53.獣王の咆哮と獣達の哮り
砦の最上段。
焦げた石畳の上を、熱風が舐めるように吹き抜けていた。
硝煙と血の匂いが混じるその中、対峙する二つの影。
一方は、全身を覆う筋肉が岩のように隆起し全身傷だらけのギルデッド・スターズの一人、バルグロス。
その背に背負った巨大戦斧ギル=ラグナは、人間なら両腕でも持ち上げるのがやっとの代物。
その刃には無数の血痕がこびりつき、乾いた音を立ててひび割れている。
もう一方は、血と汗に塗れた若き勇者、ライナ。
手に握るは神竜剣グラネシス。
「・・・お前が、バルグロスか」
「そうだぜ!?俺様が獣王バルグロ・デイモン様だ!!勇者、テメェも名乗りやがれ!!」
「ライナ・ヴァルグレアス」
バルグロスは笑う。その笑みは戦場の空気を裂くような、狂気の笑みだった。
「ライナか、テメェは自分の世界を救ったらしいが、それは本当か!?」
「そうだ!!」
ライナの言葉に、バルグロスの目が獣のように細まった。
「ならば、世界を救ったその力を見せてみろ。その小さな体で、どこまで抗えるかをなぁッ!」
轟音。
地を蹴った瞬間、バルグロスの巨体が爆風を生み、石畳が粉砕された。
重斧が唸りを上げ、空気が爆ぜる。
振り下ろされた一撃は雷鳴のようで、受け止める間もなく地面を抉った。
ライナは咄嗟に横へ跳ぶ。
爆発的な衝撃で砦の壁が崩れ、破片が雨のように降り注ぐ。
もし受けていれば、一撃で身体ごと砕けていた。
「速ぇな・・・」
「そりゃあどうも!」
ライナが反撃に転じる。
閃光のような剣閃が走り、バルグロスの胸に浅い裂け目が刻まれた。
血は出ない。だが、その傷は確かに通った。
「ほぉ・・・これは驚いた。こんなに早く俺様に傷をつけるとは」
バルグロスは舌で血を舐め取り、笑う。
「いいぜ。もっと俺様を楽しませろ!!」
バルグロスが斧を構えると、砦全体が軋んだ。
その魔力は、まるで重圧そのもの。
空気が歪み、風が止まる。
「獣王撃震・第一式」
地面を叩き割る一撃。
波動の衝撃が衝撃波となって前方へ突き抜ける。
ライナは咄嗟に神竜剣を地に突き立て、障壁を展開。
だが防ぎきれず、身体ごと吹き飛ばされた。
「がっ……!!」
背中を打ち、口から血が滲む。
だが、その瞬間、剣の中で、低く重い声が響く。
『人間、気をつけろ。あやつ、想像以上の強さだ』
「・・・グラウ=ネザル・・・!」
『今こそ、鍛錬の成果を見せる時だぞ!!』
ライナの視界が白く染まる。
剣から放たれる神光が空を裂き、砦を覆う黒雲を吹き飛ばした。
「うおおおおおッ!!!竜光斬!!」
ライナの咆哮とともに、グラネシスの刃が竜の形を描いて迸る。
光の竜が大気を切り裂き、一直線にバルグロスへ。
「面白ぇぇええ!!!」
バルグロスの咆哮が重なる。
斧と剣がぶつかり、閃光と衝撃が戦場を覆った。
轟音。
風圧で砦の旗がちぎれ、地面の石が浮き上がる。
刃と刃が擦れ合い、火花が散り、空気が焦げる。
押し合う二人の間に生まれる圧力は、まるで世界そのものが軋むよう。
互いの目は、目の前の相手だけを映していた。
「お前を絶対に倒す!!」
「倒せるものなら倒してみろ!!ライナアァァッ!!!」
そして次の瞬間。
二人の力が爆ぜ、衝撃波が砦を包んだ。
煙と光が混じる中、そこに立つのはまだ、決着のつかぬ二つの影だった。
砦の下層。
