第31話 雲行き怪しい朝の保健室
さて、どう弁明するか。
珍しくしどろもどろな夢衣に、俺は頬を掻く。
「ヤッてないです」
「あんたの家に泊まってたんじゃないの?」
「それはそうだけど」
「じゃあヤッてるでしょあの雰囲気は」
確かに言われても仕方がない空気感だった。
実際朝まで触れ合っていたのは事実だし、それで気まずくなっていたのは俺も綺季も認めざるを得ない。
だがしかし、一線は越えていない。
ただ触れ合っていた状態で寝落ちしただけ。
性的な接触ではなく、極めて微笑ましいだけの甘い幼馴染のスキンシップだった。
始業時間が近づく中、俺達は校内にも入らずに外で対峙している。
「ヤッてない」
「じゃあ何してたん?」
「……ただ話してたら寝落ちして、朝に気まずくなってただけで」
「ふーん。嘘っぽ」
「本当だって」
「まぁそうだろうね。あんたの家にお姉ちゃんが泊まってたのは確かに事実」
「ッ!」
「あの人、友達の家に泊まるって言ってたんだけどな。私にも特に連絡なし。まさかとは思ってたけど、ふーん。そういう感じ」
しまった。
こいつ、二重で鎌をかけていたらしい。
一つ目は俺が綺季との関係を認めるかどうか。
そしてその裏で、アイツが俺の家に泊まっていたかどうか。
俺が最初の問いを必死で否定すればするほど、じゃあ泊まってたのは事実なんだとバレるカラクリ。
策士だとは知っていたのに、迂闊だった。
もっとも、一緒に登校しているのを見られた時点で逃げ場はなかった気もするが。
仕方がない。
切り抜けるには方向性を変えよう。
「何か悪いのかよ」
「え」
「俺がアイツを泊めるのに問題はないだろ? 幼馴染なんだから親父もおばさんも多分止めない。何もやましい事はないんだしな。……それとも、お前は何か嫌がる理由でもあるのか?」
「ちっ」
言い返したら舌打ちされた。
散々人の家でやましい事をしていた人間が、特に俺達の関係に口を挟むこともないはずだ。
そもそも誰のせいでこんな状況になったと思ってやがる。
というわけでジト目を向けると、不服そうに目を逸らされた。
どうやら上手く逃げられたらしい。
若干遅刻しつつ、二人で玄関口を目指す。
「もう詮索はしないよ」
「別にされてもやましい事はないけど」
「って割にはお姉ちゃんは凄い顔してたけど」
「あれ、詮索しないんじゃなかったんですか?」
「うっざ」
にしても、今更だが昨日の俺はどうかしていた。
なんで言われた通りに命令しちゃったんだろう。
内容はどうであれ、昨日のあれは俺の欲求を綺季に押し付けただけだ。
勿論それを要求してきたのは向こうだが、なんだかんだここまで綺季に上から目線で言うことを聞かせたのは、初めてだった気がする。
昨晩の事を思い出すと、妙に胸が騒ぐ。
もしあの時エロい事を求めていたら、彼女は応えてくれたんだろうか。
際どい命令だったら断るとか言っていた気もするが、どうだろう。
……ん?
でもおかしいな、なんだか記憶が曖昧だ。
あの時、もう少し踏み込んだ会話をした気がするんだけどな。
そして結構重大な事に気付いた気がするのだが。
果たして昨日の俺は、何に気付いてしまったのだろうか。
考えようとしても頭痛でまとまらない。
変な姿勢で寝たせいで体が凝って怠さが残っているせいに違いない。
と、そんな事を考えている時だった。
夢衣に肩を叩かれ、俺は気づく。
「ねぇ、あれ」
「……今野?」
こんな時間に、ふらふらと足取り重そうな男子生徒がいた。
ひ弱そうなガリガリ体型の眼鏡。
見るからに陰キャなそいつは、同じクラスの俺の友人だった。
声をかけると、びくりと肩を震わせながら振り向いてくる。
今野は、泣いていた。
すぐに俯くので表情は見えないが、楽しそうには見えない。
「ど、どうしたんだよ? 推しのキャラグッズが転売されてるのでも見つけたか? 好きな配信者の彼氏バレでも知ったのか?」
駆け寄って聞く俺に、夢衣が「うわぁ」とドン引きした声を漏らす。
しかし、いつも真面目なこいつが泣きながら遅刻だなんて、それくらいしか考えられなかった。
今野は俺の顔を見た。
そして、俺は息を吞んだ。
今野の顔には、腫れてあざができており、所々擦り傷のようなものがあった。
明らかに、殴られた奴の顔がそこにあったのだ。
「し、新藤が……。新藤先輩がぁ――」
俺と夢衣は顔を見合わせる。
どうやら、見過ごせる事情ではなさそうだ。
◇
保健室に移動した後、俺は今野のベッド脇に座っていた。
寝不足らしく、すぐに眠ってしまったため今は彼が起きるまで待機だ。
保健室の先生にはテキトーに誤魔化しておいたが、どうなることか。
職員朝礼から戻ってきたら面倒そうだが、それまでは一旦平穏なのは違いない。
俺は隣に座る夢衣を見る。
「教室行かなくて良いのかよ」
「こんなの放置できないっしょ」
「まぁ……うん」
「はぁ。真桜ちゃんさ、今私がサボり目的でここに居座ってると思ってるでしょ? 別にそこまで落ちぶれては――」
「そんなこと思ってないって」
俺はため息を吐き、笑った。
「夢衣が優しいのは知ってるって。実際、先輩たちとつるんでる時も基本一人だけ白けてるじゃん。同類だとは思ってないよ」
「……」
「しかもあの綺季の妹だし。お前の性根が腐ってたらすぐに殴られて矯正されてるよ」
「それもそう」
この前のプリクラの時も、夢衣は俺を守ってくれたからな。
邪悪なギャル軍団の幹部だが、人の心はある奴だ。
そこを俺は昔から見てきた。
と、軽い話はそこまでにして本題に戻る。
「新藤先輩って言ってたよな」
「ま、あの人が後輩ボコっていじめとかは日常茶飯事だし」
「もしかして俺も狙われてる?」
「いや大丈夫。そもそもこの前の屋上の脅しが効いてるから、下手に動いてこないって」
「……」
俺も何度か目を付けられて絡まれてきた。
そもそも幼馴染のギャル姉妹から『何でも言いなり刑』なんてふざけた罰ゲームを受けさせられたのだって、元はと言えばあの先輩がコンビニで俺に絡んできたのが始まりだった。
陰キャだから、なんかムカつくから、調子に乗ってるから。
そんな言いがかりで何度詰め寄られただろうか。
しかし、ここまで本格的にやられたことはなかった。
友達の顔に、俺は眉を顰める。
「アイツ、停学したいのか?」
「さぁね。普段ならもっと上手く隠すか口止めするはずだけど」
「妙だな」
「でもま、最近はお姉ちゃんにもフラれて気が立ってたんじゃない?」
あの日以降、少なくとも俺は先輩と会っていない。
だから彼が何をどう思っているのかはよくわからない。
しかしまぁ、愉快なことになっていないことだけは察せた。
時計の針の音だけが響く保健室で、俺は項垂れた。




