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彼方よりの。  作者: 秋生侑珂
第二章
24/34

涙と花を・一

不定期で間が空きがちななってしまい、申し訳ありません。

今回のエピソードは序章部分と深く関わっている話なので、必要があればそちらを読み返していただければと思います。

「――荷物はこれでよし。服も、大丈夫かな」

 誰にともなく呟きながら、紗慧さえは立ち上がって自分の身体を前から背中まで見回した。

 紗慧は自室で出掛ける準備を整えていた。

 彼女が暮らす遥鳴堂ようめいどう旅館りょかんの住み込みの従業員用の部屋は個室で、必要な家具類は始めから揃っていた。その一つであるクローゼットの、扉の内側に付いている姿見で、彼女は背負ったリュックサックも含めて乱れがないかを改めて確認する。

 ライトグリーンの長袖シャツに明るく淡い色味の黄色いパーカーを羽織り、下はストレッチ素材のデニム風ロングパンツ、というカジュアルな出で立ちで、髪型もサイドに一纏めにしている。

 旅館で働くようになってからは和装でいる時間も長い紗慧は、自身でもこの様に活動的な格好をしたのは久し振りに感じられた。

 この後どこへ何をしに向かうのかを考えると、黒い服を選びたくなってしまうが、そこは山の中でもある。あまり暗い色の格好をしてしまうと何かあった時に困るかもしれないと、こうした明るい色味で纏めたのだった。

 紗慧はクローゼットを閉め、準備の為に出したものを全て片付けたか見直してから部屋の出入口へ向かう。

 腕時計を見て、待ち合わせの時間まで余裕がある事を確認し、彼と約束をした五日前の夜を思い出す。

あきら君、やっぱり迷惑に思ってるかな……)



 その日の夜、仕事を終えて私服に着替えた後、紗慧は誠の部屋を訪ねた。

 普段通りならこの時間の彼は既に夕食を済ませている筈だったが、紗慧は彼の就寝時間までは把握していない為、遅くなり過ぎないようにとタイミングを計って彼の部屋の扉をノックした。

 ややあって扉が開くと、誠が気怠げな顔を見せた。

「あ……こんばんは。こんな時間にごめんね。ちょっと話があって……」

「…………」

 彼は無言のまま紗慧を見たが、数瞬後、やはり黙って顎で室内を指した。

 最近では紗慧も誠との接し方に大分慣れてきており、彼が表情や態度で不機嫌そうに見えても、本当に不機嫌なのかどうかは大体分かるようになっていた。今も、面倒がっている事は隠していないが、ただそれだけの様に見える。

「……お邪魔します」

 紗慧は断ってからサンダルを脱ぎ、彼に従って部屋へ上がった。

 誠の部屋は長期滞在者向けの部屋で、トイレと洗面所の他に二間程あり、手前側に食卓用の座卓が置かれている。奥側とは襖で仕切る事も出来るが、彼は基本的にそこを開けたままにしており、こちらからも奥に備え付けられているタンスや古風な文机ふづくえ、テレビセットなどが見える。

 彼と郁人いくとの旅館内での立場は、下宿などの居候に限りなく近いものの、仲居は客と同じく彼らの世話をする。しかし、泰倫やすのりは二人と紗慧の関係性を考慮し、彼女に二人の部屋の掃除などを任せる事は少なかった。故に彼女は誠の部屋を出入りする機会は比較的少ないのだが、その少ない機会の内に、彼が自室を散らかしていたり私物を雑然と放置しているところを見た事はなかった。

