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彼方よりの。  作者: 秋生侑珂
第二章
22/34

翳りの兆し・四

一年以上投稿が滞ってしまい、これまで読んでくださっている方には申し訳ありません……。

初めて読んでみようかと思ってくださった方は、前回以前から続いている話ですので、遡って読んでいただけたらと思います。

内容や現在の展開の把握をざっくりするのであれば、序章は一部・二部と五部・六部、続く一章の七部、今回に続く展開は二章の十九部から二十一部まで、という感じで読んでいただければ最低限の把握が出来るかと思います。

 あきらあやかし達が闘う現場に郁人いくとが追い付いてから程なくして、敵は残り一体となった。

 最初にこの町に現れた、まるで狼男の様な妖だ。

 郁人は改めて敵の姿に意識を向けると、ある事に気付いて思わず声を上げた。

「こいつ――『固有個体』か!」

 敵の攻撃を警戒しながら、誠がちらりと郁人へ眼を向ける。

「固有個体……?」

「この馬鹿! データベース確認しろって前から言ってるだろ!」

 呆れと苛立ちの混ざった声色で、郁人は誠に返す。

「退治屋の間で、目撃情報があったものの、倒すには至らなかった個体の呼称だよ!

こいつは恐らく『ワーウルフ』だ……!」

「『ワーウルフ』って……『人狼』って意味だったか……。そのままかよ」

 納得した様に、誠は独りごちる。

 だが、彼の言葉が何を指し示すのかは、即座に理解していた。

 長きに渡る退治屋と妖の闘いの歴史上、『記録データには残っているが倒す事の出来なかった敵性個体』とは、それだけの強さを持っている個体、という意味であった。加えて、遭遇した退治屋を殺しているかもしれない、という事でもある。

 誠は、郁人の退治屋としてのキャリアを知らないが、誠自身にとっては、退治屋を退け生き続ける妖との遭遇は初めての事になる。

(気負うな。いつも通りで何とかなる筈だ)

 誠は胸の内で改めて自分に言い聞かせる。

〈ワーウルフ……人狼、か。人間を基準に考え、名付けるというのは、正にニンゲン、だな〉

 二人の会話を聞いていた人狼あやかしは、再び蔑む様な笑みを浮かべて言った。

 はっとした郁人は、人狼を睨み付けながら問い掛けていた。

「何が目的だ? 何を求めてここで暴れる?」

 人狼は、構えを解く事なく郁人の質問を鼻でわらう様にして口を開いた。

〈答えると思うのか?〉

 知性を宿した獣の眼が郁人を睨んでいる。

「……目的が何だろうと関係ねぇよ。オマエは潰す。それだけだ」

 問うた郁人ではなく、誠が低い声で言った。

〈先に言った筈だ。口でなく力で証明して見せろ〉

 敵からの挑発を、郁人も冷静に受け止める。その裏では、ここ最近の、高くなった妖の出現頻度との関係性を見出だそうと思索してもいた。

 だが、やはりあくまで妖は闘うつもりで、殺意を容赦なくぶつけてくる。

 誠は再び先の様に靄の妖を増やすのではないかと警戒しながら、極端な接近を避けて、効きが良くないと分かっている雷撃を妖に向けて放つ。


 妖は誠の攻撃を掻い潜って迫ってくる。攻撃の回避率はそれ程高くなく、二割程度を躱している位であるが、多少のダメージは気にしていないらしく、既に負傷している誠の方へ突撃するつもりなのが分かった。

 誠は後ろへ後退しながら間合いを取るが、一方で、郁人も妖に攻撃を仕掛け始めた為、その攻撃に巻き込まれない様に立ち回るせいで回避運動と自身の攻撃の頻度のバランスが崩れて苛立っている。

 妖は大きく鋭い爪を備えた手先を揃え手刀を作ると、誠を狙って素早く突きを繰り出してきた。

 誠は、敵の手刀を左右に素早く躱しながら、反撃の機会を探っている。

 先の負傷で動きが鈍っているのは主に右腕で、足許まで動きが悪い訳ではない。これ以上の深手を避ける為にも、効率良く一撃を敵に当てたいと思う誠だった。

 だが、その場で共闘する郁人には、誠の意図は伝わっていない。

 負傷し動きが鈍くなった誠が、自分より先んじて敵と闘っている事に納得がいかないのか、両者の間に割り込んでこようとしていた。

 『金気こんき』である『人狼ワーウルフ』にとって、郁人の『火気かき』は『相克そうこく』であり、属性の利は郁人にあるのも理由の一つだった。

 付かず離れずの距離で攻守を交えている誠と人狼ワーウルフが一瞬互いに身を引いたのを見計らって、郁人は拳に炎を纏わせ二人の間に割って入った。

(この状況なら、俺の方が分がある筈……。大人しくしてろよ、高砂たかさご……!)

