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彼方よりの。  作者: 秋生侑珂
第一章
14/34

一時帰宅・二

 その日、紗慧さえの自宅に着いたのは夕方だった。

 通っていた大学に程近い場所にある新築の小さめのアパートの一室が、紗慧の自宅だった。

 更に、そこから歩いて二十分程の場所に実家がある。

 紗慧の自宅に着くと、あきらは、その辺りにあるビジネスホテルに泊まると言って、彼女の部屋に上がる事なく去っていった。

 確かに、普通なら独り暮らしでそれ程親しくない異性を自宅に招き入れるのは良くない事だが、誠には命を救われている。送るだけ送らせて放り出した様で、紗慧は反射的に申し訳なく思ってしまう。


 七月に入ったT都は、夕方でもN県よりずっと暑い。

 紗慧は部屋に入り、エアコンをつけたいのを我慢して、まず窓を開けて部屋の換気をした。

 N県にいる間も、遥鳴堂旅館ようめいどうりょかんでのアルバイト代から家賃は払っている。しかし、またすぐに旅館に戻り生活を続けるなら、部屋は引き払うべきだろうか、と、紗慧は考えていた。

 大学の事も悩みの種だった。

 社会科学を大学で専攻している紗慧は、当然学びたい事があって大学に通っていた。大学院に進んだのもまだ学び足りない事があったからだ。

 今の生活がいつまで続くか分からないなら、一年休学期間をとったものの結局そのまま大学を辞めざるを得ないのではと、紗慧は思った。

 1LDKの、自室の椅子にじっと座ったまま考え込んでいた紗慧は、そのうち暑さにはっとし、もう充分換気しただろうと思い、窓を閉めてエアコンをつけた。

 考える事は色々あるが、まずは明日の事だ。

 明日は午前中に実家に顔を出し、昼過ぎに親友の野本のもと亜沙美あさみと会って食事する予定だった。

 彼らが紗慧の心配をずっとしているのは、紗慧自身よく解っていた。その彼らに、本当の事を言えないまま近況報告をし、再びN県に戻って生活を続ける事を告げなければならないのは心苦しかった。

 このアパートの部屋を引き払うと言ったら、両親は何と言うだろうかと、紗慧は考える。

 必要な荷物は、前回帰宅した時に旅館の方に持っていっていた。家具は、元々実家から持ち出した物も多く、処分を考えねばならないのは、冷蔵庫や洗濯機だった。

 部屋を引き払うなら不動産の手続きもある。今すぐに、という訳ではないが、考えておかなければならない事は沢山ある。

 紗慧は、エアコンによって涼しくなった部屋で考え込みながら、買い溜めしておいたスパゲッティと、レトルトのパスタソースを温める準備をしていた。

 新鮮な食材がない以上、こうした簡単に食べられる食事に頼るしかない。

 大学を辞めなければならないとすれば、それは苦渋の決断になるだろうが、一方で、旅館での生活も気に入っている自分もいた。遥鳴堂旅館に、アルバイトではなく就職するのも、それ自体は悪くはないとも思えた。

