紗慧の休日・二
前回からの続きです。
紗慧と別れた郁人は、『妖』の『気』を辿り駆けた。
紗慧を一人にする事は心配ではあったが、妖との闘いの場に彼女を連れていく事の方が危険だ。郁人は、なるべく早く妖を退治するべく急いだ。
「きゃあああッ!」
女が悲鳴を上げるのと、郁人が妖を見つけるのはほぼ同時だった。
商店街を中程まで進んだ所にある十字路の辺りに、ソレは三体いた。
人型をしているが、甲羅のある背を丸める様な姿勢をしており、下半身はがに股だ。ひょこひょこと特徴的な歩き方をしている。
体表は何やらぬめぬめとした質感で、暗い緑色をしており、泥臭い異臭を放っている。
買い物途中と見られる主婦風の女が数人おり、妖からやや離れた位置から悲鳴を上げている。商店の人間も悲鳴に気付いてそちらを見た後、やはり悲鳴を上げる。
「ここから逃げてください! 早くッ!」
郁人が駆け付けながら大声で叫ぶと、悲鳴を上げていた者達は弾かれた様に散り散りに逃げ出した。
その妖は俊敏には動けないらしく、人に飛び掛かろうとして、すんでのところで逃げられていた。
「『河童』かよ……! 相性悪ぃな!」
郁人はジャケットを素早く脱いで置き看板に投げ掛けると、意識を一点に集中させた。
その頃には、一般人は逃げ終えたらしく、もう周囲に人の姿はなかった。携帯電話やスマートフォンのカメラで撮影を試みる人間がいなかった事に、彼は内心で感謝していた。
自身の意識の奥深く、思考と理性で蓋をしたその向こう。『それ』を引きずり出し、『それ』に自分自身を委ねる。
郁人は、燃え上がる炎の様な熱と強い『怒り』を全身に感じた。
髪の毛が急激に背中まで伸び、赤味を帯びる。体表も褐色に近い色になっている。
めきめきと音をたてながら、身体中の筋肉が発達し、手や爪が大きくなり、骨格が太く硬くなるのを感じた。
両腕は、長い体毛の様に『気』で形成された炎を帯びている。
窮屈になった靴を脱ぎ捨てると、足の形も変形し、爪先立ちをしたような形になった。足の変形に応じて、姿勢も前傾姿勢になる。
――人間と獅子を合わせたかの様な姿。それが郁人の『闘身』だった。
郁人の変化に気付いた妖は、口々に「退治屋だ」と言い合い、警戒するように身構えた。
『河童』と呼ばれるソレは、伝承にある様な、皿を頭に載せた姿ではないが、口許は中央が尖り、耳許まで裂けている様に大きい。
(……河童は『水気』……。『火気』の俺にとってはやり辛い相手だ。ツイてない)
郁人は内心で舌打ちし、本格的に戦闘態勢に入った。
三体の『河童』は一度に全員が郁人に向かって飛び掛かってくる。それを横へ避け、彼から見て一番右端にいた一体の横腹に思い切り蹴りを叩き込む。
(炎が効かなくても、『気』が通った攻撃なら……!)
〈ぎあっ〉
蹴りをまともに受けた『河童』は、短い叫び声を上げ、隣の『河童』にぶつかる形で吹っ飛んだ。
一番左にいた『河童』は、怒りの形相で再び突撃してくる。
郁人は後ろに飛び退き一旦間合いをとった後、突撃してきた『河童』の横面を殴り、相手の態勢が崩れたところで腹に蹴りを入れた。
一体を相手にした隙に、中央にいた『河童』が頬をぷくりと膨らませたかと思うと、濁った粘性の液体を郁人めがけて吹き掛けてきた。
「!? くっ」
郁人は顔の高さで左腕を翳す様にしてそれを受けた。
粘液が掛かった左腕にビリピリした痛みを感じる。
「汚いもの掛けやがって!」
郁人は吐き捨てる様に叫び、正面の『河童』の懐に飛び込み、その腹にフック気味に拳を叩き込んだ。そして、すぐに後ろに体を退き、もう二体に備える。
右側の『河童』に回し蹴りを当て、その勢いを利用して左側の『河童』の方へ回り、頭と腹に連続して拳を入れた。
『河童』達は不快な悲鳴をあげながら、郁人と距離をとり、追い掛ける彼に向かって再び粘液を次々と吹き掛けてきた。
郁人は避けられるものは避け、避け損ねたものは左腕で振り払いながら、一体の『河童』へと右腕を伸ばす。
瞬間的に『気』を集中させ、掴まえた『河童』の腹に、掌底の構えで『気』の塊を叩き込んだ。
〈ぎえぇ!〉
奇妙な悲鳴を上げた『河童』は、腹に穴を空けられてもんどり打って倒れ込んだ。