戦場はもはや地獄だった。
血の雨が降り、煙が空を覆い、焼け焦げた肉の匂いが鼻を刺す。
だがその中心、たった二人の少女が、数百の獣人達を相手に立っていた。
「さっさと消えるです!!」
リリスの竪琴が鳴った。
小さな指が弦を弾くたび、空気が震え、音が衝撃波に変わる。
その旋律は美しく、けれど残酷だった。
「哀哭の輪舞〈ラメント・ロンド〉!」
音が弾け、波紋のように拡がる。
その一瞬で、十数体の獣人が頭を押さえて絶叫し、血の涙を流しながら崩れ落ちた。
耳を破り、心を砕く魔曲。
彼女の歌声は戦場に咲いた死花。
「・・・ハァ、ハァ・・・魔族だった時の技は今の人間の体には堪えますねぇ・・・。それにまだ来るのですか。バカみたいに、しつこいですぅ・・・!」
小さな肩で息を荒げながらも、リリスは立ち止まらなかった。
竪琴の弦は血に濡れ、左手の指先は切れていた。
それでもリリスの瞳は燃えている。
ライナの背中を、見失いたくなかった。
「・・・ライナも今頑張ってるのです。リリスも頑張らないとですね」
苦笑を浮かべ、髪に張りついた血を払う。
「足手まとい!!まだ立てるですか!?」
「当たり前でしょ。まだ、まだ大丈夫よ」
白銀の杖を地面に突き、ルミナが息を整えた。
その姿はもうボロボロだった。
髪も衣も血と泥にまみれ、肌は魔力の消耗で青白く光っている。
それでも、目だけは揺るがない。
「早くライナに加勢しないと」
杖を高く掲げると、淡い光が天を貫いた。
「聖輪転生陣〈サークル・リザレクション〉!」
大地を覆う光の輪が、瞬く間に拡がる。
獣人達の体が、音もなく崩れ落ちていく。
「どうよ!!」
ルミナの瞳がリリスを見た。
リリスは頷く。
「足手まといにしては上等です!!」
リリスは手を胸に手を当て呼吸を整えた。
「なら、この曲で終わらせてやるです!」
リリスが竪琴を抱きしめ、指を走らせた。
「聖奏曲〈セイント・カデンツァ〉!!」
竪琴の音とリリスの歌が、金属の響きのように鋭く変わる。
弦から放たれた魔力が光の刃となり、放射状に広がった。
同時に、ルミナが詠唱を重ねる。
「光刃加護・共鳴展開!」
白銀の杖から放たれた光がリリスの魔法と共鳴し、音と光が融合する。
旋律が砦全体を包み込み、眩い閃光が空を裂いた。
数百の獣人達が、一瞬にして沈黙した。
光が消えたとき、立っていたのはリリスとルミナ、ただ二人だけだった。
リリスは肩で息をしながら、竪琴をそっと下ろした。
その指は震え、血が滴る。
「・・・終わった、ですか・・・?」
「えぇ・・・全部、倒した。もう、誰も残ってない」
ルミナが優しく答えると、リリスは小さく笑った。
「休憩したいですけど、まだ肝心のバルグロスが残ってるです。ライナのところに行くですよ!!」
二人は互いに目を合わせる。
戦場の残滓を踏みしめながら、砦の階段を駆け上がっていく。
夜風が二人の髪を揺らし、血と灰の匂いを吹き払うように流れた。
砦の上から、雷鳴のような衝撃音が響く。
それは、ライナとバルグロスのぶつかり合い。
リリスの心臓が跳ねた。
「・・・ライナ、リリスが行くまで無事でいて下さいです」
小さな声が、風に消える。
その顔には、年相応の少女らしい焦りと、不器用な想いが滲んでいた。
「行くですよ!!」
「えぇ!!」
そして、二人は砦の最上段へと駆け出した。




