退治屋・妖談義
その日、郁人は、紗慧の警護ではなく外の見回りだった。
昼に自分の車で回れる範囲を見回って妖が『常世』から来ていないか確認し、妖が見つかれば退治する。
この日は活動拠点になっている遥鳴堂旅館のある御代多賀町からいくつか離れた町で、退治屋の間で『ゴブリン』と呼称されている妖を見つけ、ソレを倒してきた。
ゴブリンは妖の中でも比較的低級な妖で、今回遭遇した数も少なかった為、難なく倒すことが出来た。
数日前の『河童』から受けた傷も既に治り掛けていた、
この日はそれ以外に特別な事もなく、旅館に帰った後は日課にしている鍛練を終え、入浴や夕食を済ませると、床に着くにはまだ早い時間だという事に気付いた。
再び外へ散歩に出る気分でもなかったが、部屋にじっとしているのも退屈ではあった為、何の気なしに旅館の玄関に繋がるエントランスに足を向けた。
エントランスには、客用に、背の低い和風の椅子とテーブルのセットが置かれている。
既に旅館の従業員も一通りの仕事を終えている筈の時間だが、エントランスにいれば誰かしらが通り掛かるかもしれず、相手の都合が悪くなければ話し相手になって貰えないかと、彼は軽く期待していた。
自動販売機で買った飲み物を持ってエントランスのテーブルセットへ向かうと、そこには先客がいた。
「こんばんは。宮内さん」
そこで寛いでいたのは、この遥鳴堂旅館に長期滞在している小説家の宮内孝明だった。
郁人は彼に挨拶し、並んでいる椅子の一つに座った。
「ここ、良いですか?」
「勿論」
頷いた孝明も郁人に挨拶を返す。
「こんばんは。賀茂橋君……でいいかな?」
二人はまだ数度しか顔を会わせていない。
「郁人、で良いですよ」
郁人がそう返すと、孝明は砕けた笑みで頷いた。
「俺の事も好きに呼んでくれ。堅苦しいのはあまり好きじゃない。ペンネームの方が呼び易かったらそっちでも構わないよ」
「せっかく名前で呼んで貰うなら、俺も『孝明さん』って呼ばせて貰いますよ」
郁人はそう言い、持っていたペットボトルの蓋を開け、アイスティーを一口飲んだ。
孝明は郁人の左腕の治り掛けの傷をに気付き、静かに訊いた。
「闘って負った傷かい?」
傷は八割程治癒した状態で、もう痛まず、絆創膏なども当てていなかった郁人は、反射的に自身の左腕に眼をやり苦笑して応える。
「大したことない傷ですよ」
郁人の言葉に、孝明は眉尻を下げて、少し困った様な顔をした。
「大変な仕事だな、退治屋とは」
郁人は頭を振って肩を竦める。
「紗慧ちゃんも気にしてくれますけど、自分では辞めたいと思う様な大変さは感じませんよ。護らなければならない人がいると、それなり以上の責任は感じますけどね」
孝明は「ふむ」と、郁人の言葉に応え、少し考えてから言った。
「俺は、たまたま誠君が妖を退治しているところに居合わせた事で、妖や退治屋の存在を知ったんだが、彼は普通の退治屋が知っている様な詳細を知らないと言っていた。妖や『常世』なんかについて興味があったんで訊いてみたんだが」
郁人は、孝明のどこか期待する様な視線を感じ、再び苦笑した。
「奴が知らないのは退治屋のコミュニティとの関わりを半ば放棄しているからですが、かといって俺達普通の退治屋が知っている事にも限りがあります。それで良ければ、分かる範囲で質問にお答えしますよ?」
すると、孝明は笑みを浮かべて頷いた。
「教えて貰えるなら嬉しいよ。どうしても興味というか、好奇心が向かってしまってね。あ、本に書いたりはしないから、安心してくれ」
「まあ、あるレベルで情報規制されてはいるので、そう言って貰えると助かります」
郁人はそう言ってアイスティーを口にした。孝明の方はペットボトル入りのほうじ茶をごくごくと飲み下す。
「じゃあ、早速質問させて貰うが、『常世』ってのは、具体的にどんな世界なのかは、判っているのかい?」
郁人は首を横に振って答える。
「何せ人間の方からは行けないですからね。こちらの世界である『現世』と向こう側である『常世』の境界は通常は閉ざされていますし、現状では普通の人間は、その境界の扉をを開く術を持っていません」
「君達が闘う時の『闘身』でも駄目なのかい? 『闘身』は、妖の側に近付く為の術だと聞いたが」
郁人は孝明の問いに、僅かに眼を細めた。
