表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼方よりの。  作者: 秋生侑珂
第二章
30/34

反発の訳は・三

前回の続きです。

 泰倫(やすのり)朋花(ともか)が部屋を出て行くと、紗慧(さえ)は脱脂綿を湿らせて郁人(いくと)の唇の傷を拭こうとした。

「あ……紗慧ちゃん、自分でやるよ」

 少し慌てた様に言い、郁人は脱脂綿を受け取る。

「……頬の方も少し()り傷が出来てますね……」

 紗慧は次の脱脂綿を用意し、消毒液を付けて彼の左頬にそっと当てた。

「痛くないですか……?」

 心配そうに訊く紗慧に、郁人は笑んで応える。

「うん。平気だよ。ありがとう」

 郁人の左頬は、誠の拳が頬骨の辺りに当たった為か、擦れて(わず)かに血が(にじ)んでいた。その部分が中心となり赤く腫れている。口の中も歯が当たった所が切れていたが、出血はそれ程多くなかった。

 彼自身が言う通り、怪我は総じて酷いものではなかった。普段の(あやかし)との戦闘で負う傷に比べれば、(かす)り傷程度と()えた。だが、紗慧や泰倫を始めとする旅館の者達にとっては、『二人がつかみ合いの喧嘩をした』という事実を含めてショックがそれなりにある。郁人もそちらを気にしていた。

 紗慧は頬の()り傷を消毒した後、救急箱から出した傷薬の軟膏を指に取り、傷だけでなく腫れている部分にも薄く広げた。

「この薬、炎症止めとしても使えるらしくて、切り傷や擦り傷だけじゃなくて、多少の打撲ならある程度は効くみたいですよ。湿布薬程とはいかないみたいですけど。唇は――口に入っちゃいますね。どうしますか?」

 説明しつつ尋ねる彼女に、郁人は笑みを崩さず返す。

「唇は良いよ。すぐ治るし」

「そうですか?」

 軟膏を塗り終えると、彼女はガーゼ部分が大きめの絆創膏を選んで取り出し、()の下の皮膚に気を付けながら彼の頬に貼り付けた。

「後は――このアイス枕で冷やしてくださいね」

 彼女は指を拭いた後、手の平大の氷枕をタオルで包んで郁人に渡した。

「本当にありがとう、紗慧ちゃん。いつも『調整師』の力を使って貰ってるのに、こんな事までさせちゃって、ごめんね」

「いえ。私でお役に立てるなら。私も心配ですし」

 まだ不安げな様子の紗慧に、郁人は優しく苦笑した。

「……驚かせて、ごめん。怖がらせたよね。旅館が忙しい時なのに騒ぎを起こして……反省してるよ」

 彼は正直に告げ、改めて頭を下げた。

「そんな……私の事は気にしないでください。多分、旅館の人達も、心配しているだけじゃないかと思います。郁人さんの事も、(あきら)君の事も」

 彼は顔を上げると、複雑そうな顔をする。

「……高砂(たかさご)……、か……」

 それは紗慧に向けた言葉ではなく、独り言だった。彼女も察して黙っていた。

 その後、彼女は彼の分のお茶を淹れ、仕事に戻ると告げた。

「ホント、ごめん。他の人達にも後で謝りに行くけど、会ったらよろしく伝えて貰えるかな?」

「はい、分かりました。郁人さんも、気にし過ぎないでくださいね。喧嘩……っていうのも、仕方ない時はありますし」

「……うん」

「……私なんかが言う事じゃないかもしれないですけど、気持ちが落ち着いたら、仲直り、してくださいね……? 出来れば……お二人が仲良くしてくださる方が私も嬉しいです。――すみません、私がこんな事」

