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僕らの夏物語

作者: 蒼葉 樹

「真也ー、こっちこっちー!」


光がこっちへ向かって叫んでいる。背後にたくさんの向日葵を背負って。


「早くー!未紅たちが待ってるよー!」


僕は光の元へ駆けて行く。

僕らは毎年光の田舎の向日葵を摘みに行く。

三年前から入院している未紅の、大好きな花を。


「今年もたくさん咲いてるね。未紅が喜びそう!」


向日葵のように光は明るく笑った。



「ねぇ知佳、光たち、大丈夫かな」


病院のベッドに座る未紅が聞く。


「大丈夫!あの二人ならいつもみたいにすぐ帰って来るから!」

「明日には帰れるって連絡あったぞ」


病室の扉をガラッと開けて信悟が入って来た。

知佳も信悟も僕らの親友だ。

僕らは小さい頃からいつも五人で一緒にいた。


「そっかぁ。明日にはもう会えるんだね」


未紅は小さく微笑む。


「きっと光がいっぱいの向日葵を背負って来るわね!」


病室には三人の明るい笑い声が響き渡った。



「たっだいまー!」


光が元気良く病室の扉を開けた。


「あ、光ー!おっかえりー!」


僕らに気付いた未紅が手を振っている。

横にいた知佳と信悟が駆けて来た。


「今年も凄い量だなぁ」

「うちのばあちゃんとこのだもん!」

「ほらね未紅。やっぱり背負って来たでしょ」


ベッドに座る未紅に向かって知佳が笑う。


「ホント。ありがとね、光!」

「任せて!未紅の大好きな花だもんね」


光は到る所に向日葵を置いていく。夏になると病室が向日葵畑みたいになるわ、と看護士たちも喜んでいるのだ。

又一人、看護士がニコニコしながら通り過ぎていった。


その時だった。

未紅がいきなり咳き込み、そのまま床に転がり落ちた。


「おい、未紅!?」

「未紅ー!!」


信悟と知佳が同時に叫んだ。

僕の耳にも声が届き、急いで駆け戻る。

光は枕元に下がっていたナースコールのボタンを勢い良く押す。


「未紅が、未紅が…!」


喉に詰まった声を力一杯出して叫んでいる。


しばらくすると担当の医師が現れ、緊急手術が行われた。

僕らはまだかまだかと震える心臓を抑えながら廊下を行ったり来たり、ベンチに座って足を震わせたりしながら待っていた。


三十分もした頃だろうか。

手術室の扉が開けられ、医師や看護士たちが汗を垂らしながら出て来た。

僕らは一斉に医師の周りに集まる。


「先生、未紅、大丈夫なんですか?」


医師の目の前にいた光が恐る恐る聞いた。


「皆さん、落ち着いて聞いて下さい」


医師の一言で、僕らの周りにいる辺り一面が沈黙と化した。


「未紅さんは、とても危険な状態でした。

いつ発作が起きてもおかしくなかったんです」

「そんな…」


知佳は冷たい廊下に崩れ落ちる。


「一体、どういうことですか?」


知佳を支えながら信悟が尋ねた。


「未紅さんは夏休みに入る直前にも一度発作を起こしたんです。

しかしその時は、薬を飲ませて一時的に抑えました」

「そ、それで?」


耐え切れなくなった僕も顔を乗り出して聞く。


「その時の発作があまりにもひどかった。

薬で抑えたと言っても簡単なことではありませんでした。

次に発作が起きてしまったら、もう助かる確率はゼロに近かった」


そういった医師も周りにいた看護士達も、少しずつ顔を青ざめていく。


「じゃぁ未紅は、もう駄目だったんですか?」


そう叫んだ光の声は、流れる涙と溢れ出した悲しみで震えていた。

隣にいる知佳や信悟、僕の瞳にも今にも溢れそうな大粒の涙が溜まっている。


「ご冥福を、お祈りします…」


そう言葉を残して医師たちはその場を立ち去った。

それとほぼ同時に僕ら全員の瞳から滝のように、涙が流れた。


それが、僕らと未紅の、最後の別れだった。




五年後、夏。

僕の家の電話がなった。


「真也?」

「光?どうした?」

「急なんだけど、明後日向日葵採りに行かない?」

「…そっか、もうそんな時期か。久し振りだし、行こうか」



「今年も暑いねぇ」


光は額の前に手をかざしながら呟く。

電車の中も思ったより暑かった。

光の田舎まで、あと一時間ほど乗っていなくてはならない。


「けど、向日葵がぐんぐん伸びて行きそうな日差しだな」

「そうだね」


小さく光も微笑む。


「私ね、このままじゃいけないって分かってるんだよ…」

「どうしたんだ、急に」

「ずっと分かってた事なんだよ。

私や知佳って、未紅の死を未だに引きずってるでしょ?