 先行きが不透明なのは、あやかしという存在の社会的な脅威度が均一ではないせいでもある。

 実際、N県に行くまで紗慧や周りの者が妖に襲われたという話は聞いた事がない。

 紗慧が特殊な『能力ちから』を持っている人間だから、今後も襲撃される可能性がある、という話は飲み込め、同様の性質を持つ誠の母親の話も少しではあるものの聞いていた。

 それなら、この先の紗慧の人生はどうなってしまうのか。紗慧自身でどう舵取りを行えば良いのか。問題はそこだった。

 明日、家族と親友に、何をどう話せば良いか分からないまま、紗慧は簡単な夕食を済ませ、床に着いたのだった。


 翌日、紗慧は午前九時頃には実家に帰ってきていた。

 誠にはメールで場所を告げてあったが、「近くで時間を潰す」と、返信があっただけだった。

 連絡した通りの時間に紗慧が顔を見せ、母親の明子あきこはにこやかに彼女を家に迎え入れた。

「お帰りなさい。今日も暑いわねぇ」

 小さな一軒家である紗慧の実家は、リビングでエアコンが稼働中で、少し肌寒いくらいに涼しかった。

 日曜日である為、父親の陽一よういちもリビングの食卓の定位置で新聞を読んでいた。

 彼も紗慧がリビングに上がると、「おっ」と、声を上げてガサガサと新聞を畳んで椅子に座り直した。

「お帰り」

「ただいま」

 親子らしく、短い挨拶を済ませると、明子が人数分の冷たい麦茶を運んできた。

 四人掛けのテーブルに、陽一と明子が向かい合って座り、明子の隣に紗慧は座った。

 少しの間、互いにどう切り出したものか、という沈黙が流れた。

「N県はこっちより涼しいか?」

 ようやく、陽一が一言口を開く。

「そうね。こっちよりかは。でもやっぱり暑いよ。夏だもん、仕方ないよ」

 紗慧が応えると、陽一は「そうだな」と、小さく返す。

 二人が紗慧を気遣って話題を選ぼうとしているのは、彼女にも痛い程伝わってきていた。

 しかし、無難な会話を続けていても仕方ないと紗慧は思い、麦茶を一口飲んでから切り出した。

「……私、まだ向こうにいようと思ってるの。休学期間も一年とってるし」

 紗慧の言葉に、二人は顔を上げて紗慧をまじまじと見た。

「辛くは……ないのか? 彼は……見つからないんだろう?」

 陽一は言葉を選びながら言う。

「うん……。辛くないって言ったら嘘になるけど、今はまだ、離れたくないの」

 紗慧は、話せない事以外で嘘をつきたくなかった。N県に留まる事は、仕方のない事でもあるが、紗慧自身の望みでもある。

「そうか……。向こうでは旅館でバイトしているんだろう? そっちは順調なのか? あまり無理したら駄目だぞ」

 陽一は、紗慧の言葉を否定する事なく、心配の気持ちを声に乗せて言った。

「うん。大丈夫。みんな良い人ばかりだし」

 紗慧は二人を心配させまいと、笑みを見せながら返す。

 明子はそれでも心配そうに娘を見つめ、しかし何と言えば良いか分からない、という表情で口ごもった。そんな妻に目配せしながら陽一は、うんうん、と紗慧の言葉に応えようとしていた。

 今回紗慧が帰郷した理由は、両親や親友に直接会って、彼らに、『自分の事は心配いらない』という事を伝える為でもあった。

 親友の亜沙美はとはこの後会う予定だが、両親には元気にやっている事を伝えられたと、紗慧は思った。

 そして、両親と言葉を交わすうちに、こちらの自宅であるアパートの部屋の契約を解約する事を、心に決めたのだった。

「しばらくは向こうにいるつもりだし、あのアパートの部屋、出ようと思うの」

 紗慧が思いきって二人にそう告げると、明子は悲しげとも困惑ともつかない表情で、彼女を見る。

「旅館のご主人にも相談して、また戻ってくるから、契約の解除とか必要なくなる家具の処分はその時に」

「……紗慧がそう決めたなら、そうしなさい」

「お父さん、そんな簡単に……!」

 紗慧の言葉に頷いた陽一に、明子は慌てて言った。だが陽一は、かぶりを振って明子だけでなく紗慧に向けても言う。

「色んな道があるんだ。これまで通りに拘り過ぎるのは、ちょっと違うと父さんは思う。こっちに戻る時は、実家ここに帰ってくれば良い。心配ないさ。だから、好きにしなさい」

