44.神竜剣の奇跡
リリスの小さな身体を包み込むように、神竜剣が白銀の輝きを放った。
光は眩いばかりに強まり、リリスの中に巣食っていた魔の気配を少しずつ浄化していく。
「・・・っ!な、何・・・この温かさ・・・」
彼女の中を支配していた黒い魔力が、雪解けのように消え去っていく。
痛みも、呪いも、憎しみすらも、すべて光に溶けて消えていった。
気づけばリリスの姿は、かつての「人間の少女」のものへと戻っていた。
透き通るような白い肌に、年相応の柔らかな輪郭。
ただ十四歳の歌姫としての面影だけがそこにあった。
リリスは信じられないというように自分の両手を見つめ、そして視線を上げて、目の前に横たわるライナを見た。
「・・・ライナ・・・」
ライナは全身傷だらけで、血に染まり、呼吸も浅い。
限界を超えて立ち続けた彼は、ようやく力尽き、気を失っていた。
リリスは唇を噛み、そして膝をつき、彼の頬に震える手を伸ばす。
「どうして・・・ここまでボロボロになって・・・それでも・・・リリスを・・・」
声は涙で掠れた。
だが、胸の奥に残っていたものが答えを示す。
歌。
リリスは涙を拭い、ライナの胸に耳を当てた。かすかに聞こえる鼓動に、彼の生の証を確かめる。
そして、深く息を吸い込み、静かに歌い始めた。
「……♪ 眠れ、眠れ……痛みを越えて……優しい風よ、彼を包んで……闇は去り、朝は来る……心よ、安らぎを取り戻せ……♪」
それは《呪葬歌》のような重苦しい歌ではなく、ただ純粋に「癒し」を願う旋律だった。
リリス自身が心から歌いたかった、本当の歌。
彼女の歌声は柔らかな光に変わり、ライナの傷口を包んでいく。
破れた肉は閉じ、血は止まり、焼けただれた皮膚は滑らかに戻っていく。
やがてライナの表情は、苦痛から解放されたように和らいだ。
瞼は閉じたままだが、まるで安らかな夢を見ているかのように。
「・・・ふふ・・・」
リリスは思わず小さく笑った。
これまでの彼女の笑みとは違う。歪みも、作り物もない、心からの微笑みだった。
「あなたは・・・本当に、馬鹿みたい・・・」
そっとライナの頬を撫で、歌を続ける。
その声には、かつて世界に勇気と癒しを与えた歌姫の輝きが、確かに戻っていた。
眠るライナの寝顔を見つめながら、リリスは静かに誓った。
「今度こそ……勇者であるあなたが守ってくれたこの歌を、正しい意味で・・・歌い続けるから」
風が静かに吹き、ふたりを包むように柔らかく揺れた。
戦いの喧騒が消えたその場に残っていたのは、安らかな寝息と、少女の優しい子守唄だけだった。
激闘から間もなく。
ライナは意識を失ったまま、シリウスに抱えられて騎士団の宿舎へと運ばれた。
その横を、小さく俯き歩くリリス。
魔族としての力を失い、ただ人間の少女の姿に戻った彼女は、自分がその場にいて良いのか分からず、逃げ出そうとした。
だが、その腕をシリウスが無言で掴む。
「っ・・・離して・・・リリスは!!」
「・・・逃げるな。お前が生きていると言うことはライナがお前を生かしたと言うことだ。何の意図があるかは分からぬが、お前はライナに生かされた。ならばライナが目を覚ますまで、お前が責任を持って看病しろ」
淡々とした声だったが、そこには強い意志があった。
リリスは一瞬言葉を失い、唇を噛んだが、結局その場から離れることはできなかった。
数日後。
ライナの部屋。
窓から差し込む陽光に瞼を揺らし、ライナはゆっくりと目を開けた。
ぼやける視界の中に、ベッド脇で椅子に腰掛ける人影がある。
「・・・ん?」
小さな肩、長い髪、そしてどこか見覚えのある横顔。
だが、その姿は以前の“魔族の歌姫”とは違っていた。
ただ、年相応の少女、人間のリリスだった。
「・・・あれ?誰だ・・・?」
ライナは首を傾げ、寝ぼけたように問いかける。
リリスはわずかに肩を震わせ、そして意を決したように振り返った。
「リリスです・・・その剣のおかげで、人間に戻れ・・・ました」
ライナは一瞬呆然としたあと、柔らかく微笑んだ。
「・・・そうか。・・・よかったな」
その何気ない一言に、リリスははっとして、頬を赤らめた。
胸の奥が熱くなるのを抑えられず、俯きながら視線を逸らす。
しばし沈黙のあと、ライナは姿勢を正し、真剣な眼差しでリリスに問いかけた。
「・・・で、リリス。これからどうするつもりだ?」
リリスは小さく息を吐き、拳を握りしめて答える。
「・・・償わなきゃ。私はたくさんの人を傷つけ殺した。・・・捕まって、罰を受けるべきだと思ってる」
その言葉に、ライナは一瞬だけ目を伏せ、そして、はっきりと首を横に振った。
「・・・いや。違う」
「え・・・?」
「償いたいなら、俺の仲間になって魔王達を倒すのを手伝え」
真っ直ぐな声。
リリスは思わず息を呑み、ライナを見つめ返す。
「仲間・・・に・・・?」
「ああ。歌が好きなら、その歌でみんなを救えばいい。魔王達の影に怯えてる人々を元気にしてやればいい・・・俺と一緒に」
その言葉はあまりにも直球で、リリスの胸に深く突き刺さった。
両親に利用され、存在を否定され、自らの歌にすら呪いを重ねてきた彼女にとって、ライナの言葉はまるで救済
そのものだった。
「・・・っ・・・」
声にならない嗚咽を堪えながら、リリスは小さく頷いた。
「・・・わかった。・・・リリスを仲間に、してください」
その瞬間、ライナは安心したように微笑んだ。
そしてリリスは、自分の胸に湧き上がる温かな感情を、初めて素直に受け入れるのだった。




