86.突きつけられる現実
聖堂での会議を終えた数日後。
中立都市の復興は住民達と代表者達に任せる事になり、ライナ、ルミナ、リリスの三人はセリフィア王国へと戻っていた。
王都は平穏を装ってはいたが、街の空気には拭いきれない緊張が残っている。
世界は未曾有の危機から救われた。だが、“終わっていない”ことを、誰もが感じ取っていた。
城内、勇者専用として与えられた静かな会議室。
厚い扉が閉じられ、三人だけの時間が始まる。
「・・・率直に言おう」
最初に口を開いたのは、ライナだった。
窓の外を見つめたまま、低い声で続ける。
「今のままじゃ、魔王グラン・ディアヴォルスには絶対に勝てない」
一瞬の沈黙。
だが、それを否定する者はいなかった。
ルミナは椅子に腰掛け、指を組んだまま静かに頷く。
「ええ。混沌竜ヴェル=ナーガを“吸収した”時点で、魔王は別次元の存在になった」
リリスもまた、竪琴を膝に置き、真剣な表情で言葉を継ぐ。
「そもそも混沌竜を取り込む前でも勝てるか怪しかったですぅ。でも今は単純な戦力差じゃないです。世界そのものに干渉できる力に近づいてるです」
三人の意見は、完全に一致していた。
勝ち目はない。
少なくとも、“今の延長線上”では。
「・・・じゃあ」
ライナは振り返り、リリスを見た。
「残りのギルデッド・スターズはどうだ?」
その名を出しただけで、空気がわずかに重くなる。
リリスは一度目を閉じ、整理するように息を吸った。
「ゾーク・アルヴェンと、セレネア・ヴェイグについてなら」
ゆっくりと、だがはっきりと告げる。
「混沌竜戦の時に、ライナが見せたあの力……あれを自在に使えるなら、ライナは一人でも勝てるです」
ルミナが小さく息を呑む。
「一人で・・・?」
「はいです。ただし条件付き」
リリスは視線を落とす。
「全力を、迷いなく、躊躇なく振るえるなら、の話。ライナはあの力を今出せって言われたら出せるですか?」
ライナは黙る。
それはできないと言う意思表示だとリリスは受け取る。
「ライナの”闇”でしたか?あの力を使えばその”闇”が出てくるんですよね?」
「出てくるだろうな。混沌竜の時は退けたから大人しく引っ込んでたが次はまた出てくるだろうな」
「分かったです。一旦それは今の状況ではどうしようもないので置いときましょう。そして・・・」
ライナは次の名前に表情がわずかに曇る。
「・・・ヴァルゼルは?」
その問いに、リリスは首を横に振った。
「それは・・・分からないです」
「ライナには以前話した通り、出自が不明。力の底も見えないし、あれは“測れる存在”じゃない」
沈黙が落ちる。
「勇者だからといって・・・」
ルミナが、強い意志を込めて言った。
「ライナ一人に、すべてを背負わせるべきじゃない」
その言葉は、否定ではなく、守るためのものだった。
リリスも、即座に頷く。
「同意見です」
そして、少し苦笑しながら、正直な本音を漏らす。
「今のままなら・・・リリスとルミナで、セレネアかゾークのどちらかなら倒せる“かもしれない”」
「でも・・・」
言葉が、重くなる。
「その場合、戦闘離脱は必至。勝っても、その後は何もできない」
ライナは拳を握りしめる。
「・・・向こうから仕掛けてくることは?」
「よっぽどあちらが切羽詰まった状況にならない限りない」
リリスは、きっぱりと言い切った。
「おそらく残り三人は、もう魔王城の敷地内で待ち構えてるだけ」
「理由は一つ」
竪琴の弦を、指先で静かになぞりながら。
「魔王はもう・・・単独で世界を終わらせられる力を手に入れたから」
挑む必要すらない。
時間をかければ、勝利は確定している。
それが、今の現実。
会議室に、再び静寂が戻る。
絶望ではない。
だが、希望と呼ぶには、あまりにも遠い。