 彼の言葉に紗慧が頷くと、明子も肩の力を抜いた様に座り直し、最後には頷いた。

「そうね。お父さんの言う事は分かるわ」

「ありがとう。お父さん、お母さん。我儘言ってごめんなさい」

 紗慧は心からそう二人に言った。


 今後について両親と話をした後、亜沙美との約束の時間を考えて紗慧は実家を辞した。

 自宅からも近い、待ち合わせにもよく使うカフェが待ち合わせ場所だ。

 約束した時間よりも十五分程早く店に着いた紗慧は、店員に待ち合わせの旨を告げて、いつも座る席に着いた。

 前日都内の風景を見た時にも感じたが、たった三ヶ月離れていただけで、都会らしいビルだらけの景色も馴染みであった店の内装も全てが懐かしく感じられてしまった。

 それともそれは、紗慧自身の変化のせいなのか、彼女にははっきりとは分からないのだった。

 気取り過ぎず簡素過ぎない、程よくお洒落で落ち着いた店内で、紗慧はミントのブレンドハーブティーを飲みながら親友の到着を待った。

 こちらの店に移動した時にも誠にメールで連絡し、店の場所も伝えたが、やはり返ってきた言葉は先と同じだった。

 いっその事彼もこの店で食事しながら待っていてくれても良いのにと、紗慧は一瞬思ったが、それはそれで気まずくなるとすぐに気が付いた。

 ややあって、約束の時間より少し早く彼女は店にやってきた。

「紗慧! 久し振りになっちゃったね!」

 店員に案内されて席に着くなり、亜沙美は急いでいる様に早口で言った。

「そうだね。ごめんね」

 紗慧が謝ると、彼女は首をぶんぶんと横に振って応える。

「紗慧のせいじゃないでしょ!」

 亜沙美は、大学院に進学を決めた紗慧と違い、企業に就職していた。学生ではなくなり、化粧にも変化があるのではと紗慧は予想していたが、今日が休日だからか、彼女は学生時代と同じ化粧と服装だった。

 亜沙美はショートボブの髪を耳にかけながら、見慣れたメニューに眼を通しながら紗慧に訊いた。

「何食べるか、決めた?」

「うん。特製カレーにする」

 紗慧が答えると、亜沙美は「ん~」と、悩ましげな声を上げる。

「ここのは美味しいもんね。でもリゾットも捨て難い……!」

 まるで大学の学食にいるかの様な賑やかな振る舞いの亜沙美を見、紗慧は切ない気持ちになっていた。まるで、もう二度と帰れない場所を訪れた様で、胸がちくりと痛んだ。

 亜沙美には家族に知らせた事と同様の事を伝えてあった。

 『旅行中事故に遭い、のぼるだけが行方不明のまま、恐らく帰らぬ人となった』と、彼女も信じている。真相を話す事は出来ない。

 亜沙美が明るく賑やかに振る舞うのも、彼女なりの気遣いなのだと、親友である紗慧は気付いていた。そして、紗慧が気遣いに気付く事も、彼女も分かっている様だった。

『紗慧だけでも無事で良かった』と、亜沙美が口にしないのも、紗慧にとっては有り難い事だった。

 表面的には普通に振る舞えても、『自分だけが助かってしまった事』と、『昇がいなくても回っている日常』を言葉で突き付けられるのは、まだ辛い事なのだ。


 結局亜沙美も紗慧と同じく特製カレーを注文し、料理が来るまでは、亜沙美が就職した会社の話をしていた。

 それは近況報告でもあり、愚痴でもあったが、紗慧は相槌を打ちながら聞いていた。

 彼女は研修期間を終えたばかりらしく、仕事の大変さをしみじみと語った。

 亜沙美は話が上手く、同時に、尊敬する先輩社員の話なども交え、紗慧を飽きさせなかった。

 そのうちに料理が運ばれてくると、今度はそちらに注意を惹かれる様は無邪気そのもので、紗慧はそんな彼女を彼女らしいと嬉しく思った。

「紗慧は旅館だったよね? どう? 仲居さんって大変じゃない?」

 亜沙美はカレーとセットのサラダを交互に頬張りながら、紗慧の様子を窺いつつ訊いてきた。

「うーん……。大変だけど、色んな事やるのが楽しい、かな」

 紗慧も、食事を口に運びながら正直に答えた。

「お客さんのお世話って言っても、常連さんばっかりだから、お客さんの方で勝手が分かってて、それに助けられてもいる感じ。他の従業員さんもみんな良い人だし、大変だけど、やり甲斐はあるよ」

「ふぅん。紗慧の気質にあってるのかな。優しいもんね、紗慧は」

 嫌味では勿論なく、微笑んで亜沙美は言った。と、思うと、悪戯っぽく笑って、向かい合って座った紗慧の頬を人差し指で軽く突く。

「住み込みでしょ? 温泉、美肌効果はどう?」

「え? どうかな? 自分じゃ分からないよ」

 慌てて身を引く紗慧に、亜沙美は声を上げて笑う。

「今の感触からすると、あったんじゃない? 効果。元から肌綺麗だけどさ」

 三ヶ月前に戻った様な、何事もなかった様な彼女の言動の中には、感じ取れる気遣いがあった。

 自分の近況を話していても、軽くふざけてみても、紗慧が大切な人を失った事を忘れている訳ではない事が、ふとした事から伝わってきていた。

(優しいのは亜沙美だよ)

