第8話
今日は別に用があるからこれで。
肉まんのお礼をしっかりしてから静哉はそう切り出した。
出会いから別れまでずっと笑顔を見せていた少女は、印象通り明るく接しやすく、たったあれだけの時間で仲良くなれた、気がする。
そんな彼女のおかげか、摩訶不思議な場所に来て早々に味わった死への恐怖はかなり落ち着いた。どんな恐怖や悲惨な経験をしても、同じ状況下にい続ければいずれは慣れてくる。人ってそういうものだ。
ただ、恐怖心が落ち着いただけで、静哉は不安でしかない。ただ、もう一度友希に会うと決意した以上、自分がいる場所の情報を得るためにとりあえず闇雲に歩くことにした。
「っと、その前に」
静哉は少しだけ公園の入口に戻ってから行動を開始した。
街の中心は道が広く、周囲から見つかりやすくなってしまう。できるだけ人の通らなそうな細い裏道を選んで移動を繰り返し、まず着いた先は友希に強引に連れていかれた服屋だった。しかし、どこにも目当ての少女の姿は見当たらない。
ならばと静哉はこの広い街の、まだ行ったことすらない場所に行くことにした。だがそのためにはここを動き回る必要がある。どこでいつ、奇襲を受けるかわからない。自分の行動に付きまとうリスクを再確認した静哉は、肩を落として空を見上げる。彼の肩は小刻みに震えていた。
いくら落ち着いたと言えど、恐怖が完全になくなったわけではない。
自分のいる場所で何が起こっているのかを知ることと、自分の精神の安定を天秤にかければ、即答で何が起こっていることを知りたい。それに、危険だと分かっていながらも、少し落ち着けたことで自分自身の好奇心が湧き出てきた。
しかし、一歩が踏み出せない。
こんなんじゃだめだって分かってる。全ては友希に会うため。ここで足踏みはしていられない。
「行くしかないよな」
観念したように静哉は呟いた。
迷う余地はない。時間は有限で、たった数秒で、命を失いかねないと静哉は薄々理解していた。
動き始めた彼の足取りは軽かった。
街の中心であるメインストリートには直に着く。もう、迷う暇はなかった。
「ん?」
その時、静哉は何かに気づいた。
「なんだこれ」
今まで見たことはないが、こんなものはあったのだろうか。街から地下に下りる階段。こんな山の麓の街に地下鉄などは走っていない。だったらなぜこんなものがあるのだろうか。
階段の下はは暗く何も見えない。状況からして、これはこの世界での変化の一つかもしれない。が、不気味なこの先に不吉な予感がしていた。
けれどどういう訳か、静哉はその階段を下りていた。
この辺りは何度か通ったことがあるが、こんな地下は見たことがない。だからこの地下が何なのかという純粋な興味で体が勝手に向かっていた。彼の姿に負の感情は微塵もなかった。
暗く狭い階段に静哉の足跡が響く。思ったよりも長い階段を下りるほど、入口から差し込む光は小さくなり、辺りも薄暗くなる。
完全に階段を照らす光が途絶える直前、下へ進む静哉の足が止まった。
「なんだろ、ここ……」
段がなくなり、少し開けた場所に来たようだ。きっとここが地下の何かなのだろうが、暗くてどうなっているのか分からない。
数歩前に進むと今度は左右に開けた。
「ここは?」
新たに開けた左右の方向を交互に見れば、どちらの方向にも所々に青白いライトが点灯して、その先に道が続いているのが分かる。
何かの通路、と考えるのが普通だが、やはり不気味すぎる。ここに来て引き返すことは考えず、どっちに進もうかともう一度交互に見た時、静哉は青白いライトに照らされてうっすらと浮かび上がり一人のシルエットを見つけた。
そこにいるのは間違いなく《《宝を欲するもの》》であり、昨晩同様、襲撃される可能性が高い。
「どこかに隠れないと……」
途端に心臓が跳ね上がる。慌てて隠れられそうな場所を探すが、こちらがシルエットを目視している以上、相手からも静哉を認識されている事は確実だ。つまりもう、手遅れ。
だとしたら逃げなきゃ、と内心では焦りつつも、身体が動こうとしない。