 この時も、彼の部屋は置いてあるものの殆どが『定位置』から動いておらず、一時覗いた程度では彼の生活の様子を窺い知る事は難しかった。

 郁人や旅館の常客である孝明たかあきも部屋を常に綺麗に保っているが、誠のそれは生活感に乏しいという所感が勝る。

 紗慧から見ると、それは寂しさを感じる程だった。まるで、『いつ自分がいなくなっても困らないよう』にしているかの様だ、と。


 さっさと食卓を前に座る誠を待たせないよう、紗慧も急いで彼の対面側に回ると、彼は部屋の隅に重ねてある座布団を視線で示して言った。

「必要なら使え」

 彼は座布団自体を使わないらしく、いつも食卓周りには何も敷かれていない。

「ありがとう。大丈夫」

 紗慧は笑んで応え、腰を下ろした。

「突然ごめんね。休んでるところに」

 改めて彼女が謝ると、誠は僅かに眉根を寄せて、素っ気なく返す。

「話があるんだろ。そうじゃないなら追い返してる」 

 苦笑した紗慧は小さく頷いてから、まず気になっていた事を尋ねてみた。

「――あ、腕や身体の調子は……大丈夫?」

 この日は、誠と郁人があやかしとの闘いで負傷した日から一週間目だった。

 彼らがいつもより深い傷を負った事を知った紗慧は、泰倫や孝明同様二人を心配し、慌てたが、二人共他者に弱音を吐く事をしない性格である事も分かっていた。そして、泰倫があくまで平時と同じ様に誠と接しているのを見、紗慧もそれに倣う事にしたが、やはり心配なものは心配だった。

 誠は紗慧に訊かれると、やはり顔をしかめる。

「もう治ってる」

「そう……良かった」

 微笑む紗慧に、彼は何か言いたげだったが、口を開く代わりに軽く鼻を鳴らして眼を逸らした。

「あ、それで、話というか、お願いがあるんだけど……」

 紗慧は姿勢を直し、気持ちも切り替えて切り出す。

「だから、何だよ?」

 再び視線を彼女へと戻すと、彼は言葉の続きを待った。

「今度のお休みに、行きたい場所があって」

「……俺にわざわざ言うって事は遠出か?」

 彼は訝しげな表情を隠さない。

「遠出というか……山の方で」

「山?」

「そう。多賀たか依濱いはまの方の……。誠君に初めて助けて貰った場所。あそこに行きたいの」

 紗慧の言葉に、誠は一瞬動きを止め、上目遣いに彼女をじっと見た。

「……何しに行くつもりだ?」

 紗慧は小さく息を吸い、いつも通りの調子で答えようと努める。

「……お花をお供えに行きたくて。のぼるさんにはまだお墓がなくて、お参りに行く場所は他にないから……」

「…………」

 誠は聞きながら手許に視線を落とし、何か考えている様だった。

「……私、あの後――『捜索』に同行した後は、一度も『あの場所』に行けないままで……。でもそれじゃいけないと思う。そのままにしたくないの」

 紗慧は婚約者の柏崎かしわざき昇の顔を思い浮かべながら、一言ずつ呟く様に言う。

「……無理をする事にも、急ぐ事にも、意味があるとは思えない」

 迷う様に黙り込んだ後、誠は口を開いた。その声にも迷いの色が滲んでいる。

 微かに口許で笑んで、紗慧は首を横に振った。どうしてその様な表情になったのか、彼女にも分からなかった。

「無理はしてない。半年、時間はあったもの」

 誠は再び上目で紗慧を見、慎重に言葉を選んでいる。

「泰倫には話したのか?」

「うん。中原なかはらさんは、私が今だと思うならそうしたら良いって」

「………………」

 彼は一瞬黙ったが表情に変化がなく、紗慧には彼の考えは読み取れない。

 その後すぐに、彼は髪を雑にかき上げながら息を吐いて言う。

「……まあ、あんたがそうしたいって言うなら好きにすれば良い。俺が口を出すのも筋違いだしな。妖の件もあるから、護衛は必要だろうが」

 紗慧は、「ありがとう」と小さく言ってから、話を進める様に続けた。

「出来れば誠君に一緒に行って貰いたいんだけど……」

「俺が? 何でだよ? ……賀茂橋かもはしで良いだろ。あいつなら前も喜んで同行してたんだし」 

 彼はまるで予想外だったという風に、僅かにだけだが眼を見開き、その後眉根を寄せた。

「……私、『あの場所』の正確な位置が分かるか自信がなくて。あの時は色々あって混乱もしていたし……。誠君なら土地勘もあるから、ある程度は覚えてるんじゃないかと思って」

