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彼方よりの。  作者: 秋生侑珂
第二章
18/34

彼らの日常

前回から間が空いてしまいまして、申し訳ありません。

今回から二章目になります。


 雲のない青々とした空に、稲光と見紛う閃光が疾り、濃い緑の山中の森に落雷を思わせる轟音が響き渡る。

 周囲の木々を巻き添えに、泥人形の様な歪な形の異形が数体黒く焦げながら粉々になって砕けた。砕けた残骸は塵と化し、散って消えていった。

 森の上空では、闘身の姿で背に生えた翼で飛んだあきらが、滞空しながら同じく翼を持った異形を後ろから羽交い締めにしており、次の瞬間にはその異形の背を目下の地面を目掛けて思い切り蹴り飛ばした。

 誠の下では、やはり闘身の姿の郁人いくとが待ち構えており、異形が地面に叩き付けられるよりも早く、彼は肩から手先までに纏った炎を放ち、その炎に巻かれた異形はたちまち燃え上がる。炭化しながら地面に落下した異形は、ぐしゃりと音をたてて崩れ、やはり塵となって消え去った。

 静けさを取り戻した森全体を探る様に意識を集中させた二人は、やがてそれ以上異形が現れない事を確認すると、闘身を解いた。

 郁人の横に着地した誠は、周囲を見渡して呟いた。

「『小型ゴブリン』十体に『大型ゴブリン』三体、『ガーゴイル』が三体か……。多いな、やっぱり」

 誠の言葉に、郁人は軽く頷く。

「出現頻度も高い。紗慧さえちゃんと俺が来る前と比べて、どうだ?」

「多い。しかも、観光客が時々来る多賀たか依濱いはまちょうの方の山ならともかく、人家もないこんな山中にこれだけの数のあやかしが出現するなんて事は今まで殆どなかった」

 誠は表情を変えず淡々と述べる。

 二人が闘っていた場所は、彼らの拠点である遥鳴堂ようめいどう旅館りょかんより更に北の山岳地帯の森の中だった。この旅館のある御代みよ多賀たかまちは、山の麓に建つ遥鳴堂旅館よりも北には、現在は町、村や集落などは存在せず、人の手も殆ど入らない為、完全な無人地帯と云って差し支えなかった。

「妖が現世うつしよに来る目的は主に人間ヒトを喰う為か、人間ヒトの社会で暴れて破壊衝動を満たす為だからな。こんな所にこんな数の妖が出現する理由がない」

 郁人は言いながら、誠にちらりと眼をやる。

「やっぱり紗慧ちゃんが狙いで、旅館の土地に侵入できないか探ってるってところか」

「……さあな」

 誠は素っ気なく応えると、山道へ戻ろうとする様に踵を返して歩き出した。

 遥鳴堂旅館の建っている土地は、特殊な性質を持ち、妖が近づく事が出来ない。その上、人為的に結界が施されている為、妖からの被害を避けるという意味ではある種の要塞の様に機能するのだった。元々誠が拠点として利用していた理由の一つでもあり、現在紗慧が身を寄せる理由でもあった。

 郁人は誠の、事に対する無関心振りに苛立ちを覚え、その背を追いながら刺のある声音で言葉を投げ掛ける。

「あの土地が安全だからって油断してるといつか足許を掬われるかもしれないぞ。俺だってお前がどうなろうと知った事じゃないが、紗慧ちゃんも旅館の人達も危険な目に遭わせる訳にはいかない。

お前は他者ひとを護ってる自覚があるのか?」

 誠は振り向きもせず、言葉を返そうともしない。

 郁人の苛立ちは怒りに変わり、彼は誠の肩を掴んで強引に振り向かせる。

「お前は……っ!」

 言い掛けたところで、誠はその言葉を遮って言った。

「そんなに心配なら、旅館から出ずにあいつらを護ってやれば良いだろ」

 誠は皮肉めいた笑みを浮かべたが、声色は郁人とは対照的に醒めたものだった。


 ――紗慧が自分の能力ちからに対して覚悟を決めてから、夏は特別大きな出来事もなく過ぎていき、季節の変わり目を境に、今度は妖の出現頻度と出現数が増え始めていた。

 秋の色が深まってきている今では、誠か郁人のどちらかが旅館に残り紗慧の警護に専念するのではなく、二人共妖退治に出る事も多くなっていた。それは自然な成り行きではあったが、かといって二人が協調して闘っているかと云えばそうではなかった。

