誠の憂鬱
単体エピソードになります。
これまで主人公である誠寄りの視点でのエピソードがありませんでしたが、今回は誠主体のエピソードです。
その日は誠が紗慧の警護役だった。
紗慧と郁人が坂見へ出掛け、『河童』が現れてから三日が経っていた。
しかし、この遥鳴堂旅館の安全さを誠はよく知っている。
故に、警護と云っても彼女が外出をしない限り、特にやる事はない。少なくとも誠はそう認識していた。
紗慧は今日も旅館の仕事に精を出しており、最近気候が良くなったせいか増えてきた日帰り温泉客の世話に勤しんでいる。
客と云っても、普段は町の老人が殆どで、温泉に入りに来たついでに客同士で世間話に花を咲かせたり、手の空いている仲居を掴まえて井戸端会議に引きずり込んだりして、気が済めば帰っていく、という者が多い。
それ以外の、県外から来るような日帰り温泉客が全くいない訳ではなく、誠には理解出来ない事だが、温泉目当てに食事とセットの日帰り温泉プランを利用する観光客もいるにはいた。秘境とも呼ばれる場所にあり、歴史もそれなりにある遥鳴堂旅館に特別な期待をしている客も多々いる。
県外からの客は、季節的にはやはり冬が多く、その場合宿泊の客も増えるが、春から初夏にかけての温泉利用客も次いで多い。
もっと賑やかな観光地であれば、N県という土地柄、夏も避暑に訪れる客も多いのであろうが、生憎、この旅館以外に特別な観光施設を持たない御代多賀町周辺を、積極的に選択する観光客は決して多くはない。
宿泊客が少ないのは、この旅館間借りしている誠にとっては都合が良い。
旅館の従業員でもなく、宮内孝明の様に作家で旅館内の一室を仕事場にしている訳でもない誠が、館内をや敷地内をうろついていても気に留める者が殆どいないからである。
ともかく、この土地の中にいる紗慧に積極的に関わる理由を持たない誠は、仕事中の彼女は放っておいて適当に過ごしている。
この日の午前は、いつも足として使っているバイクの手入れをして過ごし、昼食を摂った後は、自室で自分のスマートフォンを睨んでいた。
誠は電子機器の類いがあまり得意ではない。
妖が現れる際、電子機器の調子がおかしくなったり壊れたりする事はよくあり、それは妖らの持つ『気』が電磁場の乱れを引き起こしたり、電子機器そのものがその妖の『気』に弱いという性質を持っているからである。
誠は半分は人間だがもう半分は妖でもある、『半妖』と呼ばれる存在だ。
その彼は、無条件で電子機器に影響を及ぼす事はないが、誠本人は苦手意識を持っている。
少し前までは連絡の必要上、二つ折りの携帯電話を持っていたが、退治屋としての上司にあたる人物から、「こちらの方が便利だから」という理由で半ば強引にスマートフォンに変えさせられていた。
誠自身は必要な機能しか使わないが、それでも『慣れ』という問題もある。
そんな無用の長物を与えてきた上司を恨みつつ、彼はその上司に連絡をとる必要に迫られていた。
意を決して、端末の電話帳登録から上司の名前、『藤堂隆司』を選び、通話と書かれたボタンをタップした。
数回のコールで相手は電話に出た。
「藤堂だ。誠か?」
「……どうも」
電話口の低くよく通る声に、誠はぼそりと、挨拶とも返事ともつかない言葉を返した。
「三日前、妖・『河童』六体を確認。うち四体を始末しました」
まずは、妖の出現と自分の戦果をを報告する。
すると、上司である隆司は、頷いた様な間の後で言った。
「他の二体は郁人がやったのだろう? 三日前の夜、彼から報告があった」
「そうですか」
隆司の言葉に誠がそれだけ返すと、彼の声が、誠の言うべき事を先に言った。
「『調整師』は、怪我もなく無事。そうだな?」
彼の口調から、誠が報告の類いを面倒に思っているのが彼に伝わった事が分かる。
「既に報酬は用意してある。お前の分と郁人の分、両方な。一応報告があってから、という取り決めがあるからな。この後、いつもの口座に振り込んでおくから確認しておけ」
隆司は淀みなくそう言う。
「了解」
誠はその一言だけ返し、黙った。電話口の気配で、彼の方にまだ言う事が残っているという事が分かる。
隆司は溜め息を吐いてから言った。
「郁人とはあまり上手くやれていないようだな? あいつの事が気に入らないか?」
誠は素っ気ない声で答える。
「気に入っていないのは向こうの方だと思いますけど。一番最初に喧嘩を売ってきたのもあいつですし」
すると、彼は再び溜め息を漏らし、言った。