「はぁ、はぁ……」
冷や汗が額に浮かび、なおも心拍が大きくなる。呼吸も乱れ始め、逃げるどころか静哉は呼吸をすることに全意識を割き、接近しつつある人物への警戒が途絶えてしまった。
「だい、じょうぶ?」
抑揚のない女の声。しかし、その声にはどこかに聞き覚えがある。
ゆっくりと顔を上げ、焦点を女の顔に合わせる。
暗闇の中でも目立つ漆黒の目。腰まで伸びる黒い髪。服装はもちろん見たことのない制服姿で、表情はやはり感情というものがない。
彼女こそが、静哉の探していた人物だった。
「お前は……!」
思わず声に出してしまい慌てて口を抑えたが、驚きのあまり声が大きくなり、狭い通路の中で声が反響する。
昨晩の出来事が脳をよぎり、すかさず静哉は身構えた。
「俺を、殺すつもりなのか?」
「……あなたは、違った、から」
「違う? 違うって何がだよ」
「…………」
返事はなし。表情や声音だけでなく、少女の言動までもが静哉には理解できない。だが様子から察するに、少女が静哉を今すぐどうこうしようという意図はないことに静哉は内心大きく安堵した。
この様子なら、この場所のことを教えてくれくれるんじゃ……
ここに来るまでの静哉の目的はとりあえずこの少女に接触することだった。何かを聞くにしても知りたいことがあまりにも多すぎる。
ここはどこなのか、止まっている人間はどうなってしまったのか。お前らは何者だ。ここでは何が起こっている。どうすれば元に戻れる。
先程からずっと無言で立ち尽くす少女に対して、何から聞こうかと逡巡して静哉は切り出した。
「なぁ聞きたいことがあるんだけど」
「…………」
やはり返事はなかったが、お構い無しに続ける。
「ここがどこだか知らないけど、どうやったら元に戻れる?」
「…………宝を、手に入れる」
「つまり、殺しあえと?」
「……違う。殺さなくても、離脱させればいい」
どういうことだ?
静哉は全く理解できなかった。
昨日の不良少年は、最後の一人になれば宝が手に入ると言っていたし、義足の少女も似たような内容のことを言っていた。そして黒髪の少女も類似のことを言っているのは分かる。だが前者二人との違いが分からない。
「じゃあ俺のことを殺そうとしたのは何なんだ? かと思えば今度は助けて。お前のやってることは理解できない」
静哉の言葉に少女の眉がピクリと吊りあがったのを見逃さなかった。
「あなたには、関係の無いこと」
突き放すような物言いに静哉は思わずムッとした。
しかしここは冷静にと自分に言い聞かせて感情を抑える。
「だとしたらここはどこなんだ? 俺が昨日までいた場所とは違うのは分かるけど」
「ラビリンス。そう、呼ばれてる」
「ラビリンス?」
「この、世界の、こと」
「じゃあどうしたら元の世界に戻れるんだ?」
「それは、教えられない」
今度は静哉の眉がピクリと動いた。
「どうして?」
「あなたには、教えられない」
繰り返される言葉に少なからずもどかしさが残る。
少女の口調からして、彼女は確実に何かを知っている。にも関わらずその情報を秘匿するからに、重要なことには間違いないだろう。
「なら代わりにこれだけは教えてはしい。俺はこれからどうしたらいい? このラビリンス? で何をしたらいいんだ?」
「…………」
また無言。
いい加減このだんまりにもうんざりしてきた静哉が口を開くよりも先に、少女が答えた。
「……生きて」
少女の言葉が予想外すぎて、静哉は目を丸くした。
「生き抜けば、必ず、帰れる」
理解に時間がかかったが、何の含みもない純粋な助言だと分かると、感じていたもどかしさがすっきりした。
「そうか、分かったよ。最後に一つ聞きたいんだけど、一生このラビリンスとやらで過ごすことにはならないよな?」
少女は無言で頷いた。
「そうか。分かったよ。ありがとう」
礼を言って静哉は身を翻すと、下りてきた階段を上った。
その道中で気づく。
あれ、結局これから具体的にどうしたらいいか分からなくないか……?
