■ 前 編
その夜の電話を切った後、リョウは暫しケータイを耳に当てたまま呆然と
その場にしゃがみ込んでいた。
8年ぶりの再会をして以来、正式に付き合いだしたリョウとマドカ。
離れて暮らすふたりは毎晩欠かさず電話をして、ほんの些細な事でもその日
一日の話をし合った。
テレビ電話をしたいからとスマホを勧めるのに、ガラケーで充分だとリョウは
言い張り高校時代から使っているケータイを換えようとはしない。
変なところでやたらと強情なリョウに、
『そりゃあ声が聴けるだけで、
今までの8年間と比べれば充分幸せだけどさ!』
というセリフを、マドカはもう100回は繰り返していた。
狭い単身の部屋で切れたケータイをいまだ耳に当てたまま固まっているリョウ。
マドカが今夜の電話終わりにボソっと呟いた言葉。
『今週末の3連休に、そっち遊びに行くから・・・
ゆっくりしようかな、と・・・ 思ってる、から・・・
ヨロシクね・・・。』
そう言ってリョウの返事も待たずにブチっと切れた電話。
『ゆっくり・・・。』 パチパチとせわしなく瞬きを繰り返すリョウ。
『ゆっくり、って・・・
日帰りじゃなくて、
ゆっくり、泊まるって・・・ 意味、だよな・・・。』
週末までの数日の間、リョウは動揺しすぎて学校でもミスしまくっていた。
職員室ではあまりに不可解なその様子に ”アイバ先生・傷心説 ”が
まことしやかに囁かれ幼い生徒たちにも心配される始末だった。
以前マドカと別れ際に駅のホームでキスをした現場は、やはりしっかり目撃
されていて翌日には小さな学校中で特ダネスクープとして大々的に流されて
いた。校長その他先輩職員陣に ”教師としてのお咎め ”を受けるかと思いきや
『結婚はいつだ?オメデタか?』 と質問攻めでやっと最近その話題が下火に
なった所だったというのに。
『あの・・・ フラれてはいないですし・・・
・・・ちゃんと、今週末に会いますし・・・。』
ご丁寧に答えてしまって、職員室は暇な中年教師陣からの冷やかしで
再びヒートアップした。
色んなことを考えすぎて頭から煙が出そうになりつつも、気が付けばマドカが
やって来る週末が訪れていた。
駅まで迎えに行く迄のリョウの足取りは、嬉しくて軽やかなのは勿論、
反面ソワソワと落ち着かずどんな顔をしてマドカを見たらいいのか
分からなかった。
3連休の初日、朝イチの電車に乗ってマドカがやって来た。
駅のホームに佇むリョウの姿を、ブレーキをかけゆっくり流れる電車の車窓
からマドカが覗き込むように探している。
そして、それを見付けると嬉しそうに頬を緩ませ小さく手を振る。
リョウも微笑みながらマドカが映るその窓を小走りで追い掛け、
電車の乗降口に追い着いた。
慌てて停車前に席を立ち、少しよろけながら電車から降りて来た姿に
リョウは笑う。
『ちゃんと停まってからからじゃないと、危ないですよー
マドカさん、慌てすぎー・・・』
『別に・・・ 慌ててないし!』リョウの指摘に照れくさそうに目を眇めた。
そっと手を伸ばしマドカが持つボストンバッグを引き受ける。
すると、心なしか荷物が多い気が・・・しない、でも、ない。
カバンがいつもより大きいというか、重いというか・・・
(・・・と、とと泊まりのための・・・?)
”オイオイ、いい大人がなに動揺してんだ ”と
心の中で自分で自分に突っ込むリョウ。
平静を装ってもその顔は、嬉しくて照れくさくてくすぐったくて、
ニヤける頬をいなせない。
当のマドカはと言うとそんな事まったく気にしていない顔で、リョウの手を
ぐんぐん引っ張って連休初日のにぎやかな駅前を進む。
『取り敢えず・・・ お昼ゴハンっ!!』
振り返ってリョウに笑うその顔は、リョウの希望など聞かず自分の行きたい
ところへ勝手に向かっているけれど、そんな相変わらずなマドカがたまらなく
愛しかった。
ランチに入った店は、どこにでもあるチェーン店のファミレスだった。
しかし、ふたりで食事が出来ることに満足顔で、各々の目の前にメニューは
あるというのにひとつのそれを顔を揃えて覗き込み、ああだこうだ言いながら
迷って中々注文出来ず店員を辟易させた。
いつもはあまり時間が無いが今回はのんびり出来る。
メニューだっていくらでも時間をかけて迷いまくれるし、食事の間だって
どれだけおしゃべりして食べ終わるのに時間をかけたって構わない。
何故なら、それは、”ゆっくり泊まる ”から・・・
しかし、リョウは注文したビーフシチューオムライスをスプーンですくって、
そのまま止まった。
(親は、なにも言わなかったんだろうか・・・?)
