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誠実な夫婦  作者: 杜来 リノ


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壊れた二人

 

 セドアレトとの婚約が破棄された。


 そして癒しの魔力を持つ私は、様々な思惑ののちにレム公爵家に嫁ぐことが決まってしまった。


『お父さま! 嫌よ、わたしはセドアレトと──!』

『わがままを言うな、イヴシェネア。お前は自分の価値をもう少し理解しておいたほうがいい』


 理解なんかしたくない。


 わたしは貴族学院の初等部で初めて出会ったときから、彼の妻になるのだと心に決めていたのに!


『いずれわかるわ、イヴ。恋と愛はまったく違うものなのよ』


 尊敬する母の言葉も、耳をただ通り過ぎていくだけ。


 わたしはこのとき、自分を世界で一番不幸だと思っていた。


 ──その思いは、ある意味間違っていなかった。


 ただ、このときではなかった、というだけで。


 ◇


 結婚相手のジェアイス・レムは若くして公爵位を継いだというだけではなく、穏やかでとても優しい人だった。


 セドアレトも結婚を期に伯爵位を継ぐらしいと噂を聞いたけど、正直ジェアイスとは見た目も頭脳もなにもかも劣っていたと思う。


 もちろん、実際はどうかわからない。


 けれど、あんなに愛していたはずのセドアレトが色あせて見えるくらいには、わたしはジェアイスを愛してしまっていた。


 多分、一目惚れだったのだと思う。


 ジェアイスと結婚して、このときが一番幸せなひと時ではなかっただろうか。


 綻びが生じ始めたのは、とある侯爵家で開催されたパーティーに夫とともに出席をしたとき。


「イヴ、ちょっと待っていてくれ。姉の友人に姉からの預かり物を渡してくるから」

「はい、ジェアイスさま」


 放っておかれることに不満はなかった。誠実なジェアイスは、そう長く私を待たせることはないはずだから。


 それでも、退屈なものは退屈。誰か話し相手はいないかしら、ふと視線を横に流したら、会場に入って来たばかりのセドアレトと目が合った。奥さまを同伴し、細い腰に手を回しながらにこやかに談笑している。


「ごきげんよう、テア伯爵」

「お元気そうでなによりです、レム公爵夫人」


 当たり障りのない挨拶。


 本当はもっと話したいことがあったような気がするけど、私は彼ともうなんの関わりもない。おまけに配偶者を放って元恋人同士で話をするなんて、世間的にもあまりよく思われないだろうことはわかっている。


 わたしも彼も、とても臆病なのだ。


 どうしても話さなければならない事情があるわけでもないのに、わざわざ周りから変に噂されそうな行動をとる必要はまったくない。


「では、失礼するわ」

「えぇ、失礼します」


 ──ここで、どうしてわたしは振り返ってしまったのだろう。


 振り返ったりしなければ、同時にこちらを振り返っていたセドアレトと目が合うことはなかったのに。


 いや、違う。


 どうしてわたしは、あんな些細な一言に自分の人生(みらい)を振り回されてしまったのだろう。


 運命は一つだけではないと、そう堂々としていれば良かっただけなのに。


「あ……っ」

「……っ!?」


 目が合った瞬間、お互い驚いたような顔になった。まさか、相手もこっちを見ているとは思わなかったからだ。


 けれど、すぐに目を逸らした。心臓がうるさいほど鳴っている。元恋人と目が合ったことにより、かつての想いが蘇ってきた、というわけではない。


 単に『誰にも見られていなかったかしら』と不安になっていただけだ。


「ねぇ、さっきのご覧になった?」

「見ましたわー! テア伯爵とレム公爵夫人でしょう?」


 そんなわたしの耳に、恐れていた言葉が飛び込んできた。


 わたしは夫を静かに待っていようと大きな花瓶の陰にひっそりと立っていたから、彼女たちは気づかなかったらしい。


「いやだ、大変……」


 ──やっぱり、元恋人にまだ未練がおありなのね。

 ──みっともないったらないわ。


 思わず耳を押さえようとした次の瞬間。


「素敵! お二人はあんなに仲が良かったのですもの。本物の愛は、そう簡単には変わらないのよ」

「そうよそうよ! 結婚したからって別の相手を愛するなんてありえないわ。あぁー、羨ましいわ! お二人は、純愛を貫いていらっしゃるのね」


 最初は、あの年若い令嬢がなにを言っているのかさっぱり理解できなかった。


 けれど、様々なパーティーの場でセドアレトたちと遭遇するたびに『純愛の象徴』や『真実の愛』と言われ、羨望の眼差しで見られるようになってから、わたしたちはおかしくなってしまった。


 それは“腐っても元恋人“ということなのだろうか。


 直接話し合ったわけでもないのに、わたしたちは示し合わせたかのように“観客”の期待に応えるため、お互いを熱く見つめるようになってしまった。


 すでに互いに愛情があるではないから、会っても挨拶以外の言葉を交わさないしこっそり手紙を出したりもしない。相手の配偶者に嫌がらせなどもしなければ、悪い噂を流すといった根回しもしない。


