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第10話



 暗闇の中にある森。その中を静哉は一人歩いていた。進めど進めど明かりは見当たらず、辺りを見回しても暗闇が世界を支配していて、ここがどこなのかも分からない。心細くなり、孤独と暗闇の恐怖から静哉は涙を浮かべ始めていた。

「《《パパ》》……《《ママ》》……友希……どこ……?」

 か細く震えた静哉の呼びかけに反応するの騒ぎ立てる虫たちの鳴き声。

 この世界に一人だけ取り残されたかのように錯覚してしまうほど人の気配はない。

「パパ! ママ! 友希! ……ぐすっ」

 ――ぽつり。

 不意に静哉の顔に何かが落ちてきて顔を上げた。

 雲の隙間から除く空には月光や星光の瞬きもなく、分厚く暗闇の中でもはっきりと視認できるほど黒い雲に覆われていた。静哉の顔に落ちてきたもの正体は、雲が落とした雨粒だった。

 雨はすぐに酷くなってきて本降りになった。

 けれど静哉はそんなことを気にする余裕がなかった。全身水浸しになりながらも無心で家族を探し続けた。

 誰もいないなんてそんなはずはない。絶対にどこかにいるはずだと、静哉はそう信じて疑わなかった。

 静哉の心情を鏡写しにするかのように雨の勢いをは収まることを知らず、雷鳴までもが轟き始める。

 ――怖いよ……隠れてないで早く迎えに来てよ……独りぼっちなんて嫌だ……

 静哉の精神状態はもう限界だった。怖くて怖くて怖くておかしくなってしまいそうで今にも気を失ってしまいそうなほどに。

 もう何度目か分からない落雷が発生した。

 その雷光のかげに、静哉はようやく人影を見つけた。

「……や……いや……」

 激しい雷雨がノイズとなって何と言っているかは分からないがあのシルエットは間違いなく静哉の両親だ。その後ろには静哉よりも小さな影もある。

「パパ! ママ! 友希!」

 嬉しさのあまり、弾んだ声で家族を呼んだ時にはすでに静哉は走り出していた。

 一目散に家族のもとに走り、両親の胸に飛び込んだ。


 ―――――――――――――――ぬちゃ。


「え……」

 抱き着いたばかりの両親から離れて、静哉は茫然と自分の手を見る。

 真っ白な稲光に照らされて見えたそれは、ねっとりと静哉の手についた真っ赤な血だった。それだけでなく、静哉の全身に赤くぬめった血が染みついている。

「ひっ…………」

 おぞましくなった静哉は尻餅をつく。そして、縋る思いで友希に視線をやると――


 口端を釣り上げて不敵に笑う友希の姿が鮮明に照らされた。



「…………くん……静哉くん!」

 耳元で叫ばれながら激しく体を揺すられた静哉は強制的に意識を引き戻された。

 瞼を持ち上げると赤い髪が真っ先に視界に入り、続いてまぶしいくらいに純白のワンピースが視界一面に移る。

「紅……杏……?」

 義足の少女の名前を呼ぶと、彼女はぱっと笑顔の花を咲かせた。

「よかったぁ、静哉くん気が付いたら倒れてたから心配したよ。さ、立てる?」

 さし伸ばされた手を受け取り、静哉は立ち上がった。

「ここは……そっか、森の中か。俺は意識を失って……」

 そこで静哉は自分が意識を失う直前の状況を思い出してはっとした。

「そうだ! あいつは!?」

「大丈夫だよ、落ち着いて。あの子が戦ってくれてるから」

 諭すような口調で言いながら彼女が向いた方向に視線を向けると、制服姿の少女が李央と名乗った少年と交戦していた。

「そっか……」

 ひとまず、今すぐ自分に命の危険があるというわけではないことが分かり一安心する。

 黒髪の少女の強さは静哉もなんとなく分かる。普段が謎に包まれていたとしても戦闘となれば話は別だ。一度殺されそうになった静哉には少女が華奢な体つきに似合わず強い力を持っていることを知っている。

