十花
「ヒース…?」
心地よいふわふわとした感覚のなか、俺を呼ぶ声がする。
「……」
優しい手が俺の顔に触れてくる。
(あぁ、このまま時が止まればいい…)
なんだか暖かくて、優しい…懐かしい夢を見ていたような気がする。
顔に触れていた手が離れていくのが嫌で、無意識に俺はその手をつかんだ。
「あら、起きちゃった?」
目を開けるとアイラが残念そうにしていた。
「今ブランケットを取りに行こうとしたところなのよ」
…そうだ、アイラの部屋に来ていたんだった。
「…ごめん」
俺が握っていたアイラの手を離して言うとアイラは優しく微笑んで言った。
「何が?」
「…寝ちゃって」
とっさに一番それらしい嘘を吐いた。自分でもどうしてごめんなんて言ったのかわからなかった。
「ふふっ、本当にあなたは嘘がへたくそね。それでしっかり客が取れているのが不思議だわ」
アイラはそういうと俺が寝ていたソファーを離れていく。
「はい、どうぞ。こんなことろで寝て身体冷えたでしょ、あったかいお茶でも飲みなさい」
「ありがとう…」
アイラの入れてくれたお茶を一口飲んでほっと息をつく。
「…最近、調子がよくないみたいね」
アイラのその言葉に俺はびくっとしてしまったが、それを隠して答えた。
「…それはどっちのこと?」
「両方よ。…特にあなたかしら」
「…ちょっとね、疲れてるんだ」
優香さんを抱いたあの日から1週間、ずっと俺は悩んでいた。
「あいつのことはもちろんだけど、仕事のほうでも本当にまいっちゃうよ…毎日毎日…」
俺に付きまとっていたストーカーは減ったが、その分たちが悪くなっていた。
「ほかの客に迷惑かけるなんて…花街のルールをなんだと思ってるんだろうな」
「噂は聞いているけど大変ね…そんななかあなたに毎日客を取らせるオーナーはどうかと思うけれど」
怒ったようにアイラは言った。
「あの子の方はどう?」
「………」
俺が答えないでいるとアイラは俺の頭をなでて言った。
「…すこし、仕事は休んでみる?あなたが望むなら私から頼んであげるわよ」
その言葉に俺は驚いてアイラの目を見つめた。
仕事には厳しいアイラがそう言うほどに今の俺は不安定なのだと気づいた。
「休んだら、意味がないんだ…」
「そんなこと言わないの。せめて今日だけでも休みなさい。いい?」
「…アイラは?」
「私はもともと今日は休むつもりだったのよ。ゆっくりしていきなさい」
そう言ってアイラはオーナーの部屋へ電話をかけに行った。
(…アイラが今日ちょうど休みなんて、そんなわけないのに)
俺はアイラの言葉に甘えて、少し冷めてしまったお茶を飲んだ。