「『自分を気に入っていないのは向こうだ』と、郁人も言っていた。俺から見て、お前達の相性は決して悪くないと思うんだがな」
「あいつの『気』が火気で、俺の『気』が木気だからですか? 『気』の相性と性格の相性は話が別でしょう?」
誠はやや非難じみた声で返す。
「確かにそうだが、俺は何も『気』の属性だけで判断している訳じゃない。郁人は真面目だが、それだけの男じゃない」
「真面目なだけじゃない、か。確かに、俺の素行だけじゃなく、『半妖』ってところも気に喰わないって感じですね」
誠が皮肉めいた調子で言うと、声のトーンを低くして隆司は言う。
「誠、お前が『半妖』である事で苦労したであろう事は理解しているつもりだ。だが、誰も彼もが偏見の眼で見ている訳ではない。お前もそれは理解しておいた方が良い」
誠は「ふん」と、軽く鼻を鳴らして言った。
「それこそ、賀茂橋は最初、『あの』高砂誠かと、言いましたけどね」
電話口で小さく唸る声が聞こえ、それから隆司は言う。
「あいつは真面目な分少し融通の利かないところがある。だが、偏見的な意味で言った訳ではないだろう」
「どうだか。まあ、そういう扱いを受けるのには慣れてるんで、別にいいですけどね」
誠は投げ遣りな言葉で返す。
「どういう意味で言ったのかは、本人にしか分からない。だが、必要以上に卑屈になるのは感心しないな」
「…………」
隆司の真っ直ぐな言葉に誠は黙った。言いたい事はあったが、今言ったところでどうしようもない、と彼はいつものように諦めたのだった。
「ともかく、引き続きお前と郁人には、妖の退治と並行して『調整師』の護衛を任せる。あまりに大きな問題が生じない限りは変更はない。報告も変わらず続けるように」
話は一通り終わったものとして、隆司は上司としての声で言った。
「了解」
誠からの報告が遅れた事を特に咎める事をしなかった隆司に、誠は短く返事を返した。
「それじゃあな。少しずつで良いから、郁人とも、『調整師』である牧野紗慧とも馴染むようにしろよ」
誠の返事を聞くと、最後に言いたい事を言い、隆司は電話を切った。
誠も通話終了ボタンをタップすると、スマートフォンを室内の座布団の上に放った。
誠が郁人と上手くやれない理由は、誠の中でははっきりしていた。
それは、彼が人間嫌いだからだ。
関わる人間と上手く関係を築けないのは、彼にしてみればいつもの事だった。
この遥鳴堂旅館には、お人好しだったり、おおらかだったり、誠の人間嫌いを気にしない人間が多いが、彼の人生の中ではそういった環境の方が異常に思える。
彼は、人間ではない父親と会った事がないのは勿論、生みの母親ですら物心がつく前に生き別れていた。
親戚の間をたらい回しにされ、絶対的に『他者と違う』という事を意識させられ続ける出来事に多く遭遇し、彼の人間嫌いは決定的なものになった。
学校に行かなければならない歳の頃は、彼にとってはそれこそ毎日が苦痛の連続だった。
ひょんな事から、遥鳴堂旅館の主人である中原泰倫の父親の道幸に出会い、この旅館に出入りするようになってからは、彼の人間観も人生観も多少の変化があった。
だが、それだけで克服出来る程彼の人間嫌いは浅いものではなかった。
彼にとっては、郁人の様な態度を取られるのが普通で、そんな郁人に対して喧嘩腰で当たるのが普通なのだった。
誠自身、幼少期から学生時代にかけて、口でも身体でも嫌という程喧嘩をしてきて、正直なところ飽々してきたが、かといって他者と仲良くしたいと思う程、他者に期待していなかった。
それらの事を責められるのだとしたら、それは彼からしてみればとても理不尽な事だった。
隆司との電話の後、誠は部屋の中で何をするでもなくぼんやりしていた。
不意に、入り口のドアがノックされる音で我に帰った彼は、自分からドアを開けて相手を出迎えた。
「こんにちは。今お時間大丈夫ですか?」
ドアの向こうに立っていたのは、旅館の仲居の一人である滝沢貴美子だった。
彼女は二十代半ば程の歳だが、目鼻立ちがはっきりしており、やや童顔である為歳より若く見える。ショートカットの髪型も一役買っている。
「何か用か?」
自分が歳下であるにも拘わらず、誠は敬語を使う事なく、いつも通り無愛想に訊いた。
「えーと、あの……。洋服の事で伺いました」
貴美子は今日は休日らしく、私服だった。手には紙袋の手提げを持っている。
「洋服? 前に言ってたやつか?」
誠は嫌な予感を覚え、数歩後ろに後退った。