 深呼吸をして早まったままの鼓動を落ち着かせる。

 ――すぐに意識を失っているようじゃ、この世界で生きていけないよな……

 友希との再会を果たすためにもこんなことじゃいけないのだ。そうと分かってはいてもいざ敵と対面してみると自分の早まる鼓動と蘇る過去の恐怖は抑え込めない。

 やはり静哉には戦闘は不可能なのだと改めて思い知らされた。

 それにしても……後味の悪い夢を見ていた。両親のいない今、静哉の心の拠り所はこの世界にいない友希なのだ。友希までもが信用できなくなってしまったら静哉は何のために生きていけばいいのだろう。

 ――いや、そんなことは絶対にない。友希は唯一の家族であり、命の恩人なのだ。そんな妹のことは何があっても信じ続けるし想い続ける。俺は兄なのだから当然だ。

「……あっ!」

  何事かと思い突然大声をあげた紅杏を見やると、彼女の表情に動揺が浮かんでいた。

 自分たちとは離れた場所で戦闘が行われていることを思い出した静哉は戦況を確認しようとして、紅杏と同じような表情になる。

 自分たちを守るようにして戦ってくれている黒髪の少女の右肩が赤く血で滲んでいる。何があったのかは分からないが、多分敵の少年の攻撃によるものだろう。

 強いから絶対に黒髪の少女は勝つ。その確信があった静哉は、彼女でさえ傷を負ってしまうことによって恐怖に駆られた。

「? 大丈夫、静哉くん?」

「……大丈夫だよ」

 隣の紅杏が静哉の様子の変化を察してか声をかけてきたが、静哉は強がった返事をした。

 内心では自分のPTSDが発症しないように早る心臓の鼓動を抑えることに必死になりながらも、静哉は現在進行形で行われている少年と少女の戦いに目を向けた。

 黒髪の少女が肩に傷を負って以降、睨み合いの牽制が続いていたが、その均衡を破ったのは少女の方だった。

 ナイフを構えて走り出した少女は束の間に少年へと迫る。しかし、距離を詰めきられては不利と判断した李央が一定の距離を保とうとバックステップを踏むも、それを上回る少女の俊敏さで間合いを詰めると、少女は低い体勢からナイフを切り上げる。

「うっ……くっ!」

 辛うじて状態をのけ反らせることで回避した少年が、強引に手先だけでクナイに投げつけた。そのわずかな動作すら少女は見逃さず冷静な動作で横へ飛ぶ。しかしその一瞬の攻防が戦闘の流れを変化させた。李央に攻撃する隙を与えてしまったことで黒髪の少女が防戦一方になり、李央は再び攻めさせないように手持ちのクナイを使い切るかのごとく攻撃の手を強める。

「まだまだっ!」

 李央の次から次へと投げるクナイは一瞬で少女に迫り、逃げる場所も時間もない。しかし、李央の攻撃を上回った少女の対応も圧巻だった。このまま李央の展開に持ち込まれるかと静哉は思ったが、どこに忍ばせていたのかわからないナイフを取り出すと、飛来するクナイを正確に弾いて見せた。

「す、すごいね……!」

 静哉と同じく戦況を見守っていた紅杏が目を輝かせながら感嘆の声を上げる。戦闘素人の静哉や紅杏じゃとてもマネできる芸当ではない。

 そう感じたのは戦っている当事者も同じわけで、

「へ、へぇ~」

 李央は自分の攻撃に絶対的な自信があったのか、全て防がれたのを見て引き攣った笑みを浮かべながら漏らした。本人は平常心を装っているつもりだが、あからさまに彼には余裕がない。

 それを察して黒髪の少女もナイフを構えたまま攻撃に出ることはなく口を開いた。

「何のために、戦うの?」

「か、家族のためさ!」

「家族、だって?」

 食いついたのは、いつの間にか二人の繰り広げる戦闘に見入っていた静哉だ。

 もしも、だが、李央の言葉が真実であるならば少年たちの目的は互いに同じだと言ってもいい。

「家族が、病気で死にそうなんだ! だ、だから宝とやらを手に入れて、か、家族を助けるんだ!」

 その主張に同情できなくもなかった。事実、静哉だって妹との再会を果たすことだけを考えている。だから李央の言い分は痛いほど分かる。

「だったら……共闘すればいいじゃないか……」

 静哉の何気ない一言に戦闘中の二人が動きを止め、意表を突かれた顔で静哉を見た。予想外の反応を得た静哉は驚きながらも言葉を続ける。

「だって、目的は同じなんだよな? それなら協力した方が安全だし効率もいいだろ?」

 李央がぽかんとした表情を浮かべ、黒髪の少女が表情を変えずに無言で静哉を見つめる。その二人の反応に静哉は自分の発言に手ごたえを感じていたのだが、

「面白いことを言うね! 共闘、か。さすがに考えてもみなかったな。――でも、本気で共闘ができると思ってるのか? はっきり言わせてもらうけど共闘なんて論外だね。あり得ない!」

