『離脱』
テスト開始日まであと三日ということで、教室では気合の入った教師の言葉が洗脳レベルで生徒へぶつけられていた。
この経験は将来へ繋がる。
テストが全て。
受験戦争はもう始まっている。
努力は嘘をつかない。
今やらなくていつやるの。
はぁ、鬱陶しい。
そんなこと、すでに理解している。
俺は授業も聞かずに、ひたすら問題集と解答を読み進める。
俺にとって普段の授業など、もう復習であり気分転換であって勉強する範囲ではない。
もう終わっている範囲なのだ。
全ての音を遮断し、集中に入る。
これで誰の邪魔も俺の意識に入ってこないようになる。
そのはずなのに、
「...先生」
バンッと机に手のひらが叩きつけられる音と、西円寺の冷めきった声が鼓膜を揺らし、集中が途切れるどころか欠落する。
隣の席を振り向くと、立ち上がっている西円寺が冷たい視線を周囲に突き刺していた。
相変わらず小さい。
「...気分が悪いので保健室行きます」
狼狽えている教師は口から漏れ出すように「あぁ」と答えると、それを聞いた西円寺は教室を出て行こうとする。
何を考えているんだろうかと、わからない問題にぶつかるが、テストには関係ないと頭の中から振り払う。
だが、小さな手が俺の肩をがっしりと掴んだ。
「...案内して」
「は?」
物凄い力で引っ張られ、ズルズルと引きずられながら教室を出て行く。
「ちょ、え?なぁぁぁああああ!!」
「...黙って」
教師は何も言わずそれを見送っていて、他の生徒達の《そんな奴より保健室には僕が、俺が、私が》が飛び交う。
いったい何があったのだろうかと考えていると、西円寺は廊下で立ち止まり、俺の目をしっかりと見て言う。
「...悔しく、ないの?」
「何が?」
「...聞いてないの?」
「まぁ、何も」
「......そう」
話を聞いたところ、どうやら教師が俺をネタにして、生徒と一緒に馬鹿にしていたらしい。
授業もろくに受けない奴は成績が伸びない。
いずれ付いて行けなくなる。
アイツみたいにはなるな。
勉強マシーン。
人間失格。
というふうに、どんどんエスカレートしていたらしい。
なるほど。さっきの反応は、先生は西円寺が機嫌を損ねたのに気付き、生徒は俺を見下していたからという事か。
「別に気にするようなことじゃない」
「...私が気にする」
「なんで?」
「...なんで...だろ?」
「いや、俺に聞かれても」
西円寺は腕を組み、目を細くして考え出すも、わからないのか、しばらく時間が経過した。
フラッとよろけたと思ったら、西円寺は鼻血を垂らし俺を見つめる。
「ちょ、お前大丈夫かよ」
「...解答が見つからないなんて...初めて」
「天才かよお前は...」
西円寺はポケットからティッシュを取り出すと、数枚抜き取り鼻血を拭く。
「...紛れもなく天才」
「はっ、自分で天才とか、馬鹿なの?」
鋭く突き出された拳が空を切るが、言ったと同時に顔を傾けていた俺はその拳を回避する。
「同じ攻撃は効きませーん」
おちょくるように舌を出しながら変顔を披露し、両手を顔の側でクネクネさせるが、第二撃の蹴りが隙だらけの脇腹を薙ぎ払うように直撃した。
「ぐはっ、本当に保健室行きにさせる気か」
「...アナタが悪い」
蹴りの際にめくれたスカートの奥がチラッと見えてしまっていたが、ここは刺激しない方がいいと判断し、脇腹を押さえながら静かに言葉を飲み込んだ。
浮かぶ白い布のイメージは頭を揺さぶって消す。
「...ごめんなさい、本当に頭がおかしくなってしまうなんて...」
「いたって正常だ、気にすんな」
「...そう」
西円寺は視線を逸らし一旦教室の中を覗いた後、何も言わずに教室とは別の方向へ歩き出す。
今更教室に戻るのも気まずいのだろうし、西円寺の気分を害してしまったのは確かだ。
サボらせてやろう。
そう思い引き止めず、俺は教室に戻ろうとしたのだが、振り返っていた西円寺の視線が俺を捕らえ___
《行かないの?》
と、言っているかのように首を傾げた。