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2.ファーリューラ 7





 「何を熱心に見ているのだ?」

 「あ、兄上」

 我に返ったかの様な弟の表情に、シャドスはやれやれと小さく溜息を吐いた。この歳若い弟が、祝宴の席のファーリューラ姫に目を奪われていた事は、どうにも疑い様が無かった。

 「おいおい、止めてくれよ、オーヴィスよ。庶出とはいえ王家の娘だぞ、頼むから分別を持ってくれ」

 シャドスは辺りを憚りながら弟の耳元に囁く。

 「分かっています、兄上。でも私が勝手に心に思う事くらいは許して下さい」

 そう言ってオーヴィスは溜息を吐く。

 「あんな人は、きっと大陸中の何処を探したっていないに違いありません、兄上....」

 エディンヴァルの気風に似ず真面目で一本気な気質の弟なだけに、シャドスは不安になる。姫に付いた悪い虫を取っ捕まえてみたら、守役の弟だったなんて事になってみろ、笑うに笑えないぞ....などと内心考えつつも、シャドスは、道ならぬ恋に落ちるこの弟が不憫にも思えて来る。そして、こちらの方を_____というよりも、弟オーヴィスに度々視線を投げて寄越すファーリューラにも、守役シャドスはほとほと頭の痛くなる思いであった。

 (これは早いところ、オーヴィスには妻帯させた方が良いかもしれない......)

 大貴族エディンヴァル家の子息であり、現王の近習である。妻のなり手は幾らでもあるであろうとシャドスは考える。実のところ、この兄弟が婦人方に大変人気のあった事は確かであった。殊、シャドスに至っては、この宮廷の貴族社会からは《性格破綻者》というレッテルを頂いておりながら___それは専ら、彼の毒舌の洗礼を受けた者達の吹聴によるものであったが____、それでも何故か、王城にはファーリューラ姫程では無かったにしろ、滅多に上がらなかったにも拘らず、婦人方だけには人気があるのである。


 (オーヴィスの嫁.....)

 シャドスは大広間を見渡してみた。何とも華やいでいる。やはりファーリューラ姫に匹敵する程の美人で無いとダメであろうかなぁ......、などと考えながら辺りの娘達を物色してみる。とはいえ、どの家に弟に釣り合う年頃の娘がいるかなど、シャドスにはてんで分からない。

 (こりゃあ、根回ししておいて向こうから来てもらうしか無いな.....)

 シャドスが内心そんな計画を立てている間も、隣のくだんの弟は、姫君を見詰め何とも切ない想いを胸に抱いていた。


 ファーリューラをこれ程熱心に眺めていたのは、オーヴィスだけでは無かった。もう一人、密かに目を向ける者があった。純白の衣に身を包んだ小さな老女であった。

 (何と....、何と.....、先代様に生き写しとは.....、そしてひしひしと感じられる、あの王女の神秘の能力ちからはどうであろう.....。王は何たる身勝手か!あの王女は、やはり巫女たるべき者、今一度、王に進言せねばならない.....)

 大神殿の大巫女は、そう密かに決心した。





 真の暗闇の中を、紅い色が散らついた。

 あか_______深紅かと思えば、それは炎のだいだいとなり.....、黄が混じった。

 

 黄........、ああ、あれは涙だ......、黄なる涙だわ.......、生命いのちが歎いている.......。


 ファーリューラは悲しくなった。

 漆黒に紅蓮ぐれんが踊った。

 ファーリューラは畏れた。


 くれない______紅の涙......、ああ...、あれは.....、これは....、私の涙だわ......。

 

 漆黒に散っていた色が一瞬にして消え失せた。一面の闇となった。ファーリューラは怖くは無かった。むしろ、少しほっとした。だが次の瞬間、漆黒の闇にどす黒いくれないが垂れた。黒に落ちたあか

 

 ああ、まるで血の如き.....


