第13話
部屋の扉が二度、ノックされた音で静哉は気がついた。
モゾモゾと布団の中で動いていると今度は声がかけられる。
「三波、入るぞ?」
返事を返す間もなく暁人が部屋に入って来た。静哉は上半身だけ起こした状態で彼を迎え入れる。
「悪い、起こしちまったか?」
「いや……」
「そうか、昼メシができたから来いよ。どうせまともにメシ食ってねぇだろうからちょっと多めに作っておいてある」
「分かった。すぐ行く」
まだ頭が回らず、口先だけで反射的に返事してるようものだが、静哉は大きく伸びをすると案内してくれる暁人の後ろをついて行った。歩いている途中にもう少し警戒心を強めておけばよかったと、無防備過ぎた自分に後悔した。
部屋を出て感じたのは、小さいのは部屋だけではないということだ。廊下も数歩で渡りきれる長さになっていて、すぐに別の部屋の扉へと辿り着く。きっと建物自体がそこまで大きくないのだろう。
と、思っていたのだが……。
「あっ……」
暁人が入った部屋を見て静哉は足が止まった。
二人の入った部屋は、壁こそ真っ白で飾り気がないが、室内には長机がいくつかとあり、部屋も少し広い。
「こっちだ」
暁人に指示された場所には、いくつもある長机一つの上に寂しく食器が三人分並べられ、既に露市が座って待っていた。
暁人が露市の隣に座ったため、静哉は自動的に二人の向かい側に位置取る。
「カレーか。これを作ったのは?」
「姫名は料理ができないみたいでな。残念ながら食事当番は俺だ」
「そうか……」
別に残念でも何でもないのだが、静哉はカレーをじっと見つめる露市の顔を覗き込んだ。
整った顔立ちで上品そうな雰囲気を醸し出している露市はかなりかわいい部類に入ると静哉は思う。これに笑顔を浮かべれば悶絶しそうになるだろうが、まだ彼女のそんな表情は見たことがない。
しかし、彼女は裏に天然という一面も持ち、料理ができないのも何となく想像がつく。
「好きなだけ食べてくれて構わない。そのために多く作ったんだからな」
暁人のことを信用はできないが、彼の好意はありがたく、純粋に嬉しいものだった。元の世界いるときはただのカレーとしか感じなかったが、ろくに食事をしていない今の静哉からすればかなりの贅沢だった。
「ふぅ。おいしかった」
過去に経験のない速さで食べ終えた静哉はお腹をさすりながら素直な感想を漏らした。
元より遠慮などするつもりもなかったが、一口食べ始めると、手が止まらなくなり、結局三杯もお代わりをした。三日間カップ麺しか食べていない静哉からしてみれば、たかがカレーが高級料理のように思え、食べている間は至福のときだった。
そのせいで微妙に食べすぎた感はあるが、この世界では食べれるときに食べておくべきだろう。
静哉が椅子にもたれ掛かって休んでいる間に洗い物を終えて戻ってきた暁人が再び静哉の正面に腰掛けた。ちなみに、この間露市は座ったまま何もすることもなく、ひたすら何もない正面の壁だけを見据えていた。
「そろそろ話をするか」
普段の軽い声音から、真面目なものへと切り替えて暁人が切り出す。その雰囲気を察して静哉も休憩モードから、硬い真面目モードに切り替え、机に肘を付いて前屈みになる。
「さて、何から話して欲しい? 俺らの分かることならできるだけ、話すつもりではいるが、三波がそれを信用してくれるかは別問題だな。どうやらアンタは酷い裏切られ方をしたみたいだからな」
どうしてそれを知っている、と疑問を抱いたが、そんなことは一つしか答えはないし、今はどうだっていい。
「じゃあ、ここはどこだ? 小さめの建物かと思ったけど、この部屋を見る限りそうでもなさそうな雰囲気だな」
「アンタの予想はあながち間違ってもない。この部屋が食堂になってるだけで他には小さな部屋が四つ。こうして考えるだけだと平地でもそこそこな広さだな。けどな、俺と姫名の部屋はお前の部屋よりもさらに小さいし、残り一つの部屋は、もはや物置と呼んだ方がいいサイズだ」
暁人の言葉の中にあった、さりげない心遣いが本来なら純粋にうれしいと感じていただろうが、どうしてそこまでしてくれるのかという疑問も逆に浮かぶ。やっぱり、暁人も静哉に心を許させておいて後から殺そうとしているのだろうか。
「この建物があるのは山の中腹だ。こんなところに来るやつは俺らみたいなよっぽどの物好きだけだ。だからここはほぼ安全だ」
「ほぼ、ねぇ」
ここでは絶対なんて存在しない。なぜなら「仲間」だってこの世界では危険なのだ。他人なんて信じられない。
