第12話
時間が空いてしまいすみません…
***
――これで、いいんだよね?
――ごめんね、静哉くん。
燃やしたコテージから万が一脱出されたとき用にと、念のために懐に忍ばせていた小型のナイフを取り出し、突然意識を失った静哉に向けた。
到来した千載一隅のチャンスを前にして、紅杏の心情は相反する二つの感情が支配していた。
本心は静哉を殺して自分が勝ち残るための一歩を踏み出したいのに、どこかでそれを戸惑っている自分がいる。
――迷うことなんてないんだ。あたしは勝つために静哉くんを騙し、演技してきたんだから。
しかし、どうしても頭の片隅に静哉の言葉が引っかかっていた。
『義足のことを教えてくれたのは君の優しさだろ?』
ああ、どうして無防備にもそんな簡単に義足だということを話してしまったのだろう
。ずっと公園に居座り、獲物が釣れるのを、首を長くして待っていた。そうして、我慢の末にようやく訪れた獲物。しかもそれは右も左も分からない絶好のカモだ。
それでも焦らず、念には念を入れて接触を図った。獲物から信用を得て、完全に疑うことをしなくなったときを見計らって襲う。
そのための演技は苦にならなかった。口調や仕草は素とあまり変わらないし、親切に思わせながら自分の思惑に嵌めていくのも楽しかった。何より、獲物の状況が状況ゆえに、少し会話するだけで簡単に信用を得ることができた。
後は、この手を振り下ろせば努力は報われる。
――なのに、決心がつかない。
いつの間にか自分の中に変な情でも移ってしまったのだろうか。だとしたら、紅杏はこれ以上にない失態を犯したことになる。
「殺してしまえば、問題ないないよね」
紅杏は戸惑いを捨てた顔つきで手を振りかざす。
刹那、甲高い金属音と共に、右手に持っていたナイフが弾き飛ばされた。
「えっ……」
自分に起こった出来事が理解できず、紅杏はただ呆然と固まった。
森の中で草の揺れる音に反応して、彼女はまだ手に残る感覚を頼りに、ナイフが飛ばしたものが飛来した方向を見やる。
「キミだったんだ。邪魔したの」
木の陰から姿を見せたのは制服姿の黒髪の少女で、彼女とは静哉と散歩をしたときに一度対面したことがある。
「知ってるよ。キミ、強いんでしょ?」
食料集め、と嘘をついて静哉の行動を一日つけていたときに、この少女は静哉と行動を共にして、奇襲してきた少年を退けていた。あのときは呆気なく終わっていたが、確実にこの子は強い。
誰が相手でも義足というハンデを背負った紅杏よりは強いわけだが。
紅杏はワンピースの裾を握りしめた。
できれば戦いたくはない相手だ。一応対応策があるにはあるが、それを使ったところで数十秒、よくて数分延命されるだけで多分運命は変わらないだろう。
死ぬのは怖いけど、戦わなくちゃいけないんだ。
紅杏が覚悟を決めて身構えた。が、赤髪の少女に牙を向くことはなく静哉を助けるかのように彼の前に立ち、ひょいと少年を担ぎあげた。
「あなたと、戦うつもりは、ないから」
それだけ言うと、少女は紅杏を挑発するようにゆっくりと歩いてその場を立ち去った。
紅杏は追わなかった、というよりは動けなかったのだが、絶好の機会を逃したことよりも、静哉を殺さずに済んだことに安堵する自分がいることに気がついた。
一体自分は何をしたいのだろうか。自分で自分のことが分からない。これまでにこんな感覚はなかった。多分、一番驚いているのは自分自身だ。
この感情のやり場をどうしようか。などと考えていると、背後から野太い男性の声が聞こえた。
「逃がしてしまったか」
「……うん。あたしが正面から仕掛けてもこの脚じゃあ、ね……」
「仕方あるまい。おぬしの脚のことをワシはどうこう言うつもりはないさ」
「うん。ありがと……」
「さぁて、次はどうするか考えんといかんのぅ」
そう呟いて去っていく気配を背中越しに感じながら紅杏は一つ息をついた。
