涙と花を・三
前回からの続きです。
毎回暗めの話で申し訳ありません。
花を買いに寄ってからは特に問題も起こらず、誠は淡々とバイクを走らせ紗慧を運ぶ事に徹していた。
紗慧も彼の運転の妨げにならないよう努め、彼は彼女が乗り慣れないバイクに疲れていないかを確かめる為に時折停車させ様子を窺っていた。
誠は自他の体力差の程を推し測る事を苦手としている為、彼女が後方のタンデムシートでどの程度消耗するものなのか、確認せずに察する事が難しかったからだ。
目的地である多賀依濱の山道に入るには、旅館のある御代多賀町から多賀依濱町へまず向かう必要があった為、道のりは決して短くはなかった。
しかし結果的には、紗慧は彼が思うよりも元気で、目的地に向かう途中で疲れきってしまう事もなく、順調に進んでいけた。
山間の自動車道の登り坂を、背後の紗慧に注意しながら走っていくと、やがて覚えのある地点まで辿り着いた。
山の中腹を過ぎた辺りでカーブが幾つか続いた後、トンネルに繋がる路――そこが、紗慧が初めて妖に襲われた場所だった。
そして、通り掛かった観光バスの乗客や乗用車に乗った一般人が、妖によって犠牲になった場所でもある。
誠は記憶しているその場所の手前に停車し、紗慧を降ろした。そしてバイクが邪魔にならないよう、ガードレールに沿わせてぎりぎりまで道路脇に寄せて駐車する。
今度は誠もヘルメットを脱いで、グローブも手から外した。
「――……あそこだ」
紗慧からヘルメットを受け取った誠は、三月の終わりにバスや乗用車が横転し滅茶苦茶になった辺りを指差した。
「…………うん。分かるよ」
彼女は誠の方を見ずに頷くと、小さな声で応えた。それは静かで落ち着いた声だったが、彼女の普段の振る舞いからは遠く思える声色だった。
紗慧がそちらへ向かって歩き出すのを見、誠も後ろから付いていく。
当時、ガードレールがひしゃげ、車輌の残骸が散乱し、アスファルトに異常なタイヤ痕が幾つも残っていた道路は、綺麗に整えられていた。
その現場を見た事がなければ、そこで多数の人間が命を落とした事も、それがどれ程凄惨な光景だったのかも、全く分からない状態になっている。
温かな陽の光が照らす道路に陰りはなく、車の通りも少ない為、今の景色は穏やかそのものだ。
だが、紗慧の瞼の裏には、それが焼き付いている。
それは、彼女がそれまでの日常から切り離された瞬間の光景であり、理不尽な命の終わりを彼女の記憶に刻んだ象徴のひとつだった。
紗慧は、記憶と余りにかけ離れた平和な様子に、軽く目眩を覚えた。
同時に、当時見たものが次々と脳裏に鮮明に蘇り、息が詰まる。
紗慧が立ち止まると、誠は彼女から眼を離さない様に気を付けつつ、自分も立ち止まって『そこ』を視界に捉えた。
誠にとってその場所は、自身の至らなさから死者を多数出したという無念と自責を強く感じさせる場所だった。
自分がもっと早く到着していれば、紗慧以外の者も助けられた筈だった――彼はそう思わずにはいられなかった。
退治屋の目的は、妖に対抗する術を持たない人間を妖から守る事だ。その為に妖と闘い、妖を倒すのだ。
現れた妖を全て倒せたとしても、その場にいた人間を助けられなければ、その目的は半分しか達していない。何より優先すべきは人命であり、それを失してしまった事は、誠にとって敗北と同義だった。
その事を、当時誰も責める事はなかった。
事情を一通り聞いた泰倫も、報告を聞いた上司の隆司も、恋人を失った紗慧ですら、『何故もっと早く対処出来なかったのか』と彼の不手際を非難したりはしなかった。
彼は他者に後ろ指を指される事には慣れていたが、自身が心から悔いている過ちを誰からも咎められないという事には不慣れであり、それも自分自身に対する怒りを掻き立てた。
紗慧が『その日の事』を悲しむ様は、誠を苛む感傷そのものだった。
故に彼は、彼女とここへ来る事に本心では抵抗を感じていた。が、彼女が辛い記憶と向かい合おうとするなら、その事から眼を逸らす訳にはいかない、そう考え、彼も了承したのだった。
――立ち止まった紗慧は、誠を振り返った。
「……お花、お供えさせて貰うね」
「…………任せる」
