ブルーシェルロブ
街を出て、男はこれまでとは逆の方角へ歩き出した。
街の裏側、瓦礫と砂に埋もれた荒野。
遠くまで続く灰色の大地は、どこまで行っても同じ景色だった。
乾いた風が砂を削る。
靴底に当たる石が、鈍い音を立てる。
歩く。
ただ歩く。
この世界では、どこかへ行くという行為そのものが仕事だった。
半日ほど歩いた頃、地平線に細い線が現れた。
パイプラインだ。
旧文明の残骸。
巨大な金属管が、砂の海を横断するように伸びている。
直径は人の背丈ほどもある。
ところどころ錆びているが、まだ生きている。
中を流れる液体の振動が、かすかに伝わってきた。
その横に並び、歩く方向を合わせる。
この管はどこかへ繋がっている。
それを辿れば、目的地に着く。
それだけの話だった。
砂漠を進むうち、空気の匂いが変わった。
塩。
潮の匂いだった。
乾いた砂の香りの奥に、湿った重い匂いが混じる。
さらに歩く。
やがて視界が開けた。
そこに海があった。
青い。
この星の多くのものが変わってしまったのに、
海の色だけは昔のままだった。
ただし、そこにいる生き物は違う。
男の視線は海ではなく、海へ向かって伸びる巨大な排水パイプへ向いていた。
パイプラインの終点。
そこから濁った水が、絶え間なく吐き出されている。
黒。
灰。
油の膜が虹色に揺れる。
それらはすべて海へ流れ込む。
だが、この星にとってはもう誤差のようなものだ。
汚染はとっくに限界を超えている。
だからここには、変わった生き物が住み着く。
男は排水口周辺の岩場を見渡した。
静かだ。
波の音だけが響く。
だが、いる。
岩の隙間。
汚泥の影。
崩れた配管の下。
それらのどこかに、擬態して潜んでいる。
ブルーシェルロブ。
男は背中の荷を下ろし、腰のナイフを抜いた。
黒い刃が光る。
欠けない。
折れない。
錆びない。
旧文明の遺物。
この世界では、その用途を知る者はもういない。
包丁。
そんな言葉も、とうに消えていた。
男は岩場をゆっくり歩く。
足音を殺す。
視線だけが動く。
そして止まった。
岩の一つ。
形が、少しだけ整いすぎていた。
男はナイフを握り直す。
その瞬間。
岩が動いた。
白い外殻が開き、青い内側がちらりと見えた。
ブルーシェルロブ。
体長は五十センチほど。
だが、外殻は石のように硬い。
鋏が振り下ろされた。
男は横へ転がる。
岩に鋏が当たり、砕けた。
力は強い。
まともに受ければ腕が持っていかれる。
ロブスターは身体を反転させ、尾を打つ。
砂が舞う。
男は距離を取る。
ナイフだけ。
槍も罠もない。
だが、この刃なら通る。
甲殻の隙間。
角度。
そこだけを狙う。
ロブスターが突進してくる。
男は半歩だけ引いた。
鋏が空を切る。
その瞬間、刃を差し込んだ。
関節。
外殻と外殻の隙間。
黒い刃が滑り込む。
硬い抵抗。
だが止まらない。
ナイフはそのまま奥へ入った。
ロブスターが暴れる。
尾が岩を叩く。
海水が跳ねる。
やがて動きが止まった。
男はしばらく待つ。
完全に沈黙したのを確認してから、刃を引き抜いた。
血はほとんど出ない。
代わりに青い体液が流れた。
作業に入る。
外殻を外す。
白磁のような殻。
これは持ち帰る素材だ。
その内側。
青い生体内殻。
茹でれば赤く変わる。
ここからは濃い出汁が取れる。
丁寧に剥がす。
さらに腹部。
濾過器官。
汚水を飲んで生きるこの生物の肝。
砂と毒素を分離する器官。
これも素材になる。
最後に尾。
肉。
ここはそのまま食材だ。
作業が終わる頃、袋はかなり重くなっていた。
男は立ち上がる。
海を一度だけ見る。
青い海。
遠くまで続く水平線。
静かだった。
だが、ここは帰る場所ではない。
男は袋を背負った。
重い。
しかも時間がない。
鮮度が落ちる。
ため息が漏れる。
帰り道は長い。
半日以上。
砂漠を越えて、街まで戻らなければならない。
男は歩き出した。
来た道を。
果てしない荒野へ向かって。