ライナは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「・・・つまり」
視線を二人に向ける。
「俺たちは、根本から変わらなきゃいけないってことだな」
ルミナは静かに微笑み、リリスは小さく、しかし確かに頷いた。
重い結論に行き着いた三人の間に、しばし沈黙が落ちていた。
窓の外では、穏やかな風が城の旗を揺らしている。
だが、その平穏が仮初めであることを、ここにいる全員が理解していた。
その時・・・。
『・・・やれやれ』
低く、古びた声が、ライナの内側から響いた。
「・・・グラウ?」
ライナが小さく呟くと、ルミナとリリスも察したように視線を向ける。
『三人とも、なかなか現実を正確に見ているじゃないか』
『その判断・・・正しい。今のままでは、魔王には届かん』
その言葉に、ライナの表情が引き締まる。
「じゃあ・・・」
一縷の望みを探すように、問いかけた。
「本当に、手段はないのか?」
わずかな沈黙。
そして、普段は尊大で皮肉めいた神屍竜の声が、露骨に嫌そうな温度を帯びた。
『・・・ない、とは言わん。ただし・・・』
空気が、微妙に重くなる。
『正直、言いたくはなかったし、ほぼ不可能に近い』
「・・・?」
ライナが眉をひそめ、リリスは何かを察したように竪琴を抱き寄せる。
「その“手段”って何だよ」
ライナが促すと、グラウ=ネザルは深いため息のような気配を発した。
『原始竜だ』
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が一段階変わった。
「……原始竜?」
ライナが聞き返す。
リリスは目を細めた。
「……まさか」
『ああ、その“まさか”だ』
グラウ=ネザルの声には、はっきりとした面倒臭さが滲んでいた。
『氷葬竜イグナ=ヘルヴァル、深雷竜ケルヴォ=ラザーデ、黎冥竜ヴァラ=オルフェイン、そして我、神屍竜グラウ=ネザル、混沌竜ヴェル=ナーガ。それらと同列に語れない』
その一言に、ライナは息を呑む。
『原始竜はな他の竜種とは一線を画す。力の規模が違う。質も、次元も、存在意義すら違う』
グラウ=ネザルは淡々と、だが確実に告げた。
『もし原始竜が本気を出せば戦況などという言葉は意味を失う。一瞬で盤面をひっくり返す。魔王だろうが、世界だろうが、等しくな』
ライナの喉が鳴る。
「・・・そんな存在が、本当にいるのか?」
その問いに、グラウ=ネザルは鼻で笑うような気配を放った。
『いる。我も他の竜種もお目にかかったのは一度だけだけどな』
『原始竜は世界に干渉しない。干渉すれば、世界が壊れるからな。だから眠る。隠れる。観測されることすら拒む』
ライナは食い下がる。
「じゃあ、居場所は?探したら見つかるのか!?」
『無駄だ』
即答だった。
『どこにいるかは、分からん、気配も辿れない。存在の痕跡すら、意図的に消している』
『原始竜はおそらく“世界の裏側”にいる』
グラウ=ネザルの声には、苛立ちすら混じっていた。
『正直に言う。考えるだけで面倒だ。頼れるかどうかも分からん。会える保証もない。それでも・・・』
一拍、間が空く。
『今の魔王に“届き得る”可能性がある存在は。もはや、それしかない』
沈黙。
三人は言葉を失っていた。
希望と同時に、それ以上の危険を孕んだ選択肢。
ライナはゆっくりと拳を握る。
「・・・それでも」
視線を上げ、決意を宿した声で言う。
「考えないって選択肢は、ないな」
ルミナは苦笑し、リリスは静かに微笑んだ。
「世界に干渉しない竜、か……」
「ずいぶん、気難しそうね」
『気難しいどころじゃない』
グラウ=ネザルは心底嫌そうに告げた。
『・・・本当に、厄介な竜だ』
だが同時に、それは―唯一残された道でもあった。




