3.ターロの君とファーリューラ 3
「王太子様だわ、私の弟よ」
年若い従弟が弟の腕を捉える様子を眺めながら、ファーリューラはターロの君に告げた。
“ほお?”
相槌を返すターロの君は、然程の興味を持った様には見えなかった。
ジャスウィンドが自分よりも背の高いひょろりと痩せた少年の手を引いて戻って来ると、ファーリューラも彼等に歩み寄った。
「こんにちは、王太子様」
姉の笑顔に王太子は少し頬を赤らめた。
「あ..、姉上にはご機嫌麗しく.....」
王太子は礼儀正しい挨拶を口にする。
「ありがとう、アルレイ王子」
どぎまぎしているアルレイをジャスウィンドが突っ突く。
「何堅くなってるの? 君の姉上だろ? 今、君の姉上に僕の友を紹介していたんだ。君にも紹介するよ、アルレイ」
ジャスウィンドが腕を上げると、ターロが飛んで来た。
「ターロっていうんだ」
アルレイは少し戸惑っているようであった。
「空の王者なのよ。ご挨拶してごらんなさいな、アルレイ王子。ターロの君はきっと貴方の言葉を理解するわ」
ファーリューラの笑顔と優しい声にアルレイは数度瞬くと、ジャスウィンドの腕の隼に目を移す。
「空の王者.....、ふうん....、立派な隼だな」
アルレイが呟く。
“そんな事は知っている。挨拶に名乗らぬとは礼儀を知らぬのか?”
ターロは中々に手厳しい。幸いターロの言葉はアルレイには通じなかったが.......。
「褒めてくれてありがとうだって。君の名前を知りたがってるよ」
ジャスウィンドが角の立たぬ通訳をすると、ファーリューラは楽しそうに微笑んだ。
「私か? 私はアルレイだ、宜しく頼む、空の王者」
“うむ、良いだろう”
「あははっ!ターロの奴、ご機嫌だよ、アルレイ。彼は空の王者って呼ばれるのが大好きなんだ」
「ふうん、そうなのか?」
アルレイははにかみつつも笑みを見せた。
「これから暫くはお二人で共に勉学をなさるのですってね? アルレイ王子」
「はあ....」
姉の問いにアルレイは曖昧に頷いた。
「ジャスウィンドは王国語も達者だし、私と年もそう変わらないから、ちょうど良いだろうと父上が仰るので.....」
おっとりと話す王太子の言葉にジャスウィンドは唇を突き出した。
「何だか、仕方が無いって素振りだな、アルレイ」
「別にそんな事は無いよ」
アルレイはジャスウィンドに微笑んでみせる。
「博士達の退屈な授業も、やかましい君が一緒だと眠くならなくて助かるよ、今の処はね」
アルレイの言葉にファーリューラは思わず笑い声を上げ、ジャスウィンドは何やら複雑な面持ちになった。ふと、その時、突如強い風が彼等に吹き付けた。
“ファーリューラ! 大変よ!”
風の娘の声であった。
“眠れる者達が目を覚ます!”
“眠れる者達が目を覚ますわ!”
風の娘達の緊張を緊張を孕んだ声に、ファーリューラは俄に緊張する。先日、水の精霊達も似た様な事をファーリューラに訴えた。ファーリューラを不安が襲った。
「ファーリューラ?」
ジャスウィンドも何かを感じとったのだろう、表情を僅かに曇らせていた。
「何でもないわ、従弟殿」
ファーリューラは明るく微笑んだ。
少年達と別れ王城を辞して自宅へ戻ると、客人が訪れていた。良人にでは無かった。ファーリューラにであった。神殿からの使者と聞き、ファーリューラは早急に己の居間へと通させると待たせた事を鄭重に詫びた。客人は二人であった。二人共深々とベールを被っていたので顔立ちは分からなかったものの、一人は年老いており、もう一人は中年といった年頃であろうか。年老いた方がベールをはぐりファーリューラにその顔立ちを現した。
「あ.....」
ファーリューラは思わず息を呑み、咄嗟に跪いた。
「ご連絡下さればこちらから出向きましたのに...、大巫女様」
神殿の長である大巫女自らの忍びの訪れにファーリューラは驚き恐縮した。
「いいえ、大事有りませなんだ、姫様。此度は姫様に大事なお話あって出向いて参ったのです」
「大巫女様御自らお出ましになられるなんて、余程に大切なお話なのですね?」
「如何にも」
老齢の大巫女は、重々しく頷いた。
「ファーリューラ」
帰宅したオーヴィスが居間に妻の姿を見出した時、彼女は何やら難しい表情で窓の外へと琥珀色の眼を向けていた。
「ファーリューラ?」
声をかけても全く反応を示さない妻を案じつつ、オーヴィスは歩み寄るとその頬に軽く口付けた。
「オーヴィス!」
飛び上がって驚く愛らしい妻の細い身体を、オーヴィスは笑いながら抱き締めた。
「びっくりしたわ、足音を忍ばせてくるなんて、オーヴィスったら」
オーヴィスの腕の中に大人しく収まりながら、ファーリューラは拗ねた声で文句を言う。足音を忍ばせた覚えなど全く無かったものの、オーヴィスは否定もせずに拗ねる妻に詫びながら、その滑らかな額に優しく口付けを落とした。
「さっきは、何を考えていたのだい? 私の姫君」
「えっ?」
「随分と熱心に考え事をしていた様だったけれども?」
良人の腕の中でファーリューラは一瞬瞳を見開き、そして甘えるようにその胸に頬を擦り付けた。
「色々よ。貴方の事やお父様の事、それから従弟殿の事とか、叔父上様の事。それに王太子殿下の事。それから.......、それから、お母様の事とか.....」
「悩み事や、心配事なら、隠さずに話しておくれ、愛しい人」
「あら、そんなのじゃ無いわ」
ファーリューラは良人を見上げて屈託ない笑顔を見せた。オーヴィスはそんな妻の輝く髪をそっと撫でると、その瑞々しい唇にそっと触れその甘さを確かめると、やがて深く唇を重ねた。
オーヴィスは、一昨日からの妻の様子が少しおかしい事に気付いていた。何となく沈んでおり、心ここに有らずといった態で、何かを考え込んでいるのである。家人に尋ねると、一昨日神殿からの客人があったとの事。オーヴィスは内心案じていた。妻の公にはされていない神秘の能力の事と、この処彼女が頻繁に悪夢にうなされている事に.....。彼女が沈み考え込んでいるのは、それが原因なのだろうとオーヴィスは案じていた。
その時突如、地が揺れた。
「!」
オーヴィスは息を呑み、ファーリューラは小さな悲鳴を上げ良人にしがみついた。表から風の娘達の叫ぶ声が聴こえて来た。
「眠れる者.....、眠れる者達が......、眼を覚ます......」
ファーリューラは無意識の内に呟くと、オーヴィスの腕の中で震えながら気を失った。




