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彼方よりの。  作者: 秋生侑珂
第二章
31/34

反発の訳は・四

前回の続きです。

 (あきら)郁人(いくと)が騒ぎを起こしてから三時間程が経過し、泰倫(やすのり)はロビーで仕事を続けていた。

 玄関ホールでもあるロビーの片隅には、ソファーとテーブルが置いてある待ち合いスペースがあった。普段は、長期滞在中の作家・孝明(たかあき)や郁人が二人で、或いは旅館の従業員と談話室代わりにして過ごしている事が多かった。

 待ち合いスペースには飲み物の自動販売機が二台とごみ箱が置かれ、他にはマガジンラックと小さい棚が幾つか並んでいる。ラックには県内の観光情報が載っている雑誌類や季節の情報誌等が立てられており、棚には新旧入り交じって小説や漫画の文庫本が収められている。

 泰倫は、そのスペースの整理整頓をしていた。

 現在泊まりにきている親族達も二十二時を回っている為ロビーまでは出てこず、各々が部屋で休んでいる。

 ごみ箱の中身は既に回収されているが、目立つ汚れがないか確かめ、自動販売機は表面や押しボタン部分を中心に固く絞った布で水拭きする。マガジンラックの雑誌類は()に留まり易いよう並び方を整え、本棚の文庫本も列び順に乱れがないか確認する。

 テーブルを拭き、中央に置いてある(かご)に入った手鞠のミニチュアと折り紙細工の位置を直していると、廊下の置くから歩いてくる人影に気付いた。

「──紗慧(さえ)さん? こんな時間にどうしました?」

 彼女は勤務時間を終えて私服に着替えていたが、ダウンコートを羽織ってスニーカーを履いていた。

「あ……泰倫さん……。お疲れ様です」

 やってきた紗慧は彼の前で(あし)を止める。

「あの……誠君、まだ戻ってきてないんですよね?」

「ええ……──今から探しに行くおつもりですか?」

 訊き返された彼女は(うつむ)く。

「心配で……」

 泰倫はふっと苦笑して彼女に歩み寄る。

「こんな時間に若い女性が外を歩き回る方が僕は心配です。誠は大丈夫ですよ」

「すみません……。誠君が強い人なのは分かっているんですけど、あんな事があった後だから、どうしても気になってしまって……」

 彼女は肩にトートバッグを掛けており、俯きながら持ち手を握り締めていた。

「──バッグには何が入っているんですか? ライトとか?」

 努めて明るく、泰倫は尋ねた。

「あ、はい……。懐中電灯とポケットカイロと──お握りとお茶の水筒です。誠君が見つかったら渡そうと思って……。色々あったので、何かお腹に入れた方が良いんじゃないかなと……」

 おずおずと彼女は答える。

「紗慧さんは本当に優しいですね。誠の為に、そこまで考えてくださってありがとうございます」

 泰倫は、眼を細める様にして優しく微笑んだ。

「──だからこそ、夜中に一人で行かせる訳にはいきません。何かあったらいけませんから」

「……これ以上ご心配をお掛けしたらいけないですね……」

 紗慧は諦めた様に肩を落とし、バッグを下ろした。

「……お握りとお茶は、せっかく用意してくださったのでお預かりしても良いですか? 誠が戻ってきた時にお渡ししますよ」

 彼の言葉に、紗慧は顔を上げる。

「……誠君、戻ってきますよね……?」

「勿論。彼も少し頭を冷やしたいだけでしょう。心配は()りませんよ」

 励ますかの様に言い、彼は紗慧の肩を優しく叩いた。

「まったく、誠はこんなに心配を掛けて……。戻ってきたら充分言っておきます」

「あ……いえ……。私の事は気にしないでください。勝手にやっている事なので……」

「いいえ。勝手にだなんて。仮に誠がそう言ったら、流石に叱らなければなりませんね」

 冗談混じりに泰倫は笑う。しかし、半分本気なのだと、紗慧にも察する事が出来た。泰倫は穏和で寛容だが、意外にもものをはっきりと言う(たち)でもあった。それでも柔らかさを損なわない性格と物腰であるのが、彼の人徳でもある。