 以前からやってきた様に妖を狩り続けようという態度の誠と、稀少な存在である『調整師』の紗慧や、この土地を守護する事に真摯な姿勢で臨みつつ退治屋としての務めを果たそうとする郁人との間には、大きな温度差があった。

 誠は不真面目に仕事に取り組んでいるという訳ではなく、退治屋としての務めを疎かにはしていないのは確かだったが、郁人にしてみれば、彼は退治屋という存在が負うべき責任感に欠けている様に見えるのだった。


「そういう問題じゃない。退治屋がどういうものなのか、修行を積んだ経験のない半端者のお前には分からないかもしれないけどな」

 郁人は自身の怒りを自覚し、それを静めようと意識しながら言う。

「半端者で悪かったな」

 誠は眼を細める様にして郁人を睨み付けたが、息を吐き、低いトーンで淡々と言う。

「あの土地に連中が手出しできないのは確かだ。

何が目的でこんな場所にまで出てきてるのかなんて、今判ってる事だけで推測なんて出来ないだろ。考えるだけ無駄だ。答えが出なくて苛ついてるのを、俺に絡むんじゃねぇよ」

 言いながら、彼は郁人の手を肩から払い除ける。

 郁人はぐっと唇を噛んで、感情的になる自分を抑えた。

 誠の指摘は概ね正しいと云えた。だが、郁人もただ八つ当たりをしている訳ではない。

 敵を倒し続ければ解決する問題なのであれば、郁人もただ仕事に専念すれば良いと考えられる。だが、自分の後ろに護るべき者達がいる事を意識すると、現状が不穏に思えて仕方がないのだ。

 誠にはそういった気負いが見てとれない。思考の面でも感情の面でも、彼には『仲間』としてそれらを共有する事は望めない。この事も郁人の苛立ちを増幅させていた。

 紗慧がその場にいる時は、二人が険悪な雰囲気になるとその間に入って場を収めようとするのだが、こうして二人きりになってしまうと、互いが自制しなければ言い合いは終わらない。

 結局、郁人が黙ったのを見、誠も黙ったまま再び向きを変え歩き出した。

 二人は同じ場所で闘っていたが、ここへ来るまでは各々の移動手段を使い、別々に来ていた。

 山を北へ越えた先の隣県とを結ぶ山道自動車道を使い、誠はバイクで、郁人は車で近隣まで来て、その後は自らの脚で現場へと移動して合流していた。

 彼らは旅館へ帰る際も足並みを揃える事なく別々に道を行った。


 旅館へ先に戻ってきたのは郁人だった。

 彼が玄関から中へ入ると、丁度廊下から通り掛かった紗慧が気付いて笑顔で迎えた。

「お帰りなさい、郁人さん。お疲れ様です。怪我はないですか?」

 紗慧は、長い黒髪をアップにしてきっちり纏め、中居用の和服姿も馴染み、すっかり看板娘の一人になっていた。性格的に人の世話は性に合っているだけでなく、都会育ちではあっても派手ではない雰囲気である事から、今では山の麓の秘境温泉旅館にさほど違和感なく溶け込んでいたが、元々が目鼻立ちのはっきりとした、充分美人と云える顔立ちである為、旅館に華を添える存在になっている。

「ただいま。平気平気。

いやあ、和装の紗慧ちゃんに『お帰りなさい』って出迎えて貰えると、疲れも何もかも吹っ飛ぶなあ」

 郁人は彼女の姿を見た瞬間満面の笑みを浮かべ、誠と話す時より数トーン高い明るい声で応えつつ正直に言った。

 郁人の言葉に紗慧は控えめに微笑むと、玄関ホールの受付の奥に設置してある待ち合いの為の和風の応接セットを指して、「良かったら、また」と、誘う様に言った。

「あ、良いの?」

 郁人は紗慧の気遣いを嬉しく思いながら、彼女の言葉に素直に応えた。

 郁人がソファに腰を降ろすと、紗慧はその横に座り、彼の両手を握った。

 紗慧は精神をを集中させ、自身の体内を巡る『気』を整えてから、郁人の気へと意識を向ける。

 熱い炎にも似た活気を持つ彼の『気』を感じ取り、それが彼の身体と精神を繋いで循環しているのを感覚で捉えると、紗慧は自身の『気』を彼のそれに同調させるべく更に意識を集中させる。

