表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
欠けた文字を縫い直す少女は、夜だけ立つ影と歩く。  作者: yuruhuwa回路


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/3

第一話 苦情帳の白 前編

 境見文彩堂の紙袋を提げて、白霧神社の石段を上がった。夕方の境見市は冷えるけれど、参道の空気はまだ昼の名残を抱えている。


 社務所の引き戸を叩く前に、鈴の音がして、元気な声が飛んできた。


「ひよりさん! 来てくれたんですね!」


 御影しおりが、ぱたぱたと駆け寄ってくる。頬が赤い。仕事中でも子どもみたいに明るい。


「うん、頼まれてたやつ持ってきたよ。帳面、増えすぎって言ってたからさ」


 私は紙袋を揺らす。中身は御朱印帳と、旅ノートの新しい見本。それから、社務所用の苦情帳の替え冊子だ。観光客対応の備品は、うちで作っているものも多い。


「助かります! ひよりさん、ほんと頼りになります!」


 しおりは両手で受け取って、袋の口を覗き込む。嬉しそうに笑って、すぐに顔を上げた。


「……あの、ひよりさん。ちょっとだけ、見てほしいものが」


「ん? 何?」


 しおりの笑顔が、一瞬だけ固くなる。明るく振る舞おうとしているのが、逆に目についた。


「えっと……苦情帳なんです。最近、変で」


 社務所の机に案内される。しおりが開いたページには、丁寧な字で短い記録が並んでいた。観光客の忘れ物、道案内の行き違い、境内での小さな揉め事。いつもの内容だ。


 その中に、妙に乾いている行が混じっている。


 ・二の鳥居手前。十七時二十分。

 ・どれだけ歩いても入口に戻る。

 ・スマホの地図が回り続ける。


 しおりは、その行を指でそっと隠した。隠したのに、指が震えている。


「ひよりさん、これ、読めました?」


「読めた。二の鳥居、だね」


 口に出した瞬間、しおりの肩が僅かに跳ねる。平気なふりをして笑うけれど、目が笑っていない。


「はい! えっと、ぜんぜん気にしてないんですけど! あはは!」


 無理してる。見ていて分かる。


「しおり、ここは無理しなくていい。誰かに何か言われた?」


「言われてないです! ほんとです!」


 しおりは勢いよく首を振ってから、机の端に置いた鈴を握り直した。境見文彩堂で買った境札モチーフに、自分で鈴を付けたものだ。効き目はない。ただ、癖みたいに触れている。


「……でも、ちょっと怖いです。二の鳥居の近くの話って、みんな避けるじゃないですか」


「避けるから、余計に怖くなるんだよね」


 私は明るく言って、紙袋の残りを机の横へ置いた。


「今日、ついでに境内の点検も頼まれてるから。私が見てくる」


「ひよりさん! ほんとに行くんですか!」


「大丈夫だよ、奥へは行かない」


 言いながら、自分の声が少し落ちたのを自覚する。仕事モードに切り替わる。頭の中で手順を並べると、余計な感情が引く。


 社務所を出る前に、しおりが小声で追いかけてきた。


「ひよりさん、もし何かあったら、すぐ戻ってきてくださいね!」


「すぐ戻るよ。それと、苦情帳は閉じないでおいて」


「はい! ひよりさんの言うとおりにします!」


 しおりは笑って手を振る。でも、笑顔が少しだけ硬い。


 夕方の境内は、参拝者が引いていく時間だった。石段を下りる人の足音が遠ざかり、杉の葉が風に擦れる音が残る。鳥居が見えてきたころ、足元の影が濃くなる。


「やっとだな」


 踵のあたりから声がする。姿はまだない。夜にだけ立体化できる影。


「カゲ、今日は二の鳥居の手前だけ。奥へは行かない」


「地名」


 短い催促。私は喉に指を添える。


「境見市、白霧山。白霧神社、二の鳥居」


 声にして錨を打つ。空気が一枚、薄くなるように軽い。


 二の鳥居のしめ縄は、近づくほど影が濃い。立入禁止の札が揺れているのに、音がしない。土の匂いが薄く、息が白くなる。


 試しに一歩、縄の向こうへ足を出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