誠が頷くのを見てから、紗慧は鞄からカーネーションの花束を一束取り出し、セロファン等のラッピングを全て外した。そして、道路にはみ出ないよう、舗道の外側の草の茂みに置く。
自身もガードレールに身体を寄せ、そこで立ったまま眼を閉じ両手を合わせた。
誠は、俯いて黙祷する彼女を眼を細めて見つめた。
彼が献花や墓参りの作法を知らないのは事実だったが、それ以上に、自分がそこで祈る事に意味があるのかが疑問だった。
そこで犠牲になった人数は把握しているが、その一人一人を知らず、誠は紗慧の様に彼等と同じ『被害者』という訳でもない。
助けられたかもしれない命を救う事が出来なかった自分が、彼等に祈る事が赦されるのだろうか――誠は胸の内生じたその疑問を無視出来ず、ただ立ち尽くすしかなかった。
――陽は随分高くなり、相変わらずの小春日和が続いていた。
二人は車道から外れた森の中へ入っていた。
紅葉の始まった山は、輝く様な緑とは違った美しさを静かに湛えている。
自動車道の通る付近の観光スポットとは異なり、二人のいる辺りは人が好んで歩く様な場所ではない為、人気もない。
季節を考えるなら山菜を目当てに人が入ってきてもおかしくはないのだが、この辺りは地元の人間は寧ろあまり近付かないという事を、誠も以前から察していた。
恐らくは、昔から神隠し等の形で妖の被害が出ていたのだろうと、退治屋である誠や隆司だけでなく、この地域に根差している家系の泰倫もそう考えていた。
――誠は記憶を手繰り寄せながら『その場所』を探す。
道中に闘いの痕跡はもう殆ど残ってはいないが、当時森の中をどう進んだのかは大まかに覚えている。
まるで当時の様に、後ろからついてくる紗慧を意識すればする程、よりはっきりと思い出す事が出来た。
やがて、森の中にやや開けた場所が現れる。
そこは立ち並ぶ木の幾つかが折れたままになっており、その事からも『その場所』で間違いないと確信出来た。
「……ここだな」
今度は意識的に紗慧に言ったのではなく、自然と溢れた独り言だった。
「………………」
紗慧はふらりと誠の前へ進んでいき、一本の木の根元近くまで歩み寄った。
誠が教えるまでもなく、彼女は『彼』の最期の場所を覚えていた。
紗慧は無言のまま鞄を降ろして花を取り出そうとする。が、先の様にスムーズにはいかず、時間が掛かってしまう。
「……邪魔なら俺は離れるが」
誠が静かに問うと、紗慧は前を向いたまま首を横に振った。
「……出来れば一緒にいて。誠君が嫌じゃなければ……」
普段から想像もつかない程、か細く頼りない声だった。
「…………分かった」
彼もただ頷くしかなかった。
ようやく取り出した花束から包みを外し終えた紗慧は、それを両手でしっかりと抱えて『そこ』に近付く。
しゃがんで花をそっと横たえた後、彼女はそのまま手を合わせて眼を閉じた。
「………………」
誠は、彼――柏崎昇の最期を思い出した紗慧が、その凄惨な記憶が蘇る事に耐えられるのかが心配だった。それは心配というより、不安という感覚に近い。
「…………っ……ぅ……」
紗慧が肩を震わせ、微かに嗚咽を漏らすのが不意に聞こえた。
しかし、自分にはどうする事も出来ないと分かっているが故に、誠は身動ぎする事も出来ずただそれを見守っていた。
誠は、自分ならそんなところを他人に見られるのは耐えられないだろうと思い、だからその場を離れていた方が良いのではと考えたが、紗慧の返答は彼の想像とは違っていた。
何故、その様に他者に対して自分を曝け出せるのか、彼には不思議でならなかった。
しかし同時に、彼女の姿は自分の無力さが生んだものだと思い知らされ、彼は密かに唇を噛む。
「――ごめんなさい……。誠君は困っちゃうよね……。分かってるんだけど……」
必死に嗚咽を呑み込もうとしながら、紗慧は誠に言った。
「…………別に。俺にどうこう言う権利なんかないし、言うつもりもない」
相変わらずどう言えば良いか分からず、誠はそう返すが、内心ではそれが正しい返答ではないという事だけは何となく分かっていた。
紗慧はしゃがんで顔を伏せたまま、時折小さくしゃくりあげながら誠に話す。