「なっ!?」

「まだ気づかないのかい? 宝は最後まで生き抜いた《《一人》》にしか与えられないんだ。共闘してもいずれはその仲間と殺しあうことになる。どうせ不意打ちで背中を討たれてはいおしまいだよ。そんな分かりきった選択をするバカがどこにいるとでも言うんだ」

「そんな……それは本当なのか?」

「…………」

 黒髪の少女は無言で目を伏せた。

「そんな……」

 つまり、今でなくても、静哉とこの少女はいつか対立することになる。そうなったとき、静哉は勝てるのだろうか……

 想像するだけで再び恐怖を感じ、体が震えた。

 これ以上症状がひどくならないように思考を中止する。

「そういうことなんで、やっぱり二人とも、死んでください」

 ぴくっと勝手に体が怯えだす静哉を守るように黒髪の少女が前に出る。

 そして少女は低くナイフを構えた。初めてまじまじと見る彼女の構えはかなり様になっていた。まるでかなり昔から使っているような手つきで、軍人に見間違うほど隙のない構えだ。一度彼女に殺されかけたことを忘れたわけではないが、何度か会って話しているとどうしてもその事実が霞んでしまう。戦闘慣れした少女の構えを見て、この少女も人を殺せるだけの力があることを改めて痛感させられた。

 対する李央は対照的に腰が少し引けていて戦闘に不慣れなのが誰が見ても分かってしまう。

 ――怖いのは、自分だけじゃないんだ。

 不謹慎にもそんな自分よがりなことを考えてしまった。だがそれで、かなり平常心に戻ってきたのも事実だ。

 静哉は自分が巻き込まれないようにとわずかに後退った。

 少女が低い体勢をとりタメを作る。

 そして強く地を蹴って李央に肉薄した。静哉ですら予想外の少女の速さに、恐怖で李央は瞠目して反射的に逃げ出す。しかし少女がトップスピードになった状態では李央に逃げられる場所などない。

 と、思っていたが突然彼の姿が消えた。

 李央を追っていた黒髪の少女ですら、完全に見失ってしまったらしくその場で止まって辺りを見回している。

 森の中という地の利を生かせばいくらでもここには隠れる場所はあるが、少女すらも見失うような逃げ場はないはずだ。

 あるとすれば木の後ろか木の上ぐらいで……。

 ――上?

「……上だ!」

 静哉の声にはっとして少女が上を見れば、まさに李央が少女に飛びかかろうとするところだった。

 今度は武器も何もない純粋な体術で挑もうとして来たのが幸いし、少女は間一髪で回避すると今度は逆に少女の方からナイフで応戦する。

 少女も容赦は一切なく、心臓目掛けてナイフを振りかざす。

「ひっ……」

 裏返った声を上げながら本能で飛び退いた少年が間一髪で回避に成功する。

 攻撃の手を緩めずに少女は首や額、脇のような急所のみを的確に狙い定める。

 体に何度もかすり傷を作りながら致命傷だけは回避し続けていた李央だったが、少女が狙いを変えて体術で組み付いた。

 李央も当然抵抗するが一度少女に組み付かれればもう、どうすることもできないのは静哉も経験済みだ。

 だからと言って、静哉は李央を助けることはできない。物理的にというわけではなく、襲ってきたことに対する李央への恨みと、彼の言う言葉に対する同情心が複雑にひしめき合ってどうすればいいのか分からないのだ。

 怯えながらにも威勢のよかった李央はやがて抵抗しなくなった。李央に少女はナイフを突きつける。一度経験のある静哉には李央がものすごい恐怖を覚えているであろうこと容易に想像できる。

