一時帰宅・一
牧野紗慧が遥鳴堂旅館で生活し始めてから、三ヶ月が経とうとしていた。
退治屋である高砂誠が保証した通り、旅館が建つ土地は安全だった。
同じく退治屋の賀茂橋郁人と共に、一度他の町に買い物に出た際に、妖に襲われた事はあったが、紗慧は二人の闘いによって助けられ、事なきを得ていた。
本来なら大学院生となっていた筈の紗慧は、社会的には休学中となっている。
恋人であった柏崎昇と事故に巻き込まれ彼だけが行方不明になり、彼が見つけ出されるのを待つ為、気持ちの整理をする為、という事になっている。
だが、紗慧は昇がどうなったのかを知っている。
それと同時に、自分が特殊な立場である事も。
紗慧は、現在の事だけでなく、将来の事も考え、不安になっていた。
大学に戻る事は可能なのか、この先ずっと二人に護って貰う訳にもいかないのでは、という事も、考えるようになった。
旅館での仲居としての生活は、大変ながらやり甲斐を感じる楽しいものであった。
大学に入り、大学院に進もうと思ったのには理由もあり、責任感もあった。
だが、状況が何もかも変わり、紗慧は自分の人生をどう考えていけば良いのか、それが分からなくなったまま今に至っていた。
遥鳴堂旅館の主人である中原泰倫には、紗慧のその迷いは伝わっていた。
泰倫は、紗慧の仕事の時間外に彼女に声を掛けてきた。
「やっぱり、今の状態は不安だよね。僕なりにそれは理解しているつもりだよ」
彼は、旅館の従業員が生活する為の離れにある自室に紗慧を呼んでそう言った。
彼の言う不安とは、妖に狙われているかもしれないという事も含まれているが、今後どうしたら良いか分からないとい紗慧の不安を察しての言葉だった。
「ウチとしては、働き者で有能な従業員である君が、アルバイトでなくこのまま就職してくれれば、それは有り難い事だけどね。でも、院に進もうと考えていたのなら、急にそれを放り出す事は難しい心境だよね」
あくまで普段の穏和さを崩さず、「相談にはいつでも乗るから」と、紗慧に言う。
紗慧はその気遣いに礼を言い、
「現状では今の生活を続ける事が一番良い、というか、それしかないのは分かっているんです」
と、返した。そして続ける。
「私を護ろうとしてくれる人がいて、生活に応じた仕事をくれる人もいて、それがどれ程恵まれている状況なのか、よく分かっているつもりです。以前の生活から見ても、今の生活は充実も感じますし、勿論不満もありません」
紗慧は本心からそう言い、それは泰倫にも伝わっている。
頷く泰倫に、彼女はそれ以降の言葉を見失ったように黙ってしまった。
それでも彼は彼女に話す事を強要せず、優しく黙ったまま彼女を見ていた。
少しの間沈黙が続いたが、泰倫が口を開いた。
「数日、自宅か実家に帰ってみるかい?」
「え?」
不意を突かれた様に、紗慧は面を上げた。
「向こうには家族も友達もいるだろう? 会ってきても良いだろうし、勿論ただのんびりしたって良いだろう。
誠は連れていっても構わないだろう。今は郁人君もいるから。
前の様に車は貸すよ」
当然の様に、泰倫はさらりと述べる。
「仲居の仕事の事は気にしなくて大丈夫だよ。数日くらいどうって事はない。どうせお客もまばらだしね」
紗慧は迷いながら応えていた。
「お気遣いありがとうございます。では、三日程、帰ってきても良いでしょうか」
泰倫に言われてみれば、急に今の状況に放り込まれて友人達にもメールでしか伝えられていなかった。
昇の両親には彼の捜索の時に会っていたが、自分の両親には、荷物を取りに行った時にもまともに会っていなかった。
と云っても、本当の事を話す事が出来ない状態では、会っても何をどうすれば良いか分からなくなってしまうかもしまうかもしれない。だが、それこそ、気持ちを整理するには良いかもしれない、と、紗慧も思うのだった。
「三日で良いのかい? もう少し時間をとっても良いんだよ?」
泰倫は微笑んだまま首を傾げる。
「はい。あまり長くいても逆に困ってしまうと思いますから」
「そうか。分かった。じゃあ、日程の調整だね。紗慧ちゃんの方で帰るのに都合の良い日にちが決まったら言ってくれ。皆には僕から言って調整しておくから」
泰倫はおっとりしている様で、てきぱきと段取りを決めていく。旅館を親から継いだのも伊達ではないと思う時が、紗慧にもあった。
こうして、紗慧の一時的な帰宅が決まったのだった。
泰倫が貸してくれた軽自動車に、紗慧と誠は乗っていた。
運転席には誠が座り、紗慧は助手席に座っている。
誠がバイク好きなのは、紗慧も既に察していたが、車の運転も巧いものだった。
郁人は最初から車が好きな様だったが、誠も車も悪く思っていないのではないかと、紗慧は思った。
紗慧の帰宅が決まった時、彼女の護衛は郁人がすぐに名乗り上げたが、そもそも最初に彼女の護衛を任されていたのは誠だった。
泰倫が指摘すると、誠は面倒そうにしながらも拒否はしなかった。
郁人は大いに悔しがったものの、紗慧の帰宅に同行するのは誠に決まったのだった。
以前の紗慧の帰宅に誠が同行した時は、道中適当にカーラジオをつけっ放しにしていた。二人が知り合って間もないという事と、紗慧の精神状態が良くなかったという事が大きかった。
