行く。森へ。帝国の封印儀式を止める」
セイランが一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから、かすかに笑う。
「言うと思った。王も、すでに出撃命令を下した。君には先行してもらう。追って、騎士団も向かわせる」
「了解した」
「ただし、気をつけろ。……向こうには、完成体がいる」
俺は目を細めた。
完成体──リリスと同等の適合率を持ち、マナをその身に内包することができる、もう一人。
「帝国は、聖樹の力を奪い、次元そのものを歪めようとしている。君が行かなければ、間に合わない」
「間に合わせるさ。俺の力は、“限界がない”んだ」
魔力が、静かに周囲に集まり始める。
俺の中で何かが決まっていた。
もう、封じるための戦いじゃない。
塗り替えるための戦いが始まる。
◇◇◇
その頃、ランデル侯爵家。
リリスは、兄が残した剣の“鞘”を手にしていた。
誰もいない工房。夕焼けが赤く差し込んでいる。
そして、机の上に残された、一枚の紙。
《リリスへ
もしものときは、これを開け。
その時が来るなら――お前が“世界を変える側”に立っているってことだから。》
リリスは、そっとその手紙を折りたたみ、胸元にしまった。
「私も、行かなくちゃ」
静かに、短剣の柄を握る。
「お兄様に、追いつくために」
その瞳にはもう、迷いはなかった。
帝国との決戦は、もうすぐそこに迫っていた。




