79.目覚め
理性を取り戻したライナの息が、白い蒸気となって漏れる。
さきほどまで全身に満ちていた圧倒的な力の奔流は、もうない。
暴走による危険なまでの増幅は収まり、確かに正気は戻った。
だが、グラネシスの力の“完全解放”は、もう引き戻せない。
「・・・くっ。さっきまで感じていた“壁”が・・・また分厚い・・・!」
ライナは剣を構えるが、混沌竜の威圧だけで足が軋む。
横でルミナとリリスもそれを感じ取り、表情を強ばらせた。
ヴェル=ナーガの巨大な影が空を覆い、深淵色の鱗が脈動する。
次の瞬間
ドォォォォン!!
胸部の裂け目から黒紫の衝撃波が放たれ、三人を吹き飛ばしかける。
ルミナが魔術で防壁を張り、リリスが音波で衝撃の角度をわずかに変え、
ライナが前で受け止めることでようやく相殺する。
しかし、反撃に移る隙など一瞬もない。
「このままじゃ押しつぶされる・・・!」
「ライナ、踏ん張って!」
混沌竜はさらに続けざまに三連撃。
爪、尾、爆破、攻撃が雨のように降り注ぐ。
そこで、リリスの耳がぴくりと動く。
「・・・聞こえた」
「リリス?」
「攻撃の間。わずかだけど、必ず乱れる音が出てるです!」
混沌竜が攻撃動作を切り替える、その瞬間。
空気が歪む“音の揺らぎ”が生まれる。
この規模の怪物からすれば誤差のようなものだが、音を聞き分ける力に特化したリリスには“確かな隙”として聞こえていた。
「次の爪撃のあと、左側がガラ空きになるです! ライナ、ルミナ!」
「任せて!」
「いける!」
リリスの指示と同時に三人が動く。
混沌竜の巨腕が振り下ろされ、その衝撃波で遙か下の大地が割れる。
地鳴りの奥で、リリスが声を張った。
「今!!」
ライナはそのわずかな空白へ跳び込み、ルミナは魔力で足場を作りライナを加速させる。
グラネシスの光が弧を描き、混沌竜の脇腹に直撃する。
だが・・・。
「・・・ちっ!!」
ガギィィィン!!
まるで城壁を打ったかのような、硬い金属音が響いた。
鱗がひび割れすら起こさない。
衝撃で混沌竜がわずかに体勢を崩すものの、ダメージは・・・皆無。
「やっぱり普通の攻撃じゃ!」
ルミナの表情が険しくなる。
「まあ、隙をついたくらいじゃあビクともしませんよねぇ!」
リリスは冷や汗を流しながら笑う。
ヴェル=ナーガはゆっくりと目を向ける。
冷たく、底知れない深淵の輝き。
『ヲォォオオオオオ!!』
その咆哮は大気を震わせ三人の鼓膜を焼く。
たった一度の反撃ですら、混沌竜の力には遠く及んでいない現実が突きつけられる。
ライナは歯を食いしばる。
「この・・・っ!やっぱ今の俺じゃ・・・届かないのか・・・!」
リリスがライナの腕に手を添える。
その指先は震えていた。
「違う・・・届いてるです。ただ、相手があまりにも、理不尽に硬すぎるだけ・・・!」
ルミナも息を切らしながら言う。
「隙は・・・見つけられる。でも・・・倒すには別の力が要る。このままじゃ・・・私達じゃ、削りきれない・・・!」
混沌竜はゆっくりと首をもたげ、次の攻撃に備え闇を凝縮し始める。
混沌竜ヴェル=ナーガが闇を収束し、胸の核が不気味に赤黒く脈動し始める。
全身の魔力が一点に引き寄せられ、まるで世界そのものを呑み込むような破壊の予兆が走る。
「・・・くる!」
ルミナが魔力の奔流に震える声で言った。
リリスは呼吸を整え、ライナへちらりと目を向ける。
「ライナ・・・少しだけ時間を稼ぐです。その間に秘策でも何でも良いから考えるです!!」
「秘策ったって・・・」
「やるしかないわ、ライナ!」
ルミナとリリスが前へ飛び出した。
二人が向かい合いながら飛び、魔力と音が交差する。
ルミナが紡ぐ魔力は光の譜面となって空中に展開し、その譜面の上をリリスの歌声が滑るように流れ、色と輝きを変質させていく。
「光よ歌に応え、《形》を持て!」
「歌よ光を導き、《響き》を刻め!」
「「星譜連響」」
音と光が重なり、振動が星屑のように散りながら一本の矢へと収束する。
ふたりの声が重なった瞬間、世界が一拍、静止した。
星の奔流が混沌竜へと突き刺さり、ヴェル=ナーガの闇の表皮に、初めて深い亀裂を刻んだ。
「通った・・・!」
「このまま押し込むッ!」
だが、混沌竜も黙ってはいない。
黒い触手のような闇が二人へ襲い掛かり、二人の身体が衝撃で大きく弾かれる。
リリスが咳き込み、ルミナが肩を押さえる。
二人の攻撃は確かに傷を与えたが、まだ“倒す”には遠い。
その時だった。グラウ=ネザルの声がライナに届く。
『ライナ・・・聞こえるか』
「・・・グラウ=ネザル?」
『貴様は誤解している。暴走時の“あの力”・・・あれは今の貴様自身でも出せる力だ』
「何言ってんだ・・・!あの時の俺は自分が何してたかも・・・!」
『違う。奴はあの時、貴様が現在引き出せるギリギリの力で戦っていた』
「・・・は?」
『奴が戦ってる時は、奴が貴様の体のパフォーマンスを100%引き出していたからだ。自分の体をよく見てみろ。ヴェル=ナーガの攻撃でのダメージはあるが、それ以外に何かあるか?』