「……誠君が、責任を感じてるかもしれないって分かってて頼んで、それなのにごめんね。私がこんな風だったら、誠君だってきっと色々思い出すだろうし、責められてる様に感じるかもしれないって――」
「何を――何を言ってんだあんたは。そんな事謝られて俺が嬉しいと思うのか? 俺にどうしろって――いや、そうじゃない……違う」
彼女の言葉に、誠はかっとなり掛け、しかしそれを抑えようと口許に手をやる。
「ごめんなさい。でも私、今日は本当に――」
紗慧が振り返って誠を見、言葉を続けようとした瞬間だった。
見えない何かに心臓を掴まれたかの様な圧力を感じると同時に、強烈な耳鳴りがして、誠は思わず息を詰めながら叫んだ。
「常世が開く……! 妖だ!」
「――――っ!」
誠に一瞬遅れて紗慧もそれを感じたらしく、胸を抑えて蹲った。
誠はすぐさま上着やシャツを脱ぎ捨てると、次の瞬間には闘身へと姿を変える。
そして、背中の翼を開くと、蹲る紗慧の身体を覆う様に大きく広げて彼女を庇う姿勢をとる。
「すぐに常世が開く。ここに、だ。こんな間近じゃ生身の人間には耐えきれない負荷になるが、あんたは『調整師』だ。俺が盾になれば凌げる筈だ。いいか、じっとして何とか堪えろ」
彼は焦りを見せながらも紗慧に強く呼び掛けた。
「う、うん……!」
まるで強大な重力に押し潰されるかの様な圧力を全身に感じ、身体の内側から沸き上がってくる不快感は耐え難い程だったが、それでも紗慧は何とか返事をする。そして、それを感じた瞬間よりも、その不快感が幾分も和らいでいる事を実感した。誠が彼女を翼で覆ったと同時に、彼の『気』が受ける負荷を緩和しているのだと、彼女にも感覚的に理解出来た。
紗慧は、拙いながらも、自身の『気』を意識して身を守る為に巡らせる。全身の『気』が滞る事のないよう意識し、外界からの負荷に耐えられるよう自分自身を堅く保つ、と、強くイメージする。
一際強い衝撃を受けたかと思うと、数瞬後には感じる圧力が大幅に減った。
「――牧野、大丈夫か?」
誠の腹に響く様な声にはっとして、紗慧は顔を上げた。
「……あ、誠君……」
まだ上手く声が出せずに咳き込む彼女から翼を離し、誠は告げる。
「……連中が出てきやがった。あんたは離れていろ。奴等はここに固まっている様だから、戦闘に巻き込まれない距離を取って退避していれば手出しはさせない」
「分かった……。離れ過ぎない様に、した方が良いんだよね……?」
「何かあったら大声を上げろ。俺の耳なら戦闘中だろうが拾える」
よろめきながら立ち上がる紗慧を見てから、誠は背後に現れた敵を振り返った。
紗慧も自身の眼で妖の姿を捉え、その反対側へ向かって走る用意をする。
誠は素早く靴を脱いで放り、同時に紗慧の背中を軽く押し出した。
「行けっ」
「誠君も、気を付けて……!」
彼の合図を受けて駆け出した紗慧は、余計な事と知って彼に言葉を投げ掛けた。
「…………」
誠は返事をしなかったが、彼女が無事走る事が出来たのを確認して小さく息を吐いた。
〈女ダ。女ヲ、捕マエル〉
現れた妖達はぞっとする様な歪な声で口々に言う。
誠は彼女が走り去った先と妖の間に立ちはだかり、自身を中心に左右上空へ電撃を迸らせる。
「……よりにもよってこんな場所に、それも最悪のタイミングで出てきやがって……!」
怒りを露にした誠は、敵に向かって吼えた。
誠の闘身の特徴である蒼い肌に覆われた大きく隆起した筋肉、そして背中の翼に至るまで、彼は全身で放電し、敵を威圧して怯ませる。
「……十一、か……。数はいても小物ばっかりじゃねえか」
素早く数を確認してそう吐き捨てた誠は、それでも気を抜かずに身構えた。
花を手向けたばかりの場所で闘わなければならない怒りとやるせなさで、彼は感情的になっていた。
だが、確実に敵を倒す為に感情任せにはしない、と、自分に言い聞かせた誠は、場に満ちる『木気』に自身の『気』を通わせて敵――妖を睨んだ。
読んでいただきまして、ありがとうございます。
このエピソードは四話構成なので、次で最後になります。
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