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彼方よりの。  作者: 秋生侑珂
第一章
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一時帰宅・三

 最初は細長い黒い影としか認識出来なかった。

 紗慧さえあきらに抱えられたまま、その『何者か』の全貌を見ようとした。


 高さは二メートル以上あるだろうか。たが体や腕、脚は異常に細く、ナナフシを直立させた様な印象を覚えた。

 誠は紗慧を抱えて後退りながら、他に敵の仲間はいないか、素早く辺りに視線を巡らせた。

 どうやらソレは一体だけの様で、誠を敵として認めたのか、ぶるりと身震いすると、その両腕を広げて構えた。


「巻き込まれないよう離れていろ!」

 誠は紗慧を降ろすと、突き飛ばす様にして自分の後ろへ押し出した。


 そのあやかしは辛うじて人型をしていたが、顔はのっぺりとしていて何もない。鼻などの隆起ももちろんなく。有り体に云えばのっぺらぼうだった。

 細い胴体は長いが、手足は胴体に対しても長過ぎる程だ。


「見た事ない奴だな。話にも聞いた事がない」

 誠はざっと記憶を洗い出すが、目の前の妖に該当するモノは知らなかった。

 紗慧は遮蔽物が多く、人の姿も見られない公園の方へ向かって急いで離れた。

 まさか都内で現れるなんて――誠に注意されてはいたが、紗慧は当たりを引くとは思っていなかった。だが現実に、妖は紗慧を狙って現れた。誠があれ程速く駆けつけなかったらと思うと、彼女はぞっとした。

 ナナフシの様な妖は、長い腕で凪ぎ払う様に誠を攻撃した。

 誠は紗慧のいる後ろへ後退はせず、両腕で構えて攻撃を受けた。

「ッ!」

 誠の見立てよりも、妖の攻撃は鋭かった。

 防御した両腕が切れ、出血している。

「このままじゃ不利か……!」

 誠は吐き捨てる様に言い、シャツを素早く脱いで闘身へと姿を変えた。

 闘身に変わっている最中にも、妖はその長い腕で攻撃を仕掛けてきていたが、先の傷と共に、身体が作り替わる際に治ってしまう。

 充分に巨駆と云える青みがかった筋骨隆々の体躯は、やはり人間とは異なる異形の姿だ。

 闘身に変わった誠は二メートルを少し越えているが、相手はまだそれでも誠より長身だった。身を屈めている事もあり、正確な目測が叶わないが、少なく見積もっても三メートルはありそうだった。

 誠は腕に電撃を纏わせ拳を繰り出すが、その妖は見た目の割に素早く、誠の攻撃を躱し続けた。

「くっ。それならッ!」

 誠は、周囲の空間に雷撃を発生させ、敵を巻き込もうとする。轟音と共に辺りに雷が落ちた様な衝撃が起こる。

 閃光が薄れると、誠の斜め後ろから妖の腕が伸びてきたのに気付き、彼は寸でのところでそれを躱した。相手は無傷だ。

「くそっ!」

 誠は雷撃を短時間のうちに短く繰り返し撃つ。精密に狙うのは難しいが、周囲を大雑把に浚う攻撃だ。

 公園の草木が轟音と共に震え、揺れている。

 その時、誠は相手が瞬間的に消え攻撃を躱すのを見た。雷撃の発生する場所から悉く消え、現れを素早く繰り返している。

(『瞬間移動』してるのか!?)