貴美子はそれを、部屋に入って良いという合図に捉えたらしく、スリッパを履いたまま誠の部屋の入り口に入ってきた。
遥鳴堂旅館の客室は、基本的には和室に洋扉で、部屋の入り口で靴やスリッパを脱いだり履いたりして出入りする。
部屋に入ってきてしまった以上、理由もなく追い出す訳にもいかず、誠は仕方なく彼女を部屋に迎え入れた。
先の誠の質問に答えながらスリッパを揃えて脱いだ。
「はい、そうです。この間言った通り、作ってお持ちしました。――お邪魔しますね」
彼女は彼女で、いつもと同じく仕事中の敬語のままだった。
貴美子は部屋に上がると、紙袋から黒い布を取り出しながら言った。
「高砂さんは、闘う時に『変身』して体型が変わったり、羽が生えるんでしょう? その度に服が破れたり、都度脱いだりするのは面倒ですもんね。だから、あらかじめ変身しても大丈夫な服だったら楽じゃないですか」
彼女が取り出して広げたのは、黒いノースリーブシャツだった。
誠は立ったまま呆れ半分で、彼女の説明を聞いている。
「まず、両脇にアジャスターをつけて、身体が大きくなってもその分が広がるようにしました。それから、一番重要な、背中部分ですが、こちらは羽が生える位置にスリットを入れて、羽が生えた時にそのスリットから羽を通せるようにしてみました」
貴美子は、楽しそうにシャツを広げて各部分を見せながら説明していた。
「……本当にわざわざ作ったのか……」
誠は呆れるあまり、そう呟いて貴美子を見た。
当の貴美子は、誠の視線に気付かず、裁縫に粗がないか改めてチェックしている。
「サイズ、大丈夫そうですか?」
チェックが終わったのか、貴美子はシャツを誠の目の前へ差し出し、受け取るよう促した。
だが、誠は貴美子から顔を逸らし、ポケットに手を入れて数歩分彼女から離れた。
「前も言ったろ。『必要ない』って。別に困ってねぇし、要らないんだよ」
誠の冷たい言葉と態度に、貴美子はしゅんとした表情になる。
しかし、すぐに気を取り直したように言った。
「じゃ、じゃあ、部屋に置いていきますから、気が向いたら着てみてくださいっ」
彼女は素早く手に持ったシャツを畳むと、紙袋に入れ直し、部屋の壁際に置いた。
「いや、だから要らねぇって……――」
誠が紙袋を取って突き返す前に、彼女はそそくさと部屋の入り口に引き返しスリッパを履いた。
「それでは、失礼しますね」
言うが早いか、彼女はドアを開けて出ていってしまった。
「何なんだよ」
誠は紙袋を足許に落とし、既に相手に届かない文句を言った。
当然、返ってくる言葉はなかった。
その日、夕食が済むと、誠の部屋から食器を下げに来た紗慧が、彼に言った。
「この前の妖の件で、ちょっと気になる事があったんですけど、この後お時間良いですか?」
誠は、『お時間良いですか?』という言葉に、昼間の貴美子の事を思い出すが、紗慧は、『この前の妖の件』と言っている。それなら、と、彼は頷いた。
「それじゃあ、今お茶を淹れてきますから、待っていてください。郁人さんにも声を掛けてきますから」
「……分かった」
他に返しようもなく、彼はそう答えた。
しばらく待っていると、郁人と、お茶を盆に載せて持っいる紗慧が誠の部屋を訪れた。
三人は、背が低く天板の広い食卓に着いた。
紗慧は、お茶を配り終えると口を開いた。
「すみません。もしかしたら大した事じゃないかもしれないんですけど」
「別に些細な事でも構わないよ。気になったのなら黙っていない方がいい」
すかさず、郁人がそう言ってフォローする。
紗慧は、「ありがとうございます」と、郁人に返してから話し始めた。
「私が郁人さんの車の所で待っている時に出てきた、『河童』……で良いんでしたっけ? 私を見つけた時、『アレだ。アイツだ。』って言ったんです。まるで最初から私を探してたみたいなニュアンスに聞こえたんですけど、どうなんでしょうか。どう思いますか?」
頭の中で整理してから言うように、紗慧は慎重に打ち明けた。
郁人は腕組みをして「うーん……」と唸ってから言う。
「確かに、特定の人間を狙う妖っていうのは珍しいし、紗慧ちゃんが『調整師』だからっていうのも、その言い方だと始めから判ってたみたいに聞こえるね」
誠は頷いただけで何も言わない。
「……私が最初に襲われた時の妖は全員退治したんですよね?」
「俺が確認した限りではな」
紗慧の問いに、彼は短く答えた。
郁人は二人に、