今、自分は人に見せられないような顔つきをしているだろう。それはさっきの人物にも、だ。こんなことを考えるのは初めてかもしれないが、自分がこれからどうするべきなのかと思わずにはいられなかった。
暗闇の中にある森。その中を静哉は一人歩いていた。進めど進めど明かりは見当たらず、辺りを見回しても暗闇が世界を支配していて、ここがどこなのかも分からない。心細くなり、孤独と暗闇の恐怖から静哉は涙を浮かべ始めていた。
「《《パパ》》……《《ママ》》……友希……どこ……?」
か細く震えた静哉の呼びかけに反応するの騒ぎ立てる虫たちの鳴き声。
この世界に一人だけ取り残されたかのように錯覚してしまうほど人の気配はない。
「パパ! ママ! 友希! ……ぐすっ」
――ぽつり。
不意に静哉の顔に何かが落ちてきて顔を上げた。
雲の隙間から除く空には月光や星光の瞬きもなく、分厚く暗闇の中でもはっきりと視認できるほど黒い雲に覆われていた。静哉の顔に落ちてきたもの正体は、雲が落とした雨粒だった。
雨はすぐに酷くなってきて本降りになった。
けれど静哉はそんなことを気にする余裕がなかった。全身水浸しになりながらも無心で家族を探し続けた。
誰もいないなんてそんなはずはない。絶対にどこかにいるはずだと、静哉はそう信じて疑わなかった。
静哉の心情を鏡写しにするかのように雨の勢いをは収まることを知らず、雷鳴までもが轟き始める。
――怖いよ……隠れてないで早く迎えに来てよ……独りぼっちなんて嫌だ……
静哉の精神状態はもう限界だった。怖くて怖くて怖くておかしくなってしまいそうで今にも気を失ってしまいそうなほどに。
もう何度目か分からない落雷が発生した。
その雷光のかげに、静哉はようやく人影を見つけた。
「……や……いや……」
激しい雷雨がノイズとなって何と言っているかは分からないがあのシルエットは間違いなく静哉の両親だ。その後ろには静哉よりも小さな影もある。
「パパ! ママ! 友希!」
嬉しさのあまり、弾んだ声で家族を呼んだ時にはすでに静哉は走り出していた。
一目散に家族のもとに走り、両親の胸に飛び込んだ。
―――――――――――――――ぬちゃ。
「え……」
抱き着いたばかりの両親から離れて、静哉は茫然と自分の手を見る。
真っ白な稲光に照らされて見えたそれは、ねっとりと静哉の手についた真っ赤な血だった。それだけでなく、静哉の全身に赤くぬめった血が染みついている。
「ひっ…………」
おぞましくなった静哉は尻餅をつく。そして、縋る思いで友希に視線をやると――
口端を釣り上げて不敵に笑う友希の姿が鮮明に照らされた。
「友希!」
ガバッと勢いよく体を起こした。
……つもりだったが、実際に身体は何一つ動かず、ただ目が開いただけだった。
激しく乱れた呼吸を整えることも忘れて自分に言い聞かせる。
――友希が自分を裏切るなんてこと、ありえないだろ……ただの夢だ……実際に起こる話じゃない。
しかし、本心でそう信じつつも、心の片隅で本当にあるかもしれないと感じてしまう自分がいた。幼い頃に静哉は友希に散々迷惑をかけた。普通なら見限られてもおかしくないようなまでの醜態を晒している。それが今になって限界に達し、静哉を見放した可能性だってなくはないだろう。
友希がいてくれたから今ここに静哉はいる。友希がいてくれるからこの世界を出ようと思えるし、これからも友希のために生きていける。その妹がいなくなってしまったら、静哉は一体何のために生きていけばいいというのだ。
――ダメだ。兄である俺が妹を信じられなくなったら誰が友希を信じるんだ。
こんな心境に陥るのも、紅杏にあんな騙され方をからだ。信用し、信頼していた相手に殺されかけたせいで、今は誰も信じられない。自分以外はみんな敵に思えてしまう。
そうだ。信じられるのは自分だけ。これからは誰の手も借りず自分ひとりで……
「って、あれ……ここはどこだ……?」
よくよく周囲を見回すと、自分が知らない部屋にいる。視界に入る純白の天井に全く心当たりがない。
――ここはどこで俺はどうなってるんだ……?