残り二体の『河童』は、〈ギキッ、ギキッ〉と怒りの声を上げながら、郁人の周りを距離をとりながら回った。
郁人は、続けて粘液を受けた左腕に痛みを感じながら、構えを崩さず、残りの『河童』へと大きく踏み込んでいく。
――郁人の闘身を形作っているのは、『純粋な怒り』だ。
彼の意識の奥深くに棲む怒りの『化身』、それが彼の闘身であり、今の彼の姿だ。
本来なら、自身の『気』を炎に変え闘うが、河童とは属性の相性が悪い。故に彼は、練った『気』を相手にぶつけるのと同時に、闘身となった事で増強された身体能力による格闘攻撃を合わせて闘う。
それ程俊敏ではない『河童』を掴まえる事は容易い。
郁人は片方の『河童』を、後方へ吹き飛ばさない様に加減して胴を殴り、相手が怯んだ瞬間に、集中させた『気』を乗せて頭部に掌底を喰らわせた。
頭を丸ごと吹き飛ばされた『河童』の身体は大きく傾ぎ、その後粉々に散っていった。
「あと一匹!」
郁人が自分に向けて叫んだ時だった。
唐突に眩暈の様な奇妙な感覚と耳鳴りがした。
「! 常世がまた開いたのか!」
郁人は瞬時に何が起きたか理解したが、それが『起きた』のは『ここ』ではなかった。
(近い……! 下手をすれば紗慧ちゃんの方に……――)
郁人の意識が逸れたその一瞬に、最後の一体の『河童』は、郁人が来た方へ逃げ出した。
「何? 待て!」
郁人が追いかけようとした時、何かに脚をとられ、進むのを阻まれる。
最初に倒した『河童』が、まだ辛うじて生きており、片腕を長く伸ばして郁人の脚を掴んでいた。
郁人は、倒しきれていなかった自分に舌打ちし、その『河童』にとどめを刺した。だが、その頃には逃げた『河童』は視界から消えてしまっていた。
紗慧は、郁人から受け取ったキーで彼の車のドアを開け、中で彼の帰りを待っていた。
そうしてただじっと待っていると、嫌でも昇の事が思い出されてしまう。
すぐ戻ると言って戻らず、無惨な姿となった昇を思うと、紗慧は今でも涙が滲んでくるのだった。
しばらくすると、急に足許がぐらつく様な眩暈が襲ってきたが、それは紗慧自身のものではなかった。
紗慧もそれにすぐ気付き、何かが起こるのだと悟った。
一度車の外に出て、辺りの様子を窺う。
すると、人気のないコインパーキングの角から何かがひょこひょこと歩いて来るのが見えた。
人の背丈程の、緑色の―それは紗慧の眼にも『河童』としか映らなかった。
紗慧は、悲鳴を上げそうになる自分を抑え、音をたてずにどこかに隠れようと辺りを見回した。が、紗慧をすっぽり覆って隠してくれそうな物は、彼の車以外には辺りにない。
『河童』がやって来る方向から、車の後ろに身を隠そうとした瞬間に、紗慧はやはり見つかってしまった。
〈アレだ! アイツだ!〉
三体でこちらに向かってきた『河童』は飛び跳ねながら叫び声を上げる。嬉しそうに紗慧の方へ向かってくる。
紗慧は車から離れ、『河童』と反対方向へ逃げようとした。
その時。
一陣の風が吹いた。
思わず眼を閉じた紗慧が、再び眼を開けると、目の前には誠が立っていた。
「誠さん!」
「何で一人でいるんだよ?」
理由は既に解っている、という顔で誠は敢えて言った。
〈退治屋か!〉
『河童』達は不快な声を上げながら、誠に飛び掛かろうとした。
誠は『河童』の方へ手を伸ばしたかと思うと、意識を『河童』達に向けて集中する。
がかあんっとけたたましい音と共に、小規模な雷が三体の『河童』を撃った。
紗慧は反射的に眼を瞑り耳を塞いだが、眼を開けると、三体の『河童』は真っ黒になっていた。そしてあっという間に砕けて黒い塵となって消えていった。
誠が紗慧の方へ振り返ろうとした時、商店街の奥側から、もう一体『河童』が跳ねる様に走ってきた。そのすぐ後ろには、闘身化した郁人が迫っている。
それを見た誠は、「ふん」と鼻を鳴らし、先の様に腕を伸ばして『河童』へ向けた。
再び轟音が響き、後には炭化したかの様な『河童』の姿が残り、それもすぐに風に散って消えた。
追っていた相手が消えた後も、郁人は紗慧の元に駆け寄ってきた。
「紗慧ちゃん! 大丈夫? 怪我は?」