 そんな思いを胸中に押し留め、郁人は『人狼ワーウルフ』を引き受けるつもりで至近距離から向き合う。

 誠がそうであった様に、郁人もまた、市街地である事の制約を受けながら闘っている。

 既に崩れてしまっている建造物などはともかく、まだ無事な町の全てに注意を払いつつ強力な敵と闘うのは、退治屋にとっては当然の事であり、同時に大変なハンデでもある。郁人は炎や熱をわざとして扱う為、火事や爆発などに気を付けなければならない。

 『気』を練って作り出した炎を確実に敵に叩き込む為に、郁人は隙の少ない構えを取り、最小限の動きで拳を繰り出す。

 自己流の闘い方をする誠とは異なり、郁人は空手や柔術を一通り習得済みであり、誠の体術の様な荒々しさはない。

 しかし、『人狼ワーウルフ』の『ヒト然とした振る舞い』は、その闘い方にも表れていた。

 『人狼ワーウルフ』は郁人の格闘術を躱すだけでなく、いなす、受けるなどして応戦する。

 誠に対しては、獣として牙や爪を使って攻撃を加えていたが、郁人に対しては、ヒトの生み出した戦闘術を使っているも同然だった。それは、まるでそう(・・)見せる意図がある様にも見えた。

 組み手をするかの様に、郁人と『人狼ワーウルフ』は打ち合う。

(……何なんだ、こいつ……! わざと手を抜いてるのか……?)

 郁人は敵の底知れなさを感じ、戸惑っていた。

(舐めているのか知らないが、本気を出さないって言うならその内に片を付ける!)

 自分へ向けて、胸中で宣言すると、郁人は敵が更にこちらへ踏み込んでくるのを誘う。

 が、そこで誠が郁人を無視する様に横合いから『人狼ワーウルフ』へ攻撃を仕掛けた。

 郁人を邪魔だと言わんばかりの行動に、彼は苛立ちを覚える。

 二人は同じ敵と別々に闘っている状態であり、互いに相手を邪魔だと思っている様なものだった。

 利き手を存分に振るえない事が体捌きにも影響を及ぼしているものの、誠は怯まず敵に向かう。出来る限り一撃分の威力を高めて放ち確実にダメージを蓄積させる。相手が体勢を崩せばなお良し、と、現在の自分のとれる戦術を意識して、彼なりに考えながら攻撃を続ける。

 利き手ではなくとも左拳の威力は右に劣る訳ではない。『気』を充分に込め、人間であれば急所であろう箇所へ当てようと拳を振るった。その時――


 妖は身を捻り、誠の拳を躱すのかと思いきや、彼の拳を避けつつその手首を掴んだ。

「――っ!」

 瞬間的に「まずい」と直感した誠は咄嗟に身構えるが、それよりも僅かに早く敵が動いた。

 妖は掴んだ誠の手首を強く引き、反射的にそれに抵抗して踏ん張ろうと動きを止めた彼の鳩尾に、右膝を叩き込んだ。

 「ぐっ」という呻きを喉から漏らした誠の身体が傾ぐと、妖は彼の左手首を掴んだまま反対の腕も掴む。そして腫れの引いていない傷口に爪を立てて抉る様に握り込んだ。

「――っぐ……ぅ……!」

 胴と右腕に走る強烈な痛みに、誠は顔を歪める。妖の爪は堅い誠の筋組織にも深く食い込み、傷口からは血が溢れ出していた。

「高砂!」

 郁人は両腕を掴まれて動けなくなった誠を見、危機感を覚え、妖に向かおうとするが、妖は郁人との間に誠を挟んで盾の様に扱う。彼らが密着状態にある為、郁人も咄嗟に攻撃に移れず二の足を踏む。