 紗慧は苦笑しながらバッグから更に小さなランチバッグを取り出して泰倫に渡す。

「中に水筒とアルミホイルに包んだお握りが入ってます」

「では確かに、お預かりします」

 彼は受け取ったものを両手で抱えた。

「──最近は冷え込みますから、温かくしてお休みくださいね」

 部屋に戻る紗慧に泰倫が言うと、彼女は頭を下げて返した。

「はい。泰倫さんも。お休みなさい」

「お休みなさい」

 互いに挨拶の言葉を交わし、彼女は廊下を引き返していった。


    ────────────


 紗慧と別れてから一時間後、泰倫は仕事着の印半纏(しるしばんてん)を脱いでダウンジャケットとマフラーを着込んでいた。

 私室で手早く身支度を終えると、紗慧から預かったランチバッグと懐中電灯を手に持って外へ向かう。

「──ふう。やっぱり寒いなあ」

 屋外へ出た彼は、白い息を吐きながら扉の鍵を閉める。こちらは旅館の玄関ではなく、従業員用の離れにある彼の私室から外へ出る扉だ。

「……さて。歩き──は、流石に厳しいな。車で先に町の方へ流してみて、いなければ山側を見てみるか」

 呟きながら裏手の駐車場へと脚を向けた。

 植木に囲まれた駐車場は綺麗に掃除されており、数台の乗用車が停まっている。道幸(みちゆき)の命日を迎える数日の内に、その台数がまだ増える事も分かっていた。

 泰倫は来客用の駐車場を奥へ進み、従業員用の車庫まで来た。

 そこに、彼はいた。

 車庫の壁に寄り掛かる様にして、誠は直接地面に座っていた。

「──お帰り。帰っているなら中へ入れば良いだろう。寒くないのか?」

 泰倫が歩み寄りながら静かに声を掛けるが、彼は黙ったまま視線を向けてきた。

「……………………」

 いつもの事、と言う様に、泰倫は肩を(すく)めると、彼の隣に腰を下ろした。

「…………何だよ」

 一際低く、囁き声の様に小さく言い、誠は横目で泰倫を見る。眼を細めている所為(せい)で、(ほとん)(にら)んでいる様にも見えるが、そうでない事を泰倫はよく分かっていた。

「『何だよ』はないだろう」

「……………………」

 再び彼は黙る。その沈黙に(とげ)はなく、しかし彼の気まずい思いを感じ取る事は出来た。

「──そうだ。お腹空いていないか?」

 泰倫は紗慧から預かったランチバッグのチャックを開けて、中からアルミホイルの包みを取り出した。

「……夕飯は食ったよ」

 素っ気なく言って顔を逸らす誠だが、泰倫は譲らなかった。

「せっかくだからいただきなさい。紗慧さんが用意してくださったんだ」

「…………また変な気を(つか)いやがって…………」

 誠がぼそりと言ったのを聞き逃さず、泰倫は彼の頭をぽんと軽く叩いた。

「──何すんだよ」

「そんな言い方はないだろう。紗慧さんは君の事を心配しているんだぞ。温かいお茶まで用意して。受け取らなければ僕も許さないぞ」

 いつも通りの穏やかな調子で泰倫はきっぱりと言う。

「は…………許さなければどうだって言うんだよ」

 誠の声には怒気や敵意は含まれておらず、どこか力の抜けた響き方をしていた。

「うーん……そうだなあ。どうしようか」

 彼は自分で言っておきながら苦笑いを浮かべて首を(かし)げた。

「……何だそりゃ」

「とにかく、いただいておきなさい」

 お握り二個分程の大きさの包みを、彼は誠の眼前に差し出し動かずに見守る。

「……………………」

数秒の間、誠はじっとしていたが、ついに溜め息を吐いて包みに手を伸ばした。泰倫は小さく頷く。

「……俺が受け取らなきゃいつまででもそうしてるんだろ、どうせ」

「うん、まあね」

 アルミホイルが微かに音をたて、中からラップで小分けされた大きめのお握りが現れる。

「……何でいつも人に気を遣うんだろうな、あいつ――あんた達は」

 彼はラップを剥がして海苔の巻かれたお握りを(かじ)って呟いた。

「気を遣う、とか、そういうつもりじゃないんだよ。少なくとも僕はね。きっと紗慧さんも、『友達』だからして当然の事だと思っているんじゃないかな。確かに、当然の事だと思ってはいけないけど、君が思う様な意味じゃないよ」

「………………」

 黙って口の中のものを噛みながら、彼は「ふん」と鼻を鳴らす。

「――寒くないのか?」

 ふと泰倫は尋ね、自身のマフラーを外そうとした。誠は出て行った時の格好のままで、上着を何も羽織っていない。長袖のトレーナーとワークパンツという、部屋着姿だった。

()らねえよ。平気だ。この気温に慣れてるからどうって事はない。あんたの方が風邪引きそうだから余計な事しなくて良い」

 彼は目線で泰倫の動きを制してそう言う。

「……また『余計な』なんていう言い方をする。断るにしてももっと言い方があるだろう? 僕は慣れているし、気にしないからまだ良いけど、紗慧さんや郁人君相手には少し控えなさい」