だが今回は、心の傷は癒えていないものの、表層的には普通に振る舞える紗慧だった。彼女は途中で自分のスマートフォンを取り出して、何か音楽をかけても良いかと訊いた。
誠は横目で紗慧を見、「好きにしろよ」と、言って返した。
紗慧は慣れた手付きでデジタルカーナビにBluetoothでスマートフォンを繋ぎ、ミュージックプレイヤーアプリを呼び出して音楽をかけ始めた。
紗慧が選んでかけたのは、洋楽のロックミュージックとカントリーロックを混ぜたプレイリストだった。
J-POPでもなく、流行っているばかりの洋楽でもない曲を流した紗慧に、誠は少し驚いた様だった。
「いつもこんなの聴いてるのか?」
決して悪いニュアンスではなく、誠は紗慧に尋ねた。誠の方から紗慧に話し掛けるのは珍しい事だった。
内心で嬉しく思いながら、表面に出さない様に気を付けながら紗慧は答えた。
「はい。好きなんです」
誠は小さく「ふん」とだけ返した。
「好きじゃなかったり、聴きたくなかったら言ってくださいね」
紗慧が言うと、
「……嫌いじゃない」
と、誠は無愛想なまま応えた。
「良かった」
笑顔で素直に喜んだ紗慧に、誠は再び「ふん」と、小さく鼻を鳴らした。
紗慧の自宅までの道程は誠も覚えており、高速道路を使い、スムーズに進んだ。
道中で誠は注意を促す様に言った。
「都会だからといって、妖が出ない訳じゃない。一応移動する時以外も俺は近くにいる。鬱陶しいだろうが、我慢しろ」
「はい。付き合わせて申し訳ないですが、お願いします」
今回は自宅に二泊三日の内、二日目に彼女の親友に会う事になっている。その日は自宅からそう離れていない実家にも顔を出す予定だ。
親友にしても家族にしても、誠を紹介する事は出来ない為、常に一緒にいる訳ではない。だが、彼は紗慧の行動を把握しきれなくてもすぐに動けるようにしなくてはならない。紗慧の方も、その事に気を遣わなくてはと思っていた。
――と、紗慧が色々と考えていると、カーステレオから流れる曲に、思考を中断させられた。
昇が特に好きだと言っていた曲だ。
二十年以上前のカントリーロックの曲で、印象的なアコースティックギターのフレーズとボーカルの力強くも繊細な歌声が魅力の一曲だ。
紗慧も元々気に入っていた曲で、車で二人で出掛けた時にこの曲が流れると、どちらからともなく曲に合わせて口ずさむ事が多かった。
昇との思い出が多い曲だった。
その事を不意に思い出した紗慧は、目頭と鼻の奥が熱くなるのを感じ、動揺してしまった。
その僅かな変化に、誠も気付いた様だった。
彼はハンドルを握りながら慎重にシートに座り直すと、前方を真っ直ぐ見ながら、普段より多く瞬きをしていた。
「……この曲、昇さんが好きだったんです」
動揺を悟られたのなら、変に知らない顔も出来ないと思い、紗慧は静かにその事を誠に告げた。
「……そうか」
誠は小さく、だがはっきりと応えた。その応じ方に、紗慧は彼の誠実さを強く感じた。
(やっぱり、優しい人なんだ)
紗慧は心中でそう呟いた。
「これ、オリジナルか? 俺はカバーされてるやつしか聴いた事がなかった」
「はい。オリジナルですよ。カバーも良いのありますよね」
意外にも、誠は曲についての反応も返してきた。
紗慧は誠の弁に応えて、その曲をカバーしている歌手の名前を挙げた。
「ああ、それだ。俺が知ってるのは」
誠は無愛想なのは変わらないものの、普通の声音で紗慧に言った。
これまで誠と『普通の会話』をまともにした事がなかった紗慧は、それを嬉しく思い、「そうなんですか」と相槌を打った。
「良い曲ですよね」
しみじみと紗慧が言うと、誠はまたもや意外な程素直に頷いた。
「そうだな」
『普通の』誠の顔を、ここへ来て初めて見た様に思い、紗慧は内心でそれを喜んでいた。
昇との思い出に泣きそうになるのと同時に、誠と打ち解けられそうな予感に喜びを感じた紗慧は、その両方に胸を熱くさせていた。
昇を思い出して辛い気持ちは依然としてあるものの、誠と普通の関係が築けるかもしれないと思えるのは、紗慧にとって嬉しい事だった。
一方で誠は、紗慧に気を遣っている事には変わりないが、彼女に対して身構える気持ちが薄らいでいる事に気付き、自分でも内心で驚いていた。
境遇も人当たりも、何もかも自分と違う女性である紗慧の音楽の趣味に、共感を見出だせた事は、誠にとって驚くべき事だったのだ。
そして、他者を遠ざけるのが当たり前の彼に、馴れ馴れしくするでもなく、逆に遠ざけるでもなく、一定の距離を保ちつつ接してくる紗慧を不思議に思っていた。
泰倫は、元は彼の父親と縁があり、遠ざけようと邪険にしても暖簾に腕押しといった体で、彼は彼で不可思議に思うところがあったが、紗慧はまた違ったタイプの人間だった。
紗慧も誠も、それなりに長い道中で気まずくなったり間が持たなかったりするのではと心配もあったが、それが杞憂であったのは、双方にとっても意外な事だった。
しかし仮に第三者が見れば、彼らは既に友人同士であった。
安全地帯である遥鳴堂旅館を離れ、何事もなく家族達との再会が終えられるよう、紗慧は勿論、誠もそう願っていた。
読んでいただきまして、ありがとうございます。
更新ペースが遅く、申し訳ありません。
この話から、また数話に分けて物語を進めたいと思います。
次の更新まで、また時間がかかるかと思いますが、お付き合いいただければ幸いです。