紗慧は、初めて見る郁人の闘身姿に僅かに驚いたが、すぐに頭を振って応える。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「紗慧ちゃん、ごめん。こんな短時間で二回奴らが来ると思わなかった」
頭を下げた後、伸びた髪をかき上げる郁人に、誠はわざと大きく鼻を鳴らした。
「一匹取り逃がしてんじゃねぇよ」
挑発的に言う誠に、郁人は、「ぐっ」と言葉を奥歯を噛み、苛立った語調で反論した。
「こっちは『気』の属性の相性が悪かったんだよ!」
「ふん。俺が間に合わなかったら、牧野はどうなってたろうな?」
闘身になる事なく河童を屠った誠は、ポケットに手を入れ、あくまで挑発しながら郁人を煽る。
郁人は悔しさと、紗慧に対する申し訳なさに歯噛みし、誠を睨み付ける。
「あ、あの、それより郁人さん。怪我してるんじゃないですか?」
彼の左腕が軽く爛れたようになっている事に気付いた紗慧は、彼に近付いて傷を覗き込んだ。
「ん、ああ。平気平気。これぐらいすぐ治るから」
郁人は紗慧に応えながら、彼女から数歩後退った。
彼は軽く息を吐き出し、闘身を解いて素の姿に戻った。
髪の長さも色も元に戻り、褐色に近かった肌の色も元の色に戻る。
人の姿に戻ると、左腕の傷がより痛々しく見え、紗慧は心配そうに彼を見つめる。
「大丈夫だよ。ありがとう、紗慧ちゃん」
郁人は紗慧に微笑んだ後、おどけて言った。
「あ、ジャケットと靴、取りに戻らないと。闘身になった後はこれがなぁ……」
紗慧に、「ちょっと取ってくる」と手を振る郁人は、小走りで来た道を戻っていった。
彼が行った後、誠は紗慧に背を向け、商店街の出口へ向かおうとした。
慌てて紗慧が呼び止めると、誠はその場で振り替える。
「誠さん、ありがとうございました」
彼女のその一言に、誠は面倒そうな顔をして頭を掻くと、結局何も答えずに去っていった。
彼は特に言わなかったが、近くにバイクが停めてあるのだろうなと、紗慧は思った。
二回目に『河童』が現れた時は紗慧の近くだったが、妖が現世へ現れる時のサインの様な感覚は、退治屋である彼らには比較的広範囲で感じ取れるのだろうと、紗慧は察した。
そして、気掛かりなのは、『河童』が現れて紗慧を見つけた時の言葉だった。
『アレだ、アイツだ』という言葉は、彼らが紗慧に狙いを定めてやって来たのか、たまたま現れた先で特別な能力者がそこにいる事に気付いたのか、現状では紗慧には分からなかった。
後で二人に話してみなければと、紗慧は考えていた。
だが、それより先に郁人の怪我の手当てだ。
彼は平気だと言ったが、旅館に帰ったら救急箱を借りなければと、紗慧は思った。それとも、病院に行った方が良いのかとも思う。
あれこれ考えている内に靴を履いた郁人が戻ってきた。
「お待たせ。それじゃあ、帰ろうか」
「怪我の手当ては、病院には行かないんですか?」
まず訊いてみた紗慧だったが、彼は首を横に振る。
「妖絡みの怪我は、よっぽどじゃなければ普通の医者にはかからないよ。今回みたいに特殊な怪我の時もあるし、説明が面倒だしね。専用の治療用キットがあるから、それで大丈夫」
明るく言う郁人に対して、それでも紗慧は心配そうにしている。
「私に扱えるようなら、私に手当てさせてください。私はそんな事ぐらいしか出来ない身ですから」
「そんな風に言わないでよ。……でも、紗慧ちゃんが手当てしてくれるなら、俺は嬉しいけど」
紗慧の気持ちを解そうと、冗談めかして郁人は言った。しかし、彼女はあくまで真面目に頷く。
そんな彼女の事を、郁人は「良い娘だな」と口に出さずに思うのだった。
「すみません。私、運転出来なくて……」
「気にしないで。本当に俺は平気だからさ」
言いながら、二人はそれぞれ、助手席と運転席に着いた。
――買い物が出来たのは不幸中の幸いであったものの、妖が出なければ良い休日で終われたのに、と、二人は思わずにはいられなかった。
読んでいただきまして、ありがとうございます。
サブタイトルは穏やかなのに、内容はそうでもなくて申し訳ありません。
一、二と続きましたが、次からはまた別のエピソードになります。
よろしければ、次回以降もお付き合いいただければ幸いです。




