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2.ファーリューラ 10





 アガダル王が郊外の瀟洒な館に愛娘をおとなうのは、実に一月半ひとつきはんぶりの事であった。季節はハナサフランや水仙の咲き乱れる、そんな時期へと移り変わっていた。

 「もう春だな。風が大分和らいだ」

 愛馬を進ませながらの王の言葉に、オーヴィスは微笑みを浮かべ、同意の相槌を打った。

 「あれの顔を見るのも久方ぶりだ、元気にしておるかな」

 そう言って低く笑う王の声には、喜びが滲み出ている。

 「嬉しそうであられますね、陛下」

 オーヴィスの言葉に、王はちらりと守役を振り返り「久方ぶり故な」と上機嫌で答えた。

 「姫君も、きっと首を長くしてお待ちでしょう」

 銀の姫君の嬉しそうな表情が目に浮かび、オーヴィスは再度微笑む。この一月半の間に、幾度彼女を夢見たか知れなかった。適わぬ恋を思うと、苦しく哀しかったにも拘らず、あの姫君を脳裏に描き想う事は、至福の時であった。


 「お前も嬉しそうだな、オーヴィスよ」

 オーヴィスは、はっと息を飲み王を見た。銀の姫君の面影は霧散した。

 「あ....、そうでしょうか...」

 口ごもる守役の青年に、王はからかうかの様な瞳を向けている。

 「実に嬉しそうな顔をしておったが?」

 「..まあ、私も兄の顔を見るのは久方ぶりです故...」

 さりげなく言い繕うオーヴィスに、王は何やら意味ありげな瞳を向けている。

 「果たしてそれだけか?」

 「......」

 王の言わんとする事を量りかね、オーヴィスは言葉に詰まった。王は低く笑うと愛馬の腹を蹴り、勢い良く駆け始めた。 

 

 




 『王家の血があのような形で色濃く出たは、不幸中の幸いでござります、陛下。さきの大巫女姫様に匹敵なさるか、もしくはそれ以上のお力を秘めておらるる銀の姫様は、正に大巫女たるべきお方、何卒、神殿に......』 


 王は、神殿の大巫女の言葉を思い起こしつつ、乳母と何やら楽し気に言葉を交わしている愛娘の横顔を眺めた。そして幸薄かった亡き姉姫を思い起こした。

 (何と、良く似ている事か......。容姿だけならまだしも.....、その能力ちからまでを受け継いでしまうとは......)

 王は、瞼を閉じてその琥珀色の瞳を隠した。すると何処からとも無く、敬愛して已まなかった姉姫の、透き通った美しい、だが巫女以外の何者とも言えぬ、低く抑揚も暖かみも無い声が聞こえた様な気がした。

 (姉上.....)

 もしも....と、アガダル王は幾度考えたか知れなかった。もしも、敬愛する姉姫があの能力ちからを持たずに生を受けていたら....、と。

 仮令たとえめしいであったとしても、真っ当な生涯を送っていたのではと....。ファーリューラと共に、毎日穏やかに笑って過ごす事も出来たのではと......。そして、そこではたと思い直す。否、きっとファーリューラが生まれる事は無かったであろうと...。姉姫が、仮令たとえ美しくとも普通の女であったなら、弟王子もあれほどに歪んだ変質の愛情を彼女に抱き、苦しむ事も無かったであろうと......。



 「お父様?眠ってしまわれたの?」

 娘の呼びかけに、現実に引き戻された王は目を開いた。

 「いや、考え事をしていただけだ」

 「考え事?」

 布ばりの長椅子に座る父王の隣に腰掛けながら、娘は小首を傾げる。

 「お前も大きくなったものだと思ってな....」

 しみじみと語る父王は、ファーリューラの頭を撫でながら低い笑い声をたてた。

 

 (もう恋を知る程に大きくなったか.....、早いものだ.....)