〈このままその腕を引き千切ってくれよう〉

 得体の知れない唸りを含んだ声で妖が吐き捨てたと同時に、誠は妖の顔面目掛けて勢いよく頭突きした。

 硬い物同士が激しくぶつかる重く鈍い音が、郁人の耳にも届いていた。

 前方にやや突き出た鼻と眉間の間の辺りに、誠の渾身の力を込めた頭突きを受けた妖は、上体を仰け反らせ、掴んでいた両腕を離した。

 好機とばかりに誠がそのまま攻勢に出ようとすると、その瞬間、横から物凄い勢いで真っ赤な塊が飛び出してきて妖に突進する。――郁人だった。

 郁人は妖にしっかりと組み付き、全身に湛えた炎を激しく燃え上がらせた。

 彼らは勢いのまま転がっていき、瓦礫にぶつかったところで止まるが、郁人は妖を離さず、炎を納める事もしない。一息に片を付けようと、炎の熱量を更に上げていく。

 形容し難い地響きの様な咆哮を上げる妖だったが、郁人も誠も、それが断末魔とは思えず、各々がとどめを刺す事を焦っていた。

 誠も妖を攻撃するタイミングを計るが、郁人が敵を直接掴んでいる限り彼を巻き込まずに済ませる事は殆ど不可能だ。

 先までは立場が逆であり、どちらも彼らが連携する事を意識していない為に生じている事態であったが、それを今省みる余裕などある筈がない。

「くそっ! 邪魔なんだよ!」

 誠は苛立ちと共に叫ぶが、郁人の耳には届いていない。


〈――ッオオオオォォオオ!!〉


 妖が一際大きな雄叫びを上げた。先までは低く腹に響く音だったが、その叫び声は更に音圧が上がり、倍音である高音を伴って凄まじく破壊的な音となっている。

 平時から常人離れした聴力を持つ誠が、肉体の耐久性が格段に上がっている闘身の状態でなければ堪えるのも困難だろうという程の音だった。

 周囲の建物のガラスの、まだ無事であった部分も一斉に砕け、足下の小石や瓦礫の欠片も震えて小さく跳ねている。

 至近距離でこの叫び声を聞いた郁人は、反射的に身を守ろうとする様に身体を萎縮させた。

 彼のその隙を、敵は逃さなかった。

 妖は力任せに頭を振ると、その勢いを使って自分の身体の上から組み付いている郁人の左肩に噛み付いた。

「うっ……ぐ!」

 郁人は闘身になった時の体格も、誠のそれよりもやや小さい。闘身の誠よりも更に大柄な妖に正面からまともに喰い付かれ、彼は身を退く事も出来ないままその衝撃と激痛を呑み込んだ。

 首そのものを噛まれなかったのは幸いだったが、そのまま引き倒されてしまってはまずい、そう察した彼はその体勢のまま身構えようとする。

 が、敵は構わず顎に力を入れ、郁人の肩を噛み砕こうとする様により深く牙を食い込ませてきた。

 郁人の耳にも、自身の肩の厚い筋組織が裂け骨が軋む音が聞こえる様だった。

 妖は炎に焼かれながらも力を完全には失っておらず、彼を噛んだまま身体と頭を大きく数回振ると、最も勢いがついた瞬間に顎を開き、そのまま彼の身体を放り投げた。

「ッ――がっ」

 下から強引に投げられたにも拘わらず、郁人の身体は数メートル先まで低空を飛び、誠の横を僅かに過ぎた辺りで地面に不安定に衝突する様に落ちた。そしてそのまま弾みながら転がる。