「じゃあ次の質問だ。どうして俺を助けた? 助けてくれたのは感謝してるが、この戦いのルールだと、露市が何を言っても俺を見殺しにするのが妥当な判断だと思う」か
「確かに三波の言う通り、争いを勝ち残ろうと思えばそれが正しい。ついでに付け足しておくと、三波を見殺しにした上でアンタを殺そうとした奴もまとめて屠る。それが最も賢明だな」
「だったらどうして……」
「簡単なことだ。俺らは勝ち残ることが目的じゃない」
本来なら衝撃発言に言葉を失うところなのだが、静哉は驚愕よりも先に鬼胎を抱いた。
静哉を騙した少女だっての同じことを言っていた。あのときには静哉にも落ち度はあったが、宝はいらないと断言していた。
口でなら何だって言える。法律がないここでは何をしようが咎められることはない。
そんな不安要素が強いからこそ、二度目である今回は素直に受け入れることができなかった。
「じゃあ、お前らの目的は何だって言うんだ? この世界では勝ち抜くしか方法がないんだろ?」
「俺は、そうではないと思ってる」
「?」
「その情報の出どこは? 実際にそれで元の世界に戻れる保証は? そんなもん噂に過ぎねぇんだよ。情報を回したのが誰だか分からねぇとそれが信憑性のある情報だとは思えねぇし、元の世界に戻ったヤツを実際に目で見たヤツがいねぇ限り俺はその情報を信じない。俺はそういう性分なんでな」
それは静哉が最も誰かに言って欲しかった言葉だった。この争いの平和的終結、戦わなくても元の世界に戻れる方法を探す彼にとって、ようやく出会えた、いわば同志だ。暁人の言葉が本心であれば、だが。
「矛盾してるんじゃないか? 元の世界に帰るためには最後の一人に残らないといけないって噂なんだから、本当に元の世界に帰れるかどうか、噂の真相は勝ち残った一人にしか分からないはずだよな?」
「まぁ、確かにそうだな。でもそれだけ確証のある情報しか俺は信じねぇってこった。それに、最後の一人に残って噂がデマだったなら、ずっと一人でこの世界で生きていかなくちゃいけねぇんだ。そんなこと想像したくねぇ。それならもっと確実で、みんなで元の世界に帰る方がいいに決まってるだろ? だから俺は無益な争いはできるだけ避けたいんだ」
暁人の言っていることはとても響きがよくて、たとえただの理想郷だとしてもその理想郷に浸りたくなる。実際、暁人の言っていることこそが、静哉が一番理想としていた展開だ。けれど静哉はそんな理想が通用しないことを思い知らされた。もはや人を信用することが恐怖にさえなっている静哉には、同志でも共に協力しようとは思えなかった。
また裏切られれば今度こそ命はない。仮に一命を取り留めたとしても立ち直ることができなくなる。静哉の目的は友希の元に戻ることだ。こんなところで二度も騙されて死にたくはない。
「だとしたら、お前らの目的って……?」
「世界の、解放」
答えたのは、これまで黙っていた露市だった。
予想していたものよりも遥かに大きなスケールの発言に静哉の思考が一瞬止まる。
「はっはっは、そんな大げさなモンじゃねぇよ。ただこの世界の仕組みをぶっ壊して争いを終わらせようとしてるだけだ。こう見えても俺らって平和主義者だからな」
「平和主義者、ねぇ……」
静哉の目の前で何の引け目もなくドンパチしていた二人には当てはまらない。やっぱり暁人たちは信用ならない。
「で、他に聞きたいことは?」
「なぜ、俺を殺さず助けた?」
静哉は間髪を入れずに返した。
その反応に暁人は苦笑混じりで答える。
「それは言い出した露市に答えてもらうのが一番なのだが……」
暁人はチラリと横目で露市を見るような仕草をした。しかし、予想通りというか、彼女は全く説明をしようとする素振りがない。
さすがに暁人も小さく溜め息をついた。
「しゃーねぇーか。言える範囲で俺から説明するか。が、その前に俺と姫名が協力関係になったところから話す必要があるな」
暁人は肘をついて手を組み、静哉は息を呑む。
「お前が俺らを見た最後の場面はどこだ?」
「へ?」
唐突に問いを投げかけられて戸惑いながらも静哉は数日前の記憶を探ってみる。
場面となると記憶は曖昧で、さらに意識がはっきりとしてない中での記憶となればすぐには思い出せない。
それでも数秒をかけて記憶の糸を手繰り寄せると、思わずに苦い顔になった。
「暁人が閃光玉? みたいなので目くらましをしたところだな」