「場所……――ああ……」

 今度は眼を細めて視線を逸らし、彼は唸る様に声を出す。

「……確かに、山に入って下手に動くと迷うか。賀茂橋じゃ細かくは分からないだろうしな……」

 呟いた後、彼は諦めた様に大きく息を吐き出して言った。

「……仕方ねえ。付いて行ってやるよ」

「ごめんね。私の個人的な事情なのに」

 紗慧が眉尻を下げてすまなそうに言うと、誠は小さな声で「別に……」とだけ応える。

「ありがとう、誠君。よろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げる紗慧を見る誠の顔には、複雑そうな表情が浮かんでいた。

 その後出掛ける日時の打ち合わせをしてから、彼女は彼の部屋を後にしたのだった。



 ――誠との約束では、待ち合わせ時間は午前九時三十分頃の予定だった。

 現在の時刻は約束よりも三十分以上早いが、紗慧は出掛ける前に泰倫と郁人に声を掛けていくつもりでいた。

 下駄箱からスニーカーを取り出し、廊下用のスリッパを履いて部屋を出ると、旅館の離れと母屋を繋ぐ連絡通路へと向かう。母屋の廊下は離れと違い土足で歩ける為、そこで靴に履き替えればそちらの玄関から出掛けられる。

 連絡通路の出入口の下駄箱まで来た時、丁度母屋側から泰倫が扉を抜けて入って来たところだった。

「あ、紗慧さん。そろそろ出掛ける時間ですか」

 泰倫は紗慧に気付いて優しく笑い掛けた。今朝は既に顔を会わせており、朝の挨拶は済ませている。

「はい。行ってきます」

「今日は良い天気ですが、山の方は急に気温が下がる事もありますから、身体を冷やさないように気を付けてくださいね」

 いつも通りの穏やかな調子の彼に、紗慧も笑顔で頷く。

「この前アドバイスをいただいた通り、上着も余分に用意してあります」

「本格的な登山やハイキングという訳ではありませんし、重装備は必要ないとは思いますが、備えておいて損はありませんからね」

 彼はワイシャツに紺色の印半纏しるしばんてんという、仕事をしている時の格好だった。それを見て、紗慧は少し申し訳ない気持ちになる。

「……すみません。お仕事中に」

 すると泰倫は、苦笑して首を横に振る。

「いえいえ。特に忙しい訳でもないですし。紗慧さんは気を遣い過ぎですよ」

 思わず「すみません」と繰り返す紗慧だったが、彼はそれを受け止める様に微笑んで返した。

「ともかく。何事もなく帰ってくる事を願っていますよ。誠もいますから、大丈夫だとは思いますが」

「はい。ありがとうございます」

 紗慧は応えた後、頭を下げて明るく挨拶する。

「では、行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 にっこりと笑う泰倫に温かさを感じながら、紗慧は彼と別れた。

 今回の件だけでなく、普段から紗慧の相談にも快く応じてくれる彼は、旅館内では誰にとっても兄や父の様な存在だった。彼より歳上の者も勿論いるが、皆大なり小なり彼から世話を受けている意識をどこかで抱いていた。その様な存在感は、得ようとして得られるものではなく、自然と『そうなっている』ものだ。

 紗慧は旅館で暮らすようになってから、誠と泰倫のやり取りや関係性を見、彼らを歳の離れた兄弟の様だと感じていた。そしてそれは、『皆が泰倫を慕い、泰倫も同様に皆を慕い、その事に敬意を払う』という関係性の内に生じるものとは異なるものなのだと、彼女も気付いていた。

 誠本人が泰倫を兄の様に感じているかは紗慧には分からなかったが、そうであれば良いと、心から思っている。

 いつも誰に対しても距離を置く誠にも、泰倫の『行ってらっしゃい』の一言が、家族に向けられる温かさを伴って届いている事を、願っていた。


 紗慧が旅館の母屋へ来ると、すぐに郁人と会う事が出来た。

 彼は一階の玄関ホールから近い廊下の窓辺にいた。

 その廊下は中庭に面しており、その庭の側は部分的に足許あしもと近くまでの大窓になっている為、サンシェードが上がっていればそこから庭園を眺める事が出来る。

 郁人は大窓の辺りではなく、そこから少し奥へ進み、壁の高い位置に設えられている採光と換気用の窓のもとで寛いでいた。

 高い位置といっても、郁人の身長であれば窓枠に余裕で手が届く。彼はその窓を少し開け、軽くもたれながら外を眺めていた様だった。天気の良い昼間、彼が時折そうしているところを、紗慧も見掛ける事がある。