「――っ!」

 誠は妖から眼を離さないように正面を向いたまま、視界の端で郁人の様子を窺った。

「……畜生! やってくれたなッ!」

 郁人は何とか受け身をとっており、直ぐに起き上がって構え直そうとしていた。

 彼の左肩は鎖骨周辺の肉が大きく裂け、大量の血が流れ出している。身に纏った炎は、既に『気』に戻っている為血液を蒸発させる事はなく、彼の足下に血溜まりが出来ていく。

 反射的に創傷部を押さえながら、彼は激しい怒りを込めて敵を睨んだ。

 闘身の状態の彼らは生身程出血に弱くはないが、失血量が多くなれば体力を奪われていく事に変わりはない。

 一刻も早く決着を付けなければと、郁人も誠も改めて戦意を奮い起こす。

 と、不意に、妖が再度雄叫びを上げた。

 痛みや怒りを全力で吐き出す様な、凄絶な叫びだった。

 妖の身体は毛皮ごと体表が焼け焦げていたが、そのダメージは致命に至るものではない様で、未だ気力も戦意も衰えている様子は見てとれない。

 そして、叫び続けながら自身の肩口を掴んだかと思うと、斜め下へ向けて腕を引き下ろし、焼けた毛皮を一息に剥がして見せた。


〈ガァアアアア――――!!〉


 ――表皮を剥いた上半身から噴き出した自らの血にまみれながら、妖の叫び声はいつしかわらい声に変わっていった。

「……こいつ……――」

 その異様さに郁人が絶句する中、妖は二人に向けて言葉を吐いた。

〈成る程。他のゴミ共に比べればまだ出来る方か。――だが、この程度とはな〉

 喉の奥から唸る様に言うと、妖は一瞬前までの嗤いから一転して至極つまらなそうに鼻を鳴らした。

「……そんな様で言えた事かよ」

 妖の言葉を振り払う様に言い放ち、郁人は肩を押さえていた手を前方へ向けると炎を構えた。

「今度こそ燃やし尽くす……!」

 郁人は傷の痛みを意識から追いやり、敵の許へ駆け出そうした。その瞬間。

「止まれ!」

 誠が叫んだ。

 同時に、彼らの周囲の空気が変わる。

 妖を中心にして、空間が大きく歪んでいく。

 二人は自身の足場が崩れる様な、不安定で不快極まりない感覚に思わず息を詰めた。

「くっ……常世とこよを開いたのか……っ」

 これまでの妖が出現する際の、常世と現世うつしよが繋がる事で生じる空間の歪みとその影響よりも、それは明らかに強烈だった。

 退治屋であっても空間の歪みの発生源、その中心地に居合わせればただでは済まない。中心地から一定の距離を保つ事が出来ればその影響は軽減されるが、人間である限り、その現象の影響下で自由に動くのは殆ど不可能だった。

 四方から押さえ付けられる様な圧力と、身体の内側を掻き回されるかの様な不快感に、身動きすらままならない郁人だったが、彼のすぐ横にいた誠はそれを強引に捩じ伏せ、地を蹴った。

