紗慧の休日・一
少し短くなってしまいましたが、次へ続きます。
退治屋の仕事とは、常世から時折やってくる妖を退治し、現世の秩序を保つ事だ。
各退治屋は、自分の活動範囲を決め、その範囲内に妖が現れていないかを見回ったり、妖が現れた場合は現場に急行して速やかに撃退しなければならない。
遥鳴堂旅館に、鹿島美那と賀茂橋郁人がやってきて一夜が明けると、美那は朝の内に自分の持ち場へ帰る為に旅館から発っていった。
郁人は旅館に残り、当面の間、誠と同様の範囲を二人でカバーしつつ、状況に応じて保護対象である紗慧の警護をする事になったのだった。
しかし、誠と郁人の性格的な相性は、今のところ最悪だった。
初対面の際にもそれは明らかだったが、その後も、二人は顔を合わせる度に喧嘩染みたやり取りが繰り返される事になった。
元々の誠の活動範囲は、彼が自分のバイクでカバー出来る県内の複数市だったが、毎日妖が現れる訳でもない為、妖の気配を感じない限りはある程度散発的な見回りになる。
郁人が加わった事で、通常の見回りは誠と郁人が交代で行い、見回りに行かない方が紗慧の警護をする、という事になった。
警護と云っても、旅館内は安全である為、紗慧が外出をする時以外は彼らの一方は実質的には待機状態である。
郁人は、紗慧の警護中は彼女の仕事の手伝いをしたり、休憩中に話し掛けたりと、積極的に彼女に接していたが、誠は真逆だった。
彼は、旅館内では必要のない警護に熱心ではなく、部屋で暇を潰しているかバイクの手入れをしているかのどちらかだった。
対照的な二人をある意味で面白がったのは、小説家で遥鳴堂旅館に長期滞在している宮内孝明だった。
彼は旅館の人間ではないが、誠が退治屋である事や妖の存在を知っている。
誠と郁人の反りが合わない事は、旅館内で既に周知のものとなっている。
紗慧が孝明の部屋の掃除に入った時、孝明は彼女の仕事の邪魔にならないよう気を付けながら、彼女に話し掛け、退治屋の二人についてを話題に上げた。
「誠君と郁人君はどうしてあんなに互いに邪険にするんだろうね? 二人共悪い人間じゃないのに」
紗慧は、布団類のカバーを替えながら、首を傾げて応える。
「どうしてでしょうね。二人共大人ですし、『仲良く』とまでいかなくても、何もあそこまで、とは思いますよね」
すると、孝明は部屋の柱に寄り掛かった姿勢で顎を撫でながら、少し笑って言った。
「誠君が『ああ』なのは前からだし、仕方がないとは思うが、郁人君はどちらかと云えば、誰とでもすぐに打ち解けるタイプだろう? だが、誠君の事は気に入らない、という態度を取る。こう言っては何だが、若者とは実に面白いものだと思ってしまうね」
「面白い、ですか」
紗慧が手を休める事なく孝明に訊き返すと、彼は頷く。
「作家としての性分なのかな。少し閉じたところのある誠君に、君と郁人君とが関わる事で、どう響くのか、という興味がある」
紗慧は孝明の話を聞きながら少し考え、訊いた。
「誠さんはここへ来てどれくらい経つのでしょうか?」
孝明は視線を天井へ向けて過去を振り返ると、再び紗慧に視線を戻し、答えた。
「四年くらいかな。その前にもちょこちょこ見掛けた事があったけどね。ここで暮らすようになってからはそれくらいだと思うよ」
ややあって、彼は続ける。
「俺の印象だと、ヤス――泰倫と関わるようになって、少し丸くなったかなという感じだよ。
元々は、泰倫の亡くなった親父さんが、ここへ引っ張ってきた感じだったみたいだが。ここで暮らすようになる前に見掛けた時はもっと荒んだ感じの印象だったかな」
「そうなんですか……。あ、あんまり本人のいない所で、良くないですよね、こういうの。すみません」
紗慧は申し訳なさそうに眉尻を下げ、ぺこりと頭を下げた。
「いや、本人のいない所で話し始めたのは俺だから、謝る事はないよ」
孝明はおどける様に肩を竦めて言った。
紗慧が部屋を整え終えると、孝明は柔らかい笑みを浮かべて彼女に言った。
「場所にも仕事にも大分慣れてきたみたいだね。今度の休日には町の方まで出掛けて羽を伸ばしてきたらどうだい? 田舎だから、都会みたいな娯楽には乏しいけどね」
「そういえば、この辺りの事、私まだよく知らないんですよね。今度散歩に行けないか、誠さんか郁人さんに聞いてみます。ありがとうございます」
紗慧が頭を下げて礼を言うと、孝明は、顔の前で手を振って「いやいや」と応える。
「お礼を言われる様な事は何もしていないよ。というか、部屋の掃除をして貰って、礼を言うのはこちらの方だよ。ありがとう」
紗慧はにっこりと笑い、「どういたしまして」と返した後で、
「誠さんの事教えてくださって、本当にありがとうございます」
と、そちらの話にも改めて礼を言った。