「あ、紗慧ちゃん。おはよう」

「おはようございます」

 郁人は紗慧に気付くと、窓から離れて彼女に笑い掛けた。

「これから出掛けるところ?」

「はい」

 紗慧が頷いて返すと、彼は「そっか」と言いながら彼女の格好を見る。

「そういうカジュアルな雰囲気も似合うね。可愛い。和服姿も好きだけど」

 何でもない様にさらりと言う郁人は、紗慧が言葉を返す前に少し寂しそうな表情で続けた。

「俺が行ければ良かったんだけどな……」

「すみません」

 思わず謝る紗慧に、郁人は苦笑する。

「紗慧ちゃんが謝る事じゃないよ。――今日は俺も旅館で待機だから、何かあったらいつでも携帯で連絡して」

「ありがとうございます、郁人さん」

 紗慧が笑顔を見せると、彼もはにかむ様に笑った。

 ふと、紗慧は郁人の左肩の辺りに眼を向ける。

 彼は長袖のシャツを着ているが、襟からは左肩に当てたガーゼの端が見えている。

 先日の闘いの後、誠も郁人も傷付いていたが、誠が既に傷を完治させているのに対して、郁人の方はまだ完治に至っていなかった。

 彼は直後は左腕を吊っていたが、「医者が言うより酷くはないし、治りも早いから」と、すぐに止めた。確かに、彼も自然治癒力は常人よりも高いが、誠と同等とまではいかず、元の傷の深さも誠よりは深かった為、まだ治りきっていない。

 数日前までは包帯を使っていたが、現在はガーゼをテープで固定して保護する程度になっており、完治も近いのだろうと、紗慧にも分かる。しかし、そこまでの大怪我をした事のない彼女には、それでも痛々しく感じられる。

「――あの、肩はどうですか?」

 紗慧の言葉と自身の肩に向けられた視線に、郁人は反射的にその左肩に手をやった。

「ん? ああ、平気平気。もう殆ど治ってるから」

「すみません……心配で」

 誠に対して、具合を気にして不機嫌にさせた事を鑑みて、郁人も多少は疎ましく思うのだろうかと、紗慧は気を遣ったが、彼は笑顔のまま首を横に振った。

「そんな、謝らないで。心配掛けてごめん。でも、ありがとう」

「いえ。私にはその位の事しか出来ないので……。郁人さんが元気そうなので、少しほっとしてますけど」

「うん。全然元気だよ」

 郁人は言いながら、にかっと笑って見せる。

 彼が浮かべる笑顔は、普段は爽やかで大人びているが、こうして無邪気な表情で笑うと、まだ少年の面影が残っている様に思わせる。

「次からは、紗慧ちゃんに――旅館の人達にも、心配掛けないよう、今以上に気を引き締めないとね。誰の為にも、怪我しないのが一番だし」

 郁人が紗慧を元気付けようとするかの様に明るく言うと、彼女もそれに応えようと笑みを返した。

「そうだ。これ、良かったら」

 ふと思い出した様に言うと、彼はポケットの中から小さな平たい箱を取り出して紗慧に差し出した。

 受け取った紗慧はそれを見て、

「キャラメル、ですか?」

と、郁人に視線を戻す。

「そう。疲れた時とか、結構効くからさ。……もしかして、あんまり好きじゃなかった?」

「いえ、そんな事ないですよ。大人になってからはあんまり食べてなかったですけど。郁人さんは好きなんですか?」

 訊かれた郁人は、屈託のない表情で答える。

「俺、昔は部活で陸上やってたし、辞めた後も好きで走ったりしてたから、糖分が必要な時に食べる習慣があって。何するにしても、血糖値の維持って大事だよ」

「そうなんですか。運動部だったんですね」

 頷く紗慧に、彼は優しく続けた。

「紗慧ちゃん、細いし、仕事もいつも一生懸命やってるから、ちゃんと糖分も摂ってるかなあって心配でさ。甘いもの一口食べるだけで気持ちも結構違うよ。嫌いじゃなければ、だけど」