 紗慧は部屋をでる前に、言葉を選びながら、そっと手を添える様な調子で言う。

「いや、良いんだ。言ってくれてありがとう。心配掛けて悪かったよ」

 郁人は心からの気持ちを告げ、紗慧を見送った。



 しばらくすると、部屋の扉がノックされ、「中原(なかはら)です」と声がした。

 郁人はすぐにドアを開けに立ち、彼を部屋に招き入れた。

「――お疲れ様です。すみません、わざわざ来て貰っちゃって」

 郁人が言うと、泰倫は首を横に振る。

「いいえ。こちらこそすみませんね。バタバタして気を遣わせてしまいました」

 いつもの様に温和に応える彼に、郁人はお茶の準備を始める。

「ああ、僕が淹れますよ」

「良いんです。この位させてください。ご迷惑お掛けしているんですし」

 郁人ははっきりと言い、急須と二つの湯飲みをポットの残り湯で温めながら薬缶(やかん)で新しい湯を沸かす。郁人の部屋も、誠や作家の孝明(たかあき)の部屋と同様に小さなカセットコンロが備え付けてある。長期滞在者向けの部屋の多くはそうなっていた。

「迷惑なんて思っていませんよ」

 泰倫は苦笑して再び首を振る。

「あ、座ってください」

 郁人は食卓テーブルの前に座布団を持ってきて彼に勧めた。

「ありがとうがざいます。では、失礼します」

 慣れた滑らかな動作で膝を折り、彼は正座の姿勢で座った。

 湯が沸くと、郁人は湯飲みに淹れた緑茶を彼の前に出し、自分の分も用意してから彼の向かいに着いた。

「――この後またお仕事に戻るんですか? 時間、大丈夫ですか?」

 旅館の従業員の仕事着である印半纏(しるしばんてん)を羽織ったままの泰倫を見て、郁人は尋ねる。

「あ、ええ。ですがお気遣いなく。他のお部屋の方も今は任せられる状況で、私は休憩に入らせて貰いました。何か急に必要にならなければ大丈夫ですよ」

 答えた後、彼は郁人の左頬に視線を移した。

「……やはり少し腫れていますね。痛みますか? 退治屋の方はご自分に合った痛み止めを持っていると思いますが、こちらにも薬はありますので、必要でしたら遠慮せず言ってください」

「お気遣いありがとうございます。この位はなんともないです」

 「それより」と、郁人が言おうとしたところで先に泰倫が口を開いた。

「誠が、申し訳ありませんでした」

 彼は座ったまま眼を伏せ頭を下げた。

「え、いえっ。謝るのは俺の方です。その、泰倫さんや旅館の人達には、本当に何て言えば良いのか……」

 顔の前で手を振り、郁人はすぐに彼に頭を上げさせる。そして、言い淀みつつ言葉にしていく。

「高砂の事は……俺もカッとなったのは良くなかったです。あいつの態度に苛々してしまって……。――あ、言い訳とかそういうつもりではなくて……。俺にも非はありました。確かに」

 郁人は、泰倫に謝らせる様な事になった原因は自分にもある、と、意識しながら彼を正面から見た。

「……(たと)えそうだったとしても、手を出したのは誠ですから……。ただ……――」

 泰倫は一瞬考える様に黙り、すぐに言葉を続けた。

「僕が言うべきではないと承知で言いますが……。彼はこれまで無闇に人に手を上げる事はしませんでした。勿論、理由があれば人を傷付けて良いという事ではありませんが」

 彼の言葉に、郁人も頷き返す。そして、僅かにおどける様にして自身の左頬を指さす。

「あ、因みに、()()そのものは傷の内に入りませんから。少なくとも俺はそう思ってます」

「……僕にとっては、誠が人を殴ったという事が、重く感じられるのです」

 郁人の真意を察しつつも、泰倫は困った様に苦笑する。

「……やっぱり、泰倫さんはあいつの事、心配してますよね」

 それは、半ば自分に向かっての言葉だった。今度は泰倫が頷いた。

「心配なのは郁人君の事も、です。勿論。……どちらにしても僕は見守る事しかできませんから……」

 彼は俯き、その後再度顔を上げる。

「今回の事で何があったのかは、僕からは訊きません。それはあくまで郁人君と誠の間での事ですから。相談には喜んで乗らせて貰いますが。――当然ですが、今回の件で僕は何かを判断する立場にありません」