 紗慧は声に出さず、胸の内でそう呟いた。

 少しの間、二人は食事と何でもない会話を楽しんでいた。

 二人の前の器が全て空になると、店員はすぐにそれを下げ、食後にと注文していたコーヒーを運んできた。

 亜沙美はアイスコーヒーで、紗慧はホットコーヒーだった。

 亜沙美はガムシロップだけをアイスコーヒーに入れてストローで素早くかき混ぜると、一口飲んでから訊いてきた。

「それで、この後どうするかは決めてあるの? まだ考え中?」

 この後とは、勿論『今後』の事だ。

 紗慧も、一口コーヒーを飲んでからゆっくり答える。

「まだしばらく向こうにいるよ。もしかしたら大学も辞めるかもしれない」

「そう、か」

 亜沙美がストローでアイスコーヒーと氷を混ぜるカラカラという音が、沈黙の間に流れていた。

「紗慧が考えて決めたなら、私も応援するよ」

 紗慧は本当の事を何も話せない事を歯痒く思いながら、ただ自分の言葉を受け入れてくれた親友に深く感謝した。

「ありがとう。何かあったらまた連絡するから」

「『ありがとう』なんていいんだよ。私も何か手伝えれば良いんだけど、残念ながらそうじゃないんでしょ?」

 話せない事があるのを見透かした様な亜沙美の言葉に驚きながら、紗慧は、

「その気持ちは本当に嬉しい」

とだけ答えた。

「私に出来る事があれば言ってね。遠慮なんかしちゃ駄目だからね」

 亜沙美は普段通りの明るさで、言外に心配を滲ませながら言う。

「ありがとう」

 紗慧はもう一度、言葉通りの気持ちを込めて亜沙美に返した。

 その後は、再び他愛ないお喋りに戻った。

 旅館の同僚達とのお喋りも楽しいものだが、気心の知れた親友とのそれは、心からほっとするものがあった。


 午後四時頃までそうして過ごすと、紗慧は「今日はそろそろ……」と、お開きを提案した。

「そっか。じゃ、またこっちに戻ってきたら声を掛けてね」

 亜沙美は少し名残惜しそうにしながら応える。

「うん。勿論。今日はありがとう。楽しかった」

 紗慧は努めて明るくそう言った。

 会計を済ませると店を出て、亜沙美は紗慧をぎゅっと抱き締めた。

「何があっても、私は味方だから」

 さらさらの髪の毛を頬に受け、全身で彼女の暖かさを感じた紗慧は、泣きそうになりながら頷いた。

 次の瞬間にはばっと紗慧の身体を離し、亜沙美は自宅の方へ足を向け、「またね」と、手を振った。

「またね」

 紗慧も同じ様に手を振って返し、二人は店の前で別れた。


 亜沙美と別れた後、紗慧は夕食と明日の朝食の買い物をしようと近くのスーパーマーケットへ向かおうとした。

 道の途中で、都内では大きめの森林公園に差し掛かった時、『あの』感覚が紗慧を襲った。

 耳鳴りを伴った眩暈の様な感覚の歪み。『あれ』だ、と思った瞬間、スマートフォンが着信を告げた。画面を見ると、誠からだと分かり、すぐに電話に出た。

「牧野か。『常世とこよ』が開いた。すぐにそっちに行くから、動かないでじっとしてろ」

 誠は早口でそう言い、紗慧が「分かりました」と答えると、そのまま電話を切った。

 退治屋は、詳しい居場所を告げなくても、その人固有の『気』を辿れば居場所は分かる。その事は紗慧も既に知っている。「すぐ行く」と言ったら、本当にすぐ来るだろうと、紗慧は辺りを窺いながら誠を待った。

 紗慧は、もう入り口に差し掛かっている公園から嫌な気配を感じていた。

 『何か』がいる。そしてその気配が近付いている様な気がして、今すぐそこから逃げ出したい衝動に駆られた。

 果たして、その感覚は正しかった。

「伏せろッ」

 突風と共に誠の声がして、その瞬間背中から押さえつけられる様に伏せさせられた。

 ひゅっと風を切る音が頭上を掠め、『何者か』の存在が紗慧にも明らかになった。

 誠は紗慧を抱えると、後ろの公園の方へ二、三歩大きく下がった。

 陽が傾き始めた公園の入り口に、背の高い黒い影が佇んでいた。

読んでいただきまして、ありがとうございます。

一応主人公は、誠なのですが、物語の流れ上紗慧が中心になりがちです。

全ての登場人物が、読んでくださった方の心に残るように描けるよう努力致します。

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