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ファイ・リベリオン22  作者: 天神大河
Epeisódio.01 越境
2/3

α-2

 その部屋は、とても蒸し暑かった。

 床や壁、天井に至るまで、すべてが灰色のコンクリートに囲われたその部屋は、夜が明けて間もないにも関わらず、真夏の熱気と大量の湿気とが共存していた。窓がなく、蛍光灯の明かりだけが部屋を照らす中、溶岩を思わせるほどの熱い床に座る数十人の少年たちは、全身を汗で濡らしている。両の紐が(ほど)けた靴と、土や泥で汚れたズボンとシャツは、もはや彼らにとって無用の産物と化しており、今すぐにでも脱いでしまいたいほどだった。

 そんな少年たちの眼前には、パンが一つ置かれている。しかし、拳ほどの大きさをしたそれからは、かすかに酸味臭が漂い、彼らの鼻腔を刺激した。さらに、パンから発せられる臭いは、少年たちの汗の臭いと融合し、彼らの感覚を内外から狂わせようとしていた。

 十三歳の少年――カイは、それに呑まれまいと右手を額へ持っていく。手の甲に大量の脂汗が付着するとともに、伸びきった爪の先が最近できたばかりのニキビに触れる。額から顔中にかけ鋭い痛みが走るのを我慢しながら、彼は周囲にいる少年たちと同じように、顔を空へと向けた。

 しばしの沈黙の後、十二歳ぐらいの少年が部屋中に響き渡るほどの甲高い声を上げる。

「我々リベルタスの戦士は、導師様のために、誇り高く戦うことを誓います! 我が帝国に祝福あれ(エービロギセ・リベルタス)! 万歳(シース)!」

『エービロギセ・リベルタス! シース!』

 少年の号令に続いて、カイたちも一斉に叫ぶ。そして、彼らはほとんど同時に眼前のパンへと手をかける。私語はほとんど聞こえなかったものの、およそ十時間ぶりのパンを前に彼らの表情はいくらか(ほころ)んでいた。

 発せられる酸味臭に対し、一切味がしない乾いたパンを、カイは一口(かじ)る。ここ数箇月間、毎日同じパンを食べ続けている彼は、半ば機械的に口の中のパンを数回噛むと、喉を鳴らしながら嚥下(えんげ)した。

「カイ、今日は久々に外の空気が吸えるぞ。暑いだろうが、きっとここよりずっとましだぜ」

 カイの隣に座っていた十六歳の少年――アルフが、彼に小さく耳打ちする。カイは、きょろきょろと辺りを忙しなく見回すと、茶褐色をしたアルフの大きく堅い手を掴んだ。

「兄貴、静かに。すぐ近くに見回りが歩いてるんだから」

 カイの目線の先には、鋭い目つきをした中年の男が、黒い双眸(そうぼう)をあちらこちらへ動かしていた。彼の両手には、黒いアサルトライフルが握られている。

「おい、ガキ。導師様に忠誠を誓ったからには、もっと行儀よく食いやがれ。(はえ)みたいに、忌々(いまいま)しい食い方しやがって。そうやって、導師様のご尊顔に泥を塗ろうなんざ、俺が許さねえ」

 男はぶつぶつとそう言うと、すぐそばに座っていた少年の背中を強く蹴り上げた。十歳になったばかりの少年の小さな身体は前のめりに倒れ、彼が食していたパンも呆気なく潰される。少年を見下ろす男は、口元に歪んだ笑みを浮かべていた。

 男はその場でしゃがみこむと、少年の首根っこを力強く掴んだ。ほとんど抵抗しない少年の様子を気にする素振りを見せないまま、男は彼のうなじを覗き見る。少年のうなじには、ローマ数字で『104』と刻まれた紫色の焼印の痕が痛々しく残っており、それを見た男はさらに唇の端を歪めた。

「なるほど、お前は104番か。昨夜寝ずの番をしていた奴じゃねえか。たかが一晩寝なかった程度で、何という体たらくだ。お前、それでも導師様に忠誠を誓う戦士か。自惚(うぬぼ)れるなよ、汚い蠅が」

 104番――そう呼ばれた少年は、両目の下に黒いクマを鮮明に浮かび上がらせながら、男の顔を見上げた。対する男は、そんな104番のこめかみをアサルトライフルで殴りつけた。

「何だ、その目は! 蠅の分際で、何か文句があるのか、ええっ。ふざけんじゃねえぞ、クソガキ!」

 104番は、血が流れ出るこめかみを押さえながら、再び男の顔を見る。上下の歯を揺らし、小さい音を鳴らす十歳の少年は、獣のように荒い息を二、三度漏らした。彼の瞳から、一筋の涙が零れる。

 刹那、104番は奇声を上げながら男の腰に掴みかかった。カイとアルフをはじめ部屋中の少年たちの視線が、十歳の少年と中年の男に注がれる。周囲にいた少年たちは既にその場を離れており、手に持ったパンを口に含みながら遠巻きに二人が揉み合う姿を眺めていた。

 間もなく、部屋中に一発の銃声が木霊した。カイたちの目に、104番の身体がゆっくりと床に崩れ落ちる様子が映る。男は、足元の少年の骸には目もくれず、小さく溜息を吐いた。そんな彼の右手は、灰白色の硝煙を漏らす黒い銃身の引き金に添えられていた。

「ふん、これだから馬鹿な蠅は困るんだ。野垂れ死にもできねえ、弾を無駄遣いさせる役立たずだからよ。まさしく害獣としか言いようがないな」

 男は不機嫌そうに呟くと、既に事切れた少年の頭を自らの靴で強く踏みつけ、灰色の床へ乱暴に擦りつけた。104番の唇の端から流れ出した赤黒い血は、彼の眉間から噴き出し続ける鮮血と合わさりながら、灰色のコンクリートの上に音もなく血溜まりを作っていく。

「いいか、お前ら! 十五分後に訓練を始める。それまでに104番(これ)は片づけとけ。後でウジ虫を生み出されちゃ、たまったものじゃない。分かったな!」

 中年の男はそう言うと、足早に部屋を立ち去った。残されたカイたちの間で、動揺と混乱がにわかに巻き起こる。

「『また』か。まったく、朝っぱらから胸糞が悪い」

 アルフが、目を伏せながら小さく毒づく。カイは、そんな彼を見上げながら、気丈な口ぶりで告げる。

「兄貴。後で、裏手のゴミ捨て場まで、持って行ってあげよう」

 カイの言葉を聞いて、アルフは数拍の間をおいてから小さく頷く。

「そうだな。そうやってあいつを葬ってやるのが、俺たちにできるせめてものことだもんな」

 アルフは口元に穏やかな笑みを浮かべる。カイもまた、そんな彼に向けて笑顔を作ってみせた。

 互いにしばし見合ってから、カイは手中に残っていたパンを再び口に含んだ。先ほどまで無味だったそれから、かすかに鉄の味がした。

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