 誠が悟った瞬間、妖は再び姿を消し、彼の背後から長い腕をしならせ鞭の様に素早く攻撃を繰り出してくる。妖は両腕を使い、左右交互に誠を打とうとする。

 誠は直ぐ様防御の構えをとりながら飛び退き、敵の攻撃を躱そうとした。が、一瞬反応が遅れ、何撃かその攻撃を受けてしまう。

 闘身になった誠の表皮は人間のそれより硬い。だが、誠を捉えた敵の鞭は、彼の腕を傷付けた。そう深くはないが、何筋かの裂傷を負う。

「ッ! 速い……!」

 誠は出血する両腕を乱暴に払い、敵との間合いを計ろうとした。

 だか、瞬時に自身の居場所を変えられる妖は、距離を取ろうとする誠を難なく捉え、細い右腕を手刀とし、正面からそれを繰り出してくる。

 躱し損ねた誠の肩口から脇腹にかけて、妖は手刀で袈裟斬りにする。

「ッがっ」

 短く声を上げ、誠は相手の攻撃をまともに受けてしまった。

 左肩から胸を通り、右脇腹まで、深く裂け真っ赤な血が噴き出した。

 体勢を崩した彼に追い討ちをかけ、その胸を手刀で思い切り突いた。

 咄嗟に僅かに身を引いた誠だったが、胸のほぼ中央に穴が穿たれる。貫通はしていないが、かなりの深傷ふかでだった。

「誠さん!」

 巻き込まれない距離に退いていた紗慧の眼にも、それがどれだけの傷なのか分かった。彼女は悲鳴と共に彼の名を叫んだ。

「……があッ!」

 攻撃を受けた誠は、深い傷を負うと同時に瞬間的に我を失った。


 どくどくと流れる血とは別に、自我の奥で脈打つものがあった。

 それは、普段闘う際には厳重に抑え込んでいるモノであり、衝動だった。

 誠の身体を流れる血の半分。妖である誠そのものだ。彼が常に畏れる様にして抑え込んでいる自分自身だった。

 激痛と攻撃を受けて生じた肉体的ショックを忘れさせたそれが覚醒し、誠は咆哮を上げた。

 同時に、切り裂かれ、穴を空けられた場所から、めきめきと音を立て隆起するものがあった。


 誠の精神と生命に対する脅威に呼応して、肉体が新たに創り変わろうとしていた。

 妖は声を上げる為の口もなく顔相を備えていないながら、一瞬恐怖した様に身を引いた。妖なりに今の誠に近付いてはいけないと悟った様だった。

 誠の身体は、体表の隆起が以前よりも増し、相貌も険しく、八重歯は完全に牙と化している。闘身になると肥大化していた爪も、大型獣のそれと大差ない。

 肌の青みも増し、その背の翼も怒りを顕す様に震え、音を立てながら大きく開いた。


 誠は、肉体の修復と変化が終わると獣染みた咆哮を再び上げ、妖に襲い掛かった。

 瞬間移動しようとした妖は、彼の咆哮にそれを打ち消されたかの様に動けず、彼に捉えられ、その拳を正面から受けた。

 妖のつるりとした顔面はべこりと潰れ、次いでその細長い身体も妙な場所でぐしゃっと折れ曲がった。

 誠の身体はパリパリと音を立て帯電している様だった。掴まれている妖は、彼が触れている部分から黒く焦げ始めている。

 誠は相手を掴んでいる部分から、強力な電撃を相手に浴びせかけた。

 以前のそれよりも更に激しい音と閃光が走り、紗慧は反射的に眼を閉じ、その場に蹲った。紗慧に直接被害はないが、があんっ、という轟音は腹の底に強く響き、その閃光にも眼が耐えられないのだ。

 次に紗慧が眼を開けると、妖は、炭化した様にその細長い全身が真っ黒になり、一瞬だけ形を保った後、ぐしゃりと崩れ落ち、塵と化していった。


「誠さん……」

 誠は妖を葬った後もその場に立ち尽くしていた。立ち尽くすというより、次の獲物を探す獣の様だった。

 その誠の姿に不安を覚えた紗慧は、立ち上がってゆっくりと彼に近付いていった。

 怪我はどうなったのか、闘身の変化は彼にどんな影響を及ぼしたのか、紗慧には分からなかった。

 紗慧が近付いていくと、誠は彼女の方へ振り返ったが、まるで知らない人間を見る様に首を傾げた。

 その仕草に、嫌な予感を抱いた紗慧だったが、彼に歩み寄るのを止めなかった。

「誠さん」

 声に出して彼を呼ぶが、彼は応えない。

 紗慧は、以前聞いた退治屋の説明の、『戻れなくなる』リスクを思い出した。闘う為の内なる異形・感情に呑まれ、人に戻れなくなるかもしれない、という話だ。

 もしかしたら、という不安を紗慧は覚える。

 酷い傷を負い大きなダメージを受けた誠は、そのショックで変貌を遂げてしまったのではないか。そして、それが不可逆なものだったとしたら……。紗慧はそう思わずにはいられなかった。

 あと数歩の所まで誠に歩み寄ると、彼は獣の様に、ふるるる……と小さく言わせ、紗慧を睨んだ。

 その時、紗慧は本能的にどうするべきなのか察した様に、何も考えずに動いていた。

 誠の胸の辺りに手を差し伸べ、そっと触れる。

 誠は瞬間的にそれを振り払おうと腕を上げたが、びくりと動きを止めた。

 誠に触れた紗慧の右手は仄かに光っていた。金色に近く、しかし幽かで温かみを感じさせる光を帯びている。紗慧は左手も同様に彼の胸に当てた。

 紗慧の両手から誠の胸に当てられた光は、強くも弱くもなく、彼の全身へとゆっくり広がっていった。

 紗慧自身、自分が何をしているのか、解っていなかった。

 ただ、今の誠をそのままにしておいてはいけないと、確信していた。


(誠さん……。戻ってきて……。光の方へ……)


