『第十二話 ある日森の中』
街と街を繋ぐ街道。土が踏み固められただけの簡素な道が、なだらかに続く丘の向こう側まで続いている。道の両端には牧草地帯が広がっており、家畜が散見される。羊や牛、イオリにとっては馴染み深い動物が、群れを作って草を食んでいる。その近くには、浅黒い肌が眩しい農夫の姿も見える。
のどかな日常風景、それをゆっくり堪能することなく、馬車は長い道のりを走り続けている。道中に二度ほど休憩を挟んだが、長く客車に座っているイオリの臀部はじんわりとした痛みを訴えてくる。それはアリーも同じようで、座る位置を変えたりしてあくせくしている。
ここまで半ば強引に連れてこられたイオリとしては、何日もの行程がないようで一安心していた。一度休憩を挟んだ時に、日程を聞いてみると、馬で五時間ほどかかるということらしい。
これが二日、三日の馬車旅だと、イオリはとてもじゃないが耐えられる気がしない。別に彼が馬車旅が嫌いだというわけではない。それに、彼は勇者時代には、そんな旅路を何度も経験している。
更に付け加えるのなら、見知らぬ土地に行く道中というもの、それ事態は別段嫌いだとかそういうわけでもない。見知らぬ土地へ行く、というのに話の弾む知り合いが同行しているというのも付け加えられると、尚の事良かっただろう。
逆を言えば、話が弾むことがなく、ただただ動かないままの空気が漂っているのは、まっぴらごめんである。長い間座っていることよりも、この事のほうが耐えられなかった。
「…………なんなのよ?」
「別に何もねぇよ」
昨日まで、会ってすぐの人間に饒舌に語っていた少女に眼をやると、棘のある視線を寄越される。眉根を寄せて、明らかに不機嫌そうな顔をしてアリーは対面に座っている。とてもではないが、フランクに話しかけようとは思えない。
出発してから、ずっとこの調子である。会話らしい会話もなく、ただ二三言交わすだけ。断っておくと、イオリが何かやらかしたわけではなく、アリーが一人でずっと気を張っている様子なのだ。
無言のまま馬車は進んでいき、そして牧草地帯から、深い森の中に景色が変わる。両側に背の高い広葉樹が茂り、どこまでも森が続いているように見える。
森の中にも管理は行き渡っているようで、踏み固められた土の道を馬車は安定したまま進んでいく。
「あと、もう少しなのよ」
「もうそんなに経ったのか」
まだ半分しか経っていないと思っていたイオリは、ようやくこの空間から開放されることを内心喜んだ。声に出さないのは、更に剣呑な雰囲気を出されたら参ってしまうからだ。しかしながら、
「むぅ!」
物事は上手くはいかないようで、老人の声とともに、客車が大きく揺れる。
「な、なんなのよ!」
さっきの揺れで前の座席にアリーは突っ込み、イオリがそれを受け止める。か細い、すぐに折れてしまいそうな肢体だ。的外れな感想を抱きながらも、セルベスからの応答を待つ。
「少しお待ちを!」
切迫した声が外から聞こえ、馬車がもう一度大きく揺らされる。気の軋む音が、客車の中で大きく響く。
馬の嘶く声が聞こえ、大きく揺れ、老人の緊迫した声が聞こえ。客車の中からは、外で何が起こっているの検討がつかない。
「離すのよ!」
「いや、待てって!」
ずっと受け止められていた状態から、アリーは乱暴に抜けだし、客車に備えられている窓のカーテンを開け放つ。
「――――ッ!」
途端に、獣臭さが客車に充満する。息の荒い黒々とした獣が、アリーとイオリを真っ直ぐに見つめていた。