「でも、ソイツらにはもっと上に付いてる奴がいるんじゃないかと思える事も言ってたんだよね?」
と、訊く。
「はい。『あの方に献上する』とも言ってました。その場にはいなかったみたいでしたけど」
紗慧が答えると、再び唸った郁人は言った。
「ある程度下級の妖を統率しているヤツがいて、紗慧ちゃんがソイツに目を付けられた可能性が高いように思えるな。やっぱり」
「この前の河童に関しては、『向こう』で私を狙った命令をしていたって事でしょうか?」
「現状では情報が少なすぎて何とも言えないけど、可能性としては有り得ると思う」
紗慧と郁人が事実からの推理をしていると、誠はお茶を啜りながら、
「『調整師』が執拗に狙われるのは珍しい事じゃない。俺のお袋もそれが原因であちこち点々としてたみたいだしな」
と、何でもない事の様に言った。
「えっ? お母さんが?」
突然告げられた誠の身内話に、驚いた紗慧は、思わず訊き返していた。
彼女の反応を見て、誠は後悔を表情に浮かべて舌打ちした。だが、それ以上の事を言おうとはしない。
「高砂の母親も、『調整師』なんだ。だから退治屋に保護されている筈だ。俺や鹿島さんや高砂は、保護している退治屋の事は知らないし、知っている退治屋とも繋がっていない。そのせいで、高砂も自分の母親の事を知らないんだ。――そうだろ?」
話そうとしない誠に代わって、郁人がそう説明して本人に確認すると、彼は苦い顔で再び舌打ちをしたが、否定はしなかった。
「そうだったんですか……」
紗慧は控えめに頷きながら誠を見た。
「ここの土地みたいに、妖が入ってこれない処っていうのは限られている。紗慧ちゃんは運が良かったんだよ」
郁人は励ますように紗慧に言った。
「はい。お二人もいますし」
紗慧は言いながら、誠を案じていた。
『半妖』と呼ばれる出自であるだけでなく、母親とも生き別れていたのなら、他人からは想像もつかない苦労があっただろう。何より、辛い思いをしてきたに違いない。紗慧はそう思い、眼を伏せた。
「俺の事はどうだっていい。とにかく、牧野を狙って妖が『こっち』に来るなら、なるべく土地から出ないようにした上で、俺達が妖を狩れば良いだけだろ」
それまでの空気を振り払う様に、誠は一際大きな声で言った。
「まあ、そうだけどね」
同意しながら、郁人は改めて紗慧に向き直って言う。
「君の事は絶対に護るから、安心して。先の事も不安かもしれないけど、きっと何とかなる。心配しないで」
今の生活がどれくらい続くのか分からない不安を察しての、郁人の気遣いに、紗慧は微笑んで応える。
「ありがとうございます。郁人さん、誠さん」
紗慧は、二人に改めて礼を言った。
「ともかく、今後も現れた妖の動きには注意していこう。いいな? 高砂」
紗慧の礼に応えた後で、郁人はそう話を纏めた。
「お前に言われなくても分かってる」
白けた様な態度で誠が返すと、郁人は軽く誠を睨む。
「いちいち可愛くない奴だな、本当に」
喧嘩が始まらないように、
「引き続きお世話になります。よろしくお願いします」
と、二人の間に入った。
郁人は、「勿論」と、笑顔を紗慧に向けたが、誠はむすっとした表情のまま無言で頷く事もしなかった。
紗慧からの話は一応終わり、湯飲み茶碗も空になったところで、彼女と郁人は誠の部屋から出ていった。
一人になった誠は、「はあ」と、大きく息を吐く。
紗慧の話があったとはいえ、自分から母親の事を持ち出したのは我ながら迂闊だった、と誠は苦々しく思った。
自身の身内について知られる事自体に不都合はなかったが、かといって積極的に知らせたい事ではない。
紗慧は打てば響く様に反応を顕にする。
郁人が誠の情報を把握しているのは仕方がない事だが、ストレートに反応を示す紗慧に知られるのは、あまり良い気分ではない。
だが、仕事は仕事だ。
母親の事は当然関係がなく、『調整師』である紗慧を護るのも彼の仕事だ。誠はそう考え、頭を切り替えた。
今後も紗慧が狙われるなら、露払いを続けるだけだ。特別な対処を求められる事態になるならば、その時に対処を考えればいい。
誠は頭の中でそう結論付けると、どうせ他にやる事もないからと、風呂に入って寝る準備を始めた。
読んでいただきまして、ありがとうございます。
更新がいつもより遅くなり、続けて読んでくださっている方は、申し訳ありません。
今後も遅くなる事があるかと思いますが、出来る限り一定のペースで投稿致します。
今のところ一週間に一回程のペースを予定しています。