 そうする事で紗慧も、彼が精神の奥深くに封じている彼自身のもうひとつの姿である闘身に身を変え、闘った名残を感じる事が出来た。郁人の奥底には、彼本人を呑み込みかねない獣が眠っている。その獣は一先ずの役目を終え、眠りに着いたばかりだった。

 郁人の『気』に乱れは既になかったが、紗慧の感覚意識は、彼が獣を目覚めさせ、そしてそれを理性で御し、再び封じるという荒業に近い所業を行った名残である『負の残滓』を捉える事ができた。

 『調整師』の能力ちからは、闘身を扱う者が、その者自身の闘身に呑み込まれ完全な異形となってしまうのを防ぐ事が出来る。

 紗慧は自分が持つ『調整師』としての能力ちからを活かす道を選び、自分なりに研鑽を重ねていた。

 『調整師』の能力ちからは、闘身を扱う者が完全に異形と化する様な瀬戸際でなくとも、彼らが闘身ちからを扱う事で彼らの内部なかに蓄積されていく『負』を取り除いたり和らげたりする事も出来る。

 退治屋は元より自身が闘身に呑み込まれない為の修行を積み、自己の力や精神の調整を行っているのだが、『調整師』の能力ちからはそれを助け、彼らの負う負担を軽減する事が出来るのだ。

 紗慧は、郁人の『気』に同調させた自身の『気』を慎重に操り、彼の内部なかの『負』の残滓に触れる。

 高い熱量を持った『怒り』。彼の奥底に眠る獣の形を作っているものの正体を、紗慧はこれまでのこの『調整』によって感じ取っていた。紗慧の能力ちからはそれを変質させたりする類いの干渉をするのではない。獣が生む、本人を蝕みかねない『負』を取り除く事で、本人をニュートラルな状態に戻すのだ。

 紗慧は触れた残滓をそっと包み込むイメージを浮かべながら、それを丁寧に解かしていった。

 郁人の『気』の流れに滞りがなく、しこりの様な違和もない事を確認すると、紗慧は『気』の同調をゆっくりと解いた。

 握っていた彼の両手を離し、無意識の内に閉じていた眼を開けると、郁人は嬉しそうに微笑んでいた。

「紗慧ちゃん、ありがとう。お陰でかなり楽になったよ」

「いえ、こんな事しか出来ませんけど、少しでもお役に立てれば嬉しいです」

 紗慧は彼に微笑み返し、安堵した様に伏し眼がちに言った。

「『こんな事』なんて、とんでもないよ。誰にでも出来る事じゃないんだから」

 言いながら、郁人はソファから立ち上がり、軽く伸びをしストレッチをする様に腕を回した。

「ああ、やっぱりすっきりするなあ。自己メンテナンスは退治屋の基本ではあるけど、紗慧ちゃんがこうしてくれると特別気分も良くなるし、助かるよ」

 郁人はその言葉通り、さっぱりとした表情で紗慧を振り返った。

 紗慧は彼のその言葉に救われる様な思いだった。

 郁人も誠も、その生命と精神を懸けて妖と闘っている事を紗慧もよく分かっている。

 数ヶ月前に為す術もなく恋人が無惨に殺されるのを見、同時に人知れず人を襲う妖と闘う退治屋の存在も知った紗慧は、自分が常に誰かに護られ安全な場所にいる事に罪悪感を抱き続けている。

 彼女にとっては、「ありがとう」と言われる事そのものよりも、彼らの役に立っているという事実が必要でもあった。感謝の言葉を掛けられる事に関しては、有り難いと思う反面、自分は感謝を得られるだけの事をしていないという思いが先にたってしまうのだった。

 紗慧の『調整』によって『気』を一時的に同調させている郁人は、彼女が彼の闘身の『核』の一部に触れている様に、彼も彼女が持つ優しさや強さを感じると同時に、抱えているその罪悪の念を部分的に感じ取っている。

 郁人は、そんな彼女の自責の念や恋人を失った哀しみを、どうにかして消してやりたいと思っていたが、そう思う事だけではどうにもならない事も分かっている。

 時間と経験を重ねる事でしか彼女の苦しみを癒す事は出来ないという事も理解しているからこそ、彼女の『調整』を受ける事にも大きな意味があると思い、そういった理由からも彼女の意志に任せているのだった。


