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第15話


***


「お兄ちゃん、あそぼ!」

 静哉がようやくある程度動けるようになってからというもの、いつになく増して友希が誘いにくる。

 その度に静哉はたどたどしくベッドから立ち上がって小さな円卓の前で座る。

 まだ派手な動きができない事は友希も理解してくれていて、それに関して触れないということが暗黙の了解という形であった。だから遊ぶと言っても、何でもない普通の会話をしたり、友希が持ってきたトランプをしたり、お互い無言で漫画を読むというものだった。

 どうやらこの日は、友希の持ち込んだ漫画を読むことになりそうだ。

「ねーお兄ちゃん。このマンガおもしろいんだよ!」

 そう言って勧めてきたのは何度も読んだことのある少年漫画だ。以前にも数回持ってきたことを友希は忘れているらしい。

 だが、不平不満を言うことをははく、友希から漫画を受け取って読み始める。

 さすがに何度も読めば内容は頭に入り、ページを捲らずとも次の内容が浮かぶ。それでも話自体はおもしろいことはおもしろい。

 そうしている内に気がつけば静哉もマンガの世界観に取り込まれていた。夢中になって読んでいくと、自然にページを捲るペースが早まっていく。

 これが普段の光景。静哉が妹のおかげで取り戻すことのできた平凡な日常だ。

 しかし、この日は少し違った。

「お兄ちゃん」

 いつもは読み終わるまで決して言葉を発しない友希が改まった口調で声を掛けてきたのに驚き、静哉はページを捲る手を止めて友希を見た。

「ごめんね。わたしがもっとしっかりしてればお兄ちゃんが苦しまなくてもすんだのに」

 後になって振り返れば、とても七歳の言葉とは思えない。だが当時の静哉はそんなこと思うはずもなかったが、予想外の発言に拍子抜けした。

「わたしだってこわかった。だからね、お兄ちゃんの気持ちを分かるのはわたしだけなんだって、知ってたのに、お兄ちゃんがおかしくなるのを止められなかった。だからね、わたしのせいなんだ」

 漫画から一切目を離さないが、いつまで経ってもページを捲ることもなく、友希は自分の胸の内を暴露する。

「よく思うんだ。もっとこうしてればって。もっとできたことあるんじゃないかって。だからごめんね」

 そんなことはない。絶対に友希のせいじゃない。はっきりと断言してやりたかったのに、なぜか言葉が出てこない。

 まるで、友希の言葉の圧によって金縛りにでもあっているのかような感覚に襲われた。

「わたし、お兄ちゃんとふつーに過ごして、こうしてるのが楽しいよ。だからずっとこのままがいい」

 友希の切実な希望は、当時の静哉には衝撃だった。

 本来なら言うまでもなく当たり前に過ごしているわけだが、ごく一般的な生活というものをしてなかった静哉たちには、そんな当たり前がありがたいことだと思えるのだ。

 だから友希の発言は的確なものであり、このとき静哉も同感だった。

「お兄ちゃん、もう、あんなふうにはならないで……」

 消え入りそうな声で漏れた、友希の本音であろう呟きは、静哉の耳までしっかり届いた。

 それが何よりも一番の本音なのだろうと思うと、幼い少年は胸が締め付けられる思いになる。

 静哉が閉ざしていた心を少しずつ開き始めたのは、友希に迷惑をかけすぎていると

自覚し始めたからだ。だがもう遅かった。今の言葉には、静哉には計り知れない重さがあった。

「ごめんね。こんなおはなしして。わたし、もうもどるね」

 途中から全く読み進めていなかった漫画をパタッと閉じて友希は立ち上がり、静哉から本を回収することも忘れて部屋を出ていった。

 残された静哉は幼いながらに自分の過去を振り返り、しばらくその場から動けなかった。


 友希が倒れたのはその翌朝。

 救急車で搬送された友希は衰弱しきっていて、最悪の場合、命を落とす危険さえあった。

 幸い、一命は取り留めたが、医者から診断された結果は疲労。生まれつき病弱ながら一年以上毎日静哉の世話をし続けたのだ。それだけ身体を酷使すればそうなるのは普通だ。むしろよく今まで倒れなかった方だろう。