紗慧は交換したカバー類やごみ箱や掃除の際に集めたごみを持って、孝明の部屋を後にした。
三日後、紗慧は休日であった為、朝、誠と郁人に、町に出掛けたいと告げてみた。
その日の警護担当が郁人であった事もあり、彼は「それなら一緒に出掛けよう」と、嬉しそうに言った。
誠はいつもと同じ様に面倒そうな顔をしながら、「好きにしろよ」と言っただけだった。
その日他に休日なのは真奈美だけで、彼女は既婚者で子供もいる為、前日の夜から自宅に帰っていた。故に、郁人の一緒に出掛けようとの申し出は紗慧にとって有り難くもあった。
郁人は旅館で生活するようになってから、見回りの為に近辺の地理を既に把握している。その為か、旅館があるこの御代多賀町ではなく、いくつかの町を越えた坂見という町なら小さいながらショッピングモールがあるからと、紗慧に提案した。
この近辺に疎い紗慧は、郁人の提案を受け、案内を彼に任せる事にした。
郁人は紗慧を案内する為の足として、自身の愛車を彼女に紹介した。
郁人の車は有名メーカーの四輪駆動車で、退治屋としての足として使う以上の愛着があるらしかった。艶消しの黒い車体は、手入れが行き届いていて綺麗だった。
紗慧は車やバイクには全く詳しくないが、郁人だけでなく、誠も自分のバイクをとても大事にしている様だと察していた。
紗慧は郁人の車の助手席に乗せて貰い、二人は午前の内に坂見へ向かった。
坂見は、御代多賀町よりも明らかに人口が多く、住宅も多いがその合間に商業施設もぽつぽつと見られた。
デパート型の商業施設と二階建てのショッピングモールがあり、住宅街寄りには商店街があった。
紗慧と郁人は、ショッピングモールの駐車場に車を停めると、モール内をゆっくり歩きながら見て回った。
二人がこの地域の人間ではないのは、地元の者からすれば明らからしく、歩くだけで人目を引いた。もっとも、注目を集めた大きな理由は、紗慧が美人である事でもあった。
紗慧は七分袖のカットソーにカーディガンを羽織り、タイトなジーパン、と、ラフな格好だ。髪の毛は頭の後ろでまとめてアップにしている。
郁人はVネックのシャツにカジュアルなジャケットを羽織り、彼もまたジーパンだったが、しっかりと鍛えられた体格と高めの身長によく映えるコーディネートだった。
二人共カジュアルな姿だが、洗練された雰囲気があり、周囲から浮いてしまったのだった。
ショッピングモールでの買い物は、紗慧がこちらの気候に合わせた洋服を何着か買い、本屋で孝明の書いた比較的新しい小説を見つけて買ったのだった。
買い物する間、二人は世間話をしたり、服屋ではどれが似合うかなどの話をしたりしていたが、恋人同士を想起させるような会話は互いに避けていた。紗慧の心の傷がまだ癒えていないのを、郁人もよく解っていて気を遣ったからだ。
昼過ぎに喫茶店を見つけ、二人は昼食を摂った。
喫茶店は商店街側にあり、紗慧は、ついでに商店街も少し見て回りたいと言った。
小さなコインパーキングに停めた車に荷物は置いてあったので、二人はそのまま商店街を一周するつもりで歩き始めた。
歩き始めて少しすると、紗慧は胸の奥が大きく脈打つのを感じ、同時に嫌な耳鳴りがして、思わず顔をしかめて立ち止まった。
それと同じくして、郁人も顔に緊張を走らせ、紗慧を気遣う様に見た。
「……妖が来てるな……。紗慧ちゃんも解るみたいだね。大丈夫?」
郁人は低い声で静かに訊いた。
「……はい。大丈夫です。――あの……、闘いになるんですよね?」
不安げに尋ねる紗慧に、郁人は頷く。
「この感じだと、かなり近い。安全な場所に連れて行きたいけど、下手に離れるのも危険だな」
紗慧は瞬間的に、山道道路で見た惨状を思い出して口許に手をやった。
「町中で妖が暴れたら……」
最後までは口にしなかったが、彼女が何を言いたいのかは郁人にも解っていた。
「急がないといけないのは解ります。私は車の方にいれば良いですか?」
「……そうだね。だけど気を付けて」
郁人は車のキーを紗慧に渡しながら言って、肩に手を置いた。
「ありがとうございます。郁人さんもお気を付けて。私、何も出来なくてすみません」
「ううん、何言ってるんだよ。謝る必要なんてない」
伏し目がちに言う紗慧に、郁人は力強く言う。その後で、
「心配してくれてありがとう」
と、僅かに笑みを見せた。
紗慧がキーを受け取って数歩後ずさると、郁人は彼女の反対側へ向かって駆け出した。
紗慧は不安で押し潰されそうな胸を抑え、駐車場へと向かった。
読んでいただきまして、ありがとうございます。
前書きにも書きました通り、きりの良いところで終わらせる為に、少し短くなってしまいました。
今後はもう少しボリュームにも気を付けていきたいと思います。