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2.ヒエラルキー・クイーン


 次の日になって。

 俺は昼に学校に向かった。夏あちー。でも冬もきらいだしなー。とかぶつくさぼやきながら。

 将棋部の部室を開けると、井上真姫先輩がパソコンの前に座って、将棋のコンピューターソフトを触っている。俺が入ってきたのを横目で睨みつけるようにする。鬼の形相。黙っていれば黒髪ロングの映えるお嬢様系なのに、恐い顔するよなぁ……

 ゲーム内での名前は「ヒエラルキー・クイーン」。

 最初はみんなそのくっそ偉そうな名前を笑っていたけど凄まじい勝率でランキング一位になり、『聖騎士』だった当時のチャンピオンをけちょんけちょんにやっつけてからは誰も笑わなくなった。“クイーン”の愛称で呼ばれている闘技場の覇者。


 井上真姫。将棋部の先輩。現在十七歳。

『奨励会二段』

 女性初のプロ棋士の、二歩手前。


 ――俺が世界で唯一知っている、

 ――実在している本物の、

 ――天才。


 将棋の方は相手にならないと言われて指したことはほとんどない。二回くらいだけ「指導対局」をしてもらったことがあるけど駒落ちだったのも関わらず棋力が違いすぎてなにがなんだかわからないまま捻じ伏せられて負けた。

 規定によって奨励会員は学生の大会には出られないから、その二回以外は実際に指してるところを見たことすらほとんどない。実力に見合う練習相手なんて勿論学校の部活にいるはずがないから、真姫先輩は部室のパソコンとにらめっこしながら一人でずっと、プロの棋譜を並べたり角換わりやら相掛かりの研究をしていた。

 見た目こそお嬢様系の美人だが、中身は“ヒエラルキー・クイーン”の名前が示す通り、傲慢と横暴が服を着て歩いているような人だ。そーでなければ男ばっかりで、しかも魔物がひしめいているらしい奨励会になんて居られないのかもしれない。

 研究で息が詰まった時に、俺をゲームに誘ってきた。俺がDLIDDIを始めたのはこの人がきっかけだ。なにせ誘いに応じなければキレる。泣いて喚く。しばかられた。ぼっこぼこにされた。ついでにゲーム内でも腹いせにキルされまくった。ドロップアイテムを根こそぎカツアゲされた。俺はちょっと泣いた。でも「嫌ならやめれば」よかったのだ。そんなに嫌じゃなかったから、俺はDLIDDIを続けている。

 先輩の方は俺がクエストに誘ってもほとんどログインしなかった。あの人は将棋の人だから仕方ない、と思いつつ、ちょっとさみしくて。でも俺は先輩がプロを目指して奨励会で戦っている姿を「かっこいいな」と思っていた。

 ……だからアザミの挑戦を妨害し続けていた。

 “チャンピオン”はタイトルマッチに絶対に出なければならない。逃亡はなんかの規約によって許されていないらしい。アザミはあの通り夏休み中ずっと暇だから、「挑戦者との時間があわなかった」みたいな理由での逃亡も許されない。

 将棋の研究に時間を費やしたい真姫先輩は、ネトゲのビッグマッチなんてほんとはやりたくないのだ。でもやるからには勝ちたい。「ヒエラルキー・クイーン」はそういう人だ。

 べちん。

 頬を叩かれた。左手で。利き腕で叩かないあたり、自分でもちゃんとわかってるんだなぁと思う。

 この人の右手は駒を持つ手だ。

 人を叩くための手じゃない。

「あんたのせいだ」

 何が?

 今季の黒星、三つ目がついたのが?

 星で先行している、自分より格上に見えるのが同じ段にもちらほらいるのが?

 去年に史上五人目の、自分よりも年下の中学生の棋士が生まれたのが?

 もう一発ビンタを食らう。

「マッキー先輩、いくらなんでも横暴」

 同じ学年で将棋部の安食流吾アジキルアさんが、目線を本に向けたまま感情の籠ってない声で言う。いつも眠そうな半目をしている女子でなに考えてるのかはよくわからない子だ。今も俺が叩かれてようが殴られてようがどーでもよさそうな声だった。真姫先輩はしばらく黙って俺を睨みつけたあとでパソコンの前に戻る。

 俺は盤駒が並べられている安食さんの向かいに座る。安食さんが本を置いて俺を見る。

「大丈夫?」

「ん、どってことない」

 あの人、非力だから。

 将棋と、ちょっとだけのゲーム以外はなにもやってこなかった人だから。

「なに読んでる?」

「『ジキル博士とハイド氏』、おもしろいよ」

 俺はちょっと笑った。「ハイド」のプレイヤーネームってこれからつけたんだろうか?