 

 娘の、オーヴィスに向ける瞳に、何時から恥じらいの色が見え隠れする様になっていたのであろうか......。そしてあの実直な若者は、何時からあの様な眩し気な瞳をファーリューラへ向ける様になっていたのであろう.......。王は、愛娘の細い肩を抱き寄せ、小さな溜息を吐いた。全く、早いものだ.....と、王は再度心の内で呟いた。



 然程さほども経たぬ内に、エディンヴァル兄弟が訪れた。すらりとした長身の見目良い兄弟は、大層婦人方に人気があるのだと、ファーリューラは以前、乳母や侍女達から聞いた事があった。その時は、軽く聞き流したものであったが、きっとその通りなのだろうと、今ふと思った。

 「お呼びですか?陛下」

 「うむ、話がある」

 シャドスの後から入室して来たオーヴィスは、無言のまま頭を下げた。ファーリューラは、目を奪われたかの様に青年を一時見詰め、そして俯いた。王はそんな娘の様子に、一瞬眉を上げるも、又すぐに兄弟へと視線を戻した。


 「まあ、話というのはほかでもない、エディンヴァルとカドラードの婚姻話の件なのだが........」

 前置きも無く切り出された話に、ファーリューラは身を震わせた。婚姻...?誰の.....?ファーリューラは、不安を隠せずに隣の父王を見上げ、そしてオーヴィスを見上げた。青年はちらと哀し気な蒼い瞳をファーリューラへ向けると、その瞳を俯けた。

 「私は、出来れば異を唱えたいのだ、シャドスよ」

 オーヴィスは驚きに顔を上げ、思わず王を見た。

 「と、仰せになられますのは、陛下?何か不都合でも....?」

 シャドスも多少の驚きに目をしばたたく。

 「うむ、不都合であろうな.....。どう見ても、オーヴィスがこの話を喜んでおるとは思えん」

 ファーリューラは息を飲んだ。衝撃であった。その様な話が持ち上がっていた事など、夢にも思ってはいなかったのだ。血の気が引き、ファーリューラは見る見る蒼白となった。王はそんな娘の様子に左手を伸ばし、震えるその華奢な手を握りしめた。だがその事にすら、ファーリューラは気付くゆとりも失っていた。

 「オーヴィスよ、他に心に想う娘がおるのでは無いのか?違うか?」

 王の低い声音は、水の如く静かに尋ねた。歳若い青年は困惑し、哀し気な瞳を王の愛娘へと向けた。

 やれやれ、何と分かり易い......。王は苦笑する。

 シャドスは、そんな弟の様子に内心溜息を吐いた。

 「どう思っておるのだ?オーヴィスよ、その娘の事を。どれ程心に想っておるのだ?申してみよ」

 ファーリューラがぎこちなく顔を上げた。オーヴィスは、姫君の今にも涙の零れ落ちそうな琥珀色の瞳を見詰め続けた。そして、やがて言葉を紡ぐ。

 「我が命を、失っても良いと思う程に想っています、陛下......」

 静かな口調であったにも拘らず、炎の如き言葉であった。ファーリューラの瞳から涙が零れ落ちた。


 やれやれ.....、王は満足げな溜息と共に、低く笑った。

 「シャドスよ、カドラードとの話は諦めよ」

 「はあ....、陛下の仰せとあらば.....」

 シャドスは溜息を吐き、諦めた様に小さく肩を竦めた。

 「代わりに....」

 王の言葉は続いた。

 「これを娶らせろ」

 「は?」

 王の言葉が理解出来ずに、シャドスは目を丸くした。

 「これだ」

 王は繰り返しつつ、握っていた愛娘の手を持ち上げた。

 「....陛下....」

 シャドスは絶句する。王以外の誰もが呆然とした。

 「オーヴィス、私の愛し子を幸せにすると誓えるか?誓えるなら、お前にくれてやるぞ」

 オーヴィスへと目を向けた王は、微笑をその口元に上せてはいたが、その琥珀色の瞳は笑ってはいなかった。ファーリューラは泣き顔のまま父王を見上げた。

 王に向けるオーヴィスの蒼い瞳から哀しみの色がみるみる払拭されていった。

 「誓います、陛下、我が剣と、我が命にかけて!」

 オーヴィスは、力強い瞳できっぱりと言い放った。

 それを聞き遂げた王の瞳は、即座に和らぎ、そして実に満足げな艶のある笑い声が起こった。

 「ファーリューラはくれてやるぞ!オーヴィス!」

 父王の手に背を押され、ファーリューラはオーヴィスの元に駆け寄った。うら若い二人は互いに手を取り合い、潤む瞳で見詰め合い、そして幸せそうに微笑みを交わした。涙を零しながら....。