あのときは静哉も精神的にも余裕がなく、幼い頃みたいに、ここにいない友希にすがりついていた。つい数日前のことでまだはっきりと脳内に残っていたために、思い返すと穴があったら入りたい気分になる。
「閃光玉……目くらまし……あぁあれか。じゃあほぼ最後だな。その後、山の中を戦いながら移動していると、気になるものを見つけたんだ」
「気になるもの?」
「ああ。小さな祠のようなもの神社とかにあるやつよりは一回り小さくて持ち運べるようなモンだ。そこには簡単な暗号が書かれてて、それを解いたら中から不思議な結晶が出てきやがった」
「結晶……祠……」
結晶というものが何かは知らないが、祠なら静哉にも見覚えがある。ただ、場所は静哉が見たのは山ではなく森の中た。しかも、大きさだって普通のサイズだ。
祠というだけの共通点では、静哉の見たものは本当に普通の祠かもしれない。祠全てに仕掛けがあるならどれだけの数の祠が世界にあるか分からない。だから静哉は無関係だと答えを出して納得した。
「それを、俺を追ってきた姫名のやつが、これを集めたら元の世界に帰れるとか訳の分からないことを言い出しやがって、直前まで命のやり取りをしてたことも忘れて詳しく話を聞いてたんだ」
「帰れる、じゃなくて、帰れる、かもしれない」
ちゃっかり露市が訂正を入れる。
そんな彼女の反応に暁人が苦笑しながら頬をかいた。
「あー、そうだっけ? ともかく話を続ける。俺と姫名は偶然見つけたこの建物に祠を持ち込んだ。この頃には俺も、もしかしたら戦わずに済むかもしれねぇって希望が芽生えたんだ。そんで、姫名の方からこの祠を探して欲しいって頼まれたらから、こうして俺らが協力してるってなわけだ。オーケー?」
一瞬聞き間違いかと思った。露市の方から協力を仰いだということが到底信じ難い。
「露市、本当なのか?」
彼女の答えは無言の首肯。
「そこで、だ。アンタも元の世界に帰りたいだろ? だったら俺らに協力してくれねぇか?」
途切れた露市の言葉を引き継いだ暁人の提案に、静哉は二つ返事で承諾したかった。けれど、それを阻んだのは紅杏に裏切られたという真新しい記憶。聞こえのいい言葉を並べて静哉を信用させ、無警戒になったところでまた奇襲されるのではという恐怖がどうしても拭いきれないのだ。
露市とは何度か言葉も交わして、静哉に対して敵対心は抱いていないとある程度信用できる。でも、それならもっと早く言ってくれてもよかったはずだ。それだけ重要なことを隠されていたということを訝しまずにはいられない。
「……その話、信じられないな。だったらなんで今までその事を黙っていたんだ?」
「…………」
答えられないというのは、やはり静哉には言えない何かあるからだ。何かを自分に隠している人と協力なんてできない。ましてラビリンスは命懸けだ。自分の身を守るためには他人を信用できない。
「ちょっと考えさせてくれ」
決意を固めた静哉は真剣な表情で一言断って広い食堂を出た。
自分に与えられた部屋に入るなり、静哉はベッドに倒れ込んだ。
静哉の中ですでに決心はついていた。ここを出よう。特に行く宛はなくほとんどこの世界に来た当初と変わらない状況になってしまったが、ここいては二人から殺されそうになったら逃げる場所がない。向こうから仕掛けてくる前に逃げるべきだ。後はタイミングを見計らうだけ。二人に逃げることがバレてしまえば予定を繰り上げて殺される可能性がある。だから二人がいないタイミングでここから脱出する。それが静哉の出した答え。
「絶対に帰るから、友希……自分の力で帰ってみせる」
もう怖気付いたりはしない。自分の過去と向き合い、乗り越えてみせる。それができなければこの世界で死ぬ。もう友希に会うことは叶わない。何が何でも自分のトラウマを乗り越えるしかないのだ。
――よし、今だ。
しばらくベッドに横たわりながらタイミングを見計らっていた静哉は体を起こした。
足音は話し声が一切聞こえなくなってから五分ほど経つ。近くで扉が閉まる音も聞こえなかったからそれぞれの部屋で休息をとっているわけでもなさそうだ。
静哉はできるだけ物音を立てないように意識しながら部屋を出た。この建物の構造は知らないが、これだけ狭ければどこが出口かおおよそ予想できる。
人が二人横に並べないほどの廊下を食堂とは反対歩行に歩く。露市と暁人の部屋と思わしき部屋の前を通りすぎると、静哉の予想通り、廊下の先にあった玄関から外に出れた。