「なかなか鋭いですね。ですが、闘身になってもヒトである事には変わりありません。闘身に溺れて呑まれ、『こちら』へ『戻れなく』なった時、その者は『ヒト』ではなくなります。そうなれば、『元人間』であっても境界を越えられる、と言われてはいます」
「成程。君達退治屋が負っているリスクの一つという訳だ」
孝明は淡々というが、他人事の顔と声色ではない。
「そういう事なので、『常世』が具体的にどうなっているのかは、考察好きの退治屋の想像以上の事は判りません」
聞いた孝明は、「そうか」と、思案顔で頷いた。
ついでに、とばかりに郁人は付け加える。
「『常世』はこの『現世』の裏側に折り畳まれるようにして存在しているイメージだそうです」
「位相のずれた様な感じなのかな? 『こちら』からは干渉出来ず、『向こう』も基本的には世界を渡らなければ直接的な干渉は出来ないんだろう?」
「そうですね。位相のずれた世界、というのはイメージとしても近そうですね」
郁人は孝明の飲み込みの良さに、彼の職業を感じた。
「妖が何故、『こちら』へ来て人間を襲うのか、という事も、判っていないのかな? やっぱり」
孝明の視線を受け、郁人は頷いて応える。
「『食糧』として必ず必要、という訳ではない様ですけどね。妖の生態は殆ど判っていません」
郁人の言葉に、孝明も、うんうんと頷く。
「それでも、ごく少数の退治屋が『向こう側』へ行ってしまうのか……。やっぱり大変な仕事じゃないか」
「まあ、そうですが……。だからこそ、紗慧ちゃんの様な『調整師』が必要なんです。『調整師』は退治屋が闘身に呑まれるのを防ぐ能力を持っていますから。
能力を使いこなす『調整師』は、そのまま退治屋と組んで仕事をする事が多いんです」
「ほう。牧野君は、そういった事情でここにいるのか」
思わず孝明がそう声を上げると、郁人は、
「ああ、そうか。詳しい事情は知らなかったんですね」
と、苦笑いで言った。
「彼女はあくまで保護対象ですけどね。能力は未覚醒ですし。覚醒したとしても、退治屋を手伝わなければいけない訳じゃありません。義務ではありませんから」
孝明は「ふむ」と、頷いた。
「彼女が前に、本人のいない所でその人の話をするのは悪い、という様な事を言っていたし、牧野君の事は置いておこう」
自分に言い聞かせる様に孝明は言い、ほうじ茶を飲みながら、「そうだ」と、ふと思い付いた様に言った。
「俺も前に妖を自分の眼で見たが、なんというか、フィクションのクリーチャーの元になった様な風貌だったな。こんな事を言うと不謹慎かも知れないが」
郁人は、「今は二人たけですから、お気になさらず」と小さく言う。
「俺は小説家なんかやっているから、こう感じるんだが――」
そう前置きして、孝明は言う。
「こちら側の『現世』と向こう側の『常世』が繋がっているなら、無意識のレベルでこちら側の人間が向こう側の影響を受けて、それが創作物のクリーチャーのデザインや設定に反映されているのではないかと思うのだが、どうだろう? 有名な心理学の一説にも『集合的無意識』や『原型』というやつがあるし、全ての人が無意識の一部を共有しているというのが本当なら、その辺りが関係していそうだと感じる」
孝明の言葉に、「やはり鋭いな」と、内心で思いつつ、郁人は答える。
「可能性としては充分あると思います。退治屋間で呼ばれる妖の呼称は、和洋折衷ですが、今孝明さんが言った様な解釈があるから、そうなるんです」
郁人は指を折りながら、名前を挙げていく。
「ゴブリンにガーゴイル、河童に、コボルトという妖もいます。……天狗も。便宜上必要なので退治屋が勝手に分類してそう呼んでいるだけですから、連中が自分達をどう定義しているかは判りません」
彼の言葉を聞き、孝明は興味深げに、「ふむ」と唸る様な声を上げた。
郁人は孝明が思案している間に、ペットボトルのアイスティーを飲んだ。
孝明は顔を上げて郁人に向き直ると、言った。
「そうだとすると、神話や民話も含めて、創作物で既出のモンスターの大半は、妖として存在している可能性があるんじゃないかと思うが、それは考え過ぎだろうか?」
次に唸ったのは郁人だった。
「それは何とも言えないですね。純粋な創造力の賜物というのも存在すると俺は思います」
言った後、郁人は孝明から視線を外して宙を見ながら語る。
「退治屋の間で共有されている情報からの研究は行われてはいますが、何せ退治屋は潰しがきかない職でもありますから。専門的な研究というのも個人の裁量というか。そういった方向に向いた者がいれば研究が行われる、という感じですね」
