第19話
――露市、頼むからそいつに勝ってくれ……。
そんな祈りを受ける姫名はというと、トドメをさせずにいた。
誰がどう見てもこの状況では少年の絶体絶命なのだが、首筋に短剣をあてがわれた銀髪の少年には、どこか余裕がありそうに不気味な笑みを浮かべている。それがどうも姫名が決着を付けられない要因になっているのだ。
「あの銃は、なに?」
「ふふふ。あれ弾なんて入ってないよ」
「どういう、こと?」
「言葉の通りだよ。あの銃で撃っているのは銃弾じゃなくて空気だからね」
「空気砲……」
「まぁそんなところだね。それよりいいのかい? こんなに長々と話してても。別に僕を殺してもキミ達の命の保証はないけどね」
意味深な発言の直後、姫名の背後で大きな爆発が起こった。
一番近くにいた銀髪の少年と姫名は爆発に呑まれ、姿が見えなくなる。
「うそ…………!」
紅杏から悲鳴に近い声が漏れる。
静哉すらも忘れていた爆弾の存在。ミラージュアイテムにばかり気がいってしまったが、少年の得意武器は爆弾なのだ。
その爆弾を紅杏の時同様に、超至近距離で受けた姫名は彼女であってもただでは済まない。
先に煙から出てきたのは、爆発を引き起こした本人である銀髪の少年だ。姫名と同じ位置にいたにも関わらず被害は軽微で服がところどころ黒く焦げている程度で済んでいる。
それなら姫名も、と安堵した静哉だったが、一向に姫名が出てこない。
不気味に口端を持ち上げて煙の中に視線をやる銀髪の少年は何かを確信している。今回ばかりは、それが過信ではないことは静哉も直感で理解した。
あの少年は、露市だけにダメージが増大するするように何かを仕組んでいたのだ。
嫌な予感が静哉の頭を過ぎる。死まではいかずとも致命傷あるいは重症を負わされているような気がしてならない。
悪い予感だけは見事に的中するのは神の悪戯だろうか。
立ち込める黒煙の中から人影が見え、それは次第に姫名になっていく。
しかし、それが露市だとは一瞬分からなかった。
ミラージュアイテムによって受けた傷に追加して全身血塗れになり、ふらふらと現れた姿を見れば、ゾンビに思えて恐怖を覚える。それほどまでに姫名の有様は酷かった。
「露市、大丈夫か!?」
我ながら野暮だと思った。静哉にしてみれば絶対無敵の少女でも、実際は一人の女の子に過ぎない。
その少女が血塗れになった無残な姿を見れば無事なんて言葉は出てこない。
なぜ姫名だけがダメージを受けているのか。どうやって銀髪の少年は無事なのか。
疑問も絶えないがそれ以上に姫名の方が心配だ。本人はまだ戦意を喪失していないが、これ以上は危険だ。
こんなときに、露市の代わりになれるような力が自分にあれば。
そうどうしようもない悔やみを感じるのはもう何度目か分からない。
「くそ……! これでも黙って見てろってか……」
これ以上は耐えられなくなって静哉は動こうとしたが、自分の体は鉛のように重く動かなかった。
こんなときに自分が戦えなくて何が一人で生き抜くだ。友希のためにという自分の思いはこんなにもちっぽけなものだったのか。今も結局露市に任せきりで自分はにもしていない。傷ついた少女二人を目の前にしても何もできない。信頼関係はともかく、共通の敵と戦う同士だ。裏切られたからだとか、信用できないからだとか言っていると三人全滅してしまう。
何のためにここに来たんだ。――そう、全ては友希に会うため。
友希に迷惑をかけた分だけ、俺は今後友希に恩返しをし続ける義務がある。そして何より友希と共に過ごした何気ない日常が大好きだった。楽しいと思える平和な毎日をまた送りたいと思うからこそ、そのために死のリスクを承知の上でここに来たはずだ。
――なら、なら動けよ。友希に会いたいんだろ? 固まってないで、動いてくれよ!
