表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

作家三原則に従えば

作者: 雨宮 徹

 日本有数のミステリー作家であるひじりは、足柄第一ホテルで、缶詰めになってミステリーを書いていた。「缶詰め」という言葉は死語かもしれないが、それ以外に適切な表現はなかった。部屋にあるのは、備え付けの机、ベッド、テレビくらいで、娯楽と呼べるものはない。娯楽と言えるかは分からないが、机上には『シャーロック・ホームズの事件簿』が置かれている。ミステリーを書くためだ。壁にあるカレンダーは、今日が十二月三十一日でありことを示している。



「くそ! あいつ、とんでもないことを命令しやがった……」



 聖は珍しく悪態をつく。普段なら、「俺は『無知の知』という言葉は知っていますけど、それ以上は分からないですね」と謙虚だ。



 なぜ、彼が悩んでいるのか。それを、説明するには一年前までさかのぼる必要がある。





 足柄出版社という零細企業があった。自転車操業で、いつ倒産してもおかしくなかった。しかし、聖を「ミステリー作家の金の卵」として拾って以降、爆発的な売り上げで、一気に出版業界を駆け上がった。しかし、この話の裏には、ある契約が潜んでいた。



「聖、いいか。今から、お前と契約を結ぶ。破ることは一切許さん」



真鍋まなべ編集長。約束を破ったらダメなんて、子供でも分かりますって」



 しかし、編集長の真鍋は真剣な顔つきで、獲物を狙う鷹のようだった。彼の目は、まるで、すべて見えているという、一種の千里眼を持ち合わせているようだった。



「じゃあ、今から契約書の重要事項をよく読んでくれ。ここは、普通の契約とは違うからな」



 聖は、サーっと目を通す。



第一条:作家は、出版社(および業界全体)に不利益を与えてはいけない。


第二条:作家は、編集長の指示に従わなければならない。ただし、その指示が第一条に反する場合は、この限りではない。


第三条:作家は、第一条および第二条に反しない限り、自らの創作スタイルと作家生命を守らなければならない。



 どこにも異常がないことを確認した彼は、契約書に押印した。



「ミステリーを書かせたら、お前の右に出る者はいない。金ならいくらでも出す。いくらでもだ。代わりに、名作を書き続けろ。いいか、前の作品よりレベルが下だったら、その時点で第一条違反だ。収支が合わないからな」



 その言葉を聞いて、聖は固まった。真鍋の言わんとしていることが分かったからだ。つまり、常に新しいトリックを書き続けなければならない。新しいといっても、「斬新な」という意味ではない。



 トリックは、過去の偉人――コナン・ドイルやアガサ・クリスティーらによって、類型化されている。密室トリックに双子入れ替え。それに、乗り物によるアリバイトリック。未知のトリックはない。トリックは、すべて掘りつくされている。すでに、宝石が眠る発掘場はない。



「……。分かりましたよ、何とかします」



 この日を境に、聖は狂ったように新作を書き続けた。編集長から、「月末までに書け」と指示されれば、寝食を忘れて書き上げた。いや、書かなければならなかった。重要事項の第二条に違反しないために。だが、何事にも限界がある。ゆえに、十二月三十一日、聖は苦悶していたのだ。真鍋の指示はこうだった。



「俺には愛人がいた。そして、俺は愛人を殺した。いいか、この事実を小説にしろ! 『現実は小説より奇なり』って言うくらいだ、これを書けば売れるに違いない」





 ここで、場面は足柄第一ホテルに戻る。聖は、「今回の指示に従っていいのか?」という悩みを抱えていた。つまり、指示に従わず書かなければ、第二条違反になる。一方で事件を書いて暴露すれば、会社に損害を出すことになり第一条違反になる。彼は、袋小路に迷い込んでしまった。