真上に昇った太陽が照らす眩しさに静哉は目を細めた。
「そろそろお昼か」
自分の腹時計が空腹を告げる。
思えば昨日の夜から何も食べていない。昨日は帰って友希と一緒に食べようとする前にあんなことが起こり、挙げ句の果てに戦闘まで巻き込まれる。今朝は山の中で目を覚ました時刻も遅く、今後のことを考えていて食事のことをすっかり忘れていた。どうせなら一度家に入った時に朝食ぐらい摂っておくべきだった、と後悔した。
「あれ、そう言えば店ってやってるのか?」
友希だけではなく街から人影がさっぱりなくなっている。けれど完全に人がいなくなったわけではないし、義足の少女から肉まんをもらったように食べ物が全てなくなっているわけでもない。
などと考えていると、
「あれー? キミ、こんなところでどうしたの?」
声が聞こえ、赤髪の少女の姿が目に留まったとき、彼は天に心から感謝した。
「用事ってのは済んだのかな?」
「あ、ああ。思ったよりも早く終わったから昼飯をどうしようかと思ってて」
……嘘は言っていない。
静哉の言葉を聞いて義足の少女の表情がパッと明るくなり、
「じゃあさ、一緒にお昼食べようよ!」
それは、願ってもない提案だった。
「ああ」
勿論二つ返事で承諾する。
こっちに来てからいきなり生活までもが狂いかけている。今まで当たり前だった生活すら、ここではありがたいことだと感じ始めていた。
「けど、どこで何を食べるんだ? 今店はあんまり……」
「そーだね。今頃店は機能してないだろうね」
「やっぱりそうなのか……それなら食事はどうするんだよ」
「そうそう、キミ、何か食べるもの持ってる?」
「は? そんなもの持ってるわけが……あ」
思い出した。言われなければ完全に忘れていたかもしれない。静哉は背負っていたリュック中からカップ麺を出して少女に緑のた○きを見せる。
「あぁ! そばじゃん! いいなぁ! あたしのうどんと交換してくんない?」
「……別にいいけど?」
「やった! ありがと!」
満面の笑みでそばを受け取る少女を見ると細かいことなどどうでもよくなってくるが、一応、これは聞いてみたかった。
「そば、好きなの?」
「うん? うーん……」
少女は人差し指を顎に当てて小首を傾げながら唸る。しかしその時間は案外短く、すぐに頷いて答えた。
「好きな方だよ。ここではあんまり大したもの食べられないし」
「?」
危うく右から左へと流れてしまいそうだったが、ぎりぎりのところで彼女の言い方で妙なことが引っかかった。
「ここじゃ大したもの食べられないって?」
「あれ、もしかして知らない?」
「知らない、って、何が?」
「おっかしいなぁ。それ持ってるってことは知ってると思ったんだけどなぁ」
小声で何やら呟く声がうっすらと静哉の耳まで届いてくる。だが、そんなふうに言われる覚えは全くない。
不思議そうに少女を見つめていると、視線に気がついた彼女は「ごめんごめん」と謝ってから説明する。
「キミ、このそばはどこで手に入れた?」
「えっと……」
突然の質問に戸惑いつつも家でのことを思い出す。
「家の自分の部屋に宝箱があって、そこにそばと、後は……」
「ストップ、ストーーップ!」
大声で静哉の言葉を止めた少女がグイッと顔を近づけてくる。そして周囲を何やらキョロキョロと見回して安堵したように一息つく。
「あのね、いい? ここでは食料と戦闘で有利になるアイテムは全て宝箱から手に入れるの。宝箱の中身は一個一個が違っていて、他の人には何を手に入れたか分からないの」
「……つまり?」
「つまり、キミがどこで宝箱を見つけたかは知らないけど、宝箱の中身を易々と人に言っちゃだめなの」
分かった? ともう一度顔を近づける彼女に気圧されて静哉は二度三度頷くことしかできなかった。
「斯く言うあたしは戦えないんだけどね」
顔を離して少女は自嘲した。でももう一度だけ真剣な面持ちになると、こう補足した。
「でもね、これだけは覚えておいて。命を懸けた戦いで、宝箱の中のアイテムは命同然のものなの。だから何があっても絶対に手に入れたものを他人に言ってはいけない」
「……分かったよ」
「分かればよろしい」
冗談めいて口調を変える少女がおかしくて、静哉は少女と一緒になって声を上げて笑った。
思えば、心から笑ったのはあれ以来初めてのことだ。昨夜から緊迫した雰囲気が続いたり、気を張り詰めてらせていたのが、彼の気持ちに余裕ができた証拠だろう。
これがいい傾向なのは一目瞭然だ。ただ気を許しすぎて不意打ちを食らったり、いつの間にか騙されて命を落としかけることのないよう適度に気を引き締めなくてはいけないが、そのためにも精神的に余裕があった方が断然いい。