 決して突き放す様な調子ではなく、寧ろ温かい声音で彼は言った。その気遣いを、郁人は有り難く受け取った。

「ありがとうございます。――俺は『喧嘩両成敗』と親から教わったので、俺もあいつも悪かった、という事で。反省しています」

 すると、泰倫は僅かに首を傾げる様にして言う。

「どちらも悪くはない、という(ケース)もあるのではないですか? いえ、私には何とも言えない話なのですが。――とはいえ、良いご家族をお持ちですね。普段から郁人君を見ていれば(わか)る事でもありますね」

 にこやかな彼に、郁人はどう返すか迷ってしまう。

「……いえ、本当に。この場に姉がいれば最低でも三発は(はた)かれてるところです。『喧嘩になった時点であんたも悪い! 身内に恥かかせた分まで謝りなさい!』って」

 彼の言葉にを聞いて、泰倫はくすりと笑った。

「ご姉弟(きょうだい)仲も良いのですね。羨ましい。僕は子供の頃から兄弟が欲しいと思っていまして」

 そこで泰倫はふと自分の手(もと)に視線を落とす。

「誠がここへ来てからは、僕の方は彼を実の弟同然に思っていたのですが、なかなか伝わらない様で……。難しいものです。――ああ、すみません。こんな話をしてしまって」

 彼は頭を掻きつつ謝るが、郁人は首を横に振って応えた。

「いえ。構いません。立ち入った話を俺が聞いてしまって良ければ、話してください。泰倫さんが嫌でなければ」

 泰倫は優しげな苦笑を見せる。

「…………誠が本当に心を開いた相手は、僕の父だけなんですよ」

「! 泰倫さんのお父さん……って、『道幸』さん、でしたよね? 今度命日を迎えられる……」

 郁人の確認の問いに、泰倫は(うなず)く。

「簡単には想像がつかない話だとは思いますが、誠があそこまで(かたく)ななのは、育った経緯、生い立ちに原因があるんです。彼は、彼自身が『心を開ける位安全だ』と思える相手にずっと恵まれなかった。だから、ああして独りきりでいるのが自分にとって当たり前の事だと、そう思っているんです。そう、思わざるを得なかったのだと」

 そう言った時、彼の表情は悲しそうなものになっていた。

「ですが、父だけは違った。出会って程なくして父は彼から信頼を得られるようになり、彼がご親戚の家からこちらへ移り住んだのも、父が提案したからです。そうしても良いと、誠本人が思う位に父に気を許していた。……表面上の様子というか、態度は、父が生きていた時も愛想のないところは今と殆ど変わりませんけどね。旅館に住むようになる前に比べれば、柔らかくはなったかな」

 泰倫の語る『気を許した誠』の姿がどういうものか、今の郁人には想像出来なかった。それまでは、どこかで『泰倫とは気の置けない中なのだろう』と漠然と思っていたが、彼の話を聞く限りでは、現実のかたちは異なるのだと思い知らされる。

「で、でも……――あいつも今は二十歳(はたち)を過ぎた大人です。こんなに気に掛けて貰って、良くして貰っているのに、心を開かない――信用していないとしたら、それは(むし)ろ無礼とも云える位なんじゃないですか?」

 泰倫の事を思い胸が痛む感覚を覚えた郁人は、思わずそう口を挟んでいた。

「……郁人君がそう思うのだとしたら、それは貴方がコミュニケーション能力に長けているからだと思います。彼は――誠は、正確には、心を開かないのではなく『開けない』んです。人から信頼される経験も、人を信頼した経験も乏しいまま育ったからでしょう。どうすれば心を開けるものなのか、多分本人も分かっていない……」

