第35話 陰キャの意図しない煽りに屈する先輩
「やめろ!!」
新藤先輩の怒りが頂点に達しかけたその時、横やりが入った。
現れたのは夢衣……ではなく、綺季――でもない。
新藤先輩よりさらにごついガタイの、色焼けした中年男性である。
「ッ!?」
新藤先輩が驚くのも無理はない。
そこにいたのは、他でもないうちの学校の体育教官だからだ。
何の前触れもなく現れた姿にぎょっとしただろう。
俺だって驚いた。
自分が呼んだのに、あまりの迫力に鳥肌が立った。
動きやすいジャージ姿の先生は、そのままずんずんと歩いてくる。
新藤先輩は呆気に取られていた。
「……なんでだよ」
きっと、今彼が驚いているのは先生がいきなり現れたことではない。
ここまで動揺しているのは、いないはずのものがそこにいたからだ。
実はこの屋上、外側から施錠をするには鍵が必要になる。
しかし生徒で鍵を保有している者はいない。
そのため、要するに誰かが屋上にいたら非常扉の内側から鍵がかかっているか、開いているかの二択で判断できるというわけだ。
新藤先輩とて馬鹿じゃない。
元々今野に他言無用を言いつけていた通り、彼もこの場に第三者を寄せ付けるのは好ましくないはずだ。
だから彼は、入る前に屋上に誰かいるかをまず確かめた。
そこがミソである。
まさか想像もしなかっただろう。
鍵を持っている職員が待ち伏せしているだなんて。
よりによって、そんな対策をされているとは予測できなかったはずだ。
だから新藤先輩は、今目を見開いてフリーズしている。
俺は勇敢でも無謀でもない。
今野から話を聞いた時、子供だけで対処しようだなんてはなから考えなかった。
金銭を介した問題はそもそもライン越えだ。
流石の新藤先輩も、大事になれば困るのである。
普段はそこをなんとか暴力や威圧で黙らせていたのだが、丁度そこに弱みを握っている俺という人間が関与してしまった。
そして俺は、夢衣から悪知恵の働かせ方を学んでいる。
新藤先輩は、標的に選ぶ相手を間違えたのだ。
こういう問題は、教員を引き込んで大事にした方が良い。
そしてその際、不良生徒にビビるような弱っちい先生じゃだめだ。
直情的で、威圧力があって、先輩にビビらない強い先生。
それでいて何かあっても腕っぷしでどうにかしてくれる、体育会系の脳筋であるとなお良しだと俺は踏んだ。
今朝、俺は登校するなり夢衣と一緒に体育教官室に行った。
この際、あの黒髪ギャルを連れて行くというところに意味がある。
というのも、この体育教官はかなり偏屈で有名だし、俺みたいに先生と関係値もない生徒が用もなく体育教官室に入ると、目ん玉が落ちるくらい怒鳴られる。
だからこそ、ギャルで先生との距離感も近く、世渡り上手なアイツを連れて行くことでそこを突破した。
そしてこの体育教官への近寄り難さという点が、そもそも新藤先輩が今までチクられてこなかった理由ともいえる。
さっきも言ったが、普通の先生に報告しても「あー、うん。言っとくよ……」みたいな感じで取り合ってくれないからな。
不良生徒とは先生も関わりたくないのだ。
事情を話すと、体育教官はすぐに動いてくれた。
どうやら新藤先輩の素行についてはマークしていたようで、しかしこれと言って目立った動きを教員の前で見せないから困っていたそうだ。
そこに俺が事件現場の取り押さえをお願いする。
俺達にとっても、先生にとってもありがたいwin-winの条件だったわけだ。
「ふぅ」
最後は結局人頼り。
決してカッコいい幕引きとはいかなかったが、これで一応俺の計画は終わりだ。
先生に抑えられて抵抗できなくなった新藤先輩を見下ろす。
前にも見たような光景だが、憐れだな。
悪い事はするもんじゃない。
「クソ……ッ! お前覚えてろよ――うっ!」
捨て台詞を吐くたびに先生に絞められ、うめき声を漏らす先輩。
この人、このまま停学処分とかになったとして、その後俺に報復をしてこないだろうか。
不安になってきた。
「黒薙とか言ったな。呼んでくれてありがとう」
「いえいえ」
こちらこそありがとうございました、と言おうとしてやめた。
殴られた頬の痛みを思い出し、助けが遅かった事に若干恨みがあるのを思い出したからだ。
今野は手元に戻ってきた三万円に歓喜している。
このままその足でアニメイトに走りそうな勢いだ。
なんだかんだ、思いっきり殴られたのは俺だけだからな。
頬を触ると、口の痛みに気付いた。
どうも中を切ったらしい。
「大丈夫か?」
「はい。……まぁ、お互い様なんで」
心配してくる先輩に苦笑しつつ、俺は新藤先輩を見る。
正直、殴られたことはどうでもいい。
煽ったのは俺だし、前に一度俺の方から暴力を振るったこともあるからな。
フードコートで体当たりした時のツケだと思えば、納得できる。
しかし、これにて一件落着だ。
新藤先輩はカツアゲの現場を押さえられ、しばらく本当の意味で悪さできなくなるだろう。
というか、学校に来れなくなるだろう。
退学処分にまでなるのかは知らないが、場合によってはそれも有り得るレベルだ。
今朝、この先生もそう言っていた。
と、お開きムードの中で一つだけ言っておきたいことがあった。
俺は帰り際、体育教官にやられてぐったりしている先輩に向き直る。
「新藤先輩、一つだけお礼するの忘れてました」
「……あ?」
「先輩のおかげで、疎遠になりかけてた幼馴染とまた仲良くなれたんです。あの時、遊びに誘ってくれてありがとうございました」
「……うるせえ。死ね」
言うや否や、先生にどつかれる先輩。
相変わらずな人だ。
それに、今の言葉は煽るための捨て台詞じゃない。
本心だ。
先輩が『何でも言いなり刑』とか言い出さなければ、夢衣はさて置き、綺季の方とは疎遠になったままだっただろうから。
俺達を再び近づけてくれたのは、間違いなく新藤先輩のおかげだ。
例えそれが、悪意であっても。
「あーあ、今の言葉のせいで報復を誘ったら目も当てられないな」
「ぼ、僕は知らないぞ。巻き込むなよ? 黒薙氏」
「……助けた俺の労力返して?」
「じょ、冗談ですぞ? ふひっ」
本当かよと思いつつ、冗談が言えるくらいまで元気になって良かったな、とも同時に思う。
薄情でサイテーな今野の言葉に笑いながら、俺達は屋上を後にした。