もう戻って来ないって分かってるのに…」


光の目から透明な雫が垂れる。

僕は指でそっと光の涙を拭ってやった。


「泣けるうちに泣いておけ」


安心したように、光の瞳からは次々と涙が溢れ出る。


「ねぇ真也、どうして信悟や真也は泣かずにいられるの?」

「俺たちだって、はじめは泣かずにいられなかったよ。

けど今はお前たちを支えられる奴は俺たちしかいないだろ。

だから、しっかりしなきゃなって言ってたんだ。信悟と」


僕はまだ泣き止まない光の頭をそっと抱き寄せる。

しばらくすると光は眠りについた。


僕はゆっくりと光の頭を離し、窓の外を眺めた。

都会の景色から、だんだん田舎の景色へと変化していく。


山の中のトンネルに差し掛かった時、何かが僕の目に映った。

見覚えのある笑顔を持った、一人の少女だった。

はっとして正面を振り返る。しかし、そこには何もいない。

もう一度窓を見たが、そこに映っていた少女もすでに消えていた。


僕らは光の祖母たちに挨拶をして向日葵を摘みに行く。

日差しが強いせいか、向日葵はもう太陽に届いてしまうのではないかというほど高く伸びていた。


「今年も伸びたねー」


すぐ近くに伸びる向日葵をさすりながら光が声をかける。

それを喜んでいるかのように、上のほうで咲いている花びらも小さく揺れた。


「天気も良いし沢山咲いてるし、良かったな」

「うん。未紅、喜んでくれるよね」

「当たり前だろ?今年の向日葵は独り占めできるしな」


僕が少しおどけて言うと、光はあははっと笑った。

良かった。ちゃんと笑えてる。


翌朝、僕らは沢山の向日葵を持って電車に乗り込んだ。

光は隣で眠っている。降りるまでには起こすから、と僕が促した。


「真也」


ふいに隣から声がした。


「まーさや!」


僕を呼んでいたものは、ひょいと目の前に現れた。

昨日も電車で見かけた、あの少女だった。


「未紅…」

「へへっ。久し振り!」


五年前の姿のまま、未紅が笑いかけてくる。

でも、あの時とは違う、心からの笑顔を携えて。


「真也、大っきくなったね。光も」

「五年も経てばな」


僕らの話し声が聞こえていないのか、光はちっとも目を覚まさない。


「…急にどうしたんだって思った?」


ゆっくりと未紅は口を開く。


「あぁ。五年も経った今になって、どうしてひょっこり戻って来たんだ?」

「大きくなった皆に会いに来たの。寂しかったのよ、今まで。

あの頃も、早く病気を治して又皆と大きくなるまで一緒にいたかった」

「お前、あの夏休みの前にも一度発作を起こしてたんだってな。医者から聞いたよ」

「ごめんね、隠してて」


未紅は顔を下に向け、じっとする。

電車は揺れても、彼女は揺れない。悲しい現実に、心が痛んだ。


「わたしね、実は…あの夏に死んでから、まだ天へ行ってないの」

「どういうことだ?」

「うん…。何故だかは、私にも分からないんだけどね。

姿が消えないの、ちっとも」

「そんな事、あるんだな」


僕も未紅も、それぞれが現実を受け入れられなかった。


「未紅、ごめんな。俺たち結局、何も出来なかった」

「そんな事無い!真也たちはいつも側にいてくれたじゃない。

それだけで、凄く助けられたんだから」

「俺、ずっと未紅に会いたかったんだ。光も、皆もそうだった。

今でも皆で集まると、未紅がいたらって思うんだ」

それを聞いて、未紅はふふっと笑った。

「良かった。まだ一緒にいるんだ」

「当たり前だろ。腐れ縁だからな、俺たちは」

「でもね、それが一番心配だったの。私の所為でみんなが離れ離れになってたらって」

「大丈夫だよ。俺たちは絶対離れないから」

「うん…」


話している僕たちを無視して、電車は着々と目的の駅まで進んで行く。

外を眺めて、未紅も僕も寂しくなった。

それでも未紅は、笑顔で言う。


「真也、ありがとね。会えて嬉しかったよ」