 「陛下、本気で姫君を臣に嫁がせるおつもりですか?」

 シャドスは、呆れ声を隠しもしない。だが呆れながらも、その表情は何とも嬉しそうな笑顔をたたえている。それが、心からのものである事に、長い付き合いでもある王が気付かぬわけも無かった。

 「お前は、私と親族関係になるのが嫌なのか?」

 「とんでもありません、嫌だなんて。私はただ、姫のお立場が心配なだけです」

 ふんっと、王は鼻を鳴らした。

 「他国との政略にとられるより良い。愚かな王族に嫁がせるより、もっと良い。お前の弟ならば、申し分無いぞ、シャドス」

 王の言葉にシャドスは、満面の笑みの中、こそばゆそうな表情を垣間見せた。

 「あれが嫁いだら、お前は又私の元に戻ってくれような?シャドスよ」

 「喜んで、陛下」

 シャドスは深々と頭を下げた。

 「お父様!」

 ファーリューラが父王に抱きついた。王は上機嫌で笑いながら愛娘を抱きしめた。思えば王は、何時でもこの娘を案じて来た。不幸な出生故、不憫に思って来た。正統な王家の血のみを受け継いだ娘であったにも拘らず、それを公表出来ず、その為軽んじる者達の多かった事も知っていた。だが王は今、満足であった。娘の幸せそうな表情が、王にとっての幸せであった。亡きクウィンディラ姫が、そんな表情を見せた事など一度として無かった事を思い出す。

 幸薄かった母の分も、幸せになるのだぞ.......。王は、心の内で願った。





 それから一年の後、王城で若々しい二人の婚儀が執り行われた。

 祝福を与える為に招かれた老いた大巫女は憤っていた。王はこれで、神殿もこの銀の姫を諦めるとでも思っているのであろう....と。

 大巫女は、怒りなど微塵も感じさせぬ巫女の無の表情で、初々しい花嫁と、凛々しい花婿に祝福を与える為に手を翳す。跪く見事な銀の髪の花嫁を、多くの精霊達が取り囲む様が大巫女には分かった。

 大巫女がファーリューラに祝福を与えるのは、彼女が生まれて以来であった。ひっそりと人々から隠す様してに育てられたファーリューラは、年に一度の生誕の日にも、大巫女の祝福を得た事は無かったのである。大巫女は、アガダル王への怒りも忘れ、感嘆の溜息を漏らした。

 「多くの精霊達に愛されし銀の姫様、精霊達を大切になされませ」

 大巫女の言葉は、お決まりの祝福の言葉では無かった。だがそんな事も、花嫁には問題になりはしなかった。傍らには、夫たるべきあの蒼い瞳の青年が、優しい眼差しで彼女を....、彼女だけを見詰めていたのだから.....。

 豪華な婚礼衣装の長い裾を引きながら、ファーリューラは愛する青年をうっとりと見上げたのである。




2.ファーリューラ 終

 さてさて、第2章が終わりました。ここまでお付き合い下さったお心広い皆々様、本当にありがとうございます。

 決して公表する事の出来ない出生の為、姫君は人々の目から隠されひっそりと育てられました。ですが養父の深い愛情から、彼女は自由にのびのびと、何一つ不自由無く幸せに育ちます。そして年頃の姫君が真実の恋を見付けた時、養父である王は、姫君の幸せの為に、そして又ある思惑から、やや強引とも言える手段で姫君の結婚を決めてしまいました。

 さて次章は....、何やら暗雲が垂れ籠めて来そうな気配が無きにしも非ずですが...、どうか引き続きお付き合い下さると嬉しいです。


皆様に精霊達の加護のあらん事を....。

秋山らあれ 


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