扉を開けた瞬間に薄暗い緑が視界一面に広がった。暁人からこの建物は山の中腹にあると聞かされていたが、薄気味悪ささえ感じてしまうほど草木の生い茂った場所だとは思わずさすがに一瞬戸惑った。
しかしあまりここにいられない状況に自分はいるということを思い出した静哉は付近に露市と暁人がいないかを確認してから建物を離れた、ところで声が聞こえた。
「どこへ行く気だ?」
「暁人……!?」
ちゃんと周囲にいないことを確認したのにいったいどこに隠れていたというのだ。戸惑いは隠しきれない静哉は何度も辺りを見直すがどこにも暁人の姿は見えない。
「三波、どういうつもりだ?」
もう一度声がしたと思うと、いきなり静哉の眼前に何か光るものが突き刺さった。
「っ!」
反射的に身を引くと同時に暁人が気の上から降ってきた。鎖を回収して鋭い目つきを静哉に向ける暁人は完全に戦闘態勢に入っている。
「答えるんだ。どういうつもりだ?」
「…………」
静哉は無言を貫く。
誰にも遭遇せずに抜け出したかったが、暁人に見つかってしまったのは痛恨の極みだが、おそらくここで静哉が抜け出すことを予測して待ち伏せされていたのだ。
「……なんで分かった?」
表情一つ変えずに静哉は鎖を回収している暁人に問う。
「アンタが疑ってるって、姫名のやつが言い出したからな。人がいなくなればいずれ出てくるだろうからずっとここで待機してたわけだ」
「俺を嵌めたってことか」
「嵌めるも何もねぇんじゃないか? 元からこっちは好意を持って接してるのに、アンタはそれを拒んだ。裏切り行為はどっちだ?」
暁人の言葉は真っ当なものだ。普通に考えて命のやり取りをしている《《敵》》には暁人のように、自分たちがしようとしていることなんて話すはずがない。話したところで、それがどうした、で終わるだろうから。
彼は、静哉が仲間だと判断、信用して上でそれを打ち明けた。
だが、それは普通に考えての話だ。
この世界では、もう一つの選択肢もある。敵を確実に仕留めるために接触し、信用させるために自らのことを打ち明けるという選択肢。静哉は暁人たちが後者だと判断したのだ。
本心で打ち明けてくれたのであれば当然信用してもらえなかった側にしては不満が募るだろうが、誰も信用できない。どうせ甘い罠で静哉を誘い込んでから仕留める作戦なのだろう。もうそんな手に嵌ったりしない。暁人この場で本性を現して静哉を殺そうとするなら全力で逃げるつもりで静哉は生唾を飲んで身構える。
しかし、
「はぁ。しゃーねーな」
ため息交じりに暁人は独りごちた。
「行けよ。後から討ったりしねぇさ」
「……何を考えてる?」
「言ったとおりだ。後から討ったりしねぇから行けよ」
「…………」
「あーもう分かった。これをやるからさっさと行け。アンタへの餞別だ。これで俺はアンタに攻撃できない。むしろ俺の方が殺される。だから俺の言うことを信じろ。アンタと戦う意志はねぇんだ」
半ば投げやりに聞こえなくはないが、暁人は彼自身の一番の武器だろう鎖を捨てるようにして静哉の足元に投げ渡した。
確か、ミラージュアイテムとかいう単語を聞いたが、これがそうならレアな代物だ。最初見たときは鎖の姿が見えなかったのに対して今ははっきりと見て取れる。ミラージュということは視認できないのが普通のはず。なら、視認できてるこれは……。
「ミラージュアイテムってのは争いを優位に進めるためのものだ。戦闘になったら勝手に消えるさ」
静哉の思考を読んで暁人が説明した。
鎖は長さ三メートル程で、鎖鎌ならぬ鎖剣のいうべきで、切れ味は抜群そうだ。
始めてみるその武器を扱いこなせるとは到底思えないが、兎にも角にもこれで暁人は静哉を追撃できない。
静哉は自分の手を切らないよう注意深く鎖剣を拾い上げて、そのまま無言で暁人の横を通り過ぎた。
***
「どう、だった?」
建物の陰に身を潜めていた姫名が、少年二人のやり取りがちょうど終わったのを見計らって姿を晒した。
「どうって、見た通りだ。信頼してたヤツに裏切られてんだから、そう簡単に人を信じれねぇのも無理ないさ」
「そう……」
「問題はアイツだな。一人で何かできるとも思えねぇし、そもそもあいつがやられねぇか心配だな。一応俺のワイヤーは渡しておいてやったけど、あの武器はすぐに使いこなせるようなもんじゃねぇからな」
「暁人、優しい」
「はっ、ほっとけ」
言葉とは裏腹にどこから嬉しそうな、それでいて恥ずかしそうな表情を柄にもなく浮かべた暁人だった。