 眼を閉じ、心の中で誠に呼び掛ける。それは祈りにも似て、両手の光が呼応するように微かに揺れた。


 次の瞬間、しゅう……と音を立てた誠の身体は人の姿に戻っていた。

 重苦しい呻き声を発し、誠の身体からは力が抜け、紗慧にもたれ掛かった。

 紗慧は胸に当てていた両手を左右に開き、誠の身体を受け止めて支えた。その時には両手の光は既に消えていた。

「ぐ……ぅ……。まき……の……?」

 再び絞り出す様な呻き声を上げた後、誠は紗慧の肩を掴んで支えにし、そして彼女を自分の身体から離した。

「誠さん……! 大丈夫ですか?」

 反射的に彼の方へ腕を伸ばしかけ、紗慧は彼の顔を覗き込んで窺った。

 誠は疲労困憊した様にぐったりとした表情をしていたが、自身でぶるっと頭を振ると、片手で顔を覆った。

 身体の方は、妖から受けた傷は痕になり残ってはいたが、傷そのものは塞がっている様だった。その事に、紗慧は安堵の息を吐いた。あれだけの傷がそのままであれば重体だ。この場だけでは手の施しようがなかった。

「ああ……。俺は……――」

 誠は紗慧の言葉に応えながらも、自身の意識と記憶を確かめている様だ。そして、紗慧を正面から見た。

「……あんたが、引き戻してくれたのか……?」

 問われた紗慧は答えに窮し、迷ってから返す。

「自分でも何をどうしたのか、分かりませんが……。誠さんが元に戻って良かったです。身体は大丈夫ですか?」

「……ああ。平気だ」

 誠は紗慧の心配そうな視線から逃げる様に辺りを見渡し、

「『常世とこよ』がまた開く気配は、ないな。流石にもう一戦はりたくない……」

と、独り言の様に言った。

 傷は治っているものの、満身創痍といった様子の誠を案じ、紗慧は彼の手を取り、言った。

「良かったらホテルじゃなくて私の自宅うちで休んでください。そうすれば、何かあった時、私も力になれるかもしれないですし」

 誠は紗慧の手を振り解き、脱ぎ捨てたシャツを拾って着ると、気怠げなまま首を横に振った。

「いや、いい。どうせあと一泊だけだろう。一晩寝れば済むし、これ以上あんたの世話になる必要はないし、その気もない」

「でも……。私、何も出来ないかもしれませんが、心配です」

 食い下がる紗慧に、誠は突き放す様に一瞥をくれるが、直後に思い直した様に眉間から力を抜いて表情を柔らかくし、応えた。

「もう大丈夫だ。……さっきは、……助かった。それだけで充分だ」

 精一杯、という感じで誠は紗慧に言うと、彼女に背を向けて歩き出した。怠そうである以外、本当に彼は何ともない様子だった。

「あ……」

 紗慧は、それ以上の言葉を持たない自分に歯痒さを感じながらも、結局彼を見送るしかなかった。

「あの、何かあったら電話でもメールでもください」

 他に掛けるべき言葉が見つからず、紗慧が誠の背に向けて言うと、彼は一度立ち止まって振り返った。

「それは護衛役の俺の台詞だ。――明日は予定の時間通りに車で迎えに行く。向こうに戻る支度して待ってろよ」

 それだけ言うと、彼は再び前に向き直り、やや重そうな足取りで歩いていってしまった。

 紗慧は誠が去ると、自分の両手を改めて見つめた。


 自分は一体何をしたのだろう――そう考えずにはいられなかったが、答えは出ず、直接答えてくれる人間もいなかった。

 恐らく、今までに聞いていた『特殊な能力ちから』を使ったのだろうが、無我夢中であっただけの紗慧には、それ以上の事は分からなかった。


 あれだけの事があったにも拘わらず、幸いにも人が集まってきてしまう事もなく、何事もなかったかの様に公園は静けさを取り戻した。

 紗慧は、地面に落としたままになっていた自分の鞄を拾い上げ、服と共に汚れを払ってから肩に掛け、帰路に就いた。

読んでいただきまして、ありがとうございます。

話の区切りまでもう少し続きます。お付き合いいただけると嬉しいです。

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