第二話 戻る足音 後編
夜の参道は、昼より道が長い。歩いているのに、距離が縮まらない感覚が混じる。私は足を止め、昼に目印を付けた石畳の一角へ目を落とした。
白い抜けがある。
紙を破った跡みたいな空白が、点でいくつも散っている。ひとつひとつは小さいのに、道に沿って並んでいる。
「導線に欠けが増えてる」
「戻されるための筋だ」
カゲの声は淡々としている。必要なことだけ。私は頷き、視線を二の鳥居へ向けた。しめ縄の影が、この前より濃い。
試しに一歩、縄の向こうへ。
次の瞬間、足元がふっと軽くなり、私は数歩手前に立っていた。戻された。前より戻りが早い。反復が近い。
「……早いね」
思っていたよりも状況が悪いようだ。
「薄境じゃない。結び目化が進んでる。しかも、参道に筋を作ってる」
「一か所を締めても、別の点で戻す」
カゲが言う。私はリュックを下ろし、結び札を取り出した。藍墨と筆。糸。朱肉。清め水。
やることは決まっている。違うのは範囲だ。
私は息を整えて、まず声で錨を打つ。場所を細かく区切る。
「白霧神社。参道。二の鳥居手前」
空気が少しだけ落ち着く。欠けの輪郭が、点から線へまとまり始めた。
見立ては済んだ。欠けは意味を教えない。形だけを示す。なら形をまとめる。点在する欠けを、一つの結び目に回収して縫う。
結び札に輪郭を写す。点を拾い、線にし、ひとつの輪郭にする。筆先が震えそうになるのを抑える。焦ったら負けだ。
糸を通す。結び目は一つ。指先の感覚だけが冴える。冷たいのに痛くない。
「印」
監修印を打つ。滲まない。札師側の手順として成立。
清め水を一滴。
紙をめくるような音が遅れて響き、参道の白い抜けが、すうっと縮んだ。足元の軽さが消える。戻される気配が、一度だけ引いた。
「締まった」
私は札を離さず、息を整える。これで参道の筋は止まる。二の鳥居の反復も、少しは遅くなるはずだ。
――はず、だった。
札の縁に、薄い朱が噛んだ。
差押え印。
昨日より形がはっきりしている。押されたわけじゃない。最初からそこにあったみたいに、朱が紙に馴染んでいる。
「来てる」
「見せるな」
カゲの声が低い。影が足元で揺れた。ひよりも分かっている。見られると、次が早くなる。
私は結び札を鞄にしまい、二の鳥居へ視線を戻した。しめ縄の影が、ほんの少しだけ薄くなっている。参道の筋を締めた分、余裕ができた。
しおりの鈴の音が、近くで鳴った気がした。だが、遠く感じる。苦情帳と同じだ。
スマホが震える。画面に、御影しおりの名前。
『ひよりさん! 今、苦情帳に書き込みが増えました!』
私は短く返す。
『閉じないで、そのまま写して。今、参道は締めた』
送信した瞬間、二の鳥居の内側の闇が、すこしだけ濃くなった。戻される気配が、また足首に絡みつく。
私は喉に指を添えた。次の一歩の前に、声で確定する。
「白霧神社。二の鳥居」
言い終えた瞬間、冷たい空気が一枚めくれる。縄の向こうが、昨日より近い。
カゲが息を吸う音がした。夜の影が、少しだけ輪郭を持ちかける。
「ひより、奥はまだだ」
「分かってる。今日は手前まで」
冷静に言い切って、私は縄の影を見た。締めたのは参道。次に締めるべきは、鳥居そのものだ。
けれど差押え印が残っている。誰かが、こちらの手順を数えている。
私は一度だけ社務所の明かりを思い浮かべた。しおりの硬い笑顔。開けたままの苦情帳。そこへ増える書き込み。
戻る足音が、今夜は一つじゃない。