「………………」

 再び彼は黙り、お握りを食べ続けた。

「――ああ、お茶もあるんだ。ほら」

「別に要らな――あ、おい」

 泰倫は、誠が言い終えるより早く取り出したプラスチックカップにお茶を注ぎ、彼に差し出していた。

「はい、どうぞ。まだ温かいよ」

「…………ちっ」

 舌打ちで返す誠は、それでも渋々カップを受け取り、そのままぐいっと飲み干した。

「……僕も貰おうかな」

 独り言の様に呟き、泰倫はもうひとつカップを取り出す。

「――ふう。美味しいなあ。温まる」

 マイペースに自分で注いだお茶を、彼はのんびりと(すす)っている。誠はそれを呆れた様に横目で見た。

 少しの間、二人は何も言わず、誠は二つ目のお握りに取り掛かった。

「――……もしかしたら気付いているかもしれないけど、郁人君に悪気は全くないんだよ。君を嫌っている訳でもない。それは君も分かっておいた方が良い」

「……………………」

 誠は手(もと)に眼をやりつつお握りを囓り続ける。

「君だって、郁人君の事が嫌いって事もないんだろう?」

「…………ふん。どうだかな」

 彼は憎まれ口を叩く様な調子で返した。

 泰倫は微かに溜め息を吐いた。

「……君自身は、確かに誤解される事を恐れてはいないんだろう。でも、僕は――旅館の(みんな)も、君が誤解を受けるのを良く思ってはいないし、君が自分自身を誤解するのも悲しい事だと思っているよ」

「…………はあ?」

 泰倫の言葉に、誠はあからさまに首を傾げて見せる。

「……俺は自分を分かっている。自分の事を誤解するなんて、そんな莫迦(ばか)な事あるかよ」

「……どうかな」

 誠に偽りの意識は全くない。だが、泰倫は(うなず)かなかった。

「何だよ?」

「……君の事だから、嘘を言っていない事は(わか)るよ。だから、『誤解している』と言ったんだ」

「……分かんねえよ。何言ってるんだか」

 思った通りの事を、誠は言った。

「……ふむ。難しいな」

 泰倫の一言は、自分自身に言った様でもあり、誠に同意を求める様でもあった。

「それじゃあ一先(ひとま)ず、郁人君への理解に誤解がないかどうか、考えてみると良い」

「何だよ、それ」

 口の中のものを一度飲み込んでから、彼は泰倫を見た。

「言葉の通りだよ。君もこのままで良いとは思っていないんだろう?」

「……………………」

 何とも言えずに誠は口を閉ざす。

 泰倫はお握りがなくなったのを見、横に置いてあった誠のカップにお茶を注いで再び彼の前に差し出した。

「ゆっくりで良い。郁人君もそうすると言っていたよ」

「……………………」

 またも動じずにカップを勧め続ける彼に、誠は折れてそれを引ったくる様にして受け取った。先よりも(わず)かにゆっくりと(のど)に流し込んでいく。

「人の手によるものを食べて、温かいものをお腹に入れると気分も違うだろう?」

 泰倫はにこやかにそう言った。

「…………別に」

 低く呟く誠に、笑んだまま彼ははっきりと告げた。

「素直じゃない」

「……ふん」

 態度を変えない誠だったが、泰倫はそれ以上何も言わなかった。

 カップを握ったまま黙った誠は、少しして、小さく(かす)かな声で呟いた。

「…………そうやってると、あんたが()()()の息子だって事、改めて思い出すぜ……」

 (ほとん)ど独り言の様だったが、泰倫は聞き逃す(はず)もなく、誰にともなく言った。

「…………僕はあんなに立派な人間じゃない。父さんの代わりは誰にだって出来ないよ」

「……………………」

 ぐっと奥歯を噛み、カップを握り締めた誠は、僅かな間の後泰倫に向けて言う。

「…………悪い。言うべきじゃなかった」

「……何がだい?」

 泰倫は優しく首を傾げた。

「………………」

 何も言わず(うつむ)く彼に、泰倫は改めて微笑んだ。

「……謝らなくて良い。誠に(した)われていた父を、僕は誇りに思っているよ」

「……………………」

 彼は顔を伏せたままだったが、泰倫は何も言わず、自分も二杯目のお茶を注いでそっと啜った。

 ――泰倫はカップを空にすると、その場に立ち上がった。

「……さあ、そろそろ中へ入ろうか」

 彼に促されるまま誠も立ち上がり、彼に続く意思を示した。空いたカップとお握りの包みを片付け、泰倫は誠に念を押す。

「後で紗慧さんにお礼を言うのを忘れずにね。そして何より、郁人君に謝る事」

「…………うるせえ」

「口が悪い」

 悪態をつく誠に一言返すと、彼はそれ以上(とが)める様な事はせず、先立って旅館の玄関へ向けて歩き出した。そして僅かに(あご)を上げる。

「――ああ。いつもながら星が良く見えるなあ。双子座、オリオン座にシリウス――学生時代にもっと星の勉強をしても良かったと後になって思うよ」

 声を響かせないよう気を付けながら言うが、誠は興味がないという風に鼻を鳴らして応じなかった。それでも気にせず、優しい笑みを浮かべたまま泰倫は歩みを進めた。――彼にとっては、家族同然に思う誠が(そば)にいるのは、ごく当たり前で心地の良い空気なのだった。

読んでくださり、どうもありがとうございます。

次回で今エピソードは最後になります。

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