ライナは言葉を失った。
確かに多少の疲労感はあるが、それは戦ってるならいつも感じてるくらいのものだ。
暴走状態がライナ以上の力を発揮してるなら体が動かなくなってるはずだった。
『我も貴様も少々誤解していた可能性がある』
「誤解?」
『ああ、奴はグラネシスから生まれたモノだと思ってた。だがよくよく考えれば、グラネシスの核になってる我があんな化け物に気づかないわけがない。あれはお前自身の”闇”だ』
「俺自身の・・・」
「ああ、今までは見えていなかったのが、グラネシスの光に照らされて見えるようになった。光が強ければその分、影も強くなる」
ライナは自分の手を胸に当てて目を閉じる。
『奴はこの体の戦い方を理解していた。何故なら、奴も貴様自身なのだから。ならば貴様もできるはずだ。奴にできて貴様にできん道理はない!!』
『貴様の暴走は、本当の暴走ではない。“ギリギリ壊れない範囲で出力を上げ続ける”極限の自己制御だ』
「それじゃ・・・あの時の俺は・・・」
ライナの胸に、熱が宿った。
「・・・俺は・・・本当は、もっと強くなれるってことか・・・?」
『貴様なら出来る。貴様は“まだ出し切っていない”』
ライナは地上に下り軽く息を吐く。
視界が開けるように、重力が抜けていく。
後方ではルミナとリリスも下りてきてライナを見る。
「ライナ・・・」
「あいつに一発ぶちかましてやるです!!」
混沌竜も地上に下りてきて再び咆哮し、渦巻く闇を溜め始める。
今度こそ、都市全体を呑み込むつもりだった。
ライナはグラネシスを握り直し、深く息を吸い込む。
「グラウ=ネザル。俺はみんなを守れるか?あいつに勝てるか?」
『最初にも言ったが貴様一人では無理だ。だが貴様の背中には・・・』
ライナは後ろにいるルミナとリリスを見て、ニヤリと笑う。
「そうだよな。やるしかねえよな!!」
ライナの全身から蒼光が爆ぜた。
空気が震え、大地が鳴動し、混沌竜がその変化に目を光らせる。
混沌竜ヴェル=ナーガが広げた闇の翼が、空を覆い隠すように広がったその瞬間、ライナの周囲で風景が静止した。
空を震わせるはずの咆哮は、遠くの鼓動のように鈍く、沈んだ響きしか届かない。
ルミナやリリスの叫びも、爆ぜる闇の魔力も、すべてが水の底に沈んだように遅く見える。
時間が歪んだのではない。
世界が変わったわけでもない。
変わったのは、ライナ自身だった。
「・・・ああ。分かる。これが・・・今の俺の本当の力か」
蒼白いオーラ。
暴走時に迸ったあの禍々しい光とは違い、静かで、冷たく、それでいて底の見えない深さを持つ光がライナの全身から溢れ出てくる。
その光に触れた空気が悲鳴を上げるように震え、地面に薄い波紋を落とす。
ヴェル=ナーガが闇の腕を伸ばす。
漆黒の刃が天を裂くように迫る。
「遅い」
それだけで闇の刃の軌道が“見えすぎるほど”見えた。
暴走の時はただ衝動で動いていた。
今は、理性で、意志で、選んで動いている。
ライナは腕も振らず、ただ軽くグラネシスの切っ先を傾けただけで闇の刃が砕け散った。
「・・・な、何が・・・起きてるの・・・?」
ルミナの目が大きく見開かれる。
リリスも呆然と口を開けた。
「暴走じゃない・・・のに・・・暴走以上・・?」
ライナが地を蹴った。
音が消える。
世界が置き去りになったような速さで混沌竜の眼前へ跳んだ。
ヴェル=ナーガが反応する前に、ライナは既に上空へ移動している。
「ここだ!!」
蒼光が一直線に降りた。
ヴェル=ナーガの硬質な外殻が、初めて“剣圧”だけで裂ける。
斬った感触はない。
触れた瞬間、相手の防御が“勝手に崩れた”感覚。
怒号のような咆哮を上げながら、混沌竜が周囲の闇を核へと収束し始める。
『混沌咆哮』
闇のレーザーが乱射され、地形が黒煙を上げながら抉れる。
だが、ライナの体は跳ばない。
避けない。
走らない。
ただ、立っている。
その場で、最小の重心移動だけで全ての光線をすり抜けていく。
「す、すごい・・・何、あれ・・・まるで・・・カイルの魔術と同じで未来が見えてるみたい・・・」
ルミナが震えた声で呟いた。
リリスは息を呑む。
「違うです。これは“完全適応”・・・混沌竜の魔力の動き、音の震え・・・全部、完全に読んでる・・・!」
暴走していた時よりも圧倒的に速く、暴走していた時よりも遥かに静か。
その静けさが逆に、混沌竜の圧倒的な破壊力さえ“手のひらで弄んでいる”ように見えた。
「これが……俺だ。暴走でもない、誰の力でもない。“俺が望んで使う、俺の力”だ」
グラネシスが蒼白く輝く。
その光が天へ突き抜けた瞬間、空の色が変わった。
混沌竜が背筋を震わせる。
それは恐怖だった。
ライナがゆっくりと剣を構える。
「行くぞ、ヴェル=ナーガ」
蒼光が爆発し、大地が割れ、空が唸り、混沌そのものがたじろいだ。
真の戦いが、ここから始まる。




