1.サラードルとクウィンディラ 1
ロセアニア王には3人の子がいた。嫡出の王子が2人、そして庶出の王女が1人。嫡出子である2人の王子は双子であった。王太子アガダルと弟王子サラードル、それが2人の名であった。
2つ年嵩の庶出の王女クウィンディラは、大陸一の美姫との誉れが高かった。その容もさる事ながら、殊に見事であったのは、その青みを帯びた白銀の髪。そう、遠い昔の彼らの時代にあってさえも、銀髪は珍しく、尊ばれたのである。だがこの王女は俗世を離れていた、2人の王子達が物心を覚えた頃にはすでに......。
王太子の私室に、案内の者も無視してずかずかと踏み込んで来る者がいた。その様に礼を失して王太子を尋ねる者は2人しかいない。父王と弟王子サラードルだ。父王は別として、弟王子のそんな奔放さを、アガダルの従者達が内心快く思っていないであろう事を、この兄王子は知っていた。母である王妃でさえも、王太子である息子をおとなう際は礼を尽くすというのに、あの弟王子は、例え血を分けた兄であろうとも、このロセアニア王太子に対し、あまりに礼を欠いているというのである。だがアガダルは、そんな些細な事をいちいち問題にするつもりなど毛頭無かった。仕来りにうるさい、よそよそしい母よりも、彼はこの奔放で馴れ馴れしい弟王子の方に数倍もの愛情を持っていたのだから。
「やっぱり準備に手間取ってるか。全く、女じゃあるまいし」
サラードルは、鏡の前に立つ兄王子の姿に呆れ顔を見せつつ、寝椅子にどっかりと腰を下ろすと、なかなかに長い足を投げ出した。アガダルの着付けを手伝う小姓達が慌てて頭を下げる姿も、てんで眼中には無い様子である。
「別に手間取っているわけでは無いよ。お前がいつも早すぎるだけだ」
そう言ってアガダルは笑った。
「服着て髪撫で付けりゃあ、それで充分だろうに....。俺だってこれでものんびり支度して来たんだぜ」
サラードルは肩をすくめてみせた。
「うーむ....」
アガダルは笑顔のまま呻きながら、小姓達が掲げ持つ鏡越しにサラードルをちらと見る。、その表情は上機嫌である。
「お前の言う通りだが.....うん.....そうなんだが....、姉上がお見えになると思うと、ついあれこれ気になってな....」
兄の言葉に、サラードルは鼻に皺を寄せた。
「お前は馬鹿か?兄者。あの女は、どんなに兄者が着飾ったって、そんなの見やしないんだぞ」
「ああ、分かってるよ、サラ」
それでもアガダルはにこやかに応じる。どうだかな....、サラードルは不機嫌に独りごちた。
「なあ兄者、早くしてやらないとそいつら鏡を落っことすぜ」
えっとばかりに、アガダルが鏡を掲げ持つ小姓達に気付く。2人ともすでに手足が震えている様子である。
「おお、すまぬ。下ろして良いぞ、お前達」
その言葉に小姓達はほっとした表情となる。この時代、鏡は大変な貴重品であった。小姓達は、こんなに大きな鏡を___といっても、せいぜいアガダルの頭から胸の辺りまでを写し出す程度の大きさなのだが___誤って割ろうものなら、まず命は無いだろうと思い込んでいた。尤も王太子アガダルは、そんな残忍な心根の持ち主では無かった。むしろ穏和であったにもかかわらず、小姓達はそう考えていたのである。当時、鏡がどれ程貴重な代物であったかが分かる。
「なあ、そんなに嬉しいのか?あの女に会えるのが....」
「ああ、嬉しいとも、当たり前だろう」
アガダルは式服の袖口を気にしながら、溜息混じりに答えた。
「惚れてるのか?」
「それに近いな」
「腹違いとはいえ、血が繋がってるんだぞ」
アガダルが明るく笑った。
「知っているよ。案ずるな、サラ。姉上は私にとって理想の女性だってだけさ、それだけだよ、何を考えてるんだ?」
「あの女が理想か?やれやれ、聞き飽きたよ。あんな陰気な女のどこがいいんだか....。あの女と血が繋がってるかと思うと、胸くそ悪くなるね、俺は」
サラードルは憎々しげに言い放った。アガダルはふっと淋し気な瞳で息をついた。
「いくらお前でも、それ以上姉上を貶めると許さないぞ、サラードル」
サラードルは不機嫌な顔を背けぽつりと呟く。
「分かったよ.....」
アガダルは知っていた。この弟王子が幸せではなかった事を。様々な物を憎んでいた事を。取り分け、あの神殿の長である美しい姉姫を憎悪していた事を。そして又、サラードルの姉姫を見る時の瞳に、時折ふっと憎しみ以外の色が宿る事も知っていたのである。それ故アガダルは案じていた、この弟王子を.....。
「そんな風に座っていると式服が皺になるぞ、サラ」
儀式用の装飾過多な剣を佩き支度を終えた兄王子は、弟王子の肩をつついた。
「かまうもんか」
そんな口をききつつも、サラードルは寝椅子から背を起こした。
「ところでお前、素行が悪すぎるぞ、このところ」
小姓達が側から離れたのを見計らって、アガダルは口調を変えた。そして声をひそめる。
「いかがわしい店に出入りしているそうだな?父上と母上の耳に入る前に止めておけ」
サラードルは、鼻を鳴らした。
「あそこの女達は皆可愛いよ、兄者。クウィンディラと違って人間味があるからな。それに、皆哀れな女達だ。己を売る以外に、生きる術が無いんだからな」
そう言って弟王子は立ち上がった。案内の者が呼びに来たからである。兄王子は困惑顔で、仕方無さそうに小さな溜息をついた。




