2.ファーリューラ 3
ファーリューラは父が大好きであった。毎週必ず訪れる父を、いつもいつも心待ちにしながら、少女はここまで成長したのである。ファーリューラが王城へ上がる事は、今まで殆ど無かった。前王____つまり彼女の祖父____と、その妃のそれぞれの崩御の折、そして父の戴冠の儀の折位なものであった。父アガダル王は、どういうわけかファーリューラを王城へは上げたがらなかった。庶出だからか.....、母堂が村娘だったからか......、周辺の者達は憶測する。だがそれにしても、アガダル王はこれまで、最低限の機会しかファーリューラを王城へは呼んでいなかった。その回数は、幾ら何でも少なすぎる。だがその数える程の機会すらも、王は当時渋ったのである。その事を知る守役シャドスと、乳母レティは、首を傾げた。あれだけ溺愛しながら、否、溺愛するからこそ、王城へ上げたがらないのか.......?恐らく王は、溺愛する娘に、いらぬ気苦労をさせたくは無いとお考えなのだろう。又、その美貌の為であろう。あまりに美しい少女な故、王は人目から隠しておきたいとお考えなのであろう.....。シャドスとレティはそう考えた。理由がよもや別の点にあろうとは_____ファーリューラが、亡き王姉クウィンディラ姫に、生き写しとも言える程に似ていた為だとは、二人は微塵たりとも考え及んではいなかった。姪が伯母に似る事は、多々ある事である。その事故、ファーリューラが間違いなく王家の血を引きし娘である事は、疑いようも無いのである。この二人に取って、その点は公表すべき点でありこそすれ、隠さねばならぬ点であるなどと、どうして考え至る事が出来たであろうか。
「お父様、お父様」
楽しい会話を交わしながらの、父娘水入らずの晩餐であった。娘が急に、人目を気にするかの態で身を前に乗り出し、囁く様に父を呼んだ。ファーリューラは無邪気な琥珀の瞳で、父の暖かな琥珀の瞳を見上げている。食事の際、娘はいつも父の左手に座を占めた。本来の儀によれば、長方形の食卓の端と端に、互いに向かい合って席に着くべきであったが、アガダル王はこの館でのみ、この娘には大抵の自由を許した。父娘の食事は、大きな食卓の片端に、手を伸ばせば充分に相手に届く距離に座を占め、様々な話に花を咲かせながら、ゆっくりと楽しむのが常であった。
「ねえお父様、シャドス卿の弟御のオーヴィス卿は、東の野蛮人達の地へとお出でだったのでしょう?」
「ああ、此の程戻ったばかりだ」
父王は手ずから、愛娘の為に焙り肉を切り、皿へと取り分けてやりながら答えた。
「オーヴィス卿は、わたくしより三歳しか年嵩でらっしゃらないのに、一体幾つの時分にあちらへ赴かれたのですか?」
興味津々の態の娘に、父王は低い笑い声を立てた。
「娘よ、今のお前位の頃だよ」
まあ!....ファーリューラは心底驚き、感嘆の声を上げた。驚いたか?....父王の問いに、ファーリューラは瞳を見開いて頷いた。
「わたくしは、今、東へ行けと命じられても、恐ろしくて行けませぬ....」
父王は、そんな娘が愛しく、目を細めた。
「あれは武人の家系故な....。シャドスも嘗て、東の地へ行きたがっていたものだ」
「シャドスも?」
ファーリューラには初耳であった。
「お前が生まれたか、生まれぬかの頃だ。あれがまだ、私の小姓であった頃、私に直願までして来た事があったのだ」
「お許しにならなかったのですか?お父様?」
父王は溜息混じりの微笑を娘へと向けた。
「シャドスは嫡嗣であった故な......。あれらの亡き父が、私の守役であった事は知っておろう?ファーリューラよ」
娘は即座に頷く。
「私がシャドスを、サラードルに____お前の叔父に託したならば、恐らく前王はお許しになったであろう。だが、あれの亡き父の事を考えると、私にはそれが出来なかったのだ。何せ彼は、その時すでに息子を一人_____シャドスとオーヴィスの兄だ_____、その長男を遠征で亡くしていたのでな」
「まあ....、そうでしたの....」
ファーリューラの守役であるシャドスが、名門エディンヴァルの家督を継いだのは二年前。このエディンヴァル家の当主は未だ独り身である為、彼の跡目を継ぐ者は、今の処弟のオーヴィスしかいない。それ故、オーヴィスは国元に呼び戻されたのだそうであった。
ファーリューラは翌朝も、朝餉の前の散歩を楽しんでいた。少女は、よく独りで庭を散策する。人の手により美しく整えられた庭園よりもむしろ、彼女は木々の立ち並ぶ辺りを好んで歩いた。ファーリューラが館の敷地内にいる限りは、乳母もシャドスも咎めはしなかった。
爽やかな風の娘達が、ファーリューラの頬を撫でて行った。この館の中では、乳母とシャドスだけが、白銀のファーリューラの不可思議な一面を知っていた。
不可思議________神秘の能力_________
ロセアニア王家には、神秘の能力を持つ者がごくたまに生まれる。殊、ファーリューラの伯母であった亡きクウィンディラ姫は、大神殿の大巫女を務めた程の能力の持ち主であったという。その巫女姫クウィンディラと同じ青みを帯びし銀の髪を頂き、その容姿を受け継いだ姫は、伯母同様、神秘の恵みを与えられた少女であった。だがしかし、父王は娘に、人前でその能力を振るう事を禁じた。王は何よりも愛しい娘を、神殿に渡したく無かったのである。無論神殿側は、ファーリューラが生まれた時から、彼女のその能力を知っている。現大巫女は、乳飲み子であったファーリューラを前に、当時はまだ王太子であったアガダルに執拗に迫った。この赤子は、近い将来神殿に差し出されるべきであると.....。
アガダルは頑として頷かなかった。誰もが____王でさえも額衝く神殿の大巫女に、アガダルはこの時、真っ向から反撥したのであった。だが、神殿側にとっても相手は王族、しかも王太子ともなれば、権力行使へと及ぶのも憚られ、現在に至っているのである。そんな状態であった為、万が一ファーリューラの神秘の能力が、世間に知れ渡ろう物ならば、アガダルも、これ以上神殿側の要請を拒む事が出来なくなるであろう。そして神殿側は、当然圧力をかけて来る筈である。
ファーリューラは、朝靄の中をぶらりと歩く、精霊達の声に時折耳を傾けながら.....。父王は、ここでは寝坊である事が常であった。王城での父が、常に公務のため多忙である事を、ファーリューラは聞き知っていた。この館を訪れてお出での時くらいは、ゆっくりと時を過ごして頂こう.....。それが娘の父への思いやりであった。
今朝は、やけに風の娘達がちょっかいを出して来る。その度にファーリューラは、銀の絹糸の様な髪を手で押さえる。
“こっちに来て、ファーリューラ”
“こっちに来て、ファーリューラ”
悪戯好きな風の精霊達が、普段にも増して彼女の髪に絡み付き、それを乱す。
「んもぅ!何だというの、貴女達?今朝はやけにしつこいのね」
“だって.....、うふふふふふっ”
“いいから来て、ふふふっ”
風の娘達の、何かを含んだかの様な笑い声に、ファーリューラは苦笑しつつも、誘われるがままに歩を進める。精霊達は、彼女に害をなす事は無い。ファーリューラはそれを知っていたからであった。




