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2.ファーリューラ 1

 サラードル王子が、悲しみの情念を押し隠して王国を去り、巫女姫クウィンディラが産褥の為に儚くなってから、時の女神は、すでに16もの四季を送り出しました。

 禁忌の娘ファーリューラ、その悲しくも恐ろしき秘密は、アガダル王子独りの胸の奥深くにしまわれ、娘は何一つ不自由無く、大切に養育されておりました。




 「ひい様!ひい様!」と、初老の女が叫んでいる。それに続き、小言をまくしたてている声が聞こえて来る。やれやれ.....、などと口にしながら、声のする方向へと歩を向けるシャドスの顔には、楽しそうな笑みが浮かんでいる。そこそこの広さのある庭の、その端に立つ大木の足元に、声の主を見出したシャドスは声をかけた。

 「乳母殿、今日の姫の罪状は一体何ですか?」

 「ああ、シャドス卿!何とかして下さりませ。ひい様が、ひい様が、あっ、あんな処に!」

動揺を隠せずに、乳母はおろおろと大木を見上げた。続いてシャドスもそちらを見上げる。


 今は夏、日の神がこのロセアニアを思い出し、その輝かしい姿を惜しげも無く見せる季節。民は喜び、作物は育つ。草木は生い茂り、その緑をより一層濃くする。今日も、日の神はその燃える黄金の姿を民に見せている。だが、彼は又すぐにこのロセアニアを忘れるだろう。ロセアニアの夏は短いのである。

 

 シャドスが、眩しさに目を細めながら見上げると、その大木の以外と高い位置に、ぶらぶらと動く素足が見えた。ほう......。見上げるシャドスの口から、感慨深気な声が洩れた。

 「大した物だなあ、とうとうあんな高みにまで登れる様になったのか...、姫は....」

 「何を感心しておいでです!シャドス殿。落ちたら何とするのです!?何とかして下さりませったら!」

丸顔の小柄な乳母は、両手を握りしめながらシャドスを責め立てる。

 「そうは仰られてもなあ...、姫はご自身で登ってらしたわけだから、やはりご自身で下りて来て頂くしかあるまいよ、乳母殿」

 「もうっ!それでもひい様の守役ですかっ!」

はい、一応は.....。ぽつりと口にし、シャドスはこめかみを指で掻いた。


 「あら、シャドス、いたの?」

彼の頭上から、透明感のある朗らかな声が降って来た。

 「ご機嫌麗しい様ですね、姫。眺めは如何ですか?」

シャドスは声を張り上げた。

 「そうね、なかなか良いわ。貴方も来たら?シャドス」

 「おお、それではお言葉に甘えて....」

顔を輝かせながら返しつつ、手頃な枝に手を掛けた処で乳母のものすごい形相に気付き、守役の青年は、はっと息を飲む。

 「あ、いや、そうではなくて....、その〜、姫、そろそろ下りていらした方が良いかもしれませんよ。乳母殿の頭の血管が切れそうになってます。頭の血管が切れたら、乳母殿、死にますよ」

 「あら、そっ?しょうが無いわね、乳母ばあやは」

 「それに姫、今日は陛下がこちらにお越しになるそうですよ」

えっ!?...と、可愛らしい驚きの声が上がったかと思うと、俄に、ガサガサと枝の擦れる音が起こる。大変、大変...などと声が降って来る。シャドスは、にこっと笑って、乳母に片目をつぶって見せた。その時、悲鳴が起きた。

 「ひい様っ!?」

乳母が蒼くなり叫んだ。シャドスも顔色を変える。

 「あーあ、やっちゃった。破いちゃったわ、服」

乳母は、大仰な溜息と共に頭を横に振り、シャドスは思わず、小さな笑いを零す。


 間もなくして、痩せっぽちな少女が、すとんと地面に降り立った。何とも目鼻立ちのはっきりとした美少女である。抜ける様な白い肌は滑らかで瑞々しく、意思の強さを伺わせる瞳は琥珀色。そして注目すべきは見事な髪。日の光を受けて輝く少女の髪は、青みを帯びた銀の色であった。姫君の名は、ファーリューラといった。


 ファーリューラは、現国王アガダル3世の第一子である。王が、まだ正妃を娶る前の、外腹の王女であった。母はいない。ファーリューラは母を知らない。ただ身まかったという事だけしか聞かされていなかった。父であるアガダル王は、ファーリューラの母の事を語りはしない。ファーリューラが尋ねると、父は決まって悲し気な顔をするので、少女は父の前であまり母の事を口には出せないでいた。そして他には、ファーリューラの母を知る物はいない。隠しているのか、本当に知らないのか、それはファーリューラには、分からない。だが恐らく、周りの人間達は本当に知らないのだろうと、少女の勘は告げている。乳母のレティでさえ、彼女の母を知らないと言う。


 『ある日突然、アガダル様は生まれたばかりと覚しき貴女様を、大切に抱えて王城にお連れになられたのですよ』

以前、乳母はファーリューラにそう教えてくれた。当時まだ存命していた前王とその妃は、赤子の母親の素性を厳しく問い質したという。何せファーリューラの父は、その後の王となるべき身の上であったのだから、それは当然の事と言えた。

 『名も無い村娘です』アガダル王子は悲し気に答えた。『彼女は産褥で命を落としました』彼は赤子を抱えながら、涙を一筋零したという。

 

 赤子は、母親の身分が身分であった事から、郊外の瀟洒な館で、人々の好奇の目から隠される様にして、ひっそりと養育された。その館は、赤子であったファーリューラが、父アガダルに引き取られて間もなく、長い患いの後に身まかったという、彼女の伯母であった神殿のさきの大巫女が、幼少時代を過ごした館でもあった。

 アガダルは、娘を溺愛した。毎週必ず、この娘を訪れた。まるで恋人をおとなうかの様に、上機嫌で.....。

 ファーリューラが3つの時、アガダルはロセアニアに隣接する部族の長の娘を正妻として迎えた。そして4人の子をした。それでもアガダルは、この娘を忘れる事は決して無かった。前王とその妃、つまりはファーリューラの祖父と祖母も、始めのうちはこの得体の知れぬ孫娘に難色を示していた物の、赤子のあまりの愛らしさに、間もなく考えを改め、王家の一員として受け入れた。殊に祖父は、孫の髪が先立たれた娘と同じ色だと知った時、それは神の慈悲に違いないと信じた。悲しむ我らを哀れんで、神はクウィンディラと同じ髪をこの子に賜われたに違いない....と。


 銀髪のファーリューラは、アガダルの正妃と、その子供達が嫉妬する程に、父と今は亡き祖父に溺愛されたのである。

 


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