71.暑気に情趣を得て詫び寂びに足るを知る
南天からの陽光を遮る障子の白に、大小の点となった陽光が映され、ちらちらと瞬く。
庭に面する障子戸の大部分は透明な硝子。磨き上げられた複数の四角越しに覗く外は、盛りの季節らしく鮮やかに瑞々しい。庭園の緑が風に揺れて動くに合わせ、葉影が移り変わる文様を描く。木々を揺らしたものと同じ風が池の水面をも揺らし、そこに映り込んだ光の粒をさらに複雑に反射し彩りを生んでいて。
カコンと響く鹿威しの音が、庭園内で反射して長く伸び、流れる水音に混じって消える。
濃い緑の濃淡がさざめく音も、鳴いては消えそして鳴き出す虫の声も、耳に残りながらも不思議に静寂を煽る。
――お支度が整いました。
仲居さんの声掛けに、庭園をしげしげと眺めていた目を室内に戻す。畳のお座敷に、重そうな座卓と人数分の座椅子。よく見ればテーブルの下は掘り炬燵になっている。
「急で悪かったな」
代表で神月氏が対応していた。
今の今みたいな予約だったからね、無理を通したところはあるんだろう。しかしそんなことはおくびにも出さず、スマートに整えられた席。座椅子へとめいめいが移れば、さっと冷えたお茶が。
「鰻が食えりゃいいってことで、色々融通してもらった。畏まった席でもねぇ、出されたモンを美味しく頂けばいい」
豪華な会席料理でも出そうな場だが、気楽に食べれるお弁当のようなものが用意されていた。香の物や煮物、揚げ物などが彩り良く並ぶ。その中にメインとして鰻様が鎮座するのだ。
「後はこっちでやる」
七名の前に汁椀まで並んだところで、仲居さんには下がってもらい、やっと寛ぎ箸を手に取るゆいちゃんです。このようなお店は初めてでもないが、慣れてもいない。
「弁当だけじゃ足りねぇ野郎ども、飯は各自で装えよ」
どでんと用意されたお櫃と人数分の茶碗である。お櫃の蓋を開ければ、品よく香ばしい白米ご飯ちゃん。弁当箱の中にご飯ものがなかったのはこのためか。
「お上品な料亭ランチより、こっちの方がいいだろ」
「質も欲しいが量も欲しいというニーズですね、わかります」
かなり正確にこっちの事情を汲んでくれたらしい。優秀なスタッフがいらっしゃるのだな。
さらに、声をかければ氷菓子のデザートも出してくれるとのこと。甘味大歓迎。
各自が気のままパクつく。うん、美味しい。
「ご飯の旨味がすごい…うま…」
「飯ばっかおかわりすんなよ」
「茶碗が小さいもん、たぶんいつもの二杯目換算だもん、まだ」
「おかずも食ってやれ。特に所望した鰻」
食べてるよー美味しすぎてゆっくりだけど。
「なかなかいいな。小白川の贔屓だけある」
「名刺を置いて帰ろうかな」
今後、運営組の接待に使われそうな予感。
「ここには、このようなお食事方法もあったのですね」
「蛍はぁ夜しか来たことないもんねぇ。ここはぁ正午前後はランチもやってるから、この形式が気に入ったなら、また昼に来よっかぁ」
「はい。学友の皆様もお誘いしたいです」
「うーんその時はぁ、お嬢様方用にもっとお上品系で頼もうかぁ」
お嬢様用なら食事はそこそこで、デザートに気合い入れてもらうのもありよな。好みにもよるが。
冷房の効いた部屋で、おしゃべりしながらまったりとした昼食。どれもこれも絶妙な旨さで、手間暇かけると同じような食材でもこうも違ってくるのかとしみじみ。
「北瀬でも使ったことあるのかな、ここ」
「ホストで使ったことはない、はず? 兄貴に訊いてくれ」
ほん、ゲストならあるかもと。ならいずれ、比悠か時悠がらみで警備の相談なんかがわたしにも回ってくるかもしれんから、後で場所や間取りを確認しておくかな。
机上の料理の減り具合を見て、神月氏がさりげなく襖を開けて仲居さんにデザートを頼む。スマートな出来る男感が意外。こういうのは陽月氏の役目かと思ってた。
「ケースバイケースかなぁ?」
「今回は俺が予約を入れて、中継ぎを担当してるからな。ああ、警備は他の者を回してある」