「どこにも怪我はない様で、良かったです」

 生き生きと伸びをする郁人に、改めて紗慧が言うと、彼は笑顔のまま応える。

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ。今回も雑魚ばっかりだったしね」

 明るく言う郁人の背後で、玄関の引き戸が開く音がし、誠が姿を見せた。

「お帰りなさい。誠君」

 郁人へ向けた様に、紗慧はソファから立ち上がり誠の方へ微笑みを向けて出迎える。

「…………」

 郁人とは対照的に、誠は無言のまま表情も変えず中へ入ってくると、ホールからそのまま自室の方へ横切ろうとする。

「あ、誠君。良かったら、『調整』を……――」

 紗慧が呼び止めつつ彼を追おうとすると、誠は振り返る事なく首を横に振って答えた。

「俺はいい」

 その一言だけで紗慧を立ち止まらせると、誠は廊下の向こうへと歩いて行った。

「何だあいつ。いつも感じ悪いよな。紗慧ちゃんがせっかく厚意で声掛けてるってのに」

 紗慧の横に来た郁人は、腕組みしながら不満げな声を上げた。

 紗慧は郁人の言葉に苦笑で応えながら、心配そうに誠の背を見送った。


 誠は旅館内の奥の、従業員用の離れに近い一階の客室である自室に戻ると、風呂に入る為の準備をした。

 タオル類や石鹸、着替えを、いつもの様にナップザックに適当に放り込み、すぐに部屋を出る。

 誠は、この数年間この旅館を自宅代わりに使っている為、衣類などの洗濯も旅館の従業員に任せている。洗濯に出す汚れ物を纏めたナップザックを洗濯室に置いてくるか、中居の誰かに渡せば、他の物と一緒に洗って貰える。旅館の人間は皆それを当たり前として日々の仕事をしているので、その洗濯物やナップザックの持ち主が誰なのか、間違える事はまずない。

 浴場は、客室の並ぶ廊下とは反対側の、玄関ホールを通り過ぎた向こう側にある。

 誠は、玄関ホールに紗慧と郁人がまだいるのなら面倒だと思ったが、彼がそこを通った時には二人の姿はもうそこになかった。

 紗慧は中居の仕事があるのだろうし、郁人は妖退治が終わった後でも、日課にしている鍛練を欠かさない事が多かった。恐らく再び外へ向かったのだろう。

 郁人とは浴場内で鉢合わせる事はないだろうと思いながら、誠は浴場の脱衣室に入っていく。


 広い男性用浴場には誰もいなかった。

 時間的に、夕刻に差し掛かるこの時間帯に日帰りの温泉目当ての客がまだ湯に浸かっている事は殆どない。僻地とも云える立地である関係で、あまり遅くまで旅館に留まっていると帰宅出来なくなる可能性もあるからだ。

 温泉旅館としては既にオンシーズンに入っていたが、ここ数日は泊まりの客も少なかった為、他の客と浴場で一緒になる事はなかった。

 誠は普段そうしている通り、手前の洗い場でシャワーを使って汗を流した後、石鹸で頭から洗い始め、続けて全身を洗っていく。

 石鹸の泡を残らず洗い流すと、室内の浴槽へ向かい、何に気を遣う事なく湯船に身を沈めた。濡れたタオルは石造りの浴槽の縁に置き、熱い湯の中で身体の力を抜いて眼を閉じた。

 遥鳴堂旅館は、大昔は治療院であり、効能の高い天然温泉が湧いている事もあり湯治に来ていた者も多かったという。

 現在でも、腰痛、神経痛を始めとして、様々な効能が見込める温泉である事は変わっていない。

 誠は、今日の闘いで特に大きな疲労を感じていた訳ではないが、こうしてゆっくりと湯に浸かっていると身体が解れ、心地好さを感じていた。

 浴場は、室内の他にも露天風呂があり、洗い場から室内浴槽の横を通って奥へ進むと露天風呂へ出られる引き戸がある。

 誠は温泉そのものに大した関心がなく、わざわざ室外の景色を見ながら湯に浸かる事にも意義を感じない為、露天風呂を利用した事はない。汗を流し疲れを取る事ができればそれで構わないという性分だった。