 ただ、見つめ合うだけ。


 たったそれだけのことで、わたしとセドアレトには『燃えるような愛を内に秘め、愛のない配偶者でも大切にする誠実な二人』という評価が転がり込んでくるようになった。


 今思えば、引き返すチャンスは何度かあったように思う。


 けれど人とは不思議なもので、真実ではないことを真実だというように振舞ってしまうと、いつの間にかそれが自分の中で真実になってしまう。


 だからいつしか、わたしは本当にセドアレトを今でも愛しているのだと、彼を浮気者にしないためにあえて触れ合うことなく耐えているのだと、思い込むようになっていたのだ。


 なにも失うことなく人々の憧れの存在でいられるという心地よさにどっぷりと浸り、もう抜け出せなくなっていた。


 夫のジェアイスやセドアレトの奥さまがわたしたちを見てなにを思うのか、わからないわけではなかったのに。


 ◇


「……レム公爵夫人。体調は大丈夫ですか?」


 魔獣討伐隊の天幕の中。


 治癒魔法を使い続けて疲弊しきっていたわたしのところに、セドアレトがやってきた。


 彼の顔色も、かなり悪い。


 それでもその両目には、わたしへの恋慕などいっさい見られなかった。


「えぇ、平気ですわ」

「レム公爵夫人、テア伯爵。スープとパンを置いておきます」


 昼食を持ってきた補給係の兵士が、わたしたちを見て小さく笑みを浮かべた。


 彼は“誠実なわたしたち”を見て満足なのだろう。わたしは舌打ちを堪えるために、唇を医療エプロンの裾で無意味に拭った。


「ありがとう。……悪いけど、しばらく休ませてもらえる?」

「承知しました」


 兵士が出て行ったあと、わたしはセドアレトをじっと見つめた。


「……なにか? レム公爵夫人」

「もういいわよ、イヴって呼んでくれても」

「……今さら?」


 あまりにも乾ききったその言葉に、思わず吹き出してしまった。


「もう遅いの。もうわかっているわ。夫のジェアイスが、わたしの派遣に反対しなかったのは国のためというわけではなかったことを」


 彼は気づいていたのだろう。


 わたしが“誠実”でいたかった、本当の理由を。


「そうか」

「えぇ、そう」

「僕も失敗した。この討伐命令が下ったとき、なんというか目が覚めたんだ。僕はいつまで、こんなことをしているのだろう、って。妻が嫉妬してくれたあのときに、僕は目を覚ますべきだった」

「……遅すぎたわね」

「あぁ。見送りをしてくれた妻の目に、僕が映っていないことに気づいて愕然とした。だから貴女が討伐隊にいることを言えなくなってしまった」


 それは大失敗。今さら言ってもしかたがないから、言わないけど。


「……それから、妻に子どもができたんだ」

「あら、おめでとう」

「ありがとう。妻と一緒に子育てをしたかったけど、僕にはそんなことを願う資格はないよね」

「そうね」


 そのとおり。


 他人の気持ちも自分の気持ちもわからなくなった、人として壊れているわたしたちがずっと誠実でいてくれた彼らの側にいてはいけない。


「僕は生きて帰らないほうがいいんだと思う」

「えぇ。わたしも」


 わたしの夫ジェアイスと、彼の妻メルネチェル。


 二人に償う方法は、もうこれしかない。


「それで、持ってきてくれた?」

「あぁ。傷つけないように運んでくるのに苦労したよ、ほら」


 セドアレトが放り投げたのは、魔獣の幼体の亡骸。


 幼体の体内には、特殊な魔臓腑が備わっている。この魔臓腑が病んだり傷ついたりすると、すぐ親の魔獣が気づくような仕組みになっているのだ。


「この亡骸を引き裂いて魔臓腑に剣を突き立てれば、五分もしないうちに怒り狂った親の魔獣が襲ってくるわ。真っ先にこの天幕を襲ってくるでしょうから、他にはそこまで被害が出ないと信じたいわね」

「大丈夫だろう。ここの拠点には辺境伯のところの最強双子がいるからね」


 わたしの脳裏に、細い目で狡猾に笑う青年と彫像のように無表情な青年の二人が思い浮かんだ。


「そう。彼らがいるなら安心だわ」


 頷き合ったわたしたちは、ゆっくりと衣服を脱ぎ始めた。


 そして半裸の状態で、狭い寝台に腰かける。


「セドアレト」

「なんだ?」

「今、なにを考えてる?」

「うーん、そうだな」


 セドアレトは、剣を振り上げながらフッと笑った。


「もう、キミと見つめ合わなくていいんだ、と思っているよ」


 ──風を切る白銀の刃が、哀れな幼体の亡骸に食い込んでいく。



 あぁ、終わりが近づいて来る。


 わたしはもう、あんな馬鹿なことをしなくてもいいのね。



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