自分の置かれている状況を確認するため体を起こすと、自分がいるのは四畳ほどの狭い部屋だ。静哉の寝ていたベッド以外には何もないさみしい部屋だ。
「起きた?」
「うわぁ!」
「……?」
真っ直ぐこちらを見ながら首を傾げているのは紅杏ではなく、どういうわけか露市だった。
「おまえ、いつからそこにいるんだよ」
「今、きたところ」
「今?」
無言でピシッと扉の方を指さされ、そこを見ると、確かにいつの間にか扉は開いている。どうやら静哉が部屋を見回している間に扉から入ってきたのだろう。――それにしても物音一つぐらいしそうなものだが。
それよりも、だ。
「……なんでお前がここにいるんだ?」
警戒心を強めながら鋭い口調で問いただすと、意外な返事が返ってきた。
「……ごめん、なさい」
「こんなところに俺を連れてきてどうするつもりだ? 俺を助けておいて殺すつもりか? 俺が苦しむのを見たかったからわざと助けたのか?」
「……」
「だったら早く殺せばいいだろ? どうせ俺は逃げられないんだ。今ならおまえの思うようにできるはずだ!」
無意識のうちに力が入り、露市を責め立てるような口調になったが、露市は目を伏せるだけで何も言い返してこない。それをいいことにまた静哉は口調を荒げてしまう。
「いい加減にしてくれ! 俺はこんな世界にいたくないんだ! 元の世界で普通に過ごしていたかったんだよ! なのに、気が付いたらこんなわけのわからない世界にいて! わけが分らないんだよ!」
「まぁまぁ、それぐらいにしといてやれ。こいつがアンタを助けたんだからな」
「えっ?」
新たに少年の声が部屋の入口から聞こえて来た。見ると、壁にもたれかかって腕を組む金髪の少年が立っていた。その少年はピアスやネックレスなどの金属製アクセサリーを至るところに身につけ、ギラギラにしている。
静哉は目を疑った。その少年に、見覚えがあるのだ。この世界に来た初日、静哉は姫名に襲われた。危うく殺されそうになったところにこの不良少年が現れ、結果的に静哉を助けたことになったのだ。
あのとき、静哉は気を失ってしまったが、その前に姫名と少年は対立していたはずだ。それがどうして、二人が今この場に居合わせているのだろう。
自分の置かれている状況すらまともに掴めてない中、疑問は深まるばかりで混乱が増していく。
「そう……なのか?」
こくりと頷く姫名。さすがに嘘をついているようには見えない。
「その、助けてくれてありがとう」
再び姫名は首を縦に振った。
不良のような少年が姫名の横に並んで立ち、静哉は二人と対峙するかのように向かい合って立つ。こうして見れば二人の組み合わせは不自然すぎる。アクセサリー付け放題の不良少年と、常時制服姿の見た目優等生。もしこれが争いの中でなければ接点すら無さそうな二人だ。
「そんなことはいい。礼を言われたくてしてるわけじゃねぇからな。それよりも、まずは自己紹介でもしておくか。俺は楠原暁人だ。俺は初対面のつもりなんだが、アンタはそうではなさそうだな?」
「えっと……。俺がこの世界に来たときに露市と戦っているのを見たぐらいで、初対面でいい、と思う」
「俺が姫名と戦ったとき? ……あぁ、あのときか。そういや姫名ともう一人あの場にいた気もするが、まさかそのときのヤツってアンタだったのか?」
静哉は目だけで、そうだ、と訴える。
「そりゃあ悪いことしたな。《《こっち》》に来て最初があれとは過激過ぎだな。悪かった」
こうも素直に謝られては静哉は呆気に取られながらも数回頷くしかない。
しかし、暁人にしてみればそんなことはどうだってよさそうで、すぐにまた次の話へと進んでいく。
「とりあえず、アンタの名前を教えてもらえないか? こうやって話す時に何かと不便でな」
「あ、ああ、そうだな。三波静哉だ」
「そっか、それじゃあ三波……」
不自然に開けられた間が静哉には違和感を覚えた。暁人が若干悩むような素振りを見せた後、「いや」と彼の中で結論を出したらしい。
「まだ起きたとこで真面目な話をするのは拷問だな。話はまたするから、とりあえず三波の方から聞いときたいことはあるか?」
分からないことがあり過ぎて何を聞けばいいのか迷ったが、せっかく暁人が後で話をすると言ってくれてるのだからとりあえずは一つだけ聞くことにした。
「助けてもらったのは分かった。じゃあここはどこだ? なんで戦ってたはずのおまえらが一緒にいるんだ?」
静哉にしてみれば純粋な気持ちで質問したのだが、何故か暁人は拍子抜けして目を丸くしている。先ほどまでの立場の逆転した姫名は無表情で立っているが、静哉は何かおかしなことを言っただろうか。