「逃げんじゃねぇよ!」

 周囲の空気ごと歪む場の中心に立つ妖へ向かって、誠は吼えながら飛び掛かろうとした。腕全体に練った『気』を纏わせ、敵を掴んで打ち据えようと狙いを定める。

 ――だが彼の拳が相手に届く事はなかった。

 誠が妖の懐へ辿り着く前に、彼を取り囲む様に黒い影が無数に現れる。そして、それらは揺らめきながらも素早い動きで次々に誠に向かって突進してきた。

「!? また雑魚連中か!」

 黒い塊達は、誠の身体に接触した傍から液体の様に溶け、その身体に纏わりついて彼をそこに釘付けにした。

 誠は、黒い塊達を自分から引き剥がそうと腕を払うが、それは既に手足にしっかりと絡み付いており、瞬時に振り払う事は出来ない。

「くっ……そ……ッ」

 にかわの様に強い粘度を持った影の中に、先程の小型のの狼達が蠢いている。

 誠は即座に『気』を身体の周囲に放射し、その影を吹き飛ばした。そして妖を追おうとする。

 しかし妖は既に常世へ渡る為の扉を開いていた。

 中空に、染みが滲む様に黒いあなが穿たれ、それが拡がっていく。孔が自身の体格程の大きさになると同時に、妖はその中へ歩みを進めた。

「待ちやがれ!」

 叫ぶ誠に一瞥をくれると、妖は言葉を発する事もなく孔の向こうへ消えていった。

 妖の姿が見えなくなると、孔も瞬時に消滅する。

 敵へ向かって走り出していた誠は、孔が消えた辺りでたたらを踏んで立ち止まった。

「あの野郎……!」

 誠が怒りをあらわに声を上げると同時に、まだ完全に消滅していなかった影達が彼に飛び掛かってきた。

退け高砂!」

 彼が迎え撃つよりも早く、郁人が影達に追い付き炎を放つ。

〈キぃイイイイィ――――ッ〉

 金属を引っ掻いた音の様な悲鳴を上げながら燃え尽きていく影達を、誠は軽く身を退きながら見やった。

 ――周辺の空間の異常は収まった様だった。まだ尾を引く様に耳鳴りがしていたが、先までの圧迫感はなくなり、他に妖が発生した様子もない。

「…………ッ――」

 誠は言葉もないまま、怒気と共に呼気を大きく吐き出した。

 郁人が倒した影――下級の妖が消え去ると、辺りは静かになった。

 敵が現世から去った今、これ以上二人に出来る事はなかった。



 遠くから聞こえる消防車や救急車のサイレンの音に気付くと、誠も郁人も闘身から元の姿へと戻った。

「――っ……ッ」

 郁人は左肩を押さえて上体を折った。

 闘身を解く際に、闘身で受けた傷は生身で受けた傷として変換される。それで負傷が治癒する訳ではないものの、闘身で致命傷を負っていない限りは、一部の例外を除いて、生身で耐えきれない程の傷がそのままという状態にはならない。

 今回郁人が受けた傷は深く、元の身体へと戻った後の傷も決して小さくはならなかった。

 闘身の時よりも随分軽くはなっているが、その肩には獣の牙によって出来た裂傷が残り、裸のままの上半身は血で濡れていた。

 誠の場合、肉体を構成している半分は妖でもある為、通常の退治屋の闘身とは事情が異なり、人間の姿に戻る際に肉体が一度作り変わる。通常のそれと違うのは、肉体が作り変わる事が、同時に肉体の再生でもあるという点だった。彼にとって生身と闘身の往き来とは、『変換』ではなく『変成』なのであった。

 だが、やはり彼にも戦闘で負った傷は残る。彼も右腕から血を流している。

 二人共に、負傷に加えて体力の消耗も激しかったが、顕著なのはやはり郁人で、戦闘で受けたダメージと出血によるところが大きい。

「……高砂、お前は大丈夫なのか? 腕、毒にやられたろ。普通の腫れ方じゃなかった」

 感情を抑えた声で郁人が声を掛けると、誠は鼻を鳴らして応える。

「大した傷じゃねぇよ。毒もな」

「……そうかよ。まったく、大した身体だな」

 郁人は彼の腕を見、溜め息混じりに言った。

「俺はこの後病院に行く。流石にこれは自分じゃ縫えないしな。お前も一応診て貰え。俺の車で乗せて行ってやるから」

 痛みを堪えながら郁人が車を停めた方向を顎で指すと、誠は反対方向へ向かって足を向けた。

「いらねぇ。こんなもん、直ぐ治る」

 彼の返答に、郁人は頭を振って声を上げる。

「何言ってんだ。どんな傷でも平気って訳でもないんだろ。必要な治療は受けろよな」

「だから、必要ないって言ってんだよ」

 あくまで淡々と告げる誠に、郁人は苛立ちを隠せずに食い下がる。

「……適切な処置を受ける事で、身体の負担も減らせる。身体の回復の為に体力を無駄に消耗しなくて済むんだから、その方が良いだろ?」

「治療を受けようが受けまいが、別に変わらねぇよ、俺は。病院に行く手間のほうが無駄だ」

 郁人の言葉も意に介さず、誠は歩き出していた。

「高砂! お前……――」

 言い掛けて、結局郁人は口を噤んだ。彼がこれ以上取り合う気がないのは明らかで、郁人も無視出来ない痛みと疲れを抱えており、不毛なやり取りを続ける気力はとても湧いてこなかった。

「分かったよ。もういい」

 誠は返事すら寄越さず、崩れた建物を避けながら遠ざかっていった。

 郁人は疲労感を押しやる様に大きく息を吐くと、自分の乗ってきた車の許へ向かう為に踵を返した。

 ここへ来る前に行政への通達を行ったのは彼で、今度は現場が安全になった事を報告しなければならなかった。

 破壊された町の修復は退治屋の仕事ではない。

 逃げた負傷者を処置するのも、勿論退治屋ではない。

 退治屋が妖に対処した後は、各々を然るべき職種の者達に任せるだけだ。その為にも、各所への報告を急がなければならない。

 それらを理解しているにも拘わらず、郁人がいつも以上に自らの無力さに怒りを覚えるのは、てきを倒す事が出来なかったからなのか、自分の出来る事の少なさを実感させられるからなのか、郁人自身も判然としないまま、それでもこの後の段取りを整理する為に思考を切り替えようと努めた。

読んでいただきまして、どうもありがとうございます。

諸事情ありまして、不定期の投稿で間が開きがちになっていますが、投稿自体は続けていくつもりです。

もしお付き合いいただける方がいらっしゃいましたら、宜しくお願い致します。

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