ふむふむ。今後の参考にしよう。場合によっては、このやり方はわたしとカナさんにも適用され得る。
座敷の襖がすたんと開く。運ばれてきたのは和のようで折衷のミニデザート盛り。抹茶や餡の渋い色味を基調に、華やかなフルーツやシャーベット、生クリームやスポンジが飾られている。
「人払いを」
密談の開始だ。
溶けないうちにと、冷たい物を攻略していきつつ。
「内緒話なら、香木の屋敷でやればいいのに」
「あんたらのあの理不尽な屋敷で、迂闊なことはできねーよ」
理不尽。そうよね~ゲームから一足飛びで現実だわ、指先一つ柏手二つで部屋がぐるぐるだわ…クローゼットの衣装はそれぞれの好みを把握して飛んでくるし。
ついでに言えば、着替え終えてハイ行こうか(パチン)で料亭に着いてたし。
「香木紀璃は天才だった。言ったよね」
「時代を幾つも先取りするほど、とも言ったな」
結果。現代より発展していたという下地もあり、SFと言うよりむしろファンタジーな魔法に近いくらいの未来的技術を行使できてしまったらしい。
「天才すぎて一切公表せず、密かに開発し使うだけだったが」
「自由人なんだよ、基本。使われたくない派」
どの技術がそれにあたるかと言えば、屋敷で遭遇した事柄はほとんどそうらしい。どれもこれも元々の未来にあった技術に手を加えて発展させただけだから、「いつかは自分以外の手で出来上がるだろう」で済ませていたと。
「自由な転移だけは、余人には無理かもだけど」とも。
転移させたい自分と他人(複数可)と飛ばしたい場所の座標を独自規格で把握し、自作の機器を遠隔操作して座標入れ替えをする、という技を行っているそうな。
そしてその肝心の『独自の座標把握』は、本能でやっていると。…天才というか才能というか野性の空間把握能力というか。なにそれ。
「転移のことだけを言うなら、紀璃の開発した機器は紀璃、もしくうはそれに類する存在が操作しないと、成り立たないわけだ」
独自規格すぎるんよ。
ちなみに。香木紀璃の時代には生物の転移自体は行えていたらしいが、そこそこの大きさの機械を用いて、決まった場所に、一体ずつ送り込むのが原則であるそうな。複数体も可能だが、事故が起こりやすいために避けられていると。
現在の無生物限定転移から見れば、かなりの発展ではある。
「そんなヤツが、最低限の才能を見せ、最低限の交友をこなし、けれど機が熟すとすべてを捨てて、好奇心に走ったわけだ」
「うん、天才違って天災、意味わかったわ」
香木紀璃の好奇心が向いた先は、見たことのない未来の景色。
それは、ある意味では香木紀璃が生まれない未来にも繋がりかねず、諸々のパラドクスを解消するために、アラカイとアマカミに分離して世界から離脱するという荒技。
「世界記憶の一部を複数コピーして、一つ一つの改竄を試みるようなものだよな」
「コピーによる劣化をも想定し、そこから崩そうとしてるんだよ。だから何度も試せる」
その確信犯がアラアマに囁くそうな。
「まずは科学技術の発展を抑えろとな」
「だから、紀璃の時間軸よりは遅れてるんだよねー現代」
「本来なら…今の暑い季節の不快感とか解消されてたよな」
「暑いも寒いもジメジメもカラカラもなくなってるよ。世界規模はまだ無理だけど、都市単位での完全空調管理くらいはできてたはずだもの」
空調管理。なんかそれ、昔と言うほどでもない最近な昔に、聞いたことあるような。
快適な暮らしのための、空調完備な都市計画。そういうものが一瞬だけもてはやされ、そしてフェイドアウトした。
エネルギーの問題、あるいは技術が追い付かなかったのか、はたまたナチュラル派による強固な反対にあったのかと、憶測だけはありつつも、決定的な理由は謎のまま消えたやつ。
おまえらの仕業か!?
この物語はフィクションです。実在の云々以下略。
※料亭に詳しくないので、検索と想像で書いています。信じちゃいけません。