 元々疲労が溜まっている訳ではないものの、湯に浸かって眼を閉じ、身体の緊張が解れてくると、無心になるよりも様々な事柄が頭の中に浮かんでくる。

 ここ最近の急激な変化に関する思考や感情が、浮かんでは消えていく。その中心は、やはり紗慧との出会いとその後やって来た郁人に関するものだった。


 誠の眼から見ても、紗慧の状況適応力は大したものだった。

 それまで妖とも退治屋とも無縁の人生を送っていたにも拘わらず、彼女は自分の身に振り掛かった悲劇から眼を逸らさず、また、自身の持つ能力ちからからも逃げず、自分の生きる道を自分で選択しようとしている。

 彼女がこの地を訪れたのは偶然だったが、彼女が『調整師』であった事や、この地で退治屋稼業を営んでいたのが誠であった事は、果してただの偶然だったのか、当然の事ながら誠には分からなかった。

 他の人間と違う、普通ではない、その事が原因で、誠は学生の身分を卒業するまで『普通の』一般社会で上手くやっていく事が出来なかった。

 荒んでいた頃は、周囲から不良と定義されてきたが、誠本人は不良の社会内ですら異端であり、馴染む事は出来なかった。

 自身が本当に純粋な人間ではない事を知り、退治屋という生き方がある事を知り、極少数の人間の手助けを受け、ようやくこの社会の中で生きていく術を得た彼からすれば、普通の社会を当然の様に生きてきたであろう紗慧が、この道を自ら選んで進もうとする事に驚きを禁じ得なかった。

 そして、彼女はやはり驚く程の早さで自分の能力ちからの使い方を身に付け始めていた。

 それまでの人生や人格がまるで違い、発端となる事件さえなければ出会う事もなく道が交わる事もなかった筈の彼女は、誠を異端者として見る事もせず、彼の人格を否定する事もしない。

 誠にとっては、彼女は常に驚きと戸惑いの対象だった。

 そして、新たに出会ったもう一人である郁人は、紗慧とは対照的に、誠が退治屋の中にあっても尚異端である事を思い知らせる様な言動ばかりとる。

 誠から見た郁人は、頑固な優等生そのもので、しかし、紗慧と同様周囲にあっという間に馴染める社交的な人間だった。

 誠自身は、自分が他者から疎まれて当然の存在だと自覚しているが、それならば出来る限り放っておいて貰いたいと思っている。たが、郁人は、衝突するのが分かっていながらわざわざ誠を相手にしようとする。

 器用に人間関係を構築する彼が、距離を置くより先にぶつかってくる理由が、誠には理解出来なかった。思い当たるとすれば、それだけ自分の事を疎ましく思っていて、その事を思い知らせなければ気が済まないのだろうという事だった。

 誠は退治屋としてこの遥鳴堂旅館へやってきて以来、彼なりに出来る限りの務めを果してきたつもりだった。

 旅館の人間には世話焼きが多く、有り難さよりも面倒を感じる事もそれなりにあったが、彼の人生の中では最も安定した環境を得られた事は確かだった。

 この環境と、退治屋という仕事と生き方は、これまで何の問題もなく回ってきていた。ここまで上手くいったのは彼の人生の中で初めてと云っても良かった。

 そこへ、紗慧と郁人ととの出会いを迎えた事で、誠の心中は再び掻き乱され始めたのだった。

 たった独りで生命を懸けて異形と闘う事がそれ程苦ではなかったのに対して、紗慧との出会いから始まった変化は、彼にとって最も避けたい苦痛の再来となった。

 だが、彼は既にこれ以上の逃げ場はないのだと自覚していた。

 喩え上手くやっていけなかったとしても、そこから逃げて退治屋という仕事と立場を失えば、他に生きる為のよすがは残されていない。少なくとも彼はそう思っていた。

「――……面倒くせぇな……」

 浴槽の縁に仰向けに首をもたせ掛けて、誠は小さく呟いた。

 普段よりも長湯した事で、不必要なまでに深く考え込んでしまったのに気付き、彼は頭を振って思考を止めた。

 結局リラックス出来たのか出来なかったのか分からないまま、彼はタオルを手に取って湯槽から上がった。

 身体の疲れは取れており、今はそれで充分だった。

 風呂から上がった後は夕食を摂り、適当な時間になったら寝るだけだ。

 納得のいかない出来事には慣れている。明日からもそれが続くだけだ、そう自分に言い聞かせ、誠は今後の闘いに備える為に小休止である休息の時を過ごすのだった。

読んでいただきまして、ありがとうございます。

今後も不定期になるかと思いますが、お付き合いいただける方がいらっしゃいましたら、宜しくお願い致します。

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