真実
王都の一角、王立中央書庫──その最奥には、誰も入ることを許されぬ“封印区域”がある。
王からの正式な許可を得た俺は、リリスとともにその階段を下りていた。
足音すら吸い込まれる静寂。
空気は冷たく、魔力の流れが凍りついたような感覚すらあった。
地下三層。鉄扉を開けた先、そこは“過去”の眠る場所だった。
「……ここが、真実の書かれた場所?」
リリスの声が細く震える。
「そうらしい。王が、知っておけと言った。お前の適合率、そして世界の状態についても……すべてがここにある」
棚の奥、魔封結界で封じられていた古文書に手をかけると、封が緩み、頁が風にめくれた。
記されていたのは、かつて世界を支えていたマナの理の崩壊の記録だった。
《大陸全土の魔力総量は減少を続けている。消費に対し、自然回復が追いつかず、100年後には魔法文明の維持が困難となる》
《帝国は独自に代替マナ源を求め、人工的な強化魔物、適合者の創出に着手。対象は高純度の魔力器官を持つ者に限られる》
《適合者は、マナを“内包し、浄化し、流す特殊な器官を持ち、聖樹と同調可能とされる。だが、その代償として……》
そこまで読んで、俺は手を止めた。
隣のリリスが、指を震わせてページをそっとなぞる。
「代償って……なに?」
そこに書かれていたのは、こうだ。
《適合者が世界と同調すると、その肉体と魂は精霊核として統合される。分離は不可能。意識は残存するが、永続的な眠りにつく》
「……つまり、封印装置と化す、ということか」
リリスが青ざめるのがわかった。
この世界は、生きた人間を代償にしか、延命できない。
そして、その器として最も適しているのが――
「私……なんだね」
リリスが絞り出すように呟く。
俺は彼女の肩を掴んで、強く言った。
「違う。そんなの、選ばせない。生け贄になんてさせない」
リリスは首を横に振る。
「でも、お兄様。もし本当に、それしかないなら……」
「それしか、なんて、あるもんかよ」
俺は叫ぶように言った。
「だから俺は、無限にレベルアップできる。この力があるのは、こういう時のためだろ!」
魔力が周囲で震えた。
“マナを使う”のではなく、“マナに代わる道”を作る。
それができるのは、誰かの犠牲なんかじゃなく――俺自身の成長だ。
「封印なんてさせない。俺はこの手で、マナの呪いごと世界を塗り替えてみせる」
リリスが、何かを押し殺したように、そっと笑った。
「……それなら、私も、もっと強くならなきゃ。お兄様と一緒に、歩けるように」
頷く俺に、リリスはほんの少しだけ、目を潤ませながら笑っていた。
その夜、書庫の外へ出ると、王子セイランが一人、廊下に立っていた。
「見たな、あの現実」
「……ああ」
「君が何を選ぶのか。俺は、それを止めない。ただ……王国を守るという意味では、いずれ選択の時は来る」
「俺は選んだ。妹を犠牲にはしない」
セイランが目を伏せる。
「その答えが、君の神話になるか、それとも“災厄”になるか――見届けさせてもらうよ、アッシュ・ランデル」
王都・謁見の間。
天上から差し込む光を受けて、王と重臣たちが並ぶ中――帝国の使者は静かに、しかし不遜に立っていた。
黒衣の男。銀髪に琥珀の目。口元には薄い笑みを浮かべながら、彼は言う。
「ご機嫌よう。王セラディウス陛下。そして、ランデル家のご子息にして、“剣精の器”アッシュ・ランデル殿」
騒然となる空気の中、俺は一歩だけ前に出る。
「用件を述べろ。俺たちの“妹”を、何の権利で狙う?」
男は笑みを崩さない。
「正当なる回収です。リリス・ランデル殿は、帝国貴族の血筋にして、最終適合率98%を記録した“完全個体”。聖樹同調の最適者。もともと、我が帝国の資産――」
――ギンッ。
音を立てて、俺の剣が鞘の中で震えた。
誰かが止めなければ、剣が独りでに抜けていたかもしれない。
「資産だと?」
低く、俺は言った。
「リリスは、物じゃない。名前を持ち、意思を持ち、俺たちと生きてきた“人間”だ。お前らの“管理”なんかに、戻す気はない」
王が、静かに手を上げる。
「帝国よ。そなたらの目的は、マナの確保か」
「その通り。王国とて、マナの枯渇を感じているはず。ならば、我々と“共有”すべきでは?」
俺は笑った。
「お前らが言う共有ってのは、“吸い尽くす”ことだろう」
帝国使者の目が細くなった。
「では交渉は、決裂ということでよろしいか」
「交渉? 最初からそんなもの、成立してねえよ」
魔力が走る。俺の背に風が舞う。
「リリスは俺の妹だ。返す理由も、渡す理由も、最初からない」
帝国の使者が、右手を振り下ろす。
「残念です。ではこちらも、正当な手段に訴えましょう」
次の瞬間、玉座の間の床が揺れた。
王都の外壁に轟音が響く。魔力の奔流。空気が震え、外の景色が揺らいでいく。
「帝国軍、門前に展開……!?」
報告の声が響く中、使者は言った。
「聖樹同調の“鍵”を引き渡せば、王都に手は出しません」
「ふざけるな――!」
俺が剣を抜いた。
だが、その時だった。
玉座の間の扉が開く。
「なら、私が行きます!」
走り込んできたのは、リリスだった。
顔は蒼白で、それでも震える唇で言った。
「私が行けば……この場は収まるんでしょう?」
「リリス、下がれ!」俺は叫んだ。
だが、リリスは微笑んでいた。
「わかってるよ。私が行けば、争いは一時は止まる。でも……それは、“その場しのぎ”なんだよね」
そして、帝国の使者を睨みつけるように、言った。
「行かないよ。行くわけないでしょ。私は、王国で“生きてる”んだから」
帝国の使者の顔が、ついに歪む。
「……ならば力づくで奪うまで」
魔力が唸りを上げる。
「来るなら来い!」俺が一歩踏み出す。
――その時だった。
玉座の奥。王の隣にいた参謀が、杖を振り上げた。
「陛下、退避を! 敵、空間跳躍を準備中です!」
すぐに王が命じる。
「全騎士、展開せよ! ランデル家は、リリスの護衛を最優先とせよ!」
「はっ!」
魔力の嵐。開かれる次元の門。黒い影が、王城へと侵攻を開始した――。