「成程」
郁人の言葉に頷いた後、孝明は気が付いた様に訊いた。
「そういえば、君達退治屋は、普段は職業に関してはどう自称しているんだ? 退治屋だと素直に名乗れない状況の方が多いんじゃないか?」
すると郁人は、「人によりますね」と、答える。
「俺は表向きの職業は、探偵事務所の調査員という事になっています」
「探偵か。確かに君に似合いそうだね」
孝明の言葉に、郁人は苦笑混じりに言う。
「場合によっては、実際に人探しや調査をする事もあります。そのせいで、板についてしまったところもあるかもしれないですね」
彼の言葉に、孝明も少し笑う。
少しの間、二人共黙って飲み物を飲んでいた。
ふと思った事を、郁人は孝明に尋ねた。
「孝明さんは、この旅館にどのくらい滞在しているんですか? 旅館のご主人の泰倫さんと親しいのだとは聞きましたが」
孝明は、ペットボトルのほうじ茶をごくりと飲み込んでから答えた。
「大体八、九年ってところかな。十年は経っていないと思うが」
「やっぱり長いんですね。仕事の執筆は、こういった環境の方が捗るんですか?」
郁人の質問に、孝明は苦笑して首を傾げる様にして答える。
「特別捗るとか、こういう環境じゃないと書けない訳じゃないんだ。ただこういう生活も性に合うというか」
そう言った後で、彼は悪戯を見つかった子供の様な表情で言った。
「実は実家は資産家でね。だが折り合いが悪くて。当て付けの意味もあるんだよ。家の資産を食い潰してやりたいと思った事もある。
一応、今は自分の稼ぎでこの生活を維持出来ているんだがね」
郁人は相手の苦笑に合わせて同様の表情で頷いて返した。
「そういや、何でもこの土地は特別だとかで、妖が寄り付かないとか。俺がここに居着くよりずっと昔からそうなのかい?」
孝明の問いに、郁人は頷いた。
「土地の『気』がそうさせるんですよ。この辺りは『気脈』が特殊で、この土地を中心に循環しているのですが、土地自体の『気』が、妖にとって耐え難い性質を帯びているんです。これは土地の『気』や『気脈』が変わらない限り、変わりません。そしてそれらは、全く不変ではありませんが、そう簡単には変わりませんから」
「どのくらいのスパンの話なんだろうね?」
更に尋ねる孝明に、郁人は記憶を手繰り寄せながら答える。
「記録では三百年程前から確認されている様です。その頃はここは旅館ではなかった様ですが」
すると、孝明も思い出した様に言った。
「今は『遥鳴堂旅館』だが、昔は命を養うと書いて『養命堂』という名前の治療院だったそうだよ」
郁人は頷いて言う。
「その記録も残っています」
「そうか」
感心したように孝明は改めて唸っていた。
話が一段落したと見た郁人は、「そういえば」と、違う方向に水を向けた。
「紗慧ちゃんが、この間孝明さんの本を買っていましたよ。彼女が読み終わったら、俺も借りて読ませて貰います」
郁人が言うと、孝明は片手で目許を覆い、嘆く様に言う。
「知り合いに読まれるのは恥ずかしいな。買わせてしまって申し訳ないしな」
「紗慧ちゃんは義理とかそういう感覚じゃなく、自然に読みたいと思ったから買ったんだと思いますよ」
彼女と買い物をした時の事を思い出し、郁人はフォローを入れる。
「彼女には敵わないな。本当に良い娘だし」
苦笑いのまま孝明は言った。
「ええ。良い娘ですよね」
強く頷く郁人に、何やら満足げな笑みを見せた孝明は、空になったペットボトルを見、
「さて、そろそろいい時間だし、お開きにして部屋へ戻ろうか。館内の消灯時間もあるし」
と、郁人に提案する。
「そうですね。お話しできて楽しかったです」
郁人が立ち上がりながら言うと、孝明は喉を鳴らす様な笑い声を上げて返す。
「こちらこそ。君も良い奴だな」
「そんな事はありませんが、そう言って貰えて光栄です」
二人は設置されたごみ箱にペットボトルを捨てると、連れ立って客室の方へ歩いていった。
郁人は、普段部外者に退治屋関連の話をする事がない分、「たまにはこういうのも悪くない」と、内心で思いながら、寝る為に部屋に帰った。
読んでいただきまして、ありがとうございます。
前回の投稿から少し間が空いてしまいました。
今回は、郁人と孝明が話しているだけで地味なお話になってしまいましたが、いまのところの簡単な設定の開示とおさらい、程度にご理解ください。