 両親の代わりとなって二人を育ててくれているおじさんがベッドで寝ている友希の手を握って心配する中、静哉だけは病院の廊下の隅で体育座りをしていた。

 友希が倒れたのは自分のせいだ。兄なのに妹に甘えすぎていたから。もっと、自分がしっかりしてればこんなことにはならなかったのに。

 込み上げる後悔が静哉の心を蝕み、次第に目からは涙が滲み出ていた。

 しかし、これまでの静哉とは決定的に違っていたことがある。

 自責の念に駆られる中で、静哉は一つの決心をしていた。もう、こんな過ちを繰り返さないためにも自分は変わる。今まで友希に助けてもらってきた恩を、これからは友希を助けることで返していくと――。


***


 朝の日差しの眩しさに静哉は瞼を強く閉じた。

 しばらくそのままでいて、瞼の奥で光の明るさに慣れてくると静哉は両目を開けて体を起こした。

 昨夜はカーテンを閉めずに寝てしまっていたようだ。しかしそのせいもあってか、今日は普段よりも目覚めがいい。でも一番は夢のおかげだろう。

 こんな夢を見るのも、昨日友希の部屋で見た写真のせいだろうか。どうもここ最近、自分の過去の夢を見ることが多い。

 あまりいい過去じゃないが、静哉が落ちぶれていた頃の友希の気持ちを知ってしまった以上決して忘れてしまってはいけない過去だ。

 あの後、友希は目を覚ますといつも通りピンピンとして、きっと疲労は残っていたのだろう。それを気づかせないために普段通りを装っていただけで。

 そうなると、連想されるのは紅杏だ。彼女も同じく自分の負の感情は見せず、常に笑顔で振る舞うのが友希にどことなく似ている。

「ったく、お人好しだな、俺は」

 一度酷い裏切られ方をして、命を奪われそうになり、人を信用出来なくなったその上でまた静哉は紅杏を縋ろうとしている。これをお人好し以外のなんだというのだ。もう誰にも頼らず自分一人で元の世界に帰ると決めたばかりなのだ。その決意は揺るぎない。

 自分という人間の人柄に呆れながらも静哉は今日の予定を練り始める。

 もう一度街へ下りよう。これは静哉の勝手な推測だが、この世界で繰り広げられている戦闘の中心部はおそらく街だ。そこで静哉の戦いを始めるのだ。戦闘ばかりは経験が一番大きく左右する。負けないようにしつつ、少しずつ戦闘に慣れていく。ただでさえ静哉は他の敵よりも戦闘力が劣っているのだから、その差を詰めるためにも気合をいれないといけない。

「よし」

 今日の行動を決めた静哉はすぐに身支度を整えて家を出た。その手には暁人から受け取った鎖を手にして。

 念のため街への道中は周囲への警戒を怠らなかったが、わざわざこの山を登るような人がいるわけもなく、何事もなく街へ下りることができた。

「とりあえず街に来たのはいいけど、どうしよう……」

 本当にこの世界に来た当初の状況に戻ってしまった静哉はどうすべきか思考を巡らせていると、無意識のうちにいつもの公園に向かっていた。

「ここでゆっくり考えるか」

 人一人いない閑散とした公園の中に入り、いつものベンチに腰を落とした。 

「暑い……」

 汗を手で拭いつつ、真夏の日差しの強さにうんざりしながら呟いた。

 夏の太陽の下、陽炎が出ている中を一時間も歩けば当然汗も出る。普段であればクーラーで冷えきった部屋の中でまったりしながら一日中寝ておきたいのが誰しもの意見だろう。無論静哉も例外ではない。学校でクラスメートが今日は休みだの、一日中寝るだのと話しているのを聞いて羨望の眼差しを向けることもあった。