ふと向かい合って座るマドカに目を遣ると、とろけたチーズを真剣に
ハンバーグにからめながらそれを凝視している。
『このチーズ・・・
カマンベールと・・・ モッツアレラと?
あと、なんだろ? パルメザンも入ってるか・・・?』
完全なるTHE・職業病。
なにか口にする度に食材や栄養価など探り、ブツブツ言うのが癖になって
しまっている。
ふたりでつつこうと注文したアボカドサラダをトングで取り分けながら、
さり気なくさり気なくリョウは声を掛ける。
『・・・マドカさん・・・?』
すると、『ん~?』 まだチーズの種類と格闘中のその顔。
そして『なに?』 顔を上げてやっとリョウに目線を向けた。
『あのー・・・。』
『ん? ・・・だから、なによ??』
自分ひとりだけ照れまくっているのがなんだか癪で、ひとつ小さく咳払いを
するとリョウはまるでなにも気にしてなどいないけれど、ちょっと思い付いた
から訊いてみた風な顔をして言った。
『あの・・・ そう言えば、
・・・いつごろ帰る予定ですか・・・?』
”今夜、泊まっていきますよね ”と訊くのは、やっぱりやめた。
すると、
『あさって。 連休最終日に帰るよ。』
なんの躊躇もなくマドカの口からサラっとそよ風のように出た、その言葉。
そして、すぐさまパクっとハンバーグを頬張る。
チーズが少し垂れて、口の横に付いてしまっている。
リョウが指を伸ばしてマドカのそれをかすめ取った。
『あのーーー・・・
ウチにーーーー・・・・・・・
と、とと泊まりますよね・・・・・・・・・?』
マドカが一瞬、能面のように真顔になった。
先程までの幼い子供のように口いっぱいにハンバーグを頬張る笑顔は
何処へやら。
(あれ・・・? 変なことゆった・・・?
え・・・? ホテルとってあるのか・・・??)
すると、
『リョウ・・・ 今、すごいヤラしい顔したっ!!』
ケラケラ愉しそうに笑い出したマドカ。
指をさして ”アイバ先生 ”をからかう小学生と同じ顔をして、ニヤけている。
『べべべ別にそんな顔してませんよ!!』 慌ててムキになって訂正してから
なんだかそれはそれで恥ずかしくなった。
”思春期じゃないんだから ”と心の中でひとりごちる。
『いや、そうじゃなくて・・・
ご両親とかに・・・ なにも言われなかったんですか?
と、泊まりの件・・・。』
すると、マドカは即答した。
『バレたら殺されるね。』
リョウがテーブルに肘をつきガックリうな垂れ頭を抱えて、
大きく大きく溜息をつく。
『ってゆーか、サツキんとこ泊まるって嘘ついた。』
まったく悪びれないその澄まし顔に、
『ちゃんと話合わせて貰ってるんですよね?』 念の為の確認、
と思った瞬間
『あ。 言ってないわ・・・
ダイゴに言っとけばよかった・・・
サツキとダイゴ、きっと連休中一緒だよね~』
『 もぉぉおおおおお!!! 詰 め が 甘 い っ !! 』
それならそれでサツキやダイゴに口裏を合わせて貰わなければならない事
ぐらい普通に考えたら分かるはずなのに、マドカという人は本当に、
変なところで良く言えばのん気、悪く言えば大雑把で考えなしで、
リョウはいつもハラハラしっぱなしだった。
脱力してテーブルに突っ伏したリョウに、マドカはイヒヒと口角を上げ
他人事みたいに笑う。
『うちのお母さんが、これまた怖くてさぁー・・・
お父さんは、いるのかいないのか分かんないくらい大人しいのに。
もう、ね・・・
アレは、鬼だよ! 鬼っ!!』
『お母さん似なんですね。』 ボソッと呟いたリョウに、マドカが口を尖らす。
『どーゆー意味だ!バカ』
不機嫌そうに眉間にシワを寄せながら、リョウのオムライスに手を伸ばす
マドカにその皿を手でズズズと押しやってテーブル上を滑らし渡す。
マドカは自分のチーズハンバーグの鉄板をリョウの方へ寄越すと、
今度はオムライスの具材をスプーンでより分けまじまじと見眇め、
ブツブツと識別し始めた。
先程発生したばかりの問題をもう忘れているかのようなマドカに、
半ば呆れたように片肘ついて笑いながらリョウは言った。
『まぁ、怒られる時はふたりで怒られましょ・・・。』
マドカがオムライスから顔を上げると、照れくさそうに肩をすくめて
頬を緩めた。