振るわれる牙
朝日が昇るより早く、俺は工房の前に立っていた。
昨日までに鍛えた剣、打ち上げた装備。
全部が戦うための準備だ。
そして今日、それを使う時が来る。
「アッシュ様、出発のお時間です」
扉の向こうから、騎士団の副長が声をかける。
彼の声には緊張が混ざっていた。理由はわかっている。
昨夜、村の一つが襲撃された。焼け跡と、異常な魔力濃度の痕跡。
これはただの魔物の暴走じゃない。帝国が仕掛けてきた“実験”の痕跡だ。
「分かった。すぐ行く」
腰にはウインドソード。エメラルドの魔力が風を揺らしていた。
鍛冶で生まれた、俺の最高傑作。
この剣で、俺は証明する。
――妹を守るためなら、俺は、どこまでも強くなる。
「お兄様!」
屋敷の階段を駆け下りてくるリリスがいた。
ローブを羽織り、腰には俺が鍛えたルビー入りの短剣。
「……来なくていい。今日は、危ない」
「でも、そばにいたいんです。お兄様の隣に」
リリスの手が俺の袖を握る。かすかに震えていた。
怖いのだ。かつて見捨てられた過去が、また繰り返されるのではないかと。
「リリス、信じてほしい。今の俺は、どんな敵が来ても――」
俺は剣を抜き、斬った。
風が鳴った。空気が裂けた。
その威力に、リリスの黒色の髪がふわりと舞う。
「……一瞬だ」
それだけ言って、俺は背を向けた。
「絶対、帰ってくる。約束だ」
リリスは、黙って頷いた。
目的の村に着くと、空気が淀んでいた。
「これは……腐敗しているな」
焦げた木々。黒く染まった地面。焼け落ちた柵。
騎士団が展開し、警戒網を広げる。
「周囲に魔力反応……三、いや、五体……!」
副長の声が緊張に染まった次の瞬間、木々の奥から現れた。
異形の魔物。狼のような体躯に、背中から突き出した骨。
目は紅く輝き、口から黒い靄を吐きながら、咆哮する。
――完全に制御された個体。帝国の強化魔物。
「若様、後退を!これは……!」
「下がれ。俺がやる」
騎士たちの制止を振り切って、俺は一歩前に出た。
剣を、風と共に振り抜く。
取得:剣術Lv92
取得:風魔法Lv38
発動:スキル《風刃裂空》!
斬撃の波が走る。
魔物の首が、身体ごと吹き飛んだ。
一撃だった。
沈黙。
残りの四体が吠えるが、もう遅い。
「――今さら吠えても、遅いんだよ」
風が渦を巻く。
発動:スキル《風刃旋牙陣》!
舞うような剣技。大地を抉り、木々を裂き、魔物の身体を、何の抵抗もなく貫いていく。
一歩、二歩、三歩。
俺が前へ出るたびに、魔物が倒れる。
十秒も経たずに、五体全滅。
騎士たちは動けず、声も出せず、ただ唖然と俺を見ていた。
「制御痕跡を確認しろ。体内に何か埋められてるはずだ」
「は、はいっ!」
副長がようやく動き、死骸を調べ始める。
その背中に、俺は静かに言った。
「これは、宣戦布告だ。帝国は、俺たちの家族を狙っている」
その頃。屋敷では、リリスが工房の窓から庭を見下ろしていた。
昨日までと変わらぬ景色。
でも、空気が違う。
胸がざわつく。小さな不安が、喉の奥に絡みついている。
「お兄様……」
握った短剣が、熱を帯びていた。
そのときだった。庭の奥の木陰に、黒い人影が立っていた。
女。帝国の黒衣。かつて記憶にある姿。
「来た……のね」
リリスの声が震えた。
夜。
屋敷に戻った俺は、執務室で父から文書を受け取った。
「これを見ろ」
差し出された封筒には、帝国の刻印。そして、記された一文。
《回収対象:リリス・ランデル。適合率98%。準備完了次第、奪還す》
「……やはり、リリスが狙われているのか」
「アッシュ。お前しか守れん」
「守るさ。あの子が、自分の居場所だと感じている限り」
俺は、剣を握った。
その夜、リリスは眠れずにいた。
「……帝国が、来る」
彼女の小さな胸に、黒い恐怖が広がっていた。
でも、その中に、確かに小さな光もあった。
それは、兄の剣。風をも裂いた力。
だから、彼女は呟いた。
「大丈夫。お兄様は、絶対に来てくれるから」
短剣のルビーが、月の光に照らされて揺れていた。