「………………」

 そういった人間も存在するという事は郁人も頭では理解していたが、当人が一体どういう感覚なのか、上手く想像する事は出来なかった。自分に置き換えて考えてみようとするが、難しいと実感する。しかも、誠はその『ようやく巡り会えた信頼に足る人間』を、一人既に失っているのだ。そんな彼を真に理解するのは容易い事とは云えなかった。

「……すみません。あんな事があった後に聞かせてしまって。ですが僕は、誠を庇うとか郁人君を責めるとか、そんなつもりではないんです。そう捉えないで貰えると嬉しいです」

 そう言う泰倫の声は相変わらず優しく穏やかだった。郁人は、そんな彼に謝らせてしまった事を恥ずかしく思った。

「はい。それは充分(わか)っているつもりです。――……俺、もう少し考えてみます。あいつとの事を」

 郁人が泰倫の眼を真っ直ぐ見て言うと、彼は微笑んで頷いた。

「お願いします――と、僕が言うのもおかしいかもしれませんが」

「すみません。ここまでお気遣いいただいてしまって」

 郁人の言葉に、改めて彼はにこりと笑んで応える。

「――あの……ただ……」

「はい」

 迷いながらも続けようとする郁人に、彼も静かに先を促した。

「……俺自身の考え方として、やっぱり筋が通らないと思う事には、そう言います。あいつにの態度にも理由はあるんだろうと、話を聞いて思いました。でも、その上で、『それは違うんじゃないか』と、そう感じたら本人にそう伝えます。勿論、今日みたいな事にはならないよう気を付けますけど……」

「はい。そうしてやってください。僕も、彼には『口が悪い』と何度も注意してるんですが、治らないんですよね。全般的に頑固で困ります」

 郁人の言おうとしている事を汲み取った泰倫は、半ば冗談めかして言い、励ますかの様に笑った。

「……こんなに()い人が親身になってくれてるっていうのに。贅沢な奴だな、高砂は」

 郁人は本心のままそう呟いて肩を(すく)めた。泰倫は何も言わずに「はは」と笑っていた。

「ありがとうございます。泰倫さん。色々話してくださって。何かの形できっとお返しします」

 切り替えて言うと、郁人は座ったまま姿勢を正して深く頭を下げた。

「いえ、そんな。何もしていませんよ。何も出来なくて申し訳ないです」

「そんな事はないです。全然。本当に」

 念を押す様に強く言う彼に、泰倫は柔和に言葉を掛ける。

「退治屋の仕事も大変ですが、頑張ってください。彼との事も。僕は――多分隆司(りゅうじ)さんもそうだと思いますが、貴方達二人を信じています」

 郁人は気持ちを改めて頷いた。

「はい。精進します」

 言ってから、ふと気が付いて郁人は泰倫に尋ねる。

「あの、気を悪くされたら申し訳なんですけど……、今度、お父さんの――道幸さんのお仏前にお線香を上げさせて貰っても良いでしょうか? 俺会った事がないのに、失礼なのは分かっていますが、挨拶だけでもさせて貰えたら嬉しいです」

「気を悪くするなんてとんでもない。失礼でも何でもありませんよ。嬉しいです。ありがとう、郁人君。父もきっと喜びます。人間(ひと)好きな人だったので尚のことです」

 泰倫は心から嬉しそうな笑顔を見せた。

「――まずは、ゆっくり休んでくださいね。頬もきちんと冷やしておかないと」

 そう言って彼は、郁人がテーブルに置いた氷枕を手に取って郁人に差し出す。

「あ、はい……。すみません。これ、一晩お借りします」

 慌てて郁人が受け取って断ると、彼は笑顔のまま頷き返した。

 郁人は抱えていた苛立ちと胸のつかえを振り(ほど)けた様に感じ、考えの整理に向けて気持ちを新たにしていた。

読んでくださり、どうもありがとうございます。

もう少し続きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