「私も休憩中にお菓子いただいたりして、食べてますよ」

 筋肉質ですらりとした体型の郁人に言われ、紗慧は少し慌てた様に返す。

「そう? それなら安心かな。お節介だったらごめんね」

「そんな……。ありがとうございます」

 あくまで爽やかな振る舞いの彼に、紗慧は頭を下げてから改めて笑い掛けた。

「キャラメル、いただきますね」

「うん」

 郁人は頷き返した後、「あ」と気付いて眉尻を下げる。

「あんまり時間取らせるのも悪いな。――じゃあ、気を付けて行ってきてね」

「はい。行ってきます」

 紗慧が明るく挨拶してから郁人に背を向けると、彼は後ろから「行ってらっしゃい」と柔らかい声を掛けた。

 一度振り返って微笑みで返事をし、彼女は玄関へ向かった。



 紗慧が旅館から出て、建物のすぐ隣の屋外駐車場に着いた時、誠は既にそこで彼女を待っていた。

 彼は自分のバイクに寄り掛かる様にして、所在なさげにしている。

 彼の姿を認めた紗慧は腕時計を確認したが、まだ約束の時間前だった。

「――ごめんなさい。待たせちゃったみたいで……」

 紗慧が足早に近付くと、誠はヘルメットを手に取って彼女に差し伸べた。

「別に」

 彼女は、いつも通り無愛想に言う彼からそれを受け取り、慎重に被る。フルフェイスのヘルメットを被り慣れない彼女には、もたつく事なく装着するのは難しい。

 誠は自分のヘルメットをさっさと被り、バイクを発進させる準備を済ませていた。

 彼は紗慧とは対称的に、山へ入る為の服装という訳ではなく、普段履いているワークパンツと安全靴に、上はライダースジャケット、手には黒いグローブ、という格好だった。

 傾向として、彼は常日頃から軽装を好んでいる様だったが、それは生まれつき丈夫な身体を持っているからなのだろうと、紗慧も納得していた。元々この土地に住んでいて、妖と闘う際に野山へ入る事にも慣れている彼に、彼女から言うべき事も特にない。

「――あれ? いつも乗ってるバイクと違うんだね?」

 紗慧は彼のバイクを見て、それが普段使っているものと違うと気付く。

「……前に乗ってた奴だ。古いが手入れはしてあるから問題ない」

 誠は素っ気なく答えたが、そのバイクは彼のいつもの車種とは違い、後方にもシートと足場ステップがあり、二人乗りの為に変えたのだと察する事が出来た。

「気を遣わせちゃってごめんね」

「別に」

 紗慧が謝るのを見ず、誠は言葉を返す。

「誠君、物持ち良いんだね」

 バイクには全く詳しくない彼女にはそれがいつ頃に販売されたものなのかは勿論分からず、車体を見てもどの程度使い古されているのかもよく分からない。バイク自体に目立った傷や汚れが見当たらず、よく磨かれているというのも大きい。

「物持ちが良いのは俺じゃない」

「……そうなの?」

 バイクスタンドを外したりと、乗る準備をしながら言った誠に紗慧が訊き返すと、彼は、『口を滑らせた』とでも言う様に気まずそうに舌打ちをした。

「何でもない。どうでもいいだろ、そんな事」

 言葉程不機嫌そうではなかったが、彼があまり自分の事を語りたがらないのを理解している紗慧は、それ以上追及しようとは思わなかった。

「今日はよろしくお願いします」

 気持ちを切り替えた彼女がそう言うと、誠は跨がったバイクのエンジンをスタートさせ、顎でシートを指した。

 促された通りに紗慧がその後ろに乗るのを確認し、彼はエンジン音に掻き消されない声量で、彼女に確かめる様に言った。

「先に町に寄るんだったな」

「ええ、お願い」

 紗慧も彼に聞こえるように声を張る。

「しっかり掴まってろよ」

 ヘルメット越しで多少くぐもってはいるものの、彼の低い声は張ると通りが良く、それは頼もしさを感じさせるものであった。

 紗慧は、自身の気持ちに曇りが生じないよう自分に言い聞かせながら、誠の愛車と彼の運転に身を委ねた。

読んでいただきまして、ありがとうございます。

今回のエピソードは四話構成の予定です。

順次投稿致しますので、宜しければ続きもお付き合いいただければ幸いです。

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