83.祈り
ライナが前へ踏み出すと同時に、街中に散らばっていた人々のざわめきが、震えるような沈黙へ変わった。
泣き叫び、恐怖に押し潰されていたはずの人々が、ライナの背中を見る。
血にまみれ、傷だらけで、それでも剣を掲げ歩く男の姿を。
その一歩はあまりに小さく、それでも無限の意味を持っていた。
誰かが呟く。
震えた声で。
「・・・負けないで」
その声が連鎖した。
「お願いだ・・・倒してくれ・・・!」
「守って・・・!」
「頼んだぞ、勇者・・・!」
「生きて帰るです・・・・!」
祈りが風に溶ける。
風は光に変わる。
光は空に昇る。
光は一点へ吸い寄せられる。
ライナへ。
傷口が震え、血が熱を帯び、魂が奮い立つ。
リリスの音がその祈りを拾い、竪琴が共鳴する。
七色の波がライナの体を巡る。
ルミナの魔力がその祈りを束ね、星光が揺らめく糸のようにライナへ吸い込まれていく。
カイルの力が、
フェリアの力が、
シリウスの力が、
すべてを燃料に世界全体が、ライナへ託した。
だから立つ。
だから戦う。
だから、折れない。
ライナは深く息を吸い込む。
熱く、熱く、心臓が脈打つ。
「・・・みんな・・・ありがとう。」
その声は震え、だが揺るがなかった。
だが・・・。
その祈りを嘲笑うかのように、混沌竜が吠える。
世界が裏返る音がした。
『終焉の名を告げよ。混沌終極魔奔滅』
黒炎が膨張し、空を呑み込み、世界そのものが暗黒の渦に巻き込まれる。
空は裂け、地は捻れ、海は砕け、濃密な混沌の魔性が、空全体を覆うほどの巨大な魔方陣を形成した。
街一つ・・・。
いや、大陸一つ飲み込む暴力。
次元すら砕ける黒の奔流が収束する。
振り落とされる“終わり”そのもの。
抗う力も、逃げる場所も、希望すらも今まさに飲み込まれようとしていた。
ライナは震えていた。
圧倒的な力。
絶望の質量。
全ての未来を壊す闇。
それでも立ち向かう。
剣を握る手に力が戻る。
意識が凛と研ぎ澄まされる。
そして胸の奥で、声が響いた。
行け。
お前は、一人ではない。
神竜グラウ=ネザルの声だ。
『・・・ここで終わらせるぞ。ライナ』
ライナは剣を振り上げる。
全魔力を一点へ。
祈りと希望を核へ。
魂ごと刃に注ぎ込む。
限界を超えた痛みが走る。
骨が軋む。
血が逆流する。
視界が白く染まる。
それでも振り下ろす。
光が爆ぜた。
黄金の竜翼が背に形成され、
その中心から闇より深い蒼光が溢れた。
ライナが吠える。
「竜醒極天奥義」
剣が震え、天が震え、世界が震える。
「星天創界・グラン=レクイエム!!」
天を貫く蒼白の光柱が放たれ、世界を覆う黒炎を切り裂き、混沌竜の終極魔法陣へ突き刺さる。
火花が弾け、衝突が空間を揺らす。
超圧縮された魔力と混沌が衝突し、次元が乱れ、世界が震え、空と地が一瞬だけ反転する。
爆裂の轟音。
光と闇が世界を二分し、激突の中心にライナが立っていた。
「うおおおおおッ!!!」
祈りが剣に宿り、剣が世界を支え、世界が未来を選んだ。
混沌竜の最終奥義は押し戻されていた。
蒼天を割くように放たれたライナの極限奥義
「星天創界・グラン=レクイエム」
その奔流は混沌竜の終極魔法陣へ突き刺さり、世界そのものを捻じ曲げる衝撃音を響かせた。
しかし混沌竜の咆哮とともに、黒炎の奔流がさらに膨れ上がる。
『虚無に還れ。終焉は既に定められた』
闇の巨竜が翼を広げ、混沌と破滅の力を一斉解放し始めた。
蒼光が押し戻される。
一瞬の後退。
それが決定的な均衡崩壊の始まりだった。
ライナの足元が砕ける。
地面が陥没する。
骨にまで裂ける痛みが走る。
「ぐっ・・・ぁああああッ!!」
光柱は押し込まれ、徐々に縮み、細くなり、まるで、世界ごと呑まれていくかのように。
街の上空を覆う黒炎は形を変え、巨大な顎となってライナの光柱を噛み砕こうと迫る。
地鳴りが響き、大気が悲鳴を上げる。
誰もが理解した。
このままでは終わる。
街が、大地が、人々が。
そしてライナが。
そのとき。
崩壊寸前の聖堂前。
か細い声が震えた。
「・・・お願い・・・負けないで・・・」
それは、少女の声だった。
次に、老人が、兵士が、家族が、隠れていた者がいつの間にか街に出てきていた。
次々に声を重ねる。
「立ってくれ!」
「頼む!」
「お願いだ・・・!」
「守ってくれ!」
「生きて帰ってこい!」
「勇者様ぁあああ!!」
街が光の海へ変わる。
それは祈り・・・。
それは願い・・・。
それは命そのもの。
光の粒が無数に溢れ、風に乗り、空に昇りライナの背へ向かう。
さらに各国の王達が、その祈りを補強するように一斉に力を放つ。
セリフィア王が杖を掲げ、
「勇者よ!この国の未来を託す!」
アルヴァレスト王が剣を掲げ、
「その闘志、我らが誇りと共に在れ!」
ドボル王が拳を突き上げ、
「倒れちゃならん、まだ戦場は終わっちゃおらんぞ!」
ミスティア代表が手を掲げ、
「星の意志よ、勇者を導け!」
それぞれの魔力と祈りが光へ変わり流れ込む。
ライナの体が震えた。
押し返される力。
飲み込まれる未来。
砕ける意志。
だがそこに、人々の願いが触れた瞬間。
胸が熱く燃え立つ。
力が溢れ出す。
視界が蒼く輝く。
「っ!まだ・・・終われるかよッ!!!」
光柱が太くなる。
再び勢いを取り戻す。
蒼炎の竜翼が大きく広がる。
混沌竜が咆哮する。
『無駄だ!!終焉は・・・』
叫びの途中で光が爆ぜた。
押し戻されていた光柱が、一瞬で膨れ上がる。
凄まじい爆風と共に、星天創界の力が闇を押し返す。
「うおおおおおおおおッ!!!!」
その光は祈りが燃料。
願いが刃。
未来を前へ押し出す力。
ついに均衡が崩れた。
蒼の光柱が混沌竜の核心へ食い込み、黒い終末の魔法陣を貫き、闇を砕き、その巨体を飲み込んだ。
混沌竜が絶叫する。
『アァァァアアアアアアアアアアア!!!』
蒼白い光が全身を包み、黒炎の翼が剥がれ落ち、形が崩れ、影が砕け光に消えていく。
ライナが最後の力を振り絞り叫ぶ。
「……消えろォォォォ!!!」
爆音。
蒼光が炸裂し、混沌竜は完全に飲み込まれた。
空は澄み渡り、風が生まれ、世界がゆっくりと息を吹き返した。
静寂。
安堵が、街を満たし始めるのであった。