 静哉は中学校に上がって以来ずっと、友希のサポートをしたりなんだかんだでほとんど働いてばかりだった。だから暑さには多少慣れている。

 とは言え、

「……暑ぃ」

 暑いものは暑い。それは変わらない。

 そういやこっちに来てから風が一度も吹いていない気がする。そのせいでこの灼熱地獄を味わっているのだが、やっぱりここは普通じゃない。一見普通に見えるけど、全然違う別物なんだと、思わずにはいられなかった。

 この世界に来てから何かをしていれば暑さを紛らわす事ができたが、外で何もしないというのは暑さを直に感じる。

 ここでなら落ち着いて今後のことを考えられると思っていたのだが、考えが甘かった。暑すぎて方針が決まらない。

 一人で戦闘に慣れるってのも不可能な話だし、そのときに備えて鍛えるしかないだろうか。いや、そもそも塔やって鍛えればいいのやらさっぱり分からない。しかも筋トレにしても他の方法で鍛えるにしても成果が出るには時間がかかりすぎる。

 だったら実戦で経験を積むのが最善だろうか。無論静哉が正面から戦っても自殺行為に等しいが、敵が通りそうな場所に身を潜めて奇襲をするだとか、誰か二人が戦っているところで漁夫の利の狙うのもいいかもしれない。けれどこの世界では何が起こるか分からないということを静哉は身をもって知っている。自分がしようとしていることを他の誰かにされるかもしれない。

「はぁ」

 ため息をついて静哉は自分の右手を太陽に向けて伸ばした。

 眩しさに目を細めながらも、自分の細く白い腕の眺めた。筋肉よりも骨が大部分を占め、これだけ強い日差しの中にいるにもかかわらず日焼けすらしていない白い腕。これまで考えたこともなかったが、今は運動を一切してこなかった過去の自分が恨めしい。部活やクラブでもっと体を鍛えていればいくらか術はあるのだろうが、残念ながらそれをしてこなかった静哉にはこの世界での争いに向いていない。

「はぁ」

 だからってなにもしないわけにもいかず静哉はまたため息をついた。それとほぼ同時に、地響きとともに聞こえた爆音に静哉は飛び上がった。

「な、なんだ!?」

 高層建造物が周囲に建ち並ぶこの場からでは何があったのか全く把握できない。ここで起こる爆音と言えば殺し合いしかない。それが分かったうえで静哉は音のした方向へ走り出した。

 このままグダグダと考えていても何もできたいなかったと考えると、このタイミングで誰かの戦闘が行われているのは好都合だ。静哉が一瞬思いついた方法を試してみるべきだろう。とりあえず近くまで行って戦況を見つつ、隙を見つけて漁夫の利を狙う。よし、これでいこう。

 音源地は、思いのほか近かった。

 メインストリートとは反対方向の、紅杏と散歩に行った草原の方向に走り出してすぐ、右側にあった小さめのビルの最上階付近から煙が上がっていた。

 あまり高層ビルやマンションなどない中、この付近は人が住むための小さなアパートが立ち並び、その中にせいぜい五階かそこらのビルもある。煙が上がっていたのはその一つだ。

 もし、静哉があそこに飛び込めばその瞬間から死の瀬戸際になる。

 けれど今更後には引けない。元の世界に戻ると決めた以上、静哉に引き返すという選択肢はなかった。

 この先は戦場だ。中で待ち構えるのは人殺し。何も真っ向から戦って勝とうとは思ってないが、何が起こるから予測不能な戦場でそんな都合のいいようには転んでくれないだろう。

 黒煙の舞い上がる屋上を見上げる。

 自分がこれから戦場に踏み込むんだという事実に武者震いした。

 もう決めたことだ。誰に何を言われたところでこの決意が揺らぐことはない。

 静哉は微かな緊張感に身体を強ばらせながら右手にある暁人の鎖の存在を確かめてビルに入った。

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