 安食さんが本を置く。

「将棋指す?」

「うん、やろうやろう」

 俺と安食さんが指し始める。

 二人とも定跡すらちゃんとわかってないからその場その場でうんうん唸りながら、おもしろおかしく楽しく指す。攻め間違って切らされて。仕方なく受けて粘って。泥仕合になる。それでも考えるのは楽しい。将棋は奥深い。初心者の俺にもなんとなくわかる。

 将棋で計算上顕れ得る局面の数は10の226乗に及ぶらしい。(最近ではこれよりも少ないのではないか?という研究もあるようだが) それは宇宙に存在する電子の数よりも多いとかで到底人間の頭で処理しきれるものではない。奥まで行ってしまえば無明の闇でも入口には光が届いている。俺たちは入口で遊ぶ。大抵の人間は光の届かない深さの前に立ち止まる。でも先輩は、自分の力だけを信じて無明の闇の中を手探りで進んでいく。

 将棋なんてゲームだろ? 最近はもうコンピューターソフトの方が人間より強くなったんだ。プロ棋士ですらコンピューターの手をなぞるようになってきた。突き詰めることなんてコンピューターにやらせとけばいいじゃん。人間は楽しんで指せばそれでいいじゃん。俺はそんなふうに思ってしまう。

 先輩は違う。先輩は苦しんで指している。負ける度に血反吐を吐きそうになって。それで俺にやつあたりする。圧倒的なエゴイストだ。はっきりいって先輩の人格はくそだ。

 それでも。先輩に勝ってほしい。頑張ってるから。「頑張ってる」なんてのは、この人のレベルの競争相手ならみんなしていることなんだろうけど、それでもこの人が「頑張ってる」ことを知っているから。

「ねえ、聞いてる?」

「ん、あ、ごめん。何?」

「陽介くんてさ」

「うん?」

 安食さんがぽつりと言った。

「ほんとマッキー先輩のこと好きだよね」

 俺は持ち駒の銀を取り落とした。

 真姫先輩がすごい勢いでこっちを振り向いた。

「べ、べべ、べつにおれはそんなんじゃっ」

「ななな、あんたなにいってんの!?」

「二人とも顔まっかー」

「ぐぅ……」

「ああ、あかくないわよ!」

 俺は安食さんに将棋で負けた。

 真姫先輩は居たたまれなくなったのか、帰った。

「安食さん、今日なんかテンション高い?」

「わかる? 昨日ちょっといいことあったんだ」

 そのいいことがなんだったのかは教えて貰えなかった。

 で、安食さんはおもむろに「陽介くんはさ、あんなにマッキー先輩のこと好きなのに、付き合いたいとかは思わないの?」と訊いてきた。

 あー、うー、なんか答えづらい質問きたなー。

「まず一つ、あの人は二億パーセントの確率で俺のことをフります」

「そっかなー? マッキー先輩も陽介くんのことかなり好きだと思うけどなぁ」

 どこがだよ。

「じゃないとあんな甘え方できないと思うよ」

 異論はあるがまあいいや。

「二つ、あの人に必要なのは恋人じゃなくてストレス発散のためのサンドバッグです」

「それはわからなくもない」

 安食さんが腕を組んで「うーん」と唸る。「なに食べて育ったらあんなに性格悪く育つんだろうね」ぼやく。生まれつきじゃないですかね? 将棋を指す才能と引き換えに人として大事なものを母親の腹の中に置いてきたんでしょう。俺は産まれた瞬間に立ち上がって「天上天下唯我独尊」とか言い出す真姫先輩を思い浮かべた。

「三つ、俺はあの人に、俺の彼女とかじゃなくてプロ棋士になって欲しい。かわいい先輩じゃなくてかっこいい先輩であってほしい」

「重症だね? ていうかあんなにやつあたりしまくりの無様晒してるのにまだかっこいいと思ってるんだ」

 もうなんとでも言えよ。

「以上です」

「ふーん」

 安食さんはおもむろに部室のドアの外を見る。

「ふ~ん」

 意味深な笑みを作る。

「じゃあ俺もそろそろ帰るよ。安食さんは?」

「私はもうちょい、これ」ジキル博士とハイド氏を指す。「読んでく。鍵は任せて」

 ばいばーい、と手を振って俺は部室を出て、クソ熱い夏の日差しを浴びながらうちに帰った。


「……だ、そうですけど、実際のところどーなんですか。マッキー先輩」

「ふぇ? ふぇ?」

「好きらしいですよ。でもフラれるの嫌なんですって」

「い、いまの話をどう総合したらその結論になるのよ。てかあんた! 性格悪いって言いすぎ!」

「自覚ありますよね?」

「……ある」

「陽介くんのこと、どう思ってるんです?」

「好きとか、そういうのわかんない。でも」

「でも?」

「い、いなくなられると、こまる」

「ふうううん」

「か、勘違いしないでよね!? あいつはサンドバッグなの! ストレス発散のためにいつでも叩けるように手元に置いてるの!」

「ふうううううううん」

「あ、あんた後輩のくせに生意気なのよ!!?」



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― 新着の感想 ―
[一言] すごく面白い内容でした。 技とか、設定とか読みたくなるような内容。 現実世界とゲーム世界との行き来。 文字が多くても、読みたくなるような、そんな伝わりやすい文章。上手いなあって、そう思いまし…
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