死なたくないという思いよりも、友希の元へ帰りたいという思いが上回ったとき、静哉の体は震えながらも動き始めた。生まれたての子馬の如く、倒れそうになりながらも全身に力を込めて立ち上がる。
「静哉くん?」
「大丈夫。紅杏はここにいて」
心配そうな眼差しで見つめてくる紅杏に目を向けないようにして優しく静哉は右手の鎖をの存在を改めて確かめる。今はこの武器は静哉の命を繋ぎ止め、守ってくれる。それが暁人から受け取ったものというのが皮肉だが。
少年は露市に意識が向いていてまだ静哉には気づいていない。少年を仕留めるには今を逃せば確実にもう二度と来ない。
怖さは当然あるけど、この一瞬で静哉がラビリンスで生き抜くことができるかどうかが決まる。そんな気がした。
だから静哉は鎖を構えて走り出した。
静哉の接近に気づいた銀髪の少年が振り向きざまに銃の引き金を引く。
「ぐっ……」
しかし、照準を定めきれなかった少年の放った弾丸は静哉の肩をかすめただけに留まる。それでも痛みは充分に感じるが静哉は足を止めない。
「はぁぁぁぁああああああ!」
静哉の突き出した鎖は吸い込まれるように少年へと迫り、彼の体を突き抜けた。少年はもう言葉を発することもなく、微動だにしなかった。
終わったのだと理解するのに時間を要した。とにかく必死だった静哉はしばらく何も考えられず、乱れた呼吸を繰り返す。
「静哉くん……」
遠くから小さく聞こえた紅杏の声で静哉は現状を思い出した。鎖を引き抜くと銀髪の少年から血が溢れ、生を失った少年の体は力なく倒れる。同時に静哉も初めて味わった人を殺める感触の気持ち悪さに、鎖を手放して崩れ落ちる。胃液が逆流してくるのを堪えるのに必死で、何度も激しい嘔気が襲う。
これが戦うということ。死ぬことが怖くてずっと怯えていた静哉が初めて自分の力で生き抜いた。しかし、勝敗に関わらず結果の先にあるのは苦痛。なぜ先に闇しかない道を辿らなくてはならないのだろう。この世界にいる間、ずっとこの苦痛を味わい続けなければならない。しかも、元の世界に戻るには何回苦痛を味わえばいいのか分からない。まさにこの世界は地獄だ。
――友希、早く帰りたいよ……
「静哉くん……」
横から声をかけられたことで僅かな安心感が芽生え、少しだが気分が落ち着いた。
「紅、杏……」
顔を上げると、小柄な彼女にしてはぶかぶかのセーラー服を来て心配げな眼差しを向けてくる紅杏の姿があった。
「大丈夫?」
「……辛い……辛いよ紅杏……」
静哉が本音を漏らすと、紅杏は膝をついて静哉の背中を優しく撫で始めた。
「ごめんね……あたしのせいだよね。あたしのせいで静哉くんがこんな目に遭わなくちゃいけないんだよね。ほんとに、ほんとにごめんね……」
人の温もりを感じていられると静哉は安心することができた。一人でこの世界を生き抜くと決めたばかりの静哉だったが、今は紅杏に傍にいて欲しい。誰かにいてくれないと静哉はどうにかなってしまいそうで怖かった。
「それから、ありがとう。あたしは静哉くんを裏切って殺そうとした。あたしはほんとは助けられる資格なんてないんだ。でも、静哉くんはあたしを助けてくれた。ありがとう」
彼女の温かい言葉で自分のしたことが報われた気がした。
顔を上げれば普段と変わらず微笑む紅杏がそこにいる。顔はちょっと傷や汚れが付いてしまっているが、何も変わらないいつもの紅杏だ。彼女のその姿を見て、静哉は緊張の糸が解けた。途端に胸が熱くなり、こみ上げてくるものがある。
「静哉!」
「なんだ……っ!」
完全に警戒を怠っていた二人へ露市の声が鋭く飛ぶ。かと思えば静哉は顔に微風を感じ、響き渡った轟音に瞼をきつく引き締めた。
間近で鈍い音がなったかと思うと、ほぼ同時に爆発音とはまた違った轟音が響き渡る。
恐る恐る目を開くと、露市の姿はなく代わりに高さ五メートルにも及ぼうかという巨躯の獣だった。
「なんだこいつ……!」
巨躯な獣は全身鱗のようなものに覆われていて、四足の鋭い爪で引っかかれれば一撃で切り裂かれてしまいそうな脅威がある。狼を更に獰猛にしたような顔から牙が見えており、赤く光った目が真っ直ぐ静哉を見下ろしてくる。全身から発せられる威圧感に静哉は怯んだ。
隣にいる紅杏も怯えた様子で静哉の背後へ周り、裾を軽く掴む感触が服越しに伝わった。
けれど静哉は得体の知れない生物と対面して硬直していた。反応できなかったのもあるが、どちらかと言えばどうしたらいいのか分からなかった方が大きい。無論逃げるに越してことはないのだが、逃げたところで静哉一人でしか逃げきれない。自分を助けてくれた露市や、ボロボロの紅杏を放置して逃げるのは流石にできなかった。
静哉が動けずにいると、獣は二足で立ち上がって大きな図体をさらに大きく見せると、自由になった前足を振り上げた。
「きゃっ!」
――あ、死ぬ……
紅杏の悲鳴と同時に直感でそう感じたが、だからといってどうにかなるわけでもなく、静哉はただ呆然と自分の体が獣の爪によって切り裂かれるのを待った。