「うん。俺も。ありがとな」


僕も、満面の笑みを浮かべて言う。

その時、未紅のからだの変化に僕は気付いた。


「未紅、からだが…」

「え?」


足下を見ると、少しずつ透けては消えて行く。


「そっか。私、皆の『今』を知りたかったんだ。

真也に会えて、皆を知って。準備が出来たんだ」


目に沢山の、透き通るほど綺麗な涙を浮かべて未紅は言う。


「全部真也のお陰だよ。ありがとう」

「未紅、ありがとう。俺も、嬉しかった」


抑え切れずに流れる涙に笑顔を乗せて彼女はこくんと頷く。

あの時のままの、幼い笑顔で。


「真也」


からだの半分はもう消えてしまった姿の未紅は叫ぶ。


「皆に伝えて。これから先も、皆は離れないでって。私の事、忘れないで、時には思い出してって。

私はいつでも、皆を見てるから…」

「未紅!」


自分のできることは全てしたという満足の笑みを浮かべて、未紅は大空へと旅立った。

目の前にいたはずの未紅はもういない。空に、還ったんだ。


大丈夫。皆にはちゃんと、伝えるよ。

ありがとな、未紅…。



「未紅、気持ち良いか?」


そう言って真っ白なタオルで墓石を拭いているのは信悟だ。


「久し振りね」

「未紅の大好きな向日葵、持って来たよ」


墓前に座って光も知佳も笑っている。


今日は、未紅の命日。未紅が息を引き取ってから丁度五年が経った。

光と一緒に採って来た向日葵を持って、四人で墓参りに来たのだ。

ここは僕らの家からも、そんなに離れていない。

だけど、周りを囲む木々の所為か、田舎にいるような気分にもなる。


僕は墓に火の点いた線香を置き、胸の前で手を合わせる。

光や信悟、知佳もそれぞれの想いを胸に手を合わせていた。


「あの、さ」


皆が目を開いた頃、僕は電車の中での出来事を、ゆっくりと話し始めた。


「俺、未紅に会ったんだ。電車の中で」

「どういうこと?」

「私が眠ってた時?」


知佳や光が口々に聞く。


「で、どうしたんだ?」


信悟も先を促す。


「未紅、ずっといたらしいんだ、この世に」


僕は話した。

未紅の霊を電車の中で見かけたこと。

実際に話したこと。

そして、成仏していったこと。


皆は真剣に聞いていた。その瞳には、何の疑いも無かったことを嬉しく思う。


「そうか。やっぱ未紅も寂しかったのかぁ」

「未紅って、寂しがり屋だったわね、そういえば」


知佳は目を細めて微笑む。


「未紅、伝えて欲しいことがあるって言ってたんだ」

「何て?」

「未紅、俺たちがずっと一緒にいることを望んでたんだ。

だから、これから先も離れないでってさ」

「離れないで…って心配する必要ないのにね」


光も笑顔になって言った。


「あと、未紅のこと忘れないでって。時には思い出してって」

「未紅…」


耐え切れずにとうとう知佳は涙を流した。


「俺たちが忘れるわけ無いよな」


知佳の背中をさすりながら信悟も呟く。

そんな信悟の声も、涙の所為で震えていた。


「未紅!」


光が墓に向かって叫んだ。


「私たち、大丈夫だよ!絶対離れないよ!

未紅のこと忘れないし、いつも未紅の笑顔、思い浮かべるよ!」


流れそうになる涙を必死にこらえながら叫ぶ。


「未紅――!」


光の最後の叫びによって、皆の瞳から滝のように涙が溢れた。

未紅の死を知らされた、あの日のように……。


未紅にはもう会えない。もう、話せない。

それでも僕らは大丈夫。

だって、いつでも未紅は、空の上から僕らを見ていてくれるから。


真夏の暑い空の下。

四人の瞳からは、滝のように溢れる涙。

五年前の夏に消えてしまった、親友の命を想って。


「皆、ありがとう!」


空の上から、未紅の声が聞こえた。


そんな、気がした。


――The End――

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