段々不安になってくると、暁人はようやく理解に至ったらしく納得したように頷いた。
「あぁ、そうか。その辺のことも一切話してねぇな。じゃあそれも含めて後で話そう。それまでは休んでてくれ。この部屋はアンタの好きなように使ってくれて構わねぇさ。ま、使うつっても何もない部屋で申し訳ねぇがそこは勘弁してくれ」
「……わかった」
「じゃあまた呼びに来るからゆっくりしててくれ」
露市と暁人と名乗った少年の二人は静哉を残して部屋を出て行った。
「ふぅ」
一息つくと静哉は再びベッドに横たわった。
改めて部屋の中を見回すと、静哉がいるのはコテージよりも質素な部屋だ。壁が見馴れた白だからかも分からないが、実際に室内に置いてあるのはベッドしかない。
暁人の言う通り本当に何もない部屋だと思う。
――それにしても、だ。
やっぱり疑問だらけだ。どうして露市は静哉を助けたのか。そもそもどうして静哉の危機的状況を知ったのかということも気にはなるが、助けてもらった始末、そこはあまり考えないようにしよう。後はどうして争っていた暁人と露市が一緒にいるのだろうか。宝を巡る戦いに参加している以上、協力したところで最終的に協力状態の二人で殺し合いをして最後の一人に残らないといけないのではないか。それぐらいのことは承知しているはずだが、もしや静哉が求めてきた平和的解決の方法が実在したのだろうか。
気になって思考を巡らせ始めたのだが、考えれば考えるほど深みへとはまっていき答えのない自問が続く。
ここ三日間のうち二日、静哉は紅杏と過ごしていたために自分の裏で起こっている状況というのを考えなかったし目もくれなかった。当然だが、静哉が平和的帰還の方法を探すと決めたのと同じように、彼以外の参戦者も行動を起こしているのだ。そのことを完全に失念していた。
だが、それにしてもなぜ、二人は協力関係にあるのだろうか。紅杏にもはっきり断言されたように、この争いに参戦している限り、残れるのは一人だけだ。協力関係になっても戦うのが後回しになるだけで、戦うことには変わりない。それも考え方によってはアリだろう。
もしくは、どちらかがどちらかを騙しているという可能性も。それどころか、今このとき二人して静哉を騙しかけている可能性だって……。
静哉はベッドの上で寝返りを打った。
ダメだ。あんな裏切り方をされた後ではどうしても人を疑ってしまう。この世界ではきっとその方が正しいのだろうが、できることなら極力同じ人間を狐疑し続けるということはしたくない。
……というのは、静哉の理想郷に過ぎないのだろうか。
宝という餌に飢えた参戦者たちは問答無用でどんな手だろうが構わず襲ってくる。
そんな獣たちに囲まれ、誰も仕留めずに逃げ切るのはほぼ不可能だと言っていい。だが、静哉のしようとしているのはそういうことなのだ。
しかし、今や誰を信用すればいいのか分からなくなりつつある。さっきは普通に会話して、信用しても良さそうに思えたが、紅杏だって最初はそうだった。
あの二人だって静哉に親しく接しておいて、心を許しかけた頃に裏切る可能性が充分ある。特に姫名に関しては、一度殺されかけてる経験があるためなおさら怪訝さが増す。
「はぁ、やってられねぇよ……」
今後もこうして人を訝り、周囲を気にしながら生活しないといけないと思うと気が重い。
まだ覚悟を決めて一日二日なのに、もうその覚悟が揺るぎそうになる。何で自分はこんなところに来るハメになったのだろう。本来なら、友希とこれまで通り普通の生活を送っていたのに、今や日常とは無縁の世界にいる。
「友希……」
無意識に静哉の口から妹の名前が零れた。
普通に暮らしているときはそれが当たり前過ぎて何も思わなかったが、普通の生活からかけ離れてからは、そんな暮らしの素晴らしさに気づいた。
遅すぎたのだ。
もっと早く気がついていても、どのみちここに来ていたことになるかもしれないが、もっと友希と思い出を作ることはできた。
今となってはどうすることもできないことを懺悔するが、過去のことは戻ってこない。
過去のことは戻ってこない――でも、未来なら変えられるんだ。
だからそのためにもまずは二人の知っている情報を聞こう。自分に本当のことを教えてくれる保証はどこにもないが、たとえ嘘の情報でも何もないよりはいい。当てもなくたださまようことほど時間が無駄なことはない。
元の世界に変える方法は自力で見つける。そして、絶対に友希の元に帰るんだ。