 拘束される李央は少女の腕の中で大きく震え上がり、言葉を発することすらおぼつかないレベルにまで達していた。

「もう……しないから…………たす……けて」

 その中でも何とかそう口にするが、少女には届かない。

 李央の発した言葉が、身の危険を感じれば誰もが発する言葉であって、本当に心から思っているのか分からなかったりする。だが、静哉には李央の気持ちが痛いほど理解できる。それは、似た立場である静哉にしか理解できない感情だと思った。

「ごめんな……さい……たすけ、て」

 まさか、殺したりはしないだろう。

 心の奥底でそう考えていた静哉だったが、少女が顔色一つ変えずナイフを振りかざそうとしたのを見て目が飛び出そうになった。

「ちょ、ちょっと待てって!」

 ギリギリ李央の首から一ミリほどの距離で少女のナイフは停止した。

 それを見て静哉は、ふぅ、安堵して一息つく。

「ちょっと静哉くん!?」

 なぜか紅杏が意表を突かれたように叫んだが今はそれよりも李央のことだ。

 死を覚悟したであろう李央は未だに強くを瞳を閉じており、目尻から微小な涙が零れかけていた。

「李央もこう言ってるんだからもういいだろ。何も命まで奪う必要はないじゃないか。だって言ってただろ? 殺さなくても離脱させればいいって。李央ももうしないって言ってるんだから助けてあげないか?」

 静哉の声を聞いて李央は初めて自分の命がまだ残っていることに気付いてうっすらと目を開けた。

 正直、静哉は自分の言葉を少女が聞いてくれるか心配だった。まだこの少女のことをよく知らないし共闘ができないと聞いたばかりだ。ただ静哉を二度助けたように、この少年のことも助けてくれるんじゃないかという淡い希望を抱いたのだ。

 少女はしばらく李央の首筋から一ミリの位置にナイフを突きつけたまま固まっていた。時間が経つにつれて静哉は不安を募らせ、次第に表情に緊張が走り出す。

「分かった。あなたが、そう、言うのなら」

 そう言ってナイフをしまうのを見て、今度こそ静哉は大きく胸をなで下ろした。

 それは無論当事者である李央を同じようで、緊張の解けた彼はすぐに逃げ出して姿を森の中に消した。

 なんて恩知らずな。とも思わないこともなかったが、冷静さを失っていたらそんな行動を取るのも致し方ない。

「……ありがとう」

「別に……。もうあの人も、こんなことはしない、と思う」

 これで一人、この争いから脱落させたことになる。やはり、元の場所に戻る方法は、自分が勝ち残り、この争いに勝利するのが一番手っ取り早い。

 少女も言っていた。何も人を殺す必要はない。今のように争いを辞退させたり、脱落させることができればそれでいい。なんだかんだで李央と同じやり口だが、結局のところそれしか方法は見当たらないのだ。

 ――だが。

 静哉は我知らず両手を強く握りしめていた。

 この方針には問題点しか存在しないのだ。何人いるかも分からない敵を全て見つけ出しすのはいつまでかかるか予想がつかない。それに、当然敵も必死だ。自分の命まで投げ出して宝に執着するぐらいなのだから、どんな手を使ってでも静哉を《《殺そうと》》するだろう。そんな相手を殺さずにリタイアさせようとすると、少なからず隙ができかねない。はっきり行ってしまえば、命を奪ってしまう方がよっぽど簡単だ。

 問題はもう一つ。これが最大の難関だが、静哉は本当に戦えるのか、ということだ。李央を脱落させたとは言え、静哉は何もしていない。全ては黒髪の少女一人で行ったことで、静哉はただそれを傍観していただけなのだ。恐らく実際に戦おうと思えば、十年ほど前事故のトラウマがフラッシュバックして動けなくなるかもしれない。そうなったときに死ぬのは、静哉の方だ。

 せめてこの少女と協力することができれば話は変わってくるが――それは厳しいだろう。

「姫名」

「え?」

露市姫名(つゆいちひな)。私の、名前」

 唐突な言葉に何を言われたのか一瞬わからなかった。

 僅かな時間をかけて、静哉お前と読んでいたこの少女が名前を教えてくれたのだと理解できた。

「ああ、俺は三波静哉だ。よろしくな、露市」

「姫名……いい名前だね! あたしは篠月紅杏だよ! よろしくね!」

 声音こそいつもと変わらない紅杏だったが、彼女の翳った表情の中で唇がゆがんでいるのには誰も気づかなかった。


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