「締め切りまであと二時間か……」



 壁時計は二十二時を示している。それは、まるで砂時計のようにチクタクと無情にも時を刻む。聖が悩めば悩むほど、時間は消えていく。



 聖は作家をやめることも考えた。つまり、筆を折ればいい、と。だが、それでは第三条違反になる。彼は抜け出せない蟻地獄にはまってしまったのだ。本来ならば年越しを祝うべきなのに、それができない彼がいた。



 彼は、ノートパソコンの前でフリーズしている。集中するために明かりをつけていない部屋で、画面の点滅だけが光っている。動くものは、それだけだ。



「こんな時、ホームズがいればな……」



 机の上の本をパラパラとめくる。



 しかし、ホームズはコナン・ドイルが生んだ空想の名探偵。聖を助けることはできない。



 聖は、不意にテレビを見たくなった。見たくなったというより、テレビを見て気分をごまかしたかったのだ。しかし、ごまかすことはできなかった。そこに映し出されたのは年末の特番。否が応でも、締め切りを思い出させる。



「それでは、すめらぎさん。いつものアレ、お願いします!」



 司会者が振ると、皇と呼ばれた女性がステージの中央に来る。そしてこう言った。



「今から、『永遠の十七歳』を歌います」と。



 これは彼女のデビュー曲だ。当時、十七歳だった。デビューして数年。当然、十七歳ではない。



「ふん、何が『永遠』だ。そんなものあり得ない。未知のトリックがないのと一緒だ」



 聖は、やけ酒でごまかそうと席を立った。椅子がギィと悲鳴を上げる。しかし、ドアは勝手に開いた。真鍋編集長が開けたからだ。それは、地獄への門が開いたかのようだった。



「さて、聖よ。極上のミステリーは書けたか?」



 聖は黙るしかなかった。しかし、それは「書けてない」ということを暗に示していた。真鍋の高笑いが部屋中に響く。



「契約する時に言ったはずだ。『重要事項をよく読め』と。お前は金に目がくらんで、矛盾が生じることに気付かなかったんだ。だが、俺は知っていた。だから、一年だけ猶予をやった」



 聖は真鍋に殴りかかりたかったが、必死に理性を働かせる。殴った時点で、敗北が決まる。だが、殴らなくても、すでに敗北は決まっていた。拳の血管が浮かび上がる。



「つまり、俺の方がミステリー作家として上だ。それを承知で、お前を拾った」



 真鍋は淡々と話を進める。



「締め切りまで、あと一時間とちょっと。今から書かないと間に合わないぞ」



「あんたは卑怯だ! 矛盾を突きつけながら、自分は安全地帯から俺が苦しむ様を楽しんでいる。まるで、『平家物語』の読者みたいに」



 『平家物語』は、平家の没落を描いた名作だ。没落する様を見たいというのは一種の「他人の不幸は蜜の味」と一緒だ。



「それは、負け犬の遠吠えってやつだ。潔く『すみませんでした』と謝るほかないんだ」



 真鍋はじりじりと聖に寄っていく。



 聖は覚悟した。ミステリー作家でありながら、一編集長に頭を下げることを。しかし、彼は一つの可能性に気が付いた。先ほど見たテレビの映像に何かヒントがあったはずだと。その「何か」は、まだつかめない。彼は必死に考えを巡らす。



「編集長、あと十分だけ時間をください。一時間あれば、書けるはずですから」



 ヒントがあるならば答えがあるはず。その「答え」こそが、聖が重要契約を出し抜くきっかけになるはずだ。しかし、時間は刻々と迫っている。残り一時間を切った。



「さあ、もうそろそろ執筆するんだな」



 そのセリフを聞いた聖は、勝者の表情をしていた。



「どうやら、俺は答えを見つけたらしい。いいですよ、書いて見せますよ」



 聖は、ノートパソコンの前に座ると深呼吸をする。キーボードに指を置くと、執筆の準備をする。そして、聖は、公共の利益のために小説を書くことを決意した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