 誰かがそれをかき混ぜた。かき混ぜた。

 紅が、闇よりも深い漆黒の中をくねくねと流れた。墨流しのように.......。


 そこでファーリューラは目を醒した。夢であった。時は真夜中、王城の一室であった。胸がどきどきと鳴っていた。汗で髪が頬に張り付いていた。

 「嫌な夢.....」

 ファーリューラは怖れた。良く無い夢だと思ったのだ。





 この時期、雨が良く降る。止んだかと思えば降り、又止んだかと思えば降って来る。そして今日も、やはり雨であった。ゆるくしとしとと降っていたかと思えば、酷く強く降ったりの繰り返しであった。

 ファーリューラは窓の木戸を細く開け、空を見上げて不満顔であった。もう何日も雨ばかりなのである。散歩を楽しむ事も出来やしない。

 「姫様ひいさま、お風邪を召されますよ」

 獣脂の灯火の中、乳母は縫い物をしながら姫君をたしなめた。この時代、窓には硝子など入ってはいない。それ故、寒い季節ともなると木戸を閉めるので、日中でも屋内は暗くなる。

 ファーリューラは小さな溜息を付いた。急に雨脚が強くなり、雨が室内に吹き込んで来た。ファーリューラは慌てて木戸を閉めると、小さく悪態を吐きつつ、暖炉の傍へ来て両手を翳した。ファーリューラの耳に、笑い声が聞こえた。悪戯好きの風の娘達の声では無い。もっと落ち着いた、深みのある、それでいて若々しい声。

 

 “あの若者の事を考えているのだな?ファーリューラ”


 炎の声に、ファーリューラの頬が染まった。すると炎達は俄に騒がしくなる。


 “はははっ、ファーリューラの顔が赤くなった”

       “はははっ、ファーリューラが恋をしている”

             “ファーリューラが、あの若者に恋をしているぞ”

 炎の精霊達が合唱を始めた。


 “んもうっ!うるさいわね貴方達っ!”


 ファーリューラは毒突いた。勿論言葉にはせずに。

 彼女は炎の傍を離れ、レティの傍に座ると刺繍針をつまみ上げ、刺しかけだった刺繍を再び始めた。

 

 “その手巾しゅきんは、あの若者の為の物だな?”


 ファーリューラは思わず針で己の指を突ついてしまった。精霊達に隠し事は出来ない。やれやれと、ファーリューラは思う。


 “我々の姿を刺繍しておくれ。そうしたらお前の為に、あの若者を守ってやろう、ファーリューラ”

 “本当?でも貴方方精霊は、気紛れですもの、信じられないわ”

 “おやおや、そんな事は無いさ。お前があの若者を想い、あの若者がお前に誠実でいる限りは、我々はあの若者を守ってやるとも、ファーリューラ”

 “風の娘達も、同じ事を言ってくれたわ”

 

 炎の若者達が、静かな笑い声を立てた。

 

 “なれば、風の傍らに我々の姿を入れておくれ、ファーリューラ”


 ファーリューラは口元に笑みを浮かべ、少し考える振りをして見せた。炎の若者達は、風の娘達が好きである。何せ風の娘達は、炎に力を貸してくれる。


 “なあ、ファーリューラ、良いだろう?”

        “我らの姿を、刺繍しておくれ” 

 “そうしたら、あの若者をどんな炎からも守ってやろう”

          “どんなに凍える様な寒さからも守ってやろう”


 ファーリューラは、暫し炎達を焦らして後に頷いてやった。始めから拒むつもりなど無いのだ。

 

 “では、約束しよう、あの若者を守ると”

 “ふふふっ、ありがとう、炎の貴公子方”


 ファーリューラの脳裏を、あの青年の実直そうな笑顔が占める。消しても消しても、それは浮かんで来る。

 (私.....、本当に恋をしているのかしら.....?あの人の事が頭から離れないのは、本当に恋をしているからなの?)


 表の風が、木戸をがたがたと鳴らした。

 「まあ、酷い風です事....」

 乳母が呟いた。


 “ファーリューラ〜!”

     “ファーリューラ〜!”


 どうやら風の娘達が、一所懸命に木戸を叩いているらしい。

 

 “あの若者が来るわ〜!”

     “蒼い瞳の若者が来るわ〜!”


 「えっ!!」

 ファーリューラはびっくりして思わず立ち上がっていた。

 「姫様、如何されました?」

 突然立ち上がったファーリューラに、乳母も驚きの眼差しを向ける。馬の嘶きが聞こえた様な気がして、ファーリューラは窓辺へと駆け寄り、木戸を開いた。途端に風の娘達が室内に躍り込み、嬉しそうにファーリューラに絡み付く。


 “ご覧、ファーリューラ!”


 激しく地を打つ雨の白い飛沫の中、馬を駆けさせて来る者があった。

 「まあ、どなたでございましょう、この雨の中を」

 気付くとレティも立ち上がり外を覗き見ていた。ファーリューラは、木戸を勢い良く閉めると、飛ぶ様に居間から駆け出して行った。


 

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