そんな状態だからこそ、少女とのやり取りが楽しいと感じる自分がいるのを静哉は感じていた。彼女と話していると心が落ち着くというか、和むというか。とにかく一人で考え込んでいるのよりよっぽど気が楽になる。
「それにしても平和だねぇ~」
「……そうだな。殺されかけたのが嘘みたいだよ」
「キミも襲われたの?」
「まぁな。いきなり組み付かれてナイフを当てられたかと思うと、今度はそいつに助けられて……よく分からなかったな……」
「大変なんだね、キミも」
「そういやその時にミラージュアイテムがなんとかって言ってたけど、それが何か分かる?」
うーん、と、少女は小さく唸り、
「確か、宝箱から手に入るアイテムで、自分にしか見えない宝具みたいなもの、だったかな?」
「宝具、か……」
「うん、そういう大切なものも宝箱には入っていることもあるから、さっきあたしが言ったみたいに、宝箱の中身は絶対人には言っちゃわないようにね」
「そうなのか……教えてくれてありがとう」
「えへへーん、どういたしまして」
「にしても、こっち来たばかりな割には何かと詳しすぎないか?」
「あれ、あたしそんな事言ったっけ」
「…………へ?」
「あたしは、気がついたらここにいて、誰も知ってる人はいなかった。としか言ってないけど? 勝手にそう解釈したのはキミだよ?」
あー、そう言えばそんなことを言ってたような言ってなかったような……。
曖昧な記憶を思い出しながら静哉は頬を掻いた。
つまり、少女が静哉と同じような状況で、彼女も最近この世界に来たというのは完全な思い込み、だということか。
「だからこれから先輩って呼びなさい」
胸を張って得意気に言い、少女は胸をぽんと叩いてみせた。
「…………ってことはこの世界について知らないってことは? あれも俺の思い込みなのか?」
「ちょっと! 無視ってひどくない!? ……そのことに関しては嘘は言ってないよ。ここで何が起こっててどうなってるのか。それが分からないのは事実だよ。ここで行われていることはある程度なら知ってるけど、それも前に言った通りなんだ」
「結局は分からないままか……」
「何か言った?」
「いや、何にも」
宛が外れた。義足の少女か、黒髪の少女なら情報を得られると思っていたが、前者は本当に何も知らず、後者は何か知ってる風にも取れたが教えてはもらえなかった。
これで静哉が知っているのは不良少年だけだ。一番話しかけ辛い相手だが、黒髪の少女と同様に何か知っていることはありそうだった。
また宛もなく闇雲に探し回るか?
いや、それは得策ではないだろう。見つかるかも分からない人を探して仮に見つけたとしても話せるかが定かでない。それは黒髪の少女の時も同じだったが、不良少年の場合は決定的に違うところがある。
まず一つはやはり容姿。あの派手な見た目ではどうしても関わるのに抵抗がある。
そしてもう一つは、少女は静哉を助けたという事実があったことだ。無論静哉を殺しかけた相手でもあったが、助けたことが少女に対する警戒を僅かにだが解いた理由でもあった。
――そうして接触した結果、有益な情報は生き続けたら帰れる、ということだけだで具体的なものは何一つなかったが……
やっぱり今は焦らず、ゆっくりちょっとずつでいいやと、そう思えるようになったほど、静哉の精神状態に余裕が生まれていた。
「そういや、まだ自己紹介してなかったっけ?」
「あ、ああ」
「だよね」
一度区切って少女は静哉に向き直り、
「あたしは篠月紅杏。こんなんだけど、よろしくね! あたしのことは紅杏って呼んでくれていいからね!」
「俺は三波静哉。ラビリンスには昨日来たばかりだからまだ全然よくわかってないけどよろしくな。俺も静哉でいいよ」
「分かった。よろしくね、静哉くん! そうだ、この際だから よし、そうだ。同盟を結んじゃおっか!」
「同盟?」
「うん! あたしは戦いからは身を引いてるから静哉くんに協力してあげれるし、いいでしょ?」
ありがたい提案だった。静哉も思わず浮かれそうになった。だが、静哉は緩みかけた表情を引き締め直す。
静哉が戦うのは友希のためだ。そこに、言ってしまえば部外者である紅杏を巻き込んでしまっていいのだろうか。静哉としたら巻き込みたくはない。だが、自力でどうにもできないこともまた明白なのだ。
なにより、今の右も左も分からない状態の静哉は頼れる仲間が必要だからこそ、静哉の気持ちは固まっていた。
「そうだな。よろしく頼む」