『第零話 我が為に手を汚す』
ピシャリと雷鳴が響き、部屋を何度も照らす。外は大雨。強い風が何度も窓を叩いている。そして、屋敷の一室は外の音と、悲鳴で満ちていた。
目の前には、中年の女。金糸の髪を乱れさせ、さぞかし高級なドレスには裂傷が滲んでいる。床に這いつくばり、許しを請うているかのように見えるその姿に、思わず興奮を覚えてしまう。ただ、その興奮も女性のただただ耳障りな悲鳴で帳消しだ。
悲鳴を断ち切るように振り切った剣が、赤を跳ねさせる。跳ね返ってきた液体が頬を、手を真っ赤に染める。少し生暖かい血液が、心理的嫌悪感を抱かせ、わずかながらに陰鬱とした気分にさせる。
悲鳴ごと身体も切り裂かれた女は事切れ、自分の血で床とドレスを汚していく。終わってみれば呆気無いもので、さっきまでの興奮もどこかへと消え失せてしまっていた。
一息ついて、手や顔についてしまった血を拭いながら、少し思いふける。全くもって、どうして人を殺したいと思うのか理解できない。殺してしまいたいほど嫌いなのであれば、無視しておけばいいのに。それでも、わざわざ気に留めているなんて、まったくもって馬鹿馬鹿しい。
依頼主が聞いていれば顔を真っ赤にして反論してくるが、今はありがたいことにこの場にはいない。この後会うが、うっかり口を滑らせないように注意しないといけない。
まったくもって、貴族の考えることは理解不能だ。そう結論づけて、屋敷を出る。雨が衣服を濡らすが、気にせずに歩いて行く。二刻ほど歩けば、依頼主の待つ街に着くはずだ。
歩きながら、次の依頼内容を整理する。次の依頼は、確か護衛依頼だったはずだ。普段は暗殺を専門としているから、いざ守れと言われると少し困ってしまうものがある。
とりあえず、変な奴がいれば殺してしまえばいい。人殺しはしたくはないが、しょうがないことだ。自分のためならば人を殺しても良い、至極真っ当なことだ。だが、やっぱり私利私欲のために人を殺すのは理解できないなぁ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
お祖父様が亡くなった。それは目の前でずっと見守っていたから一番に知ることができて、ずっと一緒にいたからこそ一番重くのしかかってきた。
静かに眠っているお祖父様を、無言で囲う奴等を見る。全員が伏し目がちにしていたけれど、、下から見上げるようになっていたから、その目が見えてしまった。
誰も悲壮感なんてもの浮かべていない、ただただ自己中心的な眼をしているだけだ。お祖父様の跡をどうやって継ごうかと、ただそれだけを考えているんだろう。奴等が俯いているのは、自分たちが何を考えているのかを、周りに気取らせないため。
この後、奴等に掛けられた言葉なんてもの、全く覚えていない。表面上を取り繕っただけの、ただの慰めの言葉を吐いていたことは、容易に見当がつく。もうこの時には、親族を敵だとしか見れなくなっていた。敵からの言葉なんてもの、どうでも良かった。
奴等はお祖父様の葬儀の段取り、それとカスピニャン家の跡継ぎの決め方、それらを簡単に話し合い、トントン拍子に話を進めていった。
その光景を遠目で見ると、とても活き活きとしているように見えて、その顔をぶん殴ってやりたくなった。ぶん殴って、奴等が腹の中に抱えているものを全部、吐き出させてやろうか思った。
そんなことは非力だからできず、流れに身を任せて、どうするかを考えた。考えるまでもなく決まっていたことは、奴等をカスピニャンの後継者にはしないということ。そのためには、何でもやるということ。
だからと言ってはおかしいけれど、親族同士が殺し合いしたことを聞いた日、思わず笑ってしまった。やっぱり同じ血が流れているんだと、そう考えると笑うことしかできなかった。
そうこうしている内に、任命式の日に近づいてきた。やれることはやった。『小細工』の用意も済んでいる。あとは実行に移るだけだ。今日はその最後の工程だ。万が一の時に備えて、護衛を一人雇う。報酬も手練が食いついて来るように、それ相応の金額を用意した。
絶対に守ってくれる、勇者のような人が来てくれれば良いな、そう願